Sin and Punishment   作:アイダカズキ

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ワイオミング、ヴァルハラ、ヴァルキリー(7)竜と鼠のゲーム:前編

 落ちる。落ちる。落ちていく。

 鍛え抜かれた肉体を持とうと、超常の力を持とうと、地球の物理法則には逆らい得ない。当然、何も支えのない肉体は垂直に落下するしかない。

「うおおお……!?」

 そして──止まった。

「お……?」

 目を瞬かせている龍一の前で、同じく目を瞬かせている州知事とボディガードたちが巨人の手につままれているかのように落下速度を減少させ──そしてそっと床に降ろされた。

「危ないところだった……」珍しくアレクセイが額に数滴の汗を浮かべている。「これほど大勢に対して、()()()()()()〈糸〉を駆使したのは初めてだったからね」

 あまり考えもせず頼りっぱなしだけど〈糸〉ってかなりオカルトじみたガジェットだよな、と龍一は密かに思う。

 目を白黒させていたルーロン州知事が、袖の埃をはたきながら咳払いする。「あー、ありがとう。ところで、ここはどこなんだね?」

 確かにシンプルだが重要な疑問ではある。改めて一同は周囲を見回す。

 コンクリートが剥き出しのトンネルは、トレーラーがすれ違えるほどの幅があった。天井には等間隔で裸電球が取り付けられており、完全な暗闇ではない。

「どう見てもゴミ処理場の施設ではないな」

「こりゃ昨日今日にできたものじゃありませんよ」ピストルカービンをスリングで肩掛けしたアンドルーが壁を触りながら報告する。「どう見ても俺らの爺さんくらい年季の入った代物だ」

「襲撃の際に逃げたスタッフが州警察に通報してくれただろうから、助けは来るだろう。ただ、これほど巧妙な落とし穴では、ここに私たちがいることは気づかれなさそうだ」

「誰か一人でも上まで登れればいいんですがね……アレクセイ、〈糸〉は使えるか?」

 天井を睨んでいたアレクセイが首を振る。「駄目だ。落とし穴の口は返しになっている上、〈糸〉を弾く特殊コーティング済みだ。〈糸〉を引っかける余地が全くない」

「……微かにだが、施設の作動音が伝わってくるな。ここが何のために作られたものであれ、一部は廃棄物処理場に繋がっているんじゃないかね?」同じく天井を睨んでいたルーロンが呟く。意外に目敏い男だ。

「元からあった施設の上にゴミ処理場を作ったわけか。……ところで、そりゃ何の真似だ?」

 龍一の言葉はボディガードたちに向けられていた──龍一とアレクセイを中心に、一定の距離を取ったボディガードたちから。

 冷たい目のアンドルーがここぞと肩をそびやかす。銃口こそ向けてはいないが、すぐにでも向けられる体勢だ。「それはこちらの言うことだ。州知事の紹介ということで黙って同行させていたら、思いもよらない()()()が転がり出したんだからな」

 ルーロンが渋い顔で溜め息を吐く。「それに関しては私が謝る。この際に必要だったのは彼らの能力であって、素性について伝えなかったのは無用な混乱を生じさせないためだ。何より、彼らは私たちの命の恩人じゃないかね?」

 アンドルーは舌打ちを辛うじて堪えたようだった。「いいだろう。クライアントに免じてこの件は不問にしてやる──だが、お前らの()()()()()を俺の頭から抜くのは不可能だ。それだけは言っておくぞ」

「抜いてくれと頼むつもりもないさ」

 他のボディガードたちも、渋々と銃口を降ろす。

 ともあれ一同は歩き出した。予期せぬアクションに巻き込まれた龍一やアレクセイ、それにアンドルーたちボディガードはもちろん、出発時は一分の隙もなかったルーロンや配下のスタッフたちもすっかり粉塵に塗れて薄汚れてしまっている。

