Sin and Punishment   作:アイダカズキ

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ワイオミング、ヴァルハラ、ヴァルキリー(6)ゲヘナにおいでよ

「……お、おい、あれ見ろよ! ルーロン……タイニー・ルーロンじゃないのか?」

「本当だ! ルーロン州知事! タイニー・〈嵐を呼ぶ(テンペスト)〉・ルーロンだぜ!」

「州知事! 現在ワイオミング州で進行中の、一連の騒乱についてコメントをお願いします! 州知事!」

「これからどうすりゃいいんですか! 俺たちゃ、祖父さんの代からこの土地に住んでるんです! 核が破裂するから何処にでも失せろなんて、そんなこと他所の奴らに言わせっぱなしでいいんですか!?」

「……コヨーテ1よりコヨーテリーダーへ。群衆が増え始めている。何か対処は必要か? 指示を乞う、どうぞ」

 ハンドルを操りながら龍一は無線機へ呼びかけたが、指揮者──警備チーム主任の、アンドルーという元軍人らしき中年男だ──からの返答はそっけないものだった。

『コヨーテ1。問題はない、このまま直進せよ。車間距離と人への接触にのみ用心しろ』

「コヨーテ1、了解」

『いいか、新人(ルーキー)。人手は貴重だから途中参加を認めはしたが、それもお前が使()()()()の話だ。足を引っ張ったら承知しないからな』

 アンドルーから龍一たちへの態度は常にこういった感じで、お世辞にも丁重とは言い難い。車と無線機、後は防弾チョッキと護身用の特殊警棒を貸し出されただけ──おまけに「破損したらさっ引くからな」とたっぷり脅された──で、銃の支給はない。あっても使うつもりはないが。

 だが問えば応ずるだけ、アンドルーはましな部類かも知れない。他の警備チームのメンバーは、ろくに目を合わせもしてくれないからだ。州知事の親類か何かがコネでねじ込まれてきたとでも思われているのかも知れない。まあ、自分たちのフィールドに踏み込まれて面白い気がしないのはギャングもボディーガードも同じと思えば、そう腹も立たなくはある。

 バックミラーをちらりと見る。護衛対象(パッケージ)──ワイオミング州知事タイニー・ルーロンの乗る車の中では、早くも一悶着が起こっているようだった。どうやら州知事殿はウィンドウから顔を出して群衆に手を振り返そうとしているらしく、秘書やスタッフたちに懸命に宥められている。

 実は出発時、州知事を車に乗せる時でさえちょっとした騒ぎになったのだ。

『防弾仕様のリムジンだと? 労働者の街にそんなスタイリッシュで取り回しの効かなそうな車で凱旋しろというのか? 私は母親が職場のお下がりで貰ってくるピザが唯一の()()()という家庭で育ったんだぞ。ふかふかのシートに座りながら呼びかけたところで、人々はそっぽを向くのが落ちじゃないかね!?』

 彼はそう言って、スタッフの用意した車に乗ることを断固拒否したのである。もっともこれにはスタッフの言い分もわからなくはなく、州知事をあんまりおんぼろな車に乗せては沽券に関わる、と考えてのことなのだろうが──結局、警備チームが予備車として用意していたRV車を使うことでどうにかその場は収まったのだった。あんまりリーダーがアグレッシブすぎるのも考えもんだな、と龍一はぼんやり思う。

「コヨーテ1よりリーダーへ。当面の急務は州知事への対処と思われる。どうぞ」

 あんまり親身になられても困るとは言え、おざなりに扱われていい気がしないのも事実ではある。

『……なあ、新人。知らないのは罪じゃない。だから一つだけ教えてやる』

 アンドルーの声が、初めて聞く凄みを帯びた。『確かに我らがボスはわがままで気分屋だ。思いつきに振り回されたことだって一度や二度じゃない。だが俺たちの業界ではな、後部座席で秘書兼愛人にフェラチオさせたり、事を済ませた後でその秘書兼愛人殿を送り届けるのに俺たちをハイヤー代わりに使ったりしないってだけで、充分に聖人の域なんだ。ましてやラリった小娘どもが「核」をぽんと言わせかねない時期に自ら説得に赴こうなんて州知事は、アメリカ中を探したって一人しかいない。今度あの人について減らず口を叩いたら、お前がどれだけ腕自慢だろうがパンツ一枚にひん剥いて「ワイオミングなんか来なけりゃよかった」と心底思わせてやるからな。二度は言わない。終了(アウト)

