真琴たちが乗る車を包囲した3台の大型トレーラーは、一向に距離を詰めてくる気配がなかった。つかず離れず、一定の間隔を保って走り続けている。スモークガラスで運転手たちの表情が見えない分、余計に不気味だ。
今でこそ手出しはしてこないけど──逃げようとしたら得物の出番なんだろうな、と真琴は密かに思う。おそらく拳銃どころではない、もっと物騒な代物の出番だろう。香里の手前、口にしたくはなかったが。
「久住、真琴さん、気づいた?」香里が静かに言う。「私たち、
「……ええ。明らかにどこかへ誘導されていますよね」
「この街の住民ならすぐわかりますよ」運転席の久住が苦笑する。「〈のらくらの国〉ですね」
〈のらくらの国〉──その名前を聞くたび、胸の奥に微かな痛みが走るようになったのはいつからだろう。真琴にとってはどちらかと言えばろくでもない思い出ばかり残る土地なのに。
未真名市旧沿岸地域──かつて〈のらくらの国〉と呼ばれた広大なエリア。
〈割れ目〉の出現以来、この地域は市の委託を受けた民間警備会社によって封鎖されてはいるが、数平方キロメートルもの広さを完全に封鎖し切ることは困難であり、大小様々な犯罪組織による非合法取引、果ては海外の諜報機関から単なる野次馬に至るまで侵入を試みる者は後を断たない。
つまり〈のらくらの国〉が消滅した後も、この地域が市当局にとって頭痛の種であることに変わりはないのだった。
「警察と連絡はついた? それと、あなたの勤め先とは」
「先ほどから試していますが伝わりません。
「当てにはできない、ということね……」
たとえ警察や警備会社の方で勘づいても対応できるかどうかは疑問だな、と真琴は思った。あの誘拐犯たちの狙いが自分たちを〈のらくらの国〉へ連れ込むことなら、それを妨害される行為をよしとするはずがない。事態はさらに悪化するだろう。
「ところで、お嬢様の後輩の方とお見受けしますが」
「真琴です。新田真琴」とんでもない状況での自己紹介になってしまったものだ。「正確には後輩になるかも知れない、ですね。今日はたまたま見学に来ただけなので」
「〈
「構いませんよ。自分でもバカバカしいと思いますけど、こういう目に遭うのは一度や二度だけじゃないので。慣れているというより、
なるほど、と久住はまた笑った。見た目ほど気難しい人ではないのかも知れない。「いや、助かります。お嬢様の身の安全もですが、お心の安全も同じくらい大切なもので」
「久住ったら。新田さんは私のお世話係ではないのよ」
香里は憤然としてみせたが、真琴はこの二人の仲は悪くなさそうだなと思った。
「……それにしても、新田さん。
「やっぱりそう思いましたか。派手すぎるし、大掛かりすぎる。銀行の金庫をヘリで盗み出す方がまだお上品だと思います」
「私を誘拐して身代金を要求する以外に、何か別の目的があるということ?」
香里の口調は穏やかだったが、何しろ語られているのは彼女自身のことである。すごい勇気だ、と真琴は思った。
「おそらくは。それが何なのかは、まだ判然としませんが」
「あいっ……たぁ! 逢瀬さん、怪我はない?」
「か、叶さん! それ、それより背中撃たれて……!」
眼鏡がずり落ちるほど動揺している奈津美を見て、愛花はようやく「あ、私撃たれたんだっけ」と思い出した。細かな散弾が背中からぽろぽろとこぼれ落ちる感触がある。どうやら銃撃された瞬間に皮膚が硬化したらしい。〈セルー〉なら生体式ボディアーマーとか何とか表現したかも知れない。
「ああ、私なら平気だから……って、何すんの!」
背後のHWに思い切り後ろ蹴りを喰らわせた。吹き飛んだHWは壁に深々とめり込む。手足が痙攣しているが、自力での脱出は無理そうだ。
「平気って……本当に大丈夫なんですか? すごい音がしたのに?」
安心するどころかますます不安な顔になる奈津美を前に、愛花は内心でしまったと思った。よく考えたら彼女は〈竜〉について何も知らないのだ。
「そ、それが大丈夫なんだよねー。朝食にシリアルだけじゃなくて、ヨーグルトも追加したからかな?」