「……少し雰囲気が変わったな?」

やがて通路は剥き出しの岩盤ではなく、通常のオフィスらしき近代的なビルのそれとなってきた。

「俺たち地下から来たんじゃありませんでしたっけ?」

「この調子だと、見取り図など信用できたものではないな」

「待て……人の気配がする」

 アンドルーの目が鋭くなった。その眼差しはすぐに傍らの部屋──『STAFF ROOM』と記されたドアに向けられる。

「この施設で働いている人か?」

「もしそうなら、僕たちが初めて目にする正規の職員になりますね」とアレクセイ。

「世間じゃ殺し屋のことを『職員』とは呼ばないだろうな。どちらかって言うとパートタイマーだろう」

「減らず口はやめろ。士気に関わる」

 アンドルーが目で合図すると、ボディガードが二人、油断のない動きでドアの両側に張り付く。見事な連携だった。

 彼らが室内に消えて数秒後。息を詰めて見守る一同の耳に、拍子抜けしたようなボディガードたちの声が届いた。

「この施設の職員のようですね。危険な人物ではないようです。むしろ、危険を加えられるような状態にないといいますか……」

「おい、爺さん起きろよ……うわっ、酒臭え!」

 やがて室内から、屈強なボディガードたちに腕を取られた──あるいは引きずられるようにして、作業服姿の老人が現れた。

「ボディチェックは済んでいます。顔認証と登録番号の照会も完了しました。ベニチオ・アルバレス、焼却用ボイラーの管理主任です」

 老人を両脇から抱え上げているボディガードたちは顔をしかめている。数メートル離れていても漂ってくるアルコールの臭いを嗅ぐまでもなく、彼が真っ昼間から相当飲んでいることは確かだった。

「ううん……あんたら何だね。どこから入ってきた? 見学希望者か?」

 老人がようやく目を開けはしたが、それすら瞼が半分降りかけている有様である。アレクセイが差し出したミネラルウォーターのペットボトルを、老人は一息に半分以上飲んでしまった。

「まったく何が起こったってんだ……第三次世界大戦かね?」

 うろうろと彷徨っていた老人の視線が、ある一人に向けられた。興味津々といった様子の州知事の顔に。

「州知事? タイニー・ルーロン州知事ですか? それとももしかして、わたしゃまだ夢を見てるんですかい?」

「いかにも、私はルーロンだ。ご老人、ここで何があったのか教えてくれるかね?」

「もちろんですとも……俺は、いや私ゃ、あなたにこそ話があって待ってたんでさあ!」

 酔いも覚めた様子で老人は喋り始めた。ひどい訛りで聞くだけでも一苦労だったが、ダイジェストするとこうなる。

 ・自分たちはこの地方唯一の再利用センター職員であり、周囲の視線は決して好意的とは言えなかったが、それでもそれなりの誇りを持って職務に励んできた。

 ・ところが半年ほど前に新しいコンサルタントとやらが乗り込んできて「省力化と効率化」とやらを名目に新しい設備を持ち込んだり人員の配置換えを行ったりした結果、親しかった同僚の大半が解雇され、あるいは自分にまるで不向きな仕事を任されて自ら辞職せざるを得なくなった。

 ・抗議集会を開いて州知事に訴えるつもりだったが、どうやらメンバーが好条件を示されたらしく直前で立ち消えとなった。後に残されたのは設立以来ずっとここで働いてきたベテランか、最近やってきた若手くらいだ。

 つまり抗議集会どころか、彼一人が梯子を外された形になってしまったわけだ。

「若い同僚にお前も来ないか、と声をかけちゃみたんだが、結局断られちまったんでさあ……私らが働いてきたのはああいう若者たちの世代のためだってのに。これが飲まずにいられるかね? これが飲まずに……」

 吐き出した言葉の後半は呂律が回っていなかった。再び眠り込んでしまった老人を前に、一同は互いの顔を見合わせる。

「せめて自分の足で歩いてくれよ……」

「でも、この人をこんな場所に置いてはいけないだろう」

「理屈はそうだが、護衛対象(パッケージ)に加えてこの爺さんに人手を裂く余裕は、今の俺たちにはない」

 苦さを隠せない口調のアンドルーに、龍一もそれ以上は言葉を重ねられなかった。龍一やアレクセイを信用できないボディガードたちにしてみれば、これ以上の不安定要素は抱え込めないというところか。

