俺の胸に顔を埋めて泣いていたルティナだったが、その声が徐々に小さくなっていく。
少しは気持ちの整理がついたのだろうか?
……いや、この短時間で割り切ることなど無理に決まっている。ある程度落ち着くだけでも御の字だろう。
やがて、彼女は泣き腫らし充血した瞳でこちらを見上げた。
「あの、アユム様、もう大丈夫です……。お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません……」
その顔には恥ずかしそうな表情が浮かんでおり、頬は朱に染まっている。
「ルティナ様は重圧を感じながらも、領地を救おうと懸命な努力を続けられていらっしゃいました。この状況で、その張りつめていたものが切れてしまっただけです。見苦しいなどと思うはずがありません」
「本当ですか? 泣き顔は醜くはありませんでしたか?」
「そんなことあるはずありません。思わず見惚れてしまうほど、綺麗で愛らしいお顔でした」
彼女はその言葉を聞くなり、再び俺の胸元に顔を埋めた。
あー。めちゃくちゃ可愛いんじゃー。
そのあまりの愛らしさに魅了されていると、部屋に咳払いが響く。
「ご主人様、そろそろ移動をした方がよろしいのではないでしょうか」
普段と何も変わらない涼やかで美しい声だと言うのに、まるで地の底から響いているかのように俺の耳へ突き刺さった。
ち、違うから! 俺は非常事態だというのにラブコメをするような男じゃないから! ロクサーヌを差し置いて他の娘とイチャイチャパラダイスをするような男じゃないから!
抱きしめていた体を離し、ルティナに告げる。
「ルティナ様、これから拠点へとお連れします。動きやすい格好に着替えていただけますか?」
しかし、彼女は不服そうな表情を浮かべ、言葉を返す。
「アユム様、どうか先ほどのようにルティナとお呼びください。それからお言葉も先ほどと同じようにお願いいたします」
ちょ、そんなことを言ってる場合じゃないっての。
反論をしようとしたものの、彼女は『むー』という顔でこちらを見つめていた。
めちゃくちゃ可愛いな、おい。
……というか、割と余裕があったりするの?
どう説得しようかと考えていると、セリーが呆れたように口を開く。
「遅かれ早かれそう呼ぶようになるのです。いいのではないでしょうか」
ルティナはその言葉に目を丸くしながら問いかける。
「それはどのような意味なのでしょうか?」
……そうだな。それについても説明しておかなければならない。
「ルティナ様、今後についてご説明いたします」
まだ自分がどうなるか分かっていない彼女に、今後について説明していく。
すでに成人し継嫡家名を得ているため、このままセルマー伯爵を誅しても、その爵位が最も継承権の高いルティナに移ってしまうこと。
緊急時であり、正規の手続きが取れないため、そうなってしまえば彼女の命まで奪わなければならないこと。
これを防ぎ、またルティナの命を救うためには、奴隷に落とし継嫡家名を外す必要があること。
そして、奴隷となったその身は作戦参加の報酬として、俺に与えられる手筈になっていること。
「――不本意であることは承知しています。ですが、新たなセルマー伯爵家が安定するまでは奴隷の身分のままでいていただかなくてはなりません。もちろん、それが達成された暁には解放することをお約束いたします。また、望まぬ行為を強要するつもりもございません」
静かに説明を聞き終えたルティナは、目を閉じ考え込んでいた。
できれば一生共に過ごしてほしいし、そういうことだってしたい。
しかし、それはあくまでも受け入れてくれたらの話だ。
嫌がっている娘に無理矢理そういうことができるようなら、四十五まで童貞なんかしていない。
これは俺の絶対に譲れないラインなのだ。
五人でその様子を見つめていると、彼女は目を開き、ゆっくりとこちらに視線を向ける。
「……お話は理解いたしました。ですが、アユム様は思い違いをなさっています」
「思い違いですか?」
「ええ。一つはわたくしが賜ったご厚意を蔑ろにするような、忘恩の徒だとお考えだということ」
「いえ、決してそのよ――」
釈明をしようとしたところ、ルティナは恥ずかしそうな笑みを浮かべながらそれを遮った。
「そして、わたくしがアユム様と肌を重ねることを厭うているとお考えなことです。あの日、あの親身になってご助言をいただいた日より、わたくしはアユム様のことをお慕い申しております」
その言葉を耳にした瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受ける。
ルティナが俺のことを好き? マジで?