 通信は切れた。運転中でなければ天を仰いでいたところだ。

「啖呵を切られたなあ……」

「君をパンツ一枚にひん剥いて後悔させるってさ」助手席のアレクセイでさえ感慨深げな口調になっている。「本当にできたら、何をおいても見たいものだね」

「言ってろよ」

 だが傾聴に値する意見ではあるな、とは思った。たとえ裏に政治的野心があろうと、現状でワイオミング州の混沌をどうにかできそうなのはあの州知事一人なのだ。彼にもし何かがあったら──あまりリアルに想像したくはない。

 先頭車が通りを右折し、龍一も合わせてハンドルを切る。この角を曲がれば当面の目標、市民会館まではあと数百メートルもない。

「これから市民相手の陳情と質疑応答。昼の休憩を挟んで警察他司法機関関係者との打ち合わせ。それが終われば、いよいよ〈ヴァルキリー〉拠点へ向けての移動開始……か。大忙しだな。台風だってもっとのんびりしてるだろ」

「合理的ではあるね。日没後に山へ登るのは危険度が増す」

「なるほど。州知事殿もそれなりに勝算はあるんだな」

 だが龍一は逆に、日の高いうちに〈ヴァルキリー〉と接触するのは難しいのではないかと考えていた。ゲリラの強みは不意打ちと夜討ち朝駆けだからだ。彼女たちはわざわざ不意打ちの強みを捨てて、のこのこ会いに来るタマでもないだろう。

「いつになく気合いが入っているね、龍一」

「そう見えるか?」

「そう見えるよ」

「久々の請負仕事でしくじりたくはないからな」

「それだけかい? あの望月という男もそうだったけど、君も頼まれるまでもなく『仕事』以上の働きをしてしまう類の人間だからだと思うけどね」

 胸の奥に微かな痛みが走った──時間を経て本当にそれが微かなものになってしまったのが、ありがたくもあり切なくもある。

「すまない、余計なことを言った。僕も多少ナーバスになっているようだ」

 謝罪のニュアンスを込めてアレクセイが溜め息を吐いた時──龍一の意識にふと何かが触れた。

 何だ……?