 だが、素直に頷くこともできなかった。暗殺者たちが蠢く地下施設にこの老人を放置するなど、見殺しも同然ではないか。

「私がこの人を背負おう」

 決然と言い放ったのは──ルーロン州知事だった。

「しかし州知事、それは……」

「彼にも君たちにも、私を守ってもらう必要があるからな。いざという時に両手が塞がっていたり、身動きが取れないようでは困るだろう?」

 小柄な老人を大兵肥満のルーロンが背負って歩く様子は何とも滑稽だったが、本人はあくまで大真面目だった。龍一はまたもや州知事を見直していた──たとえそれが人気取りを意識したものであっても、命を狙われている中で簡単にできることではない。

「……なあ、何か音がしないか?」

「施設の作動音じゃなくてか? ……いや待て、本当だ。何だろうな、何かのモーター音のような……」

「リーダー、あれです!」

 ボディガードの一人が指差した方向を見て、誰もが目を剥き──そして慌ててその場から飛び退く羽目になった。

 重々しい音を立てて降りてきた隔壁は、瞬く間に一行を分断してしまった。

 龍一とルーロン、アレクセイとアンドルー、それに生き残りのボディガードたちが半数ずつ。

「釣り天井の次はこれかよ。マジで忍者屋敷じゃないか……」

「私の腹回りの脂肪よりも分厚い隔壁だ。手持ちの小火器程度では穴も開きそうにないな」ルーロンは数回ほど隔壁を叩いて確かめている。「プラスチック爆薬でもない限り、突破は無理だ」

〈竜〉の権能なら隔壁自体を吹き飛ばせるかも知れないが──無意味な仮定だな、と龍一は断念する。自分一人ならともかく、この地下施設そのものが崩落しかねない。

『州知事、ご無事ですか!』隔壁の向こうからアンドルーの声が微かに聞こえる。『壁の案内図を見ると、この先に警備室があるようです。自分たちはひとまずそこを目指します。もちろん、他に罠がある可能性は否定できませんが……』

「わかった。くれぐれも気をつけてくれ」

『あなたも、州知事。新人、不本意ではあるが州知事を頼むぞ』

 壁の向こう側でも移動を始めた気配がある。龍一たちは再び歩き出す──何が待ち受けるかわからない薄暗がりに向かって。

 

 州知事本人はともかく、周囲のボディガードたちが龍一に示す態度は「丁重」の一言に尽きた。

「とりあえず銃口を突きつけて歩かせるのはやめてくれないかな。これじゃ死刑囚だ」

「お前みたいな危険人物と州知事を一緒にできるものか」名すら告げてくれないボディガードの口調は冷ややかだった。「いきなり背中を撃たれないだけでもありがたいと思え」

 何とも陰気な道のりだった──とぼとぼ歩きながら、思えばアンドルーはまともに受け答えしてくれただけでもありがたかったんだな、と龍一は嘆息せずにいられなかった。

「君たち、いい加減にしたまえ」

 とうとうルーロン自らが割って入ってきた。「生きてここを出るか、それとも死体袋に入れられて出るかという局面だろう。仲間割れしている場合か?」

「……わかりましたよ、ボス」

「そうだリュウイチ、君もここは一つ、自分が血の通った人間であるという話をしてやりたまえ。君の母親はどんな人間だったのだね?」

 反射的に顔をしかめてしまった。母親の話を自分からはしたくなかった。それが当の母親に一杯食わされた直後とあってはなおさらだ。だが、どうしてもしたくない話というわけでもない。

「あまり記憶はないですね。よくわからない人、という印象しかなくて。ああ、家を出て行く時に言っていました。自分の人生が棚の裏にしかないのに耐えられなくなった、と」

「エミリー・ディキンソンの詩が好きだったのかね?」

「母については、あなたが期待するほど多くは知らないんですよ」無意識のうちに、声が低く小さくなった。「知っているのは俺が小さい時に家を出て行ったことと、ディキンソンの詩が好きだったことくらいです」