あまりのことに呆然としていると、部屋に声が上がった。
「よく言いました。ご主人様の素晴らしさを理解しているとは、さすがルティナです。やはりあなたは見どころがありますね」
「あの、あなたは……」
思わずといったように声を漏らすルティナへ、笑みを浮かべたロクサーヌが告げる。
「一番奴隷のロクサーヌです。ご主人様は遠からず迷宮討伐を成し遂げ、貴族に列せられるお方。私たちは貴族の暮らしや習慣については疎いため、それらについてはあなたがお支えするのです。頼みましたよ」
驚いている彼女に対し、さらにセリーが話しかけた。
「セリーです。外見にとらわれることなく、内面や能力で判断できるとはたいしたものです。あなたは本質が見えているようですね」
おいこら。ナチュラルに俺の外見をディスるんじゃありません。
「ミリアだよ。私たちはもう姉妹みたいなものだから、これから仲良くやっていこうね」
ニコニコしながらミリアがそう言うと、ベスタも微笑みながら続く。
「ベスタです。ご主人様も、ロクサーヌさんも、セリーさんも、お姉ちゃんもみんなすごいから戸惑うことが多いと思うけど、私と一緒に頑張っていこうね」
ベスタさんや。自分を一般人枠に入れてるけど、そんなことないからね?
君はこの中でもダントツのフィジカルモンスター。一般人枠は俺だから。
それぞれの自己紹介を聞いたルティナの表情がふっと緩み、彼女たちへ頭を下げた。
「ルティナです。何も知らない若輩者ですが、これからよろしくお願いいたします。お姉様方」
その言葉で彼女たちの間に漂っていた空気が、穏やかなものへと変わっていき、どの服に着替えるのかを話し始める。
……よかった。ルティナに受け入れてもらえた。
今後は彼女もいっしょに暮らすことができる。
もちろん原作知識があり、セルマー伯爵家への襲撃や彼女が奴隷に落ちることを知っていたことを伝えた結果、俺に対して恨みを抱く可能性もあるだろう。
それに実際の年齢が四十五だと聞けば、忌避感を覚えるかもしれない。
しかし、今はそんなことを考えず、ただ受け入れてもらえたことを喜ぼう。
ついに始まった『いせはれ! 第四シーズン』を見ながら、心の中で安堵の息を吐く。
ライトブルーのトップスにピチッとした白いボトムス。そして長い金髪をゴールデンポイントで結んだ、いわゆるポニーテール。
動きやすい服装に着替えたルティナが、はにかんだような笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「いかがでしょうか?」
いかがも何もない。おじさんはポニーテールに弱いのだ。
紳士を標榜している俺であっても、極めて特殊な変態になってしまうではないか。
手元にスマホがあれば何枚も写真を撮っているところだぞ。
ぽに男にジョブ変更しそうになるのを堪えつつ、彼女の質問に答える。
「清廉で気高く、それでいて愛らしさも備えていらっしゃいます。まるで白百合のような魅力に私の心は捕らえられてしまいました」
その言葉に彼女の頬に赤みがさす。
「ア、アユム様は明け透けに過ぎます! それにお言葉を先ほどのものへとお戻しください!」
あー。照れてるところも可愛いんじゃー。
ルティナは恥ずかしそうにそう言うと、ベッドの方へと移動し、傍らに立て掛けられていたひもろぎのスタッフを手に取った。
あっ。これって持ち出していいのか?