自分でもめちゃくちゃだとは思ったが奈津美は「はあ」とそれ以上突っ込んでこない。完全に度肝を抜かれているのかも知れないが。
「逢瀬さん、大丈夫? 叶さん、
「イメージ悪くない私? 『また』ってまだ何もしてないよ? それより、逢瀬さんを保健室に連れて行って!」
教室から駆け出てきたクラスメートに奈津美を託し、愛花は踵を返した。学園内は、控えめに言っても大混乱だった。何しろ本物の軍用兵器が殴り込んできたのだ。先生たちも、生徒よりまず自分を落ち着かせなければいけないような有り様だった。香里と一緒に逃げた真琴のことなど気に留められる者はいそうにない。
迷っている暇はなかった。すれ違う通行人の驚愕の視線も構わず──礼峰学園制服のロングスカートで全力疾走しているのだから無理もない──愛花は走りながら、腕時計型通信デバイスに呼びかける。
「〈セルー〉、聞こえてる?」
『状況は把握しているわ結論から言うと彼女たちは無事よ数分前に学園内から護衛に連れられて車で脱出した無事と言っても今のところはだけど』
ほっと一息──吐こうとして思いとどまった。〈セルー〉の言う通り、一時の危機は脱しただけでまだ何も解決していないのだ。今後の打開策を考えなければならない。
「そうだね。〈セルー〉、藍くんに繋いで」
自分には思いつかなくても、彼なら思いつくという確信が愛花にはある。
左右と背後で走行していたトレーラーが緩やかに停車し、久住の車もやむを得ず停車することになった。
「停まりました。どうやらここが、彼らが私たちを誘い込みたかった地点のようですね」
「ここは……」
──見覚えがある、どころの騒ぎではなかった。
空爆でも受けたかのように燃やされ砕かれている建物の中で、そのビルだけは辛うじて原型を留めていた。各フロアの凄惨な戦闘の痕跡だけは、失せようもなかったが。
相良龍一と〈黒の騎士〉が死闘を繰り広げた、あのビルの真下だ。そしてその遥か上空には異様で美しい〈割れ目〉が大きくその口を開けている。そこから垣間見えるのは、今まで見たこともない異世界の星空だ。
「やっぱり……夢じゃなかったんだ」
真琴の身体は自然に震え出していた。それが恐怖なのか感動なのか、真琴自身にもまだわからない。
「凄い迫力ね。未真名市にいれば嫌でも目に入る光景だけど、こんな間近で見るのはさすがに初めてだわ」
「あまり直視しないことをお勧めしますよ、お二人とも。……私はスピリチュアルな代物は一切信じていないつもりですが、あれはどうも、自分から近づくようなものではないと思います」
久住の言うことはもっともだったが、真琴にも話しておかなければならないことがあった。
「久住さん、昭島先輩……信じてもらえるかはわからないけど、僕はあの〈割れ目〉が発生する瞬間に立ち会ったんです」
「なんと」冷静な久住も、一瞬ではあるが言葉を失ったようだった。
「にわかには信じ難いけど……いえ、信じるわ。新田さんが同年代の娘さんたちに比べても大人びて見えるのは、そのような体験をしたからなのね」
「いや、だから単に擦れているだけなんだと思いますけど?」
おそらくは褒め言葉なのだろうが、だいぶ困る褒め言葉ではある。第一、照れ臭い。
「興味深い話ではありますが、お二方」久住の注意はまた別の方向に向けられていた。「私たちには他にも気にしなければならないものがあります」
香里も真琴も、それに気づいた──いや、気づかざるを得なかった。
路地裏から。崩れかけた建物の背後から。焼けたビルの上階から。
揺らぐことのない光線が照射され、赤い光が虫のように車の窓を這い回る。軍用銃に装着されたレーザー照準機の光だ。遮光フィルムのおかげで車内にまでは届かなかったが、血のような色の光がいくつも窓を這い回るのは気持ちのいい光景ではない。真琴は反射的に香里の手を握ってしまったが、彼女の手もまた微かに震えていた。
車外へ転がり出たらどうなるか考えるまでもなかった──蜂の巣、という嫌な表現を思い出す。
