いつも聞いていたはずの波の音が、今日は一層声に聞こえる。
アストンマーチャンは、誘われるように浜辺に向かっていた。
「上流から、下流へ」
その独り言に、生は感じられなかった。
一生懸命生き抜いた。
マーチャンの足取りは軽い。これでいい、これでいいという一歩が彼女を前に進ませた。
ところが、ウマ娘の身体、或いは彼女の特別な精神状態が、浜辺に気配を感じた。
一人の青年が立っていたのである。
ずっと下を向いていたから気づかなかった。マーチャンは、予定が狂ったな、と思った。
とはいえ、後戻りはできない。マーチャンは青年を避けるように、海へと向かっていた。
「君はウマ娘だね」
「!」
青年の声は、波間によくとおった。
「なぜここへ来た」
「・・・・・」
「“磁場の乱れ”が起こっている。ここで待っていれば誰かが来るかもしれないと思った」
「あなたは誰なのですか」
マーチャンは、声を張る力がなかった。青年に近づいて、声をかける。
危害を加えてくるような人間でないことはわかった。自身のトレーナーとさほど年も変わらない男性だった。
「心配することはないよ。僕は君たちとは違う生き物だから」
「・・・私は海に呼ばれてきたのです。春とも仲良くできませんでした。だから、仕方のないことなのです」
「海に還ろうとしているのか。君は独りぼっちなのか?」
「え?」
「君は、誰も置き去りにすることなく海に還ろうとしているのか、と聞いているんだよ」
「・・・」
マーチャンは押し黙った。ウオッカのことが、ダイワスカーレットのことが、そしてトレーナーのことが脳裏をよぎる。
トレセン学園での日々が頭に浮かぶ。
「その中に人間はいるか?」
「え?」
「ウマ娘と人間は違う。人間は・・・君が黙る理由のひとつか?」
「プライバシーがあるのです」
「そうか。それもまた答えだ。少し安心した」
「ずるいです。勝手に安心して。マーちゃんは、あなたについて何も聞いていません」
「僕は、昔から地球に住んでいる生き物だ。仲間も友達もとても少ない。今、地球を支配しているのは人間だ。人間はひどい。海を汚して、勝手にいじってる。そんな人間がとても嫌いだ」
「!」
青年の差し出した手は、異形。鱗のようなものが甲にびっしりとあった。
「でもな・・・時々、本当にいい人間もいるんだ。僕はそういう人がいるから、人を攻撃する気持ちになれないんだ。きっと、君のことを思ってくれている人間も、そういう人だ」
(トレーナーさん・・・)
「マーチャンと言うんだね。よく聞きなさい。もう少しここで立っていて。心の純粋な人間というのは、どういうわけか“乱れ”をかいくぐる。だからここへたどり着く。来ても来なくても、どうするかは君の選択だ。だが、海は簡単な理由で生命を呼ばな――」
「スプリンターズ・ステークス」
青年の声を遮るようにマーチャンが言った。
「・・・わからないのです。でも、もし私が行かない選択をしたら、そこにきっと私はいます。もし、もし・・・」
「わかった。僕は海の子。海に戻るよ」
「!!」
急な突風で、砂が目に入った。思わず目を閉じたその瞬間に、青年は姿を消していた。
それから10分ほどしてのことだった。
「・・・ちゃん」
「アストンマーチャン!!」
誰もいない浜辺に、聞きなれたトレーナーの声が響き渡っていた。
(覚えていてくれたんだ。)
―――
「・・・私は、海の声を聞かなかった事にします。トレーナーさんが、変なヒトなので」
「うん!!」
そして年月は流れ――
【中山レース場】
「アストンマーチャン逃げる逃げる!この姿を焼き付けろ!先頭はアストンマーチャン!誰もその影を踏むことを許されない!大歓声だ大歓声だ、この大歓声はどこまで届くんだー!!」
(海の人、届いていますか!これが、アストンマーチャンです!)
「海の声を聞かなかったんだね。立派な子だ」
ウイニングライブも終わり、トレーナー室でトレーナーはマーチャンを労った。
「よく頑張ったな」
「みんなの記憶に残れたでしょうか」
「胸を張ってそう言えるよ。そうそう、見てくれ。知り合いからこんな画像が送られてきた」
「?」
トレーナーから差し出されたスマホの画面には、アストンマーチャンのコスプレをし、「マーチャンがんばれ」のうちわを持ち、「マーチャンLOVE」の鉢巻をした若い男性の写真がうつっており、ひときわ目立っていた。ウマッターでも、「マーチャン信者いて草」「マーチャンめっちゃ応援されてて笑う」などの投稿で溢れかえっているという。
「!」
「いや~、これほど一目でマーチャンのファンだとわかる猛者がいるなんてな。俺も負けてられないぞ~~!!」
「海の人・・・」
「え?」
「・・・いや、なんでもないのです。マーチャン、熱烈なファン一人ゲットなのです」
そのころ、海底のとある空間。
「おい、お前この前乱れを見に行った時何を見た?」
「ウマ娘を一人・・・」
「グッズ買いすぎだろ」
「お前出張っつって、許可もらってまさかレース場行ってたんじゃないだろうな」
「いや、聞いてくれ。あるウマ娘について話がある。そうだ、火星のアイツにもちょっと宣伝したくてだな」
「おいおい」
“海の人”の間でも、アストンマーチャンは大人気を博したそうだ。
彼女がグッズを宇宙展開する日も、そう遠くはないかもしれない。
アストンマーチャンについてのSSを一個だけでも人生で作りたかったので。
一応、ウルトラセブンより「ノンマルトの使者」の世界観をイメージして書きましたが、そちらをご存じなくても読める内容にしました。