「ほう。研究者には珍しい……と言っては失礼だが、珍しい情緒の持ち主だな」

「それがディキンソンの詩の引用とわかったのは最近ですが。当時の俺は、俺を育てるのが面倒になったんだろうと思っていました」

「ふむ。それを、お母上には直接確かめたのかね?」

「いえ。実際には俺が、そう思いたかっただけなのかも知れませんが」

 ルーロンに背負われたままのベンが首を振る。「そりゃ違うぜ、兄ちゃん。兄ちゃんが悪いのでもねえ、おっ母さんの事情でもねえ。本人にだって理由はわからなかったに決まってら」

「そうでしょうか?」

「そうだよ。そうに違いねえ」

 理屈にも何もなっていない言い草だったのだが、なぜか反論する気にはなれなかった。

 

「ここは……?」

 室内に足を踏み入れたアレクセイとアンドルーが目にしたのは、小型のビルほどもある巨大なシリンダーだった。

 分厚い金属を通しても、熱気と振動がその場の全員の皮膚に伝わってくる。部屋自体の広さは相当なはずだが、シリンダーが巨大すぎて本来の半分ほどにしか広さが感じられない。

「僕はこの施設に詳しくないけど、ボイラー室であることは確かだね」

「そうだ、ここでリサイクルセンターから運ばれてきた各種ゴミを高温処理する。廊下の見取り図にもそう書いてあった」

 周囲を油断なく見遣りながらアンドルーが応える。意外に目敏い男だ。

「ボイラーがあるのなら、それをコントロールする制御室もこの辺りか」

「上手く行けば州知事たちと合流できるかも知れんな」

 暗殺者たちの死の罠に作り変えられたこの施設の見取り図をどこまで信用していいのか、アンドルー自身も疑わしそうではあったが。

「……ただその前に『通せんぼ』している人をどかす必要がありそうだけどね」

 硬質な靴音が響いた。聞き覚えのある靴音。ダンサーやバレリーナを思わせる、制御された歩法が習慣と化した者の立てる靴音。

 しかし現れたその人物の格好は、優雅さとはかけ離れていた。

 白一色の全身一体型化学防護服。背には大型のボンベを背負っており、そこから伸びるホースは噴霧器のノズルにつながっている。

「一つ聞きたい。君は〈島々(アイランズ)〉の人間か?」

「……それは質問ではなく、もう確認でしょう?」

 性別すら定かでない化学防護服の中から、若い女の涼やかな声が発せられるのは奇妙な眺めだった。

「元はシャイアンで君のような〈島々〉のエージェントと接触するのが僕らの目的だった。そこへ向かう途中で襲撃に遭い、大幅な回り道を余儀なくされ、しかも()()トゥエルブ・リバーを訪問した州知事の護衛を任され、そこでさらに襲撃に遭う。つまりはそれが〈島々〉の狙いか?」

「大筋ははい(イエス)ですね。私はいわば()()ですから、あまり多くは知らされていないのです。私が命じられているのは、そして明言できるのは、あなたと〈(ドラゴン)〉を引き離すことくらいですけどね」

 やはり──悪い予感が的中した、とアレクセイは思う。自分たちが罠を張ったことを隠しもしていない。それどころかはっきりと口にした……〈竜〉の名前を。

「ああ、何を持って『引き離す』とするかはかなり自由裁量に任されていますけど。そこを動かないでください。()()()()()()()()()

「貴様こそ動くな、このボストンバッグ女が!」

 アンドルーの怒声を聞くまでもなく、ボディガードたちは既に射撃態勢を取っていた。十を越える銃口を向けられて、しかし化学防護服の女は身じろぎすらしていない。

「大勢いるとお強いことですね。いい機会です……私がなぜ〈溶かす者(メルト)〉フレデリカ、と呼ばれているのか教えて差し上げましょう」

 彼女が持つノズルの先端に変化が生じた。ストローの先でシャボン玉が膨らむように、濃い緑色の粘液がノズルの先でどんどん膨らんでいく。しかも床に滴り落ちることなく球状に膨らみ、瞬く間にその大きさはゴルフボール大から彼女の上半身と変わらないサイズとなった。