「しかし、おかしいですね」緊張はしていたが、久住の声はまだ冷静だった。「これだけの装備と人数なら、ドアを破って私たちを無理やり引きずり出すなど造作もないはずですが。なぜ、彼らはそうしないのでしょう?」
「たぶんですけど……他に目的があるからなんじゃないですか?」真琴は頭を働かせた。何かに集中せず黙っているとおかしくなりそう、もその理由ではあったが。「たとえば、僕らをここに釘付けにしておくこと自体が目的、とか」
「……私たちは他の誰かを誘き寄せるための餌、というわけね」香里も話題に参加してきた。
「しかし、
『……駒城! 今は授業中だぞ! いきなり走り出して一体どうしたんだ!?』
『やべっ、先生! ……ああもう! こっちだっていろいろ大変なんだよ!』
腕時計の向こうで、藍がいつになく焦っている気配がある。全力疾走し続けながら愛花はすかさず呼びかけた。
「そこに担任の先生いるの!? ちょうどよかった! 藍くん、すぐ先生と代わって!」
『はあ?』
佳澄の家の唯一のタブレット──晩御飯の時にニュース番組を見る時以外は、ゆずるのお絵描き専用である──には車中で身を寄せ合う真琴と香里、それに運転手らしき男性が映し出されていた。しかも流れているのは、誰でも無料で見られる動画サイトだ。
「どうなってんだよ……なんで志望校の見学に行った真琴がここに映ってんだ?」
「おかしいのはそれだけじゃない。礼峰学園の方でも大騒ぎっぽいぜ。学園内に所属不明のHWが殴り込んできたとかで」
「なんだそりゃ?」
あまりの意味不明さに佳澄と可乃子はお互いの顔を見合わせてしまったが──もちろん、疑問の答えなどそこに書かれてはいない。
「これモノホンの事件なんだろ? 運営側で削除できねえのか?」
「グロ画像流してんならともかく、今のところただこうして流してる『だけ』だからなあ……それにこんな動画見てる奴、削除されてもミラーサイト使って見るだけだろ」
「ヘンな『誘拐』だよな。身代金も要求せず、ただ動画流してるだけなんて」
「それは、金銭が目的ではないからであろう」
ゆずるを抱えて『たかいたかい』をしていたアイネイアが口を開く。「余はさほどこの世界の技術に詳しいわけではないが、これを衆目に晒す者どもの目的など明白。カスミよ、そなたの学友は、おそらく何者かを誘き出すための餌とされているのであろう」
「なるほどねえ……」
ひとしきり頷いてから。
可乃子はようやくアイネイアと、そして妙に居心地悪そうな佳澄を見比べる。「この兄ちゃん、誰よ?」
「藍くんお待たせ! 担任の先生との話終わったよ。『駒城のことよろしくお願いします』だって、いい先生だね! やっぱり、わかる人はわかってくれるんだね」
『……愛花姉ちゃん、先生に何話したんだよ? すげー真顔で「お姉さんのこと、頼むぞ」って言われたけど、いやマジで何話したんだよ?』
「えっ? 先生、何か勘違いしてるよ。そこは私の方が頼まれる側じゃない?」
『たぶん先生は何も誤解してないと思うぞ……』
藍は溜め息一つ。『それで? マジで友達を助けに行くんだな?』
「うん、行くよ。友達だけじゃないよ、可愛い後輩も一緒だもの」
何の躊躇もなく愛花は言い切る。「だってさ、許せないもの。ただの誘拐だけでも許せないのに、昭島さんは二回も誘拐されたんだよ? 治りかけの傷口を、思いっきり引っ掻きむしられたようなものだよ。それだけじゃないよ、昭島さんや真琴ちゃんをこんなふうにネットの晒し者にして、人の身体や心を何だと思ってるの?」
『警察やミリセクは頼まれなくても動くだろうけど、任せるつもりはないんだな?』
「私に何の力もなかったら任せたかも知れない。でももし本当に私が〈竜〉なら、高いう時のためにその力を使うべきなんだと思う」
『解決はできるかも知れないけど、問題は解決した後だな。たぶん姉ちゃんが考えてるより、百倍くらい後始末が大変になるぞ』
「それも覚悟の上だよ。ううん、実は私がよくわかってないだけかも知れないけど」
愛花は大きく息を吐く。「ごめんね、藍くん。この件に関しては、止められても行くよ」