現在のセルマー伯爵家は没落し、財産は全て次の伯爵家が引き継ぐことになる。
たとえ俺が個人的に贈った彼女自身の持ち物だとしても、持ち出すことはできないかもしれない。
その旨を告げると、ルティナの顔に動揺の色が浮かぶ。
「これはアユム様より賜り、これまでわたくしを守ってくれた大切な物。手放すことなどできません」
そんなに大切に思ってくれていたのか……。
その気持ちが嬉しくてたまらない。
しかし、奴隷に落ちる際に本人の持ち物と認められるのは、下着とそれに縫い付けられた硬貨のみ。
持っていったところで没収されてしまうだろう。
セリーが気遣うように彼女へ話しかけた。
「あなたが奴隷に落ちれば、それは間違いなくセルマー伯爵家の財産として扱われるでしょう。そのまま持ち続けることは不可能です。ですが、ご主人様が新しい装備品を用意してくださいます。それを大切にしてはいかがでしょうか」
だが、ルティナは杖をぎゅっと握り首を横に振る。
「このひもろぎのスタッフは辛いときや悲しいとき、恐怖で眠れない夜も常にわたくしを支えてくれました。これがわたくしの下からなくなってしまうなど、考えたくもありません」
彼女にとってあの杖はライナスの毛布みたいなものか。
ヤギとコボルトのスキル結晶、それからスロット付きのスタッフがあればまったく同じものが用意できるが、それでは納得しないだろう。
どうしたものかと考えていると、部屋に不思議そうな声が響く。
「ご主人様に貰った物なんですよね? じゃあ取り上げられる前に返せばいいんじゃないですか? そしてご主人様の奴隷になった後でもう一度貰えばいいと思います」
思わず声の聞こえてきた方を見ると、ミリアが首をかしげていた。
確かにそうだな……。
俺はセルマー伯爵家ではなく、彼女個人への贈り物として渡している。
つまり、いまはセルマー伯爵家の物ではなく、ルティナ自身に所有権があるということだ。しかも現在、彼女は奴隷ではない。
貴族子女が個人的に貰ったものを返却するだけ。この受け渡しは問題なく成立するだろう。
顎に手を当て考えていたセリーが呟きを漏らす。
「……なるほど、それなら問題ありませんね」
ベスタは感心したようにミリアへ視線を注ぐ。
「本当にお姉ちゃんの発想はすごいですね」
それな。いつもいつも、俺たちとは違う角度からの解決策を提示するんだもん。目から鱗が落ちまくるわ。
「ご主人様から賜った大切な物ですからね。ルティナ、手放さずに済みますよ」
「はい。ありがとうございます」
彼女はロクサーヌの言葉に屈託のない笑みを浮かべて答え、ひもろぎのスタッフを俺へと差し出した。
それをアイテムボックスにしまっている間に、左手に巻いていた身代わりのミサンガを外そうと悪戦苦闘を始める。
片手じゃ無理じゃないかなぁ。
手助けをしようかと考えていたところ、ベスタが近づいて手早く外し、それを手渡した。
「ベスタ姉様、ありがとうございます」
「ふふ。このくらいなんでもないよ」
今まで末っ子感があったのに、なかなかどうして、ベスタもお姉さんしてるじゃないか。
微笑ましいやり取りを見つめていると、ルティナはそれもこちらへ差し出す。
「アユム様からお預かりした装備品をお返しいたします。この二つのおかげでわたくしは迷宮探索を行うことができました。心より感謝申し上げます」
身代わりのミサンガを受け取りながら、その言葉にこたえる。
「これらがルティナの役に立ったのであれば何よりだ。少しの間、預かっておくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
彼女の整ったかんばせには、満面の笑みが浮かんでいた。
さて、だいぶ時間も経っている。そろそろ拠点へ戻らないと。
自分の中のスイッチを切り替える。
「では、拠点へ戻るぞ」
「お待ちください」
しかし、行動に移ろうとしたところで、ルティナから物言いがついた。
「わたくしには弟と妹がいるのです。あの子たちも保護してはいただけませんか?」
ああ。原作でも弟と妹がいるという話があったな。
あれは確かウェブ版で出てきたエピソードで、書籍版では言及されていなかったが、どうやらこの世界にも存在しているらしい。
それはともかく、返事は決まっている。
「もちろんだ。そこへ案内してくれ」
彼女は一瞬、戸惑った表情をしたものの、すぐに頭を下げた。
