目を開けると木製の天井が視界に飛び込んでくる。そして、鼻を刺激する獣の臭い。
俺はジャンパーの下にリュックを抱え、わらの上に仰向けに寝転がっていた。
上体を起こしてあたりを見渡せば、臭いの元であろう馬が目に入る。
期待で心臓が痛いくらいに打ち鳴らされているのを感じながら念じたところ、頭の中に情報が浮かんできた。
馬
「やった! やった! うっしゃー!」
あまりの喜びに思わず大きな声を上げてしまう。
鑑定が発動している! 間違いない! ここは間違いなくあの世界だ!
おまけにスタート地点が馬小屋。もしかしたら場所さえも同じなのではないだろうか?
『異世界迷宮でハーレムを』
俺の人生においてあらゆる作品の中で一番ハマった。いや、連載開始から十数年たった今なおハマり続けている作品だ。
まさかあのサイトがガチだったなんてなぁ……。
……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
おそらくこの後すぐにでも戦闘になるだろう。早いところ準備を整えなくては。
近くにあるであろうボーナス装備を探すため、あたりを見渡しながら鑑定と念じていくと頭の中に情報が浮かび上がる。
聖剣デュランダル 両手剣
スキル 攻撃力五倍 HP吸収 MP吸収 詠唱中断 レベル補正無視 防御力無視
決意の指輪 アクセサリー
スキル 攻撃力上昇 対人強化
サンダル 足装備
よし。見つけた!
急いでデュランダルと決意の指輪を確保して、サンダルを履いてしまおう。
ウォーキングシューズを脱いでリュックにしまい、サンダルを履いてから自分自身へ鑑定をかけた。
田川 歩 男 18歳
村人Lv1 盗賊Lv1 空き
装備 サンダル
はあ!? ちょっと待て! 何だこれは!?
盗賊を取得していることはいい。サードジョブがブランクになっているのも今は置いておく。
だが、十八歳ってのは何なんだ!? 二十七も若返っているぞ!?
顔を確認するべくリュックから手鏡を出し覗き込む。
俺だ……。
……いや。確かに俺の顔だが明らかに若い。頬のたるみがなくほっそりしているし髪だってふさふさだ。
あんまり覚えちゃいないが高校のころはこんな顔だったような気がする。
頭のてっぺんに手をやると地肌の感触ではなく、二度と戻らないはずの懐かしい手触りが……。
髪様ありがとう! AGA治療なんて目じゃないぜ!
いかん、いかん。浮つくな。冷静にいこう、冷静に。
うーん……。この体からはインテリジェンスカードが出るだろう。MPなんて要素も組み込まれているはずだ。それに鑑定のスキルを使うと頭の中に情報が浮かぶようにだってされている。
日本にいたころの体を作り替えられたか、もしくは元の体を参照して作られた完全に別物という可能性が高い。
明らかに別の世界に人を送り込むことを目的に作られたサイトや、あまりにもシステマチックでゲーム的な世界観。
作中では一切触れられていないが、この転移には何らかの超越的な知性体が関与しているのは確実だ。
仮に寝たきりの病人があのサイトを発見したとして、そのままの体で転移した場合どうなるだろうか?
おそらく何もできずに呆気なく殺されてしまうに違いない。
わざわざ手間をかけて誘導しておいて、そんなことをするだろうか?
もしかしたら最低限のサポートとして、若くある程度動ける体を用意している?
原作のミチオは、若い上に運動能力が高く、さらに剣道経験があったため、サポートがなかった?
