「〈自殺軍〉を無力化したあのアンノウンですが、現時点で足取りはつかめていません」
「我々の観測範囲から外れただけだ。この世の夢見る者全てが死に絶えない限り〈夢の国〉が滅びることはない。〈のらくらの国〉は消滅しても、その影響力が消え去らないのと同じだ」
老人の声は、そこでやや口調を改める。「しかし、あの幼い〈竜〉がこうも
「はっ……」
「今回の事件の関係者をピックアップし、私の端末へ。引き続き監視は続けるように。我々は我々の計画に立ち戻るとしよう」
「かしこまりました。御心のままに、〈犯罪者たちの王〉」
接続音。
『全く、訳のわからない事件だったな……生きた黒い沼が完全武装の〈自殺軍〉全員を飲み込んだって? 報告書に書けると思っているのか?』
「だったら『雲を霞と消え失せた』とでも書いておいたら? 私だって本当のことを話したのに、頭がおかしいと思われるのは嫌よ」
『確かに、そうとしか書きようがないのも確かだがな。信じられるか? 飲み込まれた兵士たちは全員が数キロ離れた空き地で無傷のまま見つかったが、全員が口々に「
溜め息。「本当に訳のわからない事件ね。ところでそこまで重大な情報を、身内だからといって話していいの?」
『どれほど隠してもある程度は漏れるだろうな。そもそも今の未真名市警でコンプライアンスなんて薬にしたくもない……警察という組織がそうなのかも知れないが。身内が誘拐されたからってその兄に捜査を担当させるか?』
「案外、計算あってのことかもよ。たぶん私とあなたの頭には、共通の知人が浮かんでいると思うけど」
舌打ち。
『次にあいつに会ったら言っといてくれ。俺があんたへの反発心のみで刑事になったと思っているんなら、思い上がりもほどほどにしろってな』
「兄さんが自分で言わないの?」
『俺よりお前の方があいつのお気に入りだろう。会おうとしても応じてくれるかどうか、真剣に疑問だしな』
「……わかったわ。私からもお願いしていい?」
『何だ?』
「あの人がどこから婚約者を連れてこようと私が首を縦に振らず、女の子しか好きになれない、と公言して憚らない理由があなたへの反発心だけだと思っているのなら、自惚れるのもいい加減にしろ、と伝えて」
苦笑。『そりゃお前が本人に言うんだな。俺が言うよりも百倍は効くだろ』
「あなたが自分から時間を割き、正式なアポイントメントを取り、機会を用意して直接言う方が、きっと一万倍は効くわ」
『……わかったよ。会ったら言っておくさ。俺にもあいつにも、そんな機会があるかはわからんが』
「ねえ、兄さん」
『ああ』
「来てくれてありがとう。とても嬉しかった。すごく……すごくよ」
『俺が来たのは全て終わった後で、しかも職務だ。例ならお友達に言うんだな。おやすみ』
「……王子?」
──まんじりともせず夜更かしをしながら焦れていた佳澄が、ふと玄関に人の気配を感じた瞬間。
「王子……!」
彼女は玄関に向かって駆け出していた。寝ていたはずのゆずるまで、目を擦りながら起き出したほどだ。
だが、実際に佳澄を出迎えたのは──戸口に差し込んであった、たった一枚の折り畳まれた紙だった。
それだけで彼女は何が起こったのか理解していた。ああ、ようやくこの日が来たのだな、と。
紙を広げてみると、そこに並んでいたのは一字ずつ定規で引いたようなやたら角張った文字によるたどたどしい文章だった。しかしアイネイアには、日本語での読み書きなどできなかったはずである。彼が家に来て数週間と経っていないのに、これだけの文字をもう覚えたのだろうか。
『カスミよ、そしてユズルよ。
よは、ゆえあってこのいえをさることにした。
ゆるせよ。そなたがしんじられないからではない。よが、よみずからをしんじられぬからである。
さいしょ、よは〈ゆめのくに〉をほろぼしたのは〈どらごん〉だとおもいこんでいた。あれほどのしとはかいをふりまけるそんざいがほかにいるはずがない、と。
しかし、よがへんしんした
よはみずからのてで〈ゆめのくに〉をほろぼし、それをわすれているだけなのではないか?
それをあきらかにすることなく、そなたたちとともにいることはできぬ──たとえそれをみぬふりをしたとしても、そのわざわいはなんばいにもなって、そなたや、そなたのがくゆうたちや、このせかいのいきとしいけるものをおそうであろう。
よって、よは、このよのどこかにいるサガラリュウイチとやらにあうことをきめた。
そなたがもし、ほんとうのくなんをまのあたりにしたときは、ただよのなをよぶがいい。ただ、おおごえでよぶだけでよい。
さすれば、このよのどこにいようと、よはそなたのもとにかけつけるであろう。
わすれるでないぞ。そなたたちは、よのおさめるゆめのくにの、さいしょのしんかである。』
「おねえ、ないてるの……?」
「っさいな。泣いてなんかないよ」
「すまぬ、カスミよ」
アイネイアは海豚も追いつけないようなスピードで海を泳いでいた。──そう、太平洋をである。
「だが、余は必ずサガラリュウイチとやらに会う。会わねばならぬ。なぜなら……」
決して穏やかな海ではない──波は白く泡立ち、水平線の向こうには暗雲が立ち込め、稲光さえ不吉に輝いている。だがそれでも、彼は笑う。
「余は、夢の国の王子なのだからな!」
──海を渡り大陸へとたどり着いたアイネイアが、念願通り相良龍一と出会うまでにはもう二、三ほど厄介事に出くわす必要があるのだが……それはまあ、別の話である。
一年と数ヶ月も間が空いてしまいましたが『夢の国の王子』これにて完結です。すみませんでした。
次の更新もまた本編、『ワイオミング、ヴァルハラ、ヴァルキリー』の続きになる予定です。今しばらくご猶予を。