日は暮れ、島の中心部に位置する祭壇には多くの島民が押し寄せていた。先の男たちも来ているようで、皆一様に浮き足だった様子で祭壇を見上げている。
同じ船で渡来した観光客も物珍しさに足を運んでいるようで、時間が経つにつれ付近はあっという間にすし詰め状態になり、私は身動きすら満足に取れないような状態に陥っていた。
これまでに経験したことのない圧迫感に目眩を覚え始めた時、ふと後ろから肩を叩かれた。なんとか体を捻り肩越しに見やれば、それは島に来た当初私に出会った老婆であった。
「もし、もしよろしければ、よろしければなのですが、飲まれますか?」
老婆はいくらかどもりながら言うと私に古びた水筒を差し出してきた。この状況に辟易としていた私を気遣う気持ちに感動すら覚えながら、ありがたく頂戴しようとして息を吸い込んだ時、すぐにその考えは霧散した。
かつて取材で訪れた島で横行していた麻薬の独特な匂いが鼻をついたのだ。強力な鎮痛作用から一部地域では医療用として用いられると取材先では聞いた記憶があるが、やはり依存性の高い麻薬には変わりない。
「あの、これは–––––」
私が訝しんだのを感じ取ったのか、老婆は慌てふためきますます吃りながら、
「いえ、いえ、無理にとは言いません……ただ–––––」
言葉を続けようとした瞬間、左胸の辺りに裂かれるような痛みが走る。
耐えがたい激痛に思わずうずくまった。
しかし、抑えた左胸からは一滴の血も流れていない。なのに、混乱する頭は確実に「刺された」という感覚を訴えていた。
満足な状況把握も出来ないまま霞む視界で見上げた神殿から、何かが飛び出してくる。
「たべないで、たべないでえ!」
時が止まってしまったように感じた。
数多の魚人族の断片をコラージュしたような、到底一つの生物であるとは思えないような姿。正しく伝承の中のウワンネ神の姿であり、あの日“葬儀屋”のもとに流れ着いた変死体の姿であった。ちぐはぐなの身体の端々から発せられる既視感に、あれは全部あの家族から成っているんだな、と妙に冷静に独りごちた。
間抜けな悲鳴をあげ、色も長さも異なる両足を不恰好に動かしながら飛び出してきたそれは、私が痛めた部分と全く同じ位置に切れ込みが入っており、その向こうにはまさに脈動する心臓が見え隠れしている。
どくどくと流れるおびただしい量の血を気にも止めず、それは神殿の上でのたうち回る。
「あんなに、あんなに頑張ったのに!みんなの言うとおりにしたのに!」
「痛い、いたい、ころさないで、ころさないでえ!」
呆然とその姿を見ながら私は心のどこかで、これが喜ばしいことのような気になっていることに気がついた。
嬉しい、嬉しい。また新しいかみさまが生まれてこの島は廻っていく。もうとっくに意味なんてなくなった気もするけれど、
私の中で、私の知り得ない記憶をもった別の誰かが、急速にぶくぶくと肥え太ってゆく。思えばおかしなことばかりだったのに、その全てを見落とした。
魚人族の受け入れを謳いながら、私は今日ただの一人にも魚人族に会わなかったこと、たかだか今日島に訪れただけの私がこれほど早く島の空気に馴染んだこと。あれほど悍ましい通信記録を目にしていながら今まであの一家について忘れていた、いや、思い出すことができなかったこと。
自分がとっくにこの島の胃のなかにいたことに気づくまでに、そう時間はかからなかった。
ぐるりと周りを見渡すと、島のみんなも胸を抑えながらどこか嬉しそうな顔で神殿を見ていた。
皆一人残らず嬉しそうに、期待するかのように『取り継ぎ』を見ているから、私だけが怯えて逃げようとしているのは、おかしいような、間違っているような気がして、まだかな。
早く、かわらないかな。
奥から数人の島民が後を追うように現れ、それを神殿の床に押さえつけた。
それはやはり何か恨み言を吐きながら、何もかもが不揃いの四肢を暴れさせている。
私はその時、その中に一人他の島民とは違った面持ちの者がいることに気がついた。その顔は真っ青で、うっすら脂汗をかきながらもどこか笑っているように見える。
彼の目の前で今まさに絶命しようとしている、
乾き始めた傷に、ゆっくりと指が沈んでいく。
「いたい、やめてえ、やめて、だれか助けてえ!」
「あ」
あー俺だ、モルガンズだ。そっちに■■■来てるか?そうそう、何年か前に■■■■■■追ってた奴。
……そうか、じゃあもし顔出したらすぐ俺に連絡入れるようにしてくれ。いや、あいつここ何週間も連絡つかなくてよ。今担当編集がそいつの拠点に向かってるんだが–––––まあいい。
お前もこれ聞いたからって余計な詮索するなよ!これは社長命令で、ありがたい忠告だからな!
それで何だ、革命軍に動きがあったんだったか?–––––成程な、じゃあそれは既定路線で1面に入れろ。あとは……
世界経済新聞社 通信記録より一部抜粋