しかし、すぐに別の考えが頭に浮かぶ。
……作中ではミチオがキャラクター再設定以外に、何らかの優遇措置を受けているような描写はなかった。
たとえこの状況が異世界転移を行っている存在の対応だったとしても、これはあくまでもこの世界に転移されるにあたり、公平を期すための初回サポートのようなものだろう。
今後、ご都合主義的な助けが入るなんて期待をするべきじゃない。
身代わりのミサンガがない状態で致命傷をくらえば、簡単に命を落とすはず。
肝に銘じるべきだ。ここは魔物や盗賊が跋扈し、人を襲うような命が軽い世界。
そして、それは俺の命だって例外じゃない。
ゲーム気分でやり直しがきくなんて能天気な考えを持っていると、あっさりくたばることになる。
『お前もしかしてまだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?』とか、『人は殺されれば死ぬ。それが当たり前なんだ』ってやつだ。
……いやいや。だからそんなことを考察している場合じゃないって。
この後に来るはずの戦闘に備え、さっさと準備に取り掛からないと。
興奮していることを自覚しながらキャラクター再設定と念じたところ、頭の中に設定画面が浮かび上がってきた。
……実際に体験すると、これってめちゃくちゃ不思議な感覚だよなぁ。
内心でそんなことを呟きながら、準備を開始する。
まもなく始まるであろう盗賊戦において、何をおいても必要となるのが攻撃を当てるために間合いを詰める速度と、相手の攻撃を回避する手段。
そして、それらのスキルが期待できるのは、おそらく足装備。
ボーナス装備の足装備四までチェックを入れ、出現したサンダルのような履き物に鑑定を掛ける。
タラリア 足装備
スキル 移動力増強 回避力二倍 敏捷二倍 速度低下無効
ビンゴ!
サンダルを脱ぎ捨て、出現したタラリアを装備してから、脇に置いていたデュランダルを手に取った。
田川 歩 男 18歳
村人Lv1 盗賊Lv1 空き
装備 聖剣デュランダル タラリア 決意の指輪
残ったポイントは全部敏捷に振ってっと。
よし。準備完了だ。
リュックを左肩にかけ、小屋を出る。
夜明け前の濃紺からオレンジへと変わる美しいグラデーション。緑生い茂る山々。あたり一面の畑に点在する家。馬小屋の向こうには森が広がっていた。
一度も見たことがないはずなのにどこか郷愁を誘うような農村の原風景が、圧倒的なリアリティを伴い目の前に広がっている。
どこにも電線がなく、自動車やアンテナといった、普段当たり前に目にしていた現代文明の姿がまったく見当たらない。
……ああ。本当に来たんだな。
心の奥底から湧き上がってくる期待と不安を感じながらも、その牧歌的な風景に見惚れてしまう。
……おっと。いつまでも呆けているわけにはいかない。
この後に起こるであろうことを思い出し、気を取り直す。
抜き身の剣を持っている村では見たことがない男なんて、明らかに不審人物だ。村人に見つかると面倒なことになる。
それにいつ盗賊が襲ってきてもおかしくない。奇襲を成功させるためにも、森へ身を潜めよう。
適当な木の陰に隠れ、根元にリュックを置いて周囲を観察する。
辺りを見回していたところ、村の外へ向かっている二人の男が目についた。
よし。確認してみるか。
彼らに対し、即座に鑑定を使用する。
村人Lv8
村人Lv7
特に装備品を身につけているという事はないようだ。
さらに別の方向に目を遣り観察を続けていると、三階建ての建物の中から男が出てきて近くにいる老人へ話しかける。
今度はあの老人だ。
ソマーラ 男 68歳
村長Lv8
装備 村長の指輪
ああ! ソマーラ! ソマーラ村長! ここはソマーラの村!
ということは、近くにベイルの街があるはず! あの商館に行けばロクサーヌに会えるのか!?
目にした情報でテンションが一気に上がり、デュランダルを握る手に思わず力が入る。
……落ち着け、落ち着け。
踊り出しそうになっている心と体に言い聞かせ、必死に考えを巡らせる。
本当に彼女と出会えるかもしれない。
いや。出会うだけではなく、ロクサーヌを手に入れられる可能性が目の前に提示された。
どれだけ落ち着こうとしても、これまでの人生で感じたことのないような抑えきれない欲望がとめどなく湧き上がり、頭の中がそれに支配されてしまう。
もう無理だ。今までのように諦めが早く、物わかりのいい無気力な男ではいられない。
どんなことをしてでも彼女を手に入れる。それこそ
邪で、不純で、自己中心的な決意を固めつつ、この後とるべき行動について考えを巡らせる。
興奮して視野狭窄に陥ると事を仕損じる。冷静に考えなければ。
彼女を手に入れるには盗賊を撃退し、村長から報酬を貰い、そして泥棒を奴隷に落として売却しなければならない。
しかし、それだけではロクサーヌの購入額には届かない。
さらに盗賊のねぐらを襲い、インテリジェンスカードを手に入れて、それを換金する必要がある。
興奮しすぎるのもまずいが、冷静になって中途半端に現代日本の倫理観を引きずると行動に移すことができなくなるに違いない。
とにかく、事を成すことだけを考えるんだ。
やるべきことがハッキリしたところで大きく深呼吸をして、再び周囲の様子を確認する。
村人Lv14
農夫Lv5
村人Lv25
あれは!