『止めても行くんなら止めやしねえよ。それに俺だって行くなとは言わない。ただお友達を助けた後のことも考えろってだけだ。……〈セルー〉? どうせもう動いてんだろ?』
『止めても無駄という点では藍あなたと意見が一致しているわね愛花? あなたの欲しいものはもう送ってあるそろそろそちらに着く頃よ』
「やった! さすが〈セルー〉、話せる!」
その語尾が消えないうちに。半透明の、怪物じみたバイク──市街戦用特殊二輪〈スナーク〉が、その巨体に似つかわしくない静けさで愛花の傍らに停車する。
「えっと……話をまとめるけどよ」
可乃子は眉間を指で押さえながら呟く。「お前が物好きにもあの〈割れ目〉をかぶりつきで見学しようと近づいたら、この兄ちゃんが中から出てきたって?」
「えへへ」
「『えへへ』じゃねえんだよ! 照れ笑いする場所を完全に間違えてるだろ!」
「カノコとやら、学友を咎めてはならぬぞ」アイネイアはゆずるをあやしながら、厳かに言う。「この世界にただ一人放り出され、何一つわからぬ余に、カスミはこの世界の有り様を懇切丁寧に教えてくれたのだ。まるで母親が幼な子に言葉を教えるがごとく」
「え……? ……あ、はい」
歯切れを悪くするついでに頭まで抱え込んでしまう可乃子である。あたし、真琴の代わりにこいつの様子を見てくるつもりだったのに、なんでこんなことになってんだ?
タブレットを凝視していたアイネイアが口を開く。「ところで、カスミよ。この板に映っておるのは、余とそなたが初めて出会った忘れ難き場所ではないのか?」
「えっ、そんなはず……ホントだ。ビルとか立て看の文字とか、全部あそこだ。でもそれがどうしたの、王子?」
「うむ」
しばし考えた後。
「あの地へ向かう」
アイネイア以外の全員の──ゆずる含む──の瞬きの回数が数秒間、倍以上に増えた。
「は? 兄ちゃん、マジで言ってんの?」
「嘘偽りを口にした覚えはない。行く。ただ行くだけでは味気ないから、其方の学友も救ってくる。言葉は悪いが、ついでにな」
「どうして!?」
可乃子もだが佳澄はそれ以上に驚いていた。「だって、あいつら銃持ってんだよ? 王子がどれだけ強いかわからないけど、どんな強くったって銃で撃たれたら誰だって死んじゃうんだよ?」
「かも知れぬな。だがあやつらも
「かも知れないけど……どうして王子がそこまで?」
「余は今一度、あの地へ赴かねばならぬ。なぜなら……」
佳澄たちに向けてよりも、己に言い聞かせるかのような口調だった。
「なぜなら余は、夢の国の王子であるからだ。夢を見る者全てにとっての、父であり子でもあるからだ」
『……お久しゅうございます、昭島香里お嬢様』
突然、車内に奇妙な電子合成音が響いた。久住や香里や真琴の声ではない。
「誰!?」
「やはり、あなただったのね。〈
怒りと、そしてどこか感慨にも似た声の香里に対し。
『もちろんですとも。彼の地に営利誘拐ビジネスをもたらそうとして盛大に
子供とも大人ともつかない、奇妙に甲高い電子合成音は答える。
「それは『ごめんなさい』と謝るべきかしら。それとも『ざまあ見ろ』と言うべき?」
『滅相もございません。あの件は私どもの落ち度。〈月の裏側〉の介入はむしろ予想されて然るべきでした。当の誘拐されたご本人を私どもが責めるなど、そのようなご無礼は考えたことも』
「あなたの狙いは私でしょう。久住や新田さんは解放してくれないの?」
『解放も何も、私どもは貴女含めどなたも拘束など致しておりませんよ。徒歩で帰ろうと表通りに出てタクシーを呼ぼうとお好きに。撃たれるかどうかは運次第、と言うだけでして』
「どの道、無事に返すつもりはないのね……」
香里の怒りを押し殺した声を初めて聞いた、と真琴は思う。
『それに、全くの無関係でもございません。相良龍一、瀬川夏姫、そして叶愛花。この3人に縁が深いのは、香里お嬢様、貴女様だけではありません。そちらの新田真琴嬢もですよ』
名前を呼ばれて真琴は顔をしかめた。見知らぬ変質者が自分の名前を知っていた気分だ。それにこいつ、今なんて言った?