 フレデリカに向けて十を越える銃口が火を吹く。しかし、

「……!」

 誰もが息を呑んだ。殺到する銃弾は粘液の壁を突き破れず、一発残らず絡め取られていた。まるで食虫植物に群がる羽虫のように。

「洒落臭いですね……!」

 鋭い呼気を漏らし、フレデリカが跳躍する。

 アレクセイの振るった〈糸〉は、しかし粘液を切断することができず反対側へと突き抜ける。

 そして真上から「粘液のハンマー」が振り下ろされた。

 地下施設そのものを震わせるような大音響。落下する質量そのものが金属製のラックを紙細工のように潰し、勢い余って床に巨大な窪みを発生させた。

 無意識に、アレクセイの額に汗が噴き出ていた。()()()()()()()()()()()──確かに〈糸〉で粘液は切れない。

 今までに対峙したことのない武器だった──使用者の意志に応じ、()()()()()()()()()()知性化物質(スマートフォーム)

 着弾の衝撃で、散弾のように粘液が四方へ飛び散る。アレクセイは後方へ飛び退いて回避したが、射撃を続けていたボディガードたちはそうはいかなかった。顔や手足に飛び散った粘液を浴びてしまう。

 一度に十幾もの絶叫が立ち上る。

 ボディガードたちが()()()()()()()()()()。顔が溶け、銃を持つ手足が溶け、裂けた腹からまろび出た内臓までもが湯気を上げながら溶けていく。床に崩れ落ちた時、彼らは人の形さえ留めていなかった。

「……誰もが私に聞くんですよね。どうして銃を使わないのか」

 生きながら溶けていくボディガードたちの絶叫に囲まれながら、フレデリカはむしろ気怠げに呟く。

「逆に私の方が聞きたいですね。銃にこれと同じ真似ができるか、って」

 

「ここは…… 縦穴(ピット)か?」

 龍一がそう呟くまでもなかった。縦に広く、また横にも広い空間だった。首が痛くなるほど上を向いてようやく、遥か頭上に縦穴の口らしき光の点がぽつりと見える。外界に通じているのか、ごくわずかだが空気の流れも感じられた。

 そしてその縦穴の底に、あらゆる種類の廃棄物が集められていた──本当にあらゆる種類の廃棄物が。

 中身のはみ出た生ゴミの袋やプラスチック包装といった「ゴミ」と言われて容易に連想できるものから、穴の空いたガスボンベらしきものやドアの壊れた冷蔵庫、車のバンパーに至るまで。そしてそれのどれもが、うっすらと臭っている。

「トゥエルブ・リバー中のゴミがここに集まってくるんですじゃ。わしらがいなけりゃこの街どころか、ワイオミング州全域がゴミの海の底ですじゃよ!」

 ルーロンの背でベン爺さんが妙に誇らしげに大笑している。

「しかし妙に蒸し暑いな。生ゴミが発酵しているのか」

 文字通りそそり立つような廃棄物の山に比べれば、この穴の底で人間が通れそうな空間はほとんどない。手摺のついた点検用の通路が細長く伸びているだけだ。

「さすがにあの天井の穴から外へ出るのは無理そうですね。登山道具一式があってどうにかって高さだ」

 ボディガードの苦々しげな言葉を聞くまでもなかった。そもそも手がかりらしきものすらない滑らかな壁を数百メートルも、州知事やベン爺さんに登らせることが酷だろう。

「制御室まで行けば出口もわかるだろう。ご老人、この先でいいのかね?」

「そのはずですが……あまり自信はないんですじゃ。あのいけ好かない連中は、俺らを近づかせもしなかったもんで」

 唾を吐きかねない口調だった。よほどぞんざいに扱われたらしい。

「よし……まずはその制御室を奪還するぞ。あの殺し屋の仲間が確実に待ち構えているだろうから、油断はするな」

 ボディガードたちが互いに頷き合う──実際、ここから生きて出なければどうにもならないから、龍一にも異存はない。

「それじゃ……」

 龍一は口を開きかけて──何かを感じた。

(……何か、いる)