一番レベルが高い25の男と話している隣の女性!
ティリヒ 女 31歳
村人Lv12
彼女は原作において、盗賊に夫を殺された未亡人。
ということは、あの男はこのあと命を失うのか……。
もしかしたら俺が最初から助っ人として加わり、盗賊撃退に協力するのであれば死なずに済むのかもしれない。
妙なことを考えようとしている自分に気付き、それを必死に否定する。
だめだ! 余計なことを考えるな! ロクサーヌを手に入れるんだろ!
絶対に叶うはずもない願いが叶うかもしれないんだぞ!? その可能性がもう手の届く場所まで来ているんだ!
余計なことを気にかけてそのチャンスを棒に振るつもりか!
それに剣道経験があったミチオとは違い、俺には一切の武道経験がない。そんなことをしても屍をさらすだけだ。
……悪いがあの男が襲われているところを奇襲させてもらう。
欲望と倫理観の狭間で懊悩していたところ、理解できない言葉で大きな叫び声が上がった。
声の聞こえた方へ目を遣ると、外へ向かって歩いていた男たちが叫び声をあげながら戻ってくる。
その声に弾かれたように、村にいた者たちが声を荒らげながら手に手に武器を取り、彼らが来た方向へ駆け出していった。
……ついに始まったか。
俺も行動を始めよう……。
盗賊にも、村の人たちにも見つからないように森の中を移動していると、デュランダルを握る手が震えていることに気が付いた。
……落ち着け。俺のやることはシンプルだ。
隠れて盗賊共に近づき、別のことに気を取られている頭目を奇襲で片づけるだけだ。
そうすれば残りは烏合の衆。あとは流れでどうとでもなるだろう。
今まで経験したことがないような速度で、心臓が打ち鳴らされている。
落ち着け。何も難しいことはない。
俺に気づいていないやつの首にデュランダルを叩き込む。ただそれだけだ。
さらには目の前がチカチカし始めてくる。
くそっ! 落ち着け!
走っていって剣を振るだけだ! それだけだ!
いいから! 落ち着け!
これから起こる、いや、俺が引き起こしてしまうことについての、不安と恐怖が収まらない。
大きく息を吸い長く吐き出す。そして、いつものルーティーンを行う。
何か嫌なことがあったときや会社で理不尽な目にあったとき、そして一人の部屋で不意に孤独感に襲われ恐ろしくなったとき。
そういうときはいつも妄想していた。
ロクサーヌと共に迷宮を探索し、協力して魔物を狩る。
探索が終わると同じ家に帰り、ご飯を食べ、一緒に風呂に入って疲れを癒す。
そして、そのあとは寝所を共にする。
頭の中に浮かぶ不安げな表情を浮かべている彼女へ向かい、ミチオのセリフを借りて想像の中で告げた。
『大丈夫だ、ロクサーヌ。おまえのご主人様はそこまで弱くない』
気がつけば手の震えは止まり、緊張しているような、リラックスしているような、命の危機を感じているような、やる気に満ちているような、なんとも不思議な心理状態になっている。
「なんかやれそうな気がするな」
自分の口元が緩んでいることを自覚した。
うん。大丈夫そうだな。
そのまま移動を続け、村人たちが防衛線を敷いている場所の近くへたどり着く。
村に向けて侵攻してきた盗賊共は、荷車をバリケード代わりにして待ち構えていた村人たちと遭遇するなり、怒声を上げて一気呵成に襲い掛かる。
そして村人の方も応戦し、そこかしこで戦闘が始まった。
その様子を見ながら、手下に指示を出しているバンダナを巻いた盗賊に鑑定をかける。
ウーゴ 男 38歳
盗賊Lv41
装備 鉄の剣 盗賊のバンダナ 鉄の鎧 皮の靴
あいつだ! あいつが頭目だ! あいつをやらなければならない!