 左右の車道を埋め尽くさんばかりの人垣の中。手を振ったり何事かを叫んだりスマートフォンのカメラを向けたりしている群衆の中に、異様な出立ちの者が混じっている。

 ガスマスクだ。大型フィルター付きのフルフェイスガスマスクを頭からすっぽり被り、おまけに黒一色のフード付き作業着を着ているため性別すらも定かではない。

 今がハロウィンで、仮装パレードの最中なら違和感はなかったかも知れない。だが……それが白昼となると異様だった。しかも、一人や二人ではない。

 とっさに無線機を掴む。「コヨーテ1よりリーダーへ。群衆の中にガスマスクを被った不審人物を発見した。それとも、あれも警備スタッフか?」

『コヨーテ1、何を言っている? 血迷ったか?』

『チーフ、新入りの言っていることは本当です』無線に別車両、コヨーテ2からの通話が割り込んだ。『上空のドローンが不審な人影を捉えました。映像を転送します』

 アレクセイの持つタブレットに転送された映像は、警備チーム全員を絶句させた。──龍一たちを含めて。

 熱狂する群衆の中に、あのガスマスクたちが息を潜めるようにして立ち尽くしている。まるでキャンバスに落ちた黒い点のように、その異様さは際立っていた。

『何だ、こいつらは……』

 チーフのアンドルーも事の異様さを悟ったらしい。『全車、警戒態勢。パッケージに速度を上げさせろ。市民会館まではまもなくだ』

 面白みはないが手堅い用心の仕方だった。軍だろうと警察だろうと、移動中が一番危険なのだ。

市民番号(S I N)照会を急げ。場合によっては、警察への通報も検討する』

『……未登録対象のためヒットしません。犯罪データベースにも該当者なし』

『該当せずだと? 何のための犯罪予測システムだ……!?』

 ドローンからの映像が一瞬で断ち切られる。『ドローンが全機落とされました! 狙撃です!』

『ドローンの位置を確定するため、わざと姿を晒しただと……!? 警戒しろ! 攻撃が来るぞ!』

 アンドルーの指示は的確だったが、ほんのわずかに遅かった。

 左手の路地奥で強力なエンジン音が唸りを上げる。身震いする獣のように、巨大な質量の鋼鉄が轟音とともに突進してきた。

『コヨーテ1、パッケージの盾になれ!』

 アンドルーの叫びに反応できたのは龍一の運転だけではない。アレクセイの繰り出す〈糸〉だ。

 蹴飛ばされたように加速したRV車が州知事の車と並ぼうと──が、一瞬遅かった。その横腹に、巨大な質量が激突した。

 真横から猛烈な勢いで追突してきたのは、モンスターじみて巨大なスクラップ収集用マグネットクレーン車だ。運転席ではあのガスマスクがハンドルを握っている。

 車ごと数メートルは宙に舞ったはずだ。歯が歯茎から飛び出しかねない凄まじい衝撃。防弾のはずのウィンドウが容易く粉々になり、視界が逆さまにひっくり返った。

 シートベルトを外すより早くベルトが断ち切られ、座席から落下した龍一はしたたかに頭部をぶつけた。これまたアレクセイの〈糸〉による切断だ。まあ、この緊急時である。文句も言っていられない。

 粉砕されたガラスの欠片の上を這って車外へ出ると、周囲の光景は控えめに言っても大混乱だった。人垣の中に潜んでいたガスマスクたちが自動火器による銃撃を加え、警護チームを釘付けにしていた。ボディガードたちは車を盾に反撃を加えているが、群衆が逃げ惑っているため思うように応戦できていない。パッケージ──州知事の車は、クレーン車のアームに取り付けられた強力な電磁石で宙吊りにされてしまっている。こんな状況でなければ、笑い出したくなるようなシュールな光景だ。

 考えている暇はなかった。

「龍一、跳べ!」

 アレクセイの声に応じ、龍一は跳躍した──彼が指示を違えたことは一度もない。

 身体が落下を始める寸前、靴の裏が何かを捉えた。切断機能をオフにした〈糸〉を足場に、さらに高く跳ぶ。

(……届け!)

 届いた。かろうじて指先がクレーン車のアームに引っかかる。渾身の力でそれを引き寄せ、運転席から慌ててSMGの銃口を向けようとするガスマスクに向けて渾身の力で、

「歯を食い縛れ!」

 拳を打ち下ろした。窓ガラスが粉微塵に吹き飛び、宙を回転しながら舞ったガスマスクが地面に叩きつけられる。

 あの望月崇でさえ、クレーン車の運転法なんて教えてくれなかった。適当にレバーをがちゃつかせれば車を降ろせるだろうか──思案しながら運転席を覗き込んだところ、その必要はないとすぐにわかった。アームやアクセルに取り付けられた複雑な装置が、無人になったはずのクレーン車を動かしていたのだ。

(あのガスマスクは、ただ乗っていただけか!)

 吊り下げられている車はと見ると、当然ながらルーロンや運転手やスタッフ含め、車内はパニック状態だった。パニックになって車外へ飛び出さないだけ、まだましかもしれない。

『でかしたぞ新人! 何をどうやったのかわからんが、そのまま離すな!』

 言われるまでもなく離れられないんですが、と返す余裕もない。何しろ無人操縦のクレーン車は猛スピードで後退を始めたのだ。さらに数台の車がミニカーのように吹き飛ばされ、車体のかすめたトレーラーハウスが屋根の一部をもぎ取られた。

 そしてその行く手には、分厚い塀と分厚いゲートを備えた巨大な建物がある。クレーン車は後ろに目のついているような──実際、後部カメラを頼りに遠隔操縦されているのだろうが──勢いでそれに突進していった。

 ぶつかる! と身をすくめた瞬間にゲートはスムーズに開き、州知事の車を宙吊りにしたクレーン車を静かに迎え入れた。

 クレーン車は勝手にアームを降ろして車を着地させると、今までの暴れぶりが嘘のように全ての動作を止めた。

「ご無事ですか、州知事!?」

 SMGを手にしたアンドルーたちが建物の敷地内に駆け込んでくる。

「お前らもよくやった、新入り。新入りにしては、だが」

「無茶ぶりを要求されるのは慣れてますんで」

「減らず口はやめろと言っただろう。士気に関わる」口ではそう言ったが、アンドルーも安堵を隠せないでいる。

 秘書たちの手を借りながら、ルーロンの巨体がどうにか車外へ這い出てきた。髪も服装も乱れ放題だが、あの騒ぎに出くわして、自力でまともに歩けるだけでも大したものだろう。

「ああ君たち、助かったよ……こんな恐ろしい思いは、前の妻に離婚届と同時にゼロがいくつ並んでいるか数えるだけでも恐ろしくなる慰謝料を叩きつけられた時以来だ。ところで、ここはどこだね?」