「どうした、新入り?」

 怪訝な視線が集中するが、それどころではなかった。

 龍一の勘が──そして全身の皮膚そのものが、最大限の警報を発していた。

 目の前の暗闇で、巨大な質量を持つ何かが──うず高く積み上げられた金属とプラスチックの山そのものが蠢いている。

 そして蠢く山の頂に、一体の強化外骨格(エクソスケルトン)が静かに佇んでいた。

 獣──それもどこか齧歯類を連想させる、細く尖った頭部。腕も足も長いが、全体的に細身で、あまり強そうには見えない。

 だが龍一は油断しなかった──こいつの全身から発散されている「嫌な気配」が油断させてくれなかった。「嫌な気配」としか表現しようのない代物だ。ただの強化外骨格にこんな気配は出せない。

 そしてその気配は、覚えがあった。ロンドンで死闘を繰り広げた〈ペルセウス〉によく似たものだ。

 そいつは意外な行動に出た──頭部を覆うバイザーとヘルメットを展開し、装着者の顔面を露わにしたのだ。

「こんにちは」

 浅黒い肌と分厚い顎、太い眉毛に比べ小さく見える目を持つ青年だった。龍一とそれほど歳が離れているようにも見えない。強化外骨格を脱げば、背丈も同じくらいか。

「……こんにちは」

 龍一が返事すると、なぜかルーロンから呆れた目で見られた。

「あまり言いたくはないが……君の今の言動はだいぶ間が抜けて見えるぞ」

「挨拶されたら、返さないといけないと思いまして」

「それを間が抜けて見えると言うんだ」

 舌打ちしたボディガードが銃口を上げる。「着装を解除して降りてこい。二度は言わないからな」

「ま、待ってください……!」

 声を上げたのはベン爺さんだった。彼は州知事の背から降りたが、踏ん張りが効かないのかその場にへたり込んでしまう。「お前、お前、トラビスじゃないか!? いなくなったと思ったら……何だってそんな妙ちきりんな鎧を着てるんだ……!?」

「あなたの知り合いかね?」

「トラビスは……あいつはこの会社で一番真面目で熱心な奴なんです! あいつがいるからこの施設が回ってるようなもんなんです。話を聞いてやってください、きっと悪魔に唆されたんです!」

「悪魔、ですか」

 少しだけ、トラビスと呼ばれた青年は笑ったようだった。「間違ってはいませんね。僕がこの強化外骨格……〈鼠の王(ラットキング)〉に魅入られたことは確かですから。こんなに馴染むとは思わなかった……まるで僕の生まれつき欠けていた魂を、こいつが補ってくれたみたいですよ」

 老人が息を呑むのがわかった。「トラビス……そういえば、お前、声が……」

「一つだけ、教えてくれ」

 龍一は唇を舐めた。開戦は間近だ──彼もこの〈鼠の王〉とやらを装着して現れた以上、話し合いで済ませるつもりもあるまい。「その強化外骨格を君に与えたのは〈島々(アイランズ)〉の人間か?」

「さあ? 僕は知りませんし、興味もありません。ただこれをくれた人は、ずいぶんあなたに関心があるみたいでしたね。州知事はサガラリュウイチを誘き出すための餌だから、()()()()()()()()()、と」

 そちらを見なくてもルーロンが目を剥くのがわかった──当然の反応だろう。

「あなたは僕よりもずっと強いんでしょう。でもあなたとの戦い方なら、この〈鼠の王〉が教えてくれる」

「トラビス、お前、本当に……」

「……ごめんなさい、ベンさん」

 怒ることさえできないでいる老人を見て──頭部を閉鎖する寸前、トラビスは少しだけ暗い目になった。「でも僕は本当はこういう人間なんです。今までずっと、気づかないふりをしていただけで」

 ガチン、と金属音を立てて〈鼠の王〉の頭部が閉鎖された。まるで獣の牙が噛み合うような鈍い音。

「構えろ!」

「州知事、その人を連れて下がって!」

 龍一とボディガードたちの叫びが交差すると同時に。

 廃材の山そのものが動き出した。

 全員が絶句した。山と積まれた廃材の一つ一つが、カメラとセンサーを鈍く光らせていた。目を凝らしてようやくわかった──せいぜい一抱え程度の大きさの、家庭やオフィスならどこでも見かける円盤型の清掃用ドローンだ。しかし、これは何という数なのか。