香里の方が大きく目を見張っていた。「新田さん、あなた……叶さんだけじゃなくて、あの人たちとも面識があったの……?」
「説明すると長くなります」本当に長くなるのだが。「そうか、僕はただ単に巻き込まれただけじゃなかったんですね」
久住の方を見ると「続けてください。時間が稼げます」とアイコンタクトを送ってきた。確かに、今の真琴たちができるのは外部からの救援を待つための時間稼ぎだ。それに口ばかりぺらぺらと回る分、少なくともこちらの質問を拒むつもりはなさそうだ。口ばかりぺらぺらと回る信用できない奴だが。
「さんざん夏姫さんに叩きのめされて、まだ懲りてないんだ?」
『あれは私どもの落ち度。一山いくらの傭兵と手を組んだところでまとめて蹴散らされるのが関の山だというのに。ですから、今回は名高き〈自殺軍〉に依頼いたしました。一山いくらの傭兵よりは多少マシでしょう』
「追われる身でわざわざ私を助けに来るほど、瀬川夏姫もお人好しではないわ」
『〈バビロン〉は確かに私どもにとっても手に負えない存在。しかしあなたのご学友はどうですかな? 大丈夫だから来ないで、と貴女が頼んでも来るでしょう。当方もそれを踏まえて、相応しい人材を用意しておきました──何、彼らに取っては屈辱戦、リターンマッチと言うところですか』
思わず真琴は香里と顔を見合わせてしまった。二人の共通の知人で、思い当たる者はこの世で一人しかいない。
「……〈自殺軍〉と手を組んだの? 叶さんを殺すためだけに?」
『〈自殺軍〉も堕ちたもの。叶愛花に涙も溢れないほど叩きのめされたのがよほど効いたようですな。〈百八星〉から軍事顧問を引き上げられ、装備・資金援助も打ち切られたとあっては、どれほど不服があろうと目先の雇われ仕事に飛びつくしかないようで。「警察や軍相手に戦って華々しく散る」という、彼らの理想とは真逆の生き様としか思えませんが』
真琴は香里に何と言えばいいのかわからなくなった。二度も同じ犯人に誘拐された上に、その目的はお前でなくお前の学友だと言われたのだ。どれだけ愚弄すれば気が済むのか?
もしかすると、と思う。僕が昭島先輩の誘拐に巻き込まれたんじゃないのかも知れない──その逆でもない。たぶん未真名市にいる限り、龍一や夏姫たちと完全に無縁ではいられないし、つまりこうしたことは何度でも起こるんだ。本当に何度でも。
先ほど朧げに思った「この街に腰を据えて生きていくこと」の、そのまた裏面を垣間見た思いだ。
「……新田さん、どうしたの? 少し、怖い顔になったような……」
「何でもありません。つまらないことですよ」
だが真琴は内心で、今思いついたことは必ず覚えておこう、と決めた。もちろん、今をどうにかできればだが。
「ご自分のことを心配した方がいいのではありませんか? 警察も〈ダビデの盾〉も我々の居場所は既にマークしてある。騎兵隊に蹴散らされたくなければ、一目散に逃げ出すことをお勧めいたしますよ」
『
「彼女?」
なぜだろう。真琴は嫌な予感を覚えた──嫌な予感、としか言いようのないものだ。
『そら──噂をすれば何とやらだ』
──それに気づいたのは、崩れかけたビルの屋上に配置されていた対物ライフルを運用する狙撃チームだった。
「周辺に敵影なし。静かだな、一発くらいあの車に撃ち込んでおくか?」
「やめとけ。依頼にないことをするとスポンサーがうるさいぞ」
「言っただけだ。それにしてもスポンサー、とはね」観測手の制止に対し、狙撃手の鼻で笑う気配。「なあ、俺たちは今や世界一情けない傭兵どもじゃないか? 誘拐犯のお先棒担ぎなんて、一体どこが『男らしく華々しい死に方』なんだ? 本物の戦場に送られて機甲部隊に蹂躙された方がまだマシじゃないのか?」
「そう思うんなら本物の戦場とやらに今すぐにでも行ってこいよ、止めやしねえから。頭に一発ぶち込んで全ての悩みにおさらばするつもりがなけりゃ、好みに合わない雇われ仕事を引き受けるってのは次善の策だろ」
「……本当に死にたくなってきたな」
「俺もだ。ああ、依頼の後にしろよ。てめえの死体を誰が始末すると思ってんだ?」
言い返そうとして、狙撃手はしばし沈黙する。「おい、何か聞こえなかったか?」
「てめえの耳障りな声以外にか?」
「そうじゃなくて、何か風を切るような……」
半信半疑で双眼鏡の角度を変えた観測手が絶句する。「何だ、あれは……!?」
その時には狙撃手も「それ」の接近を肉眼で捉えていた。速い。明らかな戦意の塊が、一直線にこちらを目指して突進してくる──しかも空から。
「……バイクだ!
