時間があれば修正する。
協会の鐘の音。
それが耳に通り抜けるのをヒンメルはどこか茫然と聞いていた。周囲の人は疎らで、僧侶の活躍のわりに、あまりに少なすぎるように感じた。
「お前のためだ。ヒンメル」
不思議そうに見渡してしまったからだろう。横からヒンメルをチラリと見上げてアイゼンがそう声をかけてきた。その言葉でヒンメルは語る。
ー僕のため…。
視界の端のマントがゆらりとひらめいた。
ハイターはヒンメルが身元を隠しているのを知っていた。だからこそ、あえてひっそりと葬式を終えようとしたのだろう。
「!、おい」
ヒンメルはマントを外した。周囲のざわめきが細々と聞こえるが、今のヒンメルには気にならなかった。
「バカだよ。大勢の人に見送られればよかったのに」
顔を少し上に向けて溢れないようヒンメルは言葉を紡ぐ。
「ホントにバカでひどいやつだ」
最後の言葉は酷く震えてしまった。
隣にいるフリーレンは、口では理解しつつもよくわかっていないような顔をしていた。祭壇のときも、感情が湧かない表情で華を手向けて戻ってくる。その顔は幼い子供が言われた通りにする表情を瓜二つの顔をしていた。
ヒンメルはそれに目を細めてただ眺めていた。仕方ないことだと思う。フリーレンにとって死は近いようで遠いから。長く生きると他人の人生が随分短いように感じていき、いくつもそれが折り重なって、川の流れのように消えていってしまう。だから、フリーレンにとって死は近すぎて遠いのだ。
ハイターの棺が墓地に埋められる音を聞きながらヒンメルは眺める。
変わり果てた友人の姿は目を閉じても、簡単に思い出せた。
「ヒンメルにとっては不謹慎か、嫌かもしれないけど。私はヒンメルが呪いを受けて隣に居てくれてること。嬉しいと思ってる」
「…!」
「何その顔」
「いや、…ちょっとビックリして。てっきりフリーレンは僕が頻繁に知人に会いに行くのめんどくさがってたから嫌なのかと」
「……………うん」
「正直だね」
突然過ぎた発言に少し驚きながらちゃかした返事をした。
かといっても、このタイミングで正直さを出すとは思っていなく、ヒンメルは思わず突っ込む。フリーレンらしいといえばらしいがせめてお礼ぐらい言われるものかと思ってしまった。
急にどうしたんだろうと、横目でチラリと見る。
その瞬間、ヒンメルは口を薄く開いて瞠目してしまった。
ーーーーー泣いてる。
フリーレンの翡翠の瞳から控えめに一粒の涙が流れていた。
「けど、こうしてハイターには生きている間に何度も会いに行った。もし、私だけだったら多分流星群まで会いに来なかったと思う。人間の命が短命だとは知っていたけど……」
「……うん」
「わたしは、…ヒンメル…に出会えたことも、ハイターに出会えたことも……アイゼンに出会えたことも……ぜんぶ、わたしなりに……きにいっていた…っ…けど、たいせつにっ、は、できなかった、と思う」
「うん」
フリーレンが一生懸命自身の涙を手で拭い始める。器用に話すなぁとヒンメルは優しい顔をして頭を撫でた。フリーレンの反対隣にいたアイゼンもその背中を優しく撫でる。子供扱いのようで不服だったのだろう。撫でんなよぉとそのまま、しゃっくりをあげながらフリーレンは涙を流していた。
完全にハイターの墓が埋まる頃には、フリーレンは目を赤くしながらも、呼吸を整え少し落ち着いていた。
「だから、ヒンメルが……わたしと一緒にいて…わたしをつれて……たいせつにしてくれたこと…感謝してる」
「うん!嫌がられても連れていくもんだね」
「そう、だよ。人間についてはヒンメルのほうが、せんぱいだもん。めんどくさかったけど」
「うん、正直だ」
少々ふんぞりかえって頷いたが結局正直な物言いに苦笑してしまう。まだ、泣き止んでから完全に呼吸が戻っていないのかどこかたどたどしい。