それを成せば、天秤はあっさり村人の方に傾くだろう。
木の陰に隠れ隙をうかがっていると、レベル25の男がそいつ目掛けて躍りかかる。
しかし、頭目はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべながらそれを受け流した。
男がもう一度攻撃を行ったのを合図に、彼らは斬り結び始めた。
完全に押されている……。
探索者レベル50を超えて冒険者にまで至ったはずの男なのに、ジョブを村人に変え、さらにレベルも25になっているせいなのだろう。
それほどレベルの差というものは大きいということか。
……いや。作中最強クラスのロクサーヌでさえ、20以上のレベル差があったバラダム家の女を相手に、攻撃を回避することはできてもダメージを与えることは出来なかった。
ましてやあのウーゴという男は盗賊のバンダナを装備し、ステータス上昇の恩恵を受けている。
押し切られるのは時間の問題だ。
チャンスはそこだ。絶対にそこで油断が生まれるはず。
周りの手下共に注意を払いながら隙を窺い続けよう。
頭目は男の剣を打ち払い、体勢が崩れたところに蹴りを入れ、そのまま引き倒して馬乗りになった。
ここだ!
両手でデュランダルを強く握りしめながら木の陰から飛び出し、ウーゴを目指して一心不乱に走り出す。
敏捷二倍や移動力増強の効果なのか、想像以上の速度で駆け抜け、誰かが反応する前に握りしめた得物を振り抜いた。
あっけなく奴の首が飛ぶと大量の血があふれ出し、俺もそれを浴びてしまう。
だが、今はそんなことを気にかけてる余裕はない。
他の盗賊が気付く前に畳みかける!
すぐ近くにいたレベル7の盗賊に斬りかかりながら念じた。
オーバーホエルミング
その瞬間、体から何かが抜けていく感覚と共に、これまでに味わったことのないような倦怠感に襲われる。
直後に相手の体をデュランダルが通り抜け、その体が斜めに泣き別れになると、一瞬にして倦怠感が霧散した。
気がつけば、目の前のあらゆるものがスローモーションになっている。
発動した! 成功だ! 英雄のジョブを取得している!
訪れたボーナスタイムを活かすべく、レベルが一番低い1のやつを残して、周りにいる盗賊を片っ端から始末していく。
引き延ばされた時間が元に戻ると、近くに立っているのは俺とレベル1の盗賊だけになっていた。
おそらく、奴は何が起きているのか理解できていないに違いない。
呆けたように立ち尽くすその男の右腕めがけ、デュランダルを振るう。
すると、握っていた剣ごと腕が撥ね飛び、絶叫が上がった。
錯乱している間に続けて両足を切断し、崩れ落ちたところで残る左腕を断つ。
そして、下半身を切り離したところで心の中で念じる。
等量交換
目の前の体が弾けたと同時に、何かが抜けていく感覚があった。
しかし、先程とは比べ物にならないくらいに小さく、気分の落ち込みも感じない。
よし! これも成功!
作戦が図に当たり、立て続けの成功でテンションがブチ上がる。
周囲を確認すると盗賊だけではなく、村人たちも呆然としたようにこちらを見つめ、立ちすくんでいた。
この機に乗じる!
次の獲物を探して周囲に視線を向けたところ、少し離れた位置で一塊になっている村人の集団と、それを襲っていたであろうレベル19の盗賊を見つけた。
そこへ向けて地面を蹴り、行き掛けの駄賃とばかりに一番手前にいた盗賊の首へデュランダルを振るう。
オーバーホエルミング
一瞬くらっとしたものの、首が飛ぶとすぐに気持ちが落ち着いた。
スローモーションで動き出す途上の盗賊を次々に斬り捨てていき、そのままの勢いで目的の獲物を屠る。
時の流れが元に戻ると、残りの盗賊は声を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
それを見た村人たちが嵩にかかったかのように追撃を始めた。
そのなかには賞金首がいるかもしれないんだ! 獲物を取られてたまるかよ!
気が付けばそこかしこにぶつ切りの躯が転がる、血の海の中に立っていた。
むせかえるような臓物と鉄の臭いが、鼻腔に激しく襲い掛かる。
そして、惨劇の現場に一人立つ者を、遠巻きにうかがう村人たちの姿が目に入った。
田川 歩 男 18歳
村人Lv1 盗賊Lv1 英雄Lv1
装備 聖剣デュランダル タラリア 決意の指輪
BP振分 残BP:0/99
敏捷:9
武器六:63
足装備四:15
アクセサリー二:3
等量交換:1
サードジョブ:3
鑑定:1
詠唱省略:3
キャラクター再設定:1
所持金:0ナール
春の1日目