 もっともな疑問ではあった。その場にいる全員が周囲を見回す。「トゥエルブ・リバー近隣にある施設ではあるようですが」

 ルーロンが額を打った。「おお、私としたことが……見覚えがあるのも当然だ。この地方一の下水処理場、プラムクリーク浄水センターだよ。開催式に立ち会ったのに、どうして忘れていたんだろうな……」

「ワイオミング州にも下水処理場があるんですか?」

「聞き捨てならない台詞だな、若者」ルーロンの声が別人のような鋭さを帯びた。「むしろこの州にこそ下水処理場は必要なのだ──でなければ、トゥエルブ・リバーに流れ込む、あるいは流れ出る全ての生活・工業汚水を、どこの誰が片付けるというんだね?」

「その通りです。すみません」龍一はすぐに不明を詫びた。

「その通りではありますが、もっと重要なことがあります。今日はこの施設は休みなんですか?」

 アレクセイが言うのももっともだった。あれだけの大騒ぎがあったというのに、施設の中からは誰一人出てこないのだ。

 スマートフォンを耳に当てていた州知事が忌々しそうにかぶりを振った。「通じない。この施設の電話を借りるしかなさそうだ」

「トゥエルブ・リバーの住人たちがもう通報しているとは思いますが、当てにはできませんね。州知事、用心してください。ここはもうあのガスマスクどもに占拠されている可能性があります」

「あのガスマスクに対抗するには、州警察どころか特殊戦術部隊(S W A T)の出動要請が必要かも知れんな」

 今や実質的な指揮官と化したアンドルーの号令で、ボディガードたちが電撃銃(テーザー)やSMGを構えて施設へ突入していく。軍や警察の経験者が多いためだろう、動きに一切の隙がない。

 イヤホンに耳を澄ませていたアンドルーが、報告を聞いて頷く。「安全は確保できました。どうぞ」

 一同が足を踏み入れたのは──予想より遥かに小綺麗なロビーだった。大手企業かホテルの玄関でも通じそうな、床も天井も塵一つなく磨き上げられた新品同様のロビーだ。受付カウンターが据えられ、天井近くには各省庁からの許可証や推薦状が額に入れられて飾られている。無論、一番目立つのはタイニー・ルーロン州知事の顔写真だ。

「……誰かいるぞ!」

動くな(フリーズ)! 両手を上げて出てこい!」

 カウンターの陰からボディガードたちの向ける銃口の前に、静かに歩み出てきたのは──スーツ姿の若い女性職員だった。

「本日はプラムクリーク浄水センターにお越しくださり、心よりお礼を申し上げます」目も覚めるようなオレンジ色の髪と、頬に散らばるそばかすが余計に幼い印象を与えるその娘は、両掌を見せながら平板な口調でそう言った。「ところで……そろそろどなたか『手を下ろしてもいいよ』と言ってくださいませんか? 仕事がまだ続いていますので」

 アンドルーがきっぱりと首を振る。「駄目だ。安全が確認できるまで動かないでもらう」

 何か妙だな、と龍一は思う。これだけの施設がほぼ無人なのも妙なら、出迎えたのが彼女一人というのも妙だった。若すぎるし、銃口を前に落ち着きすぎている。

 ルーロンが咳払いして進み出ようとしたが、アンドルーに制止される。「あー……お嬢さんはここの受付かね? すまない、職業柄、人の顔を記憶する自信はあるつもりだが……数年前の視察の際には、君の顔を見た覚えはないのでね」

「私の顔に見覚えがなかったとしても、州知事が謝罪なさる必要はありません。私がここに赴任したのは、ほんの数日前ですから」

「そ……そうなのかね? では、この施設の責任者に会いたいのだが」

「社長は多忙につき、私が留守を担当しております。ご用件をどうぞ」

「では、電話を借りられないか? たった今、だいぶ度の過ぎたファンから命からがら逃げてきたところなんだ」

「現在、セキュリティ関連機器のチェックに伴い、有線無線を問わず外部との通信手段は一時的に全て不通となっております。復旧次第ただちにアナウンスいたしますので、しばらくお待ちください」

 何かがおかしい。

 何よりタイトスカートにパンプスという、男の龍一から見ればいかにも歩きにくそうな服装にそぐわない足取りが気になった。ダンサーかバレリーナを思わせる、身体制御技術の極みのような歩法。武術家のような、あるいはある種の職業犯罪者──暗殺者のような。