 そして通常の清掃用ドローンにないものが一つだけあった。機体から嘴のように突き出た一本のパイプだ。

 軍用銃に比較すればひどく粗末なものではあるが、それは間違いなく「銃身」であり、

「逃げろ!」

 龍一は反射的に叫んだが、それは彼自身が思っていたより現実に即していた──ドローンたちの向けたパイプが一斉に火を噴いたのだ。

 ライフリングさえ刻まれていない、ただの鉄パイプである。狙いを大きく外れて明後日の方へ飛んでしまうもの、間に合わせの「銃身」が裂けてしまうものも一つ二つではない。だがそれが数百、数千、あるいはそれ以上だったとしたら……。

 州知事やベン爺さん、そしてスタッフたちは周囲のボディガードたちに引き倒されて無事だったが、全員が無事では済まなかった。たちまち数人が弾体として射出されたビスやベアリングに全身を引き裂かれて血煙の中に倒れる。

「応戦しろ!」

 ボディガードたちも反撃する。改造されてはいても民間の清掃用ドローンであり、拳銃弾の猛射を浴びればひとたまりもない。たちまち数体が砕け散り機能を停止する。だが、何しろ数が数である。一体や二体が砕けたところで総量はさほど変わらない。数千体? 数万体? それ以上かも知れない。

「山」そのものが動き出す。地にあるもの全てを食い尽くす鼠の群れのように、小型殺人マシンの大群が音もなく殺到してくる。ビスやベアリングの銃弾を使うまでもなく、向かう先にある全てが細切れに分解されるだろう。

 迷う暇はなかった。

 殺到するドローンが突如、軋み音を立てて止まる。次の瞬間、()()()()突出した何千枚もの〈鱗〉に機体を引き裂かれた。

 少なくとも目に見える範囲全てのドローンがそのように砕け散った。

 全員が目を見張る──龍一の全身は瞬時に〈竜〉の外殻に包まれていた。

『……なるほど。それが模倣ではない〈竜〉ですか』

〈鼠の王〉トラビスの、どこか感慨深い声。

『でも、これくらいは教えてもいいでしょう。この〈鼠の王〉を作った人たちの仮想敵は、その〈竜〉なんですよ』

 やはり──こいつは〈竜〉応用技術の産物か。

『それに、こんなものはいくらでも、何とでも、作り出せるし替えが効きます。()()()()()

 ドローンがさらに動きを見せた──破壊されたドローンの群れが、減るどころか増えていく。()()()()()()()()()()()()()()()。破壊されたドローンを他のドローンたちが瞬時に分解し、それを材料にまた新たなドローンを構成している。まさに鼠算式だ。

 素早く思考する──施設そのものが崩壊しかねない〈柱〉のような大質量兵器は使えない。それなら、

(これで決める!)

 音もなく空間を奔った〈礫〉が、その軌道上にあるもの全てを粉砕して〈鼠の王〉に飛ぶ。たとえ受け止められたところで〈礫〉は目標の内側へ瞬時に転移し、何もかもを粉々に引き裂く。主力戦車を含め、通常兵器でこれに耐えられるものは現存しない。

 だがそれが受け止められた。

 ギギギギギギ、火花と耳障りな音を撒き散らしながら幾何学状の半透明な薄板が〈礫〉を推し包み、食い止めていた。転移もできない。

 主力戦車すら内側から破壊する〈礫〉が無効化されていた。間違いない、〈竜〉の使用する〈鱗〉だ。

(ついにやりやがったのか……!)

〈竜〉の権能を完全再現するのは不可能──〈鼠の王〉の設計者たちは、無数の失敗の末にそれに気づいたに違いない。完全再現が無理なら、一部でも再現できればいい。例えば〈鱗〉の無効化のみを。

 だがそれは、ささやかではあるが大いなる可能性への第一歩だった。ついに人類は機械の力を借りて〈竜〉を複製することに成功したのだ。

(それなら!)

