高宮さんが財布だったことが判明し、父さんの気分が最底辺になる危機が去ってから数日後、8月3日。
姉ちゃんの前で彩芽の弁当を食べ、ノリで「あーん」をさせられた地獄は記憶の彼方に消し去って、俺は彩芽と一緒に『ラウト』へ来ていた。
ラウト。大型デパートでここにくれば大体何でも揃う。中にはカラオケもあり、すぐ隣にはいろんなアミューズメントが楽しめるレジャー施設『ディポルタ』がある。そんなところになぜ彩芽と一緒にきているかと言えば、一昨日拓斗からかかってきた電話が原因だ。
姉ちゃんが俺の背中に張り付きながら、「彩芽ちゃんと夏祭りとか行かないのー?」と鬱陶しく絡んできている時、俺のスマホから着信音が鳴った。スマホを見れば『バカ(年上好きの方)』と表示されている。その画面を見せれば、「私が近くにいるとテクノブレイクしそうだから、出てきな」と正常な判断を下し、しっかり離れたのを確認して電話に出る。
「どうした? 拓斗」
『やぁ修也。彼女がいなくて寂しいところすまない』
「喧嘩売ってんのか?」
自分のこと棚に上げて何言ってんだこいつ。知ってんだぞ? まだお義母さんに求婚してんの。度々凪咲ちゃんが『積極的に家庭崩壊を引き起こそうとする義兄、どう思いますか?』って相談されてんだから。凪咲ちゃんの話ではもちろんお義母さんは本気にしていないらしく、拓斗の父親も求婚する度に「見る目があるなぁ」って言ってるから大丈夫だとは思うけど。いや、今なんか大丈夫じゃない要素あったな?
『いや、すまない。何か今修也が雅さんと濃厚な触れ合いをしている気配がして怒り狂ってしまった』
「嫌な言い方やめてくれねぇか?」
『雅さんとの濃厚な触れ合いが嫌なことだと!!? 殺してやる!!』
「電話に出て数秒で殺害予告される俺の気持ち考えてみろよ」
『もちろん。雅さんを姉に持つ君の気持ちなら毎秒考えてるさ』
拓斗は今日も変わらず気持ち悪いな……。そういやこいつ、義母に求婚するようなド変態だから、実姉でも守備範囲なのか? だから俺になった想像を? ふざけんじゃねぇぞテメェそれじゃ彩芽とぎゅってするのもテメェってことになんだろうが。地獄見せてやろうか?
あ、倉敷拓斗として生まれた時点で地獄か。人の気持ちを考えられてないのは俺の方だった。
『まぁ、そのことについては今度一か月話そう』
「話さねぇよ。俺の夏休みなんだと思ってんだ」
『実は修也に頼みがあってね』
「頼み?」
まさか一日立場変わってくれって言うんじゃねぇだろうな。俺のメリットは父さんから離れられることと可愛い妹ができることくらいしかねぇじゃねぇか。……悪くないな?
いや、ダメだ。そうなったら彩芽が俺の隣からいなくなるし、姉ちゃんが妊娠する。彩芽はまだ魔法のせいで嫌だと思ってるだけだが、姉ちゃんが妊娠するのが致命的すぎる。家庭は崩壊するし、父さんの気分が最底辺のまま動かなくなるし、そうなれば俺の人生は終わりだ。
どんな頼みが飛んでくるんだと最悪な想像のせいでげんなりしながら待っていると、実際の頼みは軽いものだった。
『明後日、凪咲ちゃんと出かけてくれないか?』
「明後日? いいけど、なんでまた」
凪咲ちゃんが外出したいって言ってるけど、家族みんな予定があって、凪咲ちゃんの友だちにも予定があるとか?
『実は明後日が凪咲ちゃんの誕生日で。家族でサプライズパーティの準備をするから、その間相手をしていほしいんだ』
「なるほどな」
それなら納得。パーティの時間に凪咲ちゃんが帰るようにするには、事情を知っている人間が凪咲ちゃんと一緒にいる必要がある。凪咲ちゃんの友だちに頼んでもいいけど、生憎拓斗は友だちの連絡先を知らないから、俺に白羽の矢が立ったんだろう。
「でも、凪咲ちゃんにはなんて説明するんだ?」
『大丈夫。凪咲ちゃんにはサプライズパーティをするから、その準備の間修也と一緒に遊んでてくれって言ってある』
「サプライズの意味知ってるか?」
『随分驚いてたよ』
「そりゃ驚くだろうけど、サプライズってそういうことじゃねぇんだよ」
サプライズには成功してるけど、サプライズパーティには失敗してんだろうが。凪咲ちゃんも可哀そうに。サプライズパーティをしてくれるって知っててそれをしてもらいに行くって結構な心労だろ。しかも、まだ気を遣うであろう血のつながっていない家族相手だと猶更に。なんか俺まで申し訳なくなってきたな。ごめん、拓斗がバカで無神経なばっかりに。
『それと、真咲さんの都合がよければ一緒にきてくれないか? 随分懐いてるみたいだから。真咲さんのことが嫌いな修也には悪いけど』
「いや、いいよ。凪咲ちゃんの誕生日だしな。少しでも喜んでもらいたい」
『修也がいい人でよかった。ところで嫌いって言ってる割には最近真咲さんと仲いいよね? どういうことか説明してくれる?』
「話は終わりだ」
電話を切って、着信拒否。それからすぐに凪咲ちゃんにVEINで『どこ行きたい?』と送ると、『とりあえず、ラウトにします?』とすぐに返信があった。
……さて、次追及された時の言い訳でも考えておくか。
「そういえば、凪咲ちゃんと休みの日に遊ぶのって初めてじゃない?」
「だな。帰りにばったり会ってそのままどこか寄ってくってのはあったけど」
待ち合わせ場所によく利用される、一階にあるフロアマップの前で凪咲ちゃんを待つ。ラウトは今日も盛況で、夏休みだからということも手伝ってか、待ち合わせ場所を決めてなきゃ目的の人を見つけるのは難しいくらいには人がいる。プールの時といい、そろそろクラスのやつに見つかってもおかしくないなと思いながら、まぁでも凪咲ちゃんと会えるってなってうきうきしてる彩芽が可愛いからいいかと勝手に納得した。
「それにしても、なんか不思議だね。前まで一緒にどこかに行くなんて考えられなかったのに」