「司令部! 対空戦闘に備えろ! 敵は飛行能力を保持……!」
無線で報告しようとした観測手は、ヘッドホンからの耳障りな雑音に絶句する──明確な電子妨害。
どうにかして対物ライフルの向きを変えようとする狙撃チームに、
「こらーーーーーーっ! 君たち、また性懲りもなく!」
衝撃プラス、バイク自体の重量。完全戦闘装備の兵士たちが、玩具の兵隊よろしくノーズの一振りで弾き飛ばされた。悲鳴を上げて屋上から落ちていく。
「この高さなら死にやしないでしょ。人殺しの道具を丸腰の相手に向けといて、鞭打ちと全身打撲くらいなら同情しないからね」
〈スナーク〉の機体から伸びる軽量かつ強靭なメタマテリアル製の滑空翼を折り畳み、さらにバイクを砲撃モードに可変させながら愛花は腕時計型の通信デバイスに呼びかける。「〈セルー〉、次の目標は?」
『向かいのビル4階の対戦車誘導ミサイル班。もうこちらに気づいたわ撃たれる前に火点を潰して電子妨害も長くは保持できない』
「任せて! 地上の昭島さんたちに手出しができないうちに重火器を沈黙させる!」
位置はそのままに〈スナーク〉が大きく旋回する。向かいのビルで対戦車ミサイル班が発射準備に躍起になっている間に、もう電磁加速砲がスタンバイに入っている。〈セルー〉のサポートに任せ切っての、驚異的な照準の速さだった。
電磁加速砲の砲口に光が集まっていく。
──その日、程度の差こそあれ、未真名市の治安関係者で動揺していない者は一人もいなかったに違いない。未真名市街と〈のらくらの国〉の境、数人が詰めているだけの警備ポストに至ってはなおさらである。
「『警備体制の強化』なんて、この人数にこの装備でどうしろってんだよ?」
「言うなよ。『ハイソウシマス』以外の回答が許されないのは警備だろうと普通の会社員だろうと変わんねえよ。使う道具がノートPCか
「よくそんなに割り切ってられるな? 会社支給の警棒と電撃銃程度じゃ野犬にだって太刀打ちできないんだぞ。詰所ごと機銃と擲弾筒で吹き飛ばされろってか?」
「俺やお前の家族に申し訳程度の涙金が払われて終わりだな。黙って立てよ、生身の人間を立たせておくことに意味があるんだ。クビになるぞ」
「その方がいいような気がしてきたな……ん?」
ぼやきながら目を凝らした警備員の視界に入ってきたのは……こちらへ向けて全力疾走してくる異相の青年だった。しかも早い。
「止まりなさい! この先は立入禁止だ!」
警備員たちの制止に、アイネイアは──当然止まらなかった。
膝を
「衛士たちよ、役目ご苦労である! だが残念なれど、余はその制止に応えることができぬ。許せ、何しろ余は──夢の国の王子であるからな!」
呆気に取られている警備員たちの視界の中、彼の姿はどんどん小さくなっていった。百メートル走の速度でマラソンをしているような冗談じみた速さだった。
警備員たちの一人がぽつりと呟く。「……俺、やっぱりこの仕事やめようかな」
超絶スランプ中だったとはいえ、続きを書くまでに丸一年と数ヶ月かかってしまいました。申し訳ありません。
あと一話で完結なのでなるべく早く続きを書きます。