〈竜〉の腕から伸びた薄いテープのような〈刃〉が空間を薙ぎ払う。見かけは頼りないが、しなやかで歪めも切断もできず、鉄板ですらバターのように切り裂く近接戦用兵装。

 が、〈鼠の王〉を捉える寸前でそれは見事に空を切った。目標が消えたのだ。

(いや、移動した……!?)

 まるで水中に潜るように、ドローンの群れの中に潜ったのだ。

 何しろ数が多い上に常に移動しているので、出現位置が読めない。

(背後か!)

 反応できたのは〈竜〉の機能ではなく龍一の戦闘経験だった。ドローンの「海」から出現した〈鼠の王〉が、手にしていたガスボンベを投擲する。

 振り向きざまに〈刃〉で薙ぎ払う。ガスボンベは容易く両断され、内容物が撒き散らされる。が、その臭い──鼻を突く塩素臭に、龍一は失策を悟った。

「ガスだ! 下がれ!」

 龍一の異形化に目を丸くしていた一同が後退していく。逃げ遅れたスタッフが二人ほど、喉をかきむしりながら倒れる。

 臭いからして呼吸器系にダメージを与える窒息剤──塩素系洗剤をベースにした毒ガス。

(廃棄物を応用した小型戦闘用ドローン、使用済みボンベと洗剤を組み合わせた毒ガス手榴弾……)

 そしてそれを構成する「材料」は、無限に近いほどある。

 生身であれば冷や汗を流していたに違いない。ここは〈鼠の王〉の狩場(ホームグラウンド)だ。

 もちろん生身ではない〈竜〉に毒ガスの効果はない。むしろ生身のボディガードたちを追い払うのが主目的だろう。

(一対一がお望みだってか……!)

〈鼠の王〉が左腕を向けてくる。そこに装着された兵装──工業用ポンプから伸びたホースの、その先のノズルから紅蓮の炎が吹き出した。即席の火炎放射器……!

 視界を埋め尽くす勢いで炎の波が迫る。生身の人間ならひとたまりもないが、

(〈竜〉相手に火炎放射器? 何を企んでいる……?)

 たとえ〈鱗〉の防御がなかったとしても、ただの炎程度で〈竜〉を殺せるはずもない。わざわざ毒ガスを準備して、ボディガードたちの援護を断つことに成功した者が気づかないはずもない。

 そこまで考えて、龍一は自分の間違いに思い当たる。

(焼き殺すためじゃない……視界を塞ぐための炎だ!)

 炎の波を貫いて第二撃が来た。

 それは展開した〈鱗〉を数枚まとめて薄いガラスのように叩き割り、

「ぐ……!?」

 ──龍一の左脇腹あたりを、拳一つ分ほど抉り取っていった。

 ぐらりと体勢を崩しながら龍一は見る……〈鼠の王〉の右腕から伸びた、()()()()()()()()()長大な砲身を。

 錆びた鉄骨とビス、そして腐食した電池と剥き出しのコード──()()()()()()()()()電磁加速砲(レールガン)

 寄せ集めの電磁加速砲は、それでもただ一発の射出に耐え抜いた──瞬く間にぼろぼろと砲身自体が崩壊していく。

『一発撃てば使い物にならなくなるなんて、僕の生まれ故郷でコーラと同じくらいばら撒かれていた密造拳銃みたいだ。でも、威力はご覧の通りです』

 これはますますやばいな──疑惑が確信に変わる。〈鱗〉の防御を無効化する手段がある──〈竜〉との戦い方を知っている。いや、それだけじゃない、()()()()()()()()()()()()

(やはり俺が〈ペルセウス〉と戦った時の戦闘情報が、こいつにアップロードされている……!)

 まるで下水の底の鼠たちのように、無数に蠢くドローンに囲まれながら。

〈鼠の王〉の両腕が、廃棄物の山から新たな兵装を構築し始める。

『……だから言ったでしょう。あなたは僕よりずっと強いけど、戦い方ならこの〈鼠の王〉が教えてくれる、と』

 




本編再開まで丸々一年空いてしまいました。本当にすみませんでした。

〈鼠の王〉はかなり以前から仕込んでいたネタなのでようやく出せた感があります。こいつのビックリドッキリ機能はまだまだこんなものではありませんよ…お楽しみに。
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