「ありが、とう、ヒンメル」
「こちらこそ、フリーレン」
そう言って自然と二人の手が触れあって握り合う。寂しさを埋め合う行為は確かにヒンメルの支えになっていた。
「よっアイゼン」
風に揺られて夜の星空に紛れていたアイゼンにヒンメルが気楽な様子で声をかけてきた。
「フリーレンは?」
「疲れたから寝るって」
「相変わらずだな」
「だろ」
今日ぐらいは一緒に寝ようと言われるかと思ったよ。お陰で僕だけ目がパッチパチさ。
ヒンメルがおどけた拍子で言うのをアイゼンはただ眺める。あの頃と変わらない様子は安心感を与えさせられるようで、ヒンメルが何も変わっていないように感じた。
ーいや、
変わってはいるのだ。
アイゼンの脳裏に二人が手を控えめに握り合った光景とフリーレンの涙が浮かぶ。
ヒンメルもフリーレンも少しずつ変わっていっている。有り余る時間ゆえでそれが遅くてゆっくりと見えるだけで二人とも確かに変わりながら生きていた。
「…随分と仲良くなったな」
「除け者にして悪かったよ。アイゼン」
「構わん。ー寧ろ安心した」
「え…?」
「フリーレンも言っていたが…。俺もお前が呪いにかかって良かったと思っている。不謹慎だがな」
呪いなんて良いものではないとアイゼンは思っていたがこうしてさほど変わらないヒンメルを眺めると、案外そうでもないなと思えてしまう。
…結局のところ、アイゼンも一人になる仲間を思って心配していたのだ。
「ドワーフはエルフよりも生きられないし、ハイターも、呪いのかかってないお前も言うまでもなく人間だから長く生きられない。アイツの隣に入れるのはいずれ消える人間(生物)だった。それが酷く哀れに思っていた…」
「…アイゼン」
「ヒンメル。俺はお前にもアイツにも幸せになってほしいと思っている。だから、一人になってほしくはないんだ」
「アイゼン……。
脳筋なくせしてっっっ!難しいことをっっっ!」
「……うむ、お前は除外しようと思う」
普段からそれほど的外れなことは言っていない筈なのだが…。アイゼンはそう思いつつも軽口を返す。
「まぁあれだ。お前がフリーレンに教えてやってくれたことはアイツにとって意味のある大切なことだ。だからな、くれぐれもアイツを頼む」
「お父さんか!……はぁ、言われなくてもそうするさ」
ちょっとだけ困ったかのように眉を寄せてヒンメルが苦笑した。それだけのことなのに、やばりどこか違和感を感じて、目を思わず向ける。
ヒンメルの様子がおかしいような気がしたのだ。
アイゼンの視線に気づいたのか。ヒンメルは笑みを称えたまま目線を下げてから、海を眺めるように手すりの上に腕をおいた。
「ただなぁ、アイゼン。僕はそんな大層なものじゃないぞ。立派な男でも、人間でもない。今だって、本音を言うとアイゼンを拐ってしまおうと考えるぐらいだ……やっぱりダメかな?」
「ダメだな」
冗談めかして語るヒンメルの顔は、薄暗い。いつだって明るいヒンメルの顔を見てきたアイゼンにとっては予想外で、目を見張る。
「だろうね。分かってるんだ。僕たちはそれぞれ生きる道がある。たまたま、呪いを被ってしまった僕はフリーレンと道が被ってしまっただけだって」
「ああ」
「けど、さ。今回のことで思ったんだ」
ー見送るのが怖い。
そう言って、夜空を見上げるヒンメルの言葉は震えていた。
「笑えるだろ。分かっていたつもりだったんだ。それもフリーレンよりもね。けど、これからもっと色んな、大切で、懐かしくて、大事にしたい、そんな人たちを見送るのがとてもー怖くなった。ハイターの死で」
ヒンメルが落ち込んでるわけではないと思わなかったが、フリーレンより動揺を感じていないと少なくともアイゼンは思っていた。