「ありがとうございます。アユム様、皆様、どうかよろしくお願いいたします」
恐縮する彼女にロクサーヌたちと共に気にしなくていいと伝え、部屋を後にする。
廊下に出ると、セルマー伯爵に対する断罪の声がハッキリと耳に届いた。
部屋にいたときに薄っすら聞こえていたのとは違い、ルティナの心に深く突き刺さったようで、彼女の表情が重く沈む。
しかし、今は弟妹の保護を優先するべきだと思ったのだろう。表情を引き締め、気丈に告げる。
「案内いたします」
そう言うとしっかりとした足取りで足を踏み出した。
廊下を進んでいると、襲撃側とセルマー伯爵側の両陣営に何度も鉢合わせたものの、襲撃側は事情を理解しているため、俺たちをチラリと見ただけで作戦に戻り、セルマー伯爵家の者はルティナの言葉で道を空ける。
彼女は短いながらも自分たちの怠慢を謝罪し、これからは新しいセルマー伯爵家と領民に尽くすよう伝えていた。
印象的だったのは彼女に恨み言を吐く者がなく、皆一様に『ルティナ様のせいではない』と口にしていたこと。
領民はともかく、家中の者に恨まれていないようで一安心だ。
しばらく進んだところで彼女は足を止め、扉を叩く。
「エルンスト、起きていますか? 姉様です。ここを開けなさい」
すると、ドタドタという足音が響き、さらに開錠の音が聞こえたかと思うと勢いよく扉が開いた。
「姉上! 何が起こっているのですか!」
開け放たれた扉から見えるのは、ふわふわの金髪に細長く尖った耳を持つ、紅顔の美少年。
背がセリーとほとんど変わらないため可愛らしさが勝るが、そのうちとんでもないイケメンになりそうだ。
しかし、今はその顔を不安で曇らせていた。
エルンスト・ノルトシュヴァルツ ♂ 11歳
村人Lv1
鑑定で確認したところ、十一歳で村人のレベルが1。
どうやら彼も迷宮に入ってはおらず、パワーレベリングも受けていないらしい。
「エルンスト、よくお聞きなさい」
ルティナは彼の両肩に手を置き、現在の状況を説明する。
伯爵家は迷宮討伐を行なっておらず、領内は荒れ、民に犠牲が出ており、このままでは迷宮に呑まれること。
それを見過ごすわけにはいかないため、帝国と全エルフ最高代表者会議によって、セルマー伯爵家討伐の命が下っていること。
その罪は父であるセルマー伯爵が命をもって贖わなければならず、自分たちもこれまで通りではいられなくなること。
「――この後はレナーテの所に行かなくてはなりません。本当に時間がないのです。今は理解できなくても構いません。何も言わずについてきなさい」
エルンストは唇をかみしめ、握り締めた両手をぶるぶる震わせながら言葉を漏らす。
「……分かりました」
とても十一歳の子供が飲み込めることではないだろうに、よく我慢したな。本当にたいした子だ。
こんな子供たちがいながら、どうしてセルマー伯爵は……。
「アユム様、次へ参りましょう」
ルティナがこちらへ振り返り、真剣な表情でそう告げる。
……そうだな。余計なことを考えている場合じゃない。
エルンストを加え、俺たちは再び廊下を走り出す。
そして、先ほどと同じようにルティナは妹に声をかけた。
その子も尋常ではない様子に目を覚ましていたのだろう。すぐに扉が開く。
本当ならビスクドールのような愛らしさを誇るであろう顔が、今は不安で塗りつぶされている。
レナーテ・ノルトシュヴァルツ ♀ 9歳
村人Lv1
ルティナが状況を説明しているのを見ながら彼女に鑑定をかけたところ、やはりジョブは村人でレベルも1。
そのことにやるせなさを覚えていると、あたりに泣き声が響き出す。
ルティナは両手でエルンストとレナーテの頭を抱え、謝罪の言葉を口にしている。
声を上げて泣くのではなく、堪えるように涙を流す子供の姿を見て、どうしようもない無力感に苛まれた。
……ルティナだけを救うのでは駄目だ。
彼女を本当に幸せにするのであれば、この子たちのことも守らなくてはならない。
姉に抱き着いている二人の子供を見て、俺の中に今までとは違う気持ちが芽生えていることを自覚した。
田川 歩 男 18歳
冒険者Lv62 勇者Lv57 遊び人Lv68 魔道士Lv62 防具商人Lv46 神官Lv49
装備 身代わりの硬革帽子 頑強のアルバ 剛腕のミスリル手甲 オラクルビットローファー よりしろのイアリング
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夏の18日目