 龍一より先にアレクセイが直接問いかけていた。「右肩が下がっているね。痛覚遮断(ペインキル)では痛みは消せても負傷自体を消せるわけではない。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 向けられた銃口の先から、娘の姿が霞んで消えた。

 誰にも反応できない速度だった──アレクセイ以外には。

 鋭い金属音が響き、真横の壁に細身のナイフが突き刺さった。ルーロンの喉元に振るわれた刃物を、アレクセイが払い除けたのだ。手に握られたのは細く、薄く、俺も曲がりもしない「見えない刃」── 〈硝子(ガラス)〉だ。救われた当の州知事は目を白黒させている。

 必殺の一撃を無効化され、しかし娘は平然と手の甲をさすっただけだった。「錆は心臓まで回っていないようですね。さすがは〈最後のヒュプノス〉」

「……州知事! 貴様、動くな!」

 アンドルーの命令を待つまでもなく、SMGの銃口が火を噴いた。プロに相応しい反応速度だ。

 だが娘の動きの方がもっと早かった。床を蹴り、壁を蹴り、さらに天井を蹴って銃撃を避け、撃ち抜かれた照明の破片が落ちるよりも早く全力疾走に移り、全く勢いを殺さず廊下の角に走り込み姿を消した。人間大の昆虫じみた、奇怪なまでの速さだった。

 アンドルーでさえ唖然としている。「何だ今のは……」

 

 ジャケットを脱ぎ捨てパンプスを放り投げるようにして脱ぎ、女性職員のふりをやめた娘──フレデリカは、全力疾走しながら腕時計に偽装した無線機に呼びかける。

「コマドリは鳥籠に入った」

 

「只者ではないと思っていたが、お前らは一体何なんだ?」今やアンドルーの視線は龍一たちへの疑念を隠していない。周囲のボディガードたちの銃口までこちらに向けられている。「あの女は確かに言ったぞ、〈ヒュプノス〉と」

「ああ、俺が〈ヒュプノス〉だ。まったく、バレちゃしょうがないな」

「やめるんだ、龍一」アレクセイがかぶりを振る。「もしかしたら……僕たちは遅きに徹したのかも知れない」

「諦めるのは早いだろう、俺たちの請負仕事は始まったばかりだぜ」

「そうじゃない」

 アレクセイの顔には彼らしからぬ焦燥と失望があった──自分への失望が。「ワイオミングに足を踏み入れる前に襲撃してきた彼女が、先んじてここで待ち構えていたのが証拠だ。そもそも僕たちがここに来たのは〈島々(アイランド)〉との会見のためだ。つまり……」

 龍一も疑惑が確信と化してきたところではある。だが。「だったらなおさら、ここから一刻も早く逃げるべきだろう、相棒。ケツをまくってな」

「チーフ! ゲートが勝手に閉じていきます!」重々しい音に外を眺めたボディガードの一人は、完全に顔色を失くしていた。「明らかに内部からの操作です!」

「俺、この手口に覚えがあるぞ」龍一は呆然と呟く。「日本で見た──()()()()()()()()()

「お前たち、さっきから何を言っているんだ?」

 

()()()()()()()()

 

 悲鳴一つ上げる間もなく。

 龍一たちの足元が消失した。ロビー全体の床が真下に展開し、光一つ見えない奈落が口を開けたのだ。

 後はもう重力に合わせて落ちるしかない。龍一も、アレクセイも、州知事も、アンドルーたちボディガード一同も一人残らず。

 龍一は思わず叫んでしまった。

「またかよ!?」

 

『……こんな馬鹿な仕掛け、よく作りましたね』

『こんな馬鹿な仕掛けには利点もある。これで命を落とすようなら、そいつは取るに足らないってことだ』

『どうだか』

 単なる趣味としか思えませんね、と呆れた声を聞き流し、枯れた中年男の声は異形の「影」に呼びかける。

『トラビス、開幕(ショウタイム)だ。そいつの機能についてレクチャーは済んでるな?』

『──はい、社長。いつでも行けます。()()()()()()()()()()()()()()()

『結構だ。正直、俺も小娘みてえに胸がときめいてきたぜ。〈島々〉の産んだ現実歪曲技術の結晶……〈鼠の王(ラットキング)〉の性能、見せてもらうからな』

 答えはない。だが暗闇の底に蹲っていた金属の塊は装着者の感情を顕すかのように身を震わせ──そしてその背後で、無数の「軍勢」がぞよぞよと蠢き始めた。

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