だからこそ、顔の曇りが浮かぶのをそれこそ動揺してアイゼンは何も言えなくなる。こんなことはじめてだ。ヒンメルだって弱音を言うが彼はいつでもその弱音を涼しげな顔で言うのだ。ーなのに、今はこんなにも迷子染みた顔をしている。
「ただの別れじゃない。もう会えない別れ。僕は知っていた筈なのに、気づけば沈みそうなほど溺れて怖がっている」
「ヒンメル…」
漸く絞り出せた言葉はただ名前を呼ぶことだった。
「なぁ、アイゼン一緒に来ないか。本当に。そしたら、少しだけ……少しだけ怖くなくなると思うんだ」
ーお願いだ。
ヒンメルは唇を震わせて静かにそういい放った。魔王にだって、ヒンメルがこんな情けない姿を見せていない。
「無理だ。分かっているんだろう」
「ーああ、分かってる」
けれど、アイゼンの言葉は決まっていた。
出来ることならついて行きたいと思っている。けれど、もうオノを触れる年齢でもない。久しぶりの短い旅路だって、終わってしまった時には体のガタが来ていた。
ヒンメルだって落ち込んでいてももう子供ではない。
この言葉を受け入れて前に進める筈だ。…その、筈だ。
「僕たちの道は交わることがあってももう重ならない。そういうことだ。そういうこと、…なんだね」
「…そうだ」
ヒンメルがあまりにも悲痛に言うのでアイゼンは返事をするのを一瞬躊躇った。
アイゼンはヒンメルの強さを信じている。
「なぁ、アイゼン。弱音を言っていいか」
「……」
アイゼンの無言を肯定と受け取ったヒンメルは視線を海に戻して顔をうずめる。
いまだにアイゼンは“勇者”ヒンメルの強さを信じていた。
「生きてから初めて思うよ」
ー生きるのが怖いって。
その顔はアイゼンですらも見えなくて誰からも見えない。でも、きっと弱さを露にした人の顔だった。
ー本当に、ヒンメルは前を向くのだろうか。
かつての勇者が見せた弱さにヒンメルの強さを信じる一方で、アイゼンは不安をぬぐいきれなかった。
あれほど、精神的にも出来た人間は早々いないとアイゼンは思っている。善意や活力に満ち溢れ、自分の定めた目標を突き進む。そんな完璧といっても過言ではない人間がヒンメルだとアイゼンは今のいままでそう思っていた。
「アイゼン、見送りありがとう」
実際、そうだったのかもしれない。
あの旅路のヒンメルはそう思わせるほどに、実直で此方の意思が動かされる少年だった。
かつてアイゼンに手を伸ばした同じ顔でヒンメルは別れを言う。名残惜しく思う一方で慈しむ顔はアイゼンの理想と成り果てた”勇者“ヒンメルの表情を写していた。
「ああ」
あの時言うべきだった言葉も思い浮かばないまま、アイゼンは見送った。
ひとつ増えた三人の影を眺める。その一番伸びた影を眺めてアイゼンはたまらずため息をついた。
正直にいえば、アイゼンはずっとフリーレンの心配をしていた。彼女は時々酷く軽薄な様子を仲間に見せていたから。けれど、昨晩のことを考えるとー、
「アイツの言う通りヒンメルの方が重症か」
ー“案外、ヒンメルの方が重症かもしれませんよ?”
唇を震わせて今にも倒れそうな青ざめた顔でアイゼンに相対したヒンメルを思い出す。
正直、あの晩までヒンメルをアイゼンはいまだに勇者だと思っていた。ー思っていたのだが。
自分の考えがコロリと変わっていることに気づくとアイゼンはまた深くため息をついた。
まぁ、フリーレンがいるからなんとかなるだろうと思いたい。そう、思いたいが。あの感情の起伏が薄い彼女に任せられるかというとたぶん無理だろう。
ーこれはしばらく胃を痛めそうだ。
そう思いながら首の後ろをかいて再度思う。
彼らの旅路は長いわりに前途多難であるーと。
⚠️ヒンメルが本心で弱さを語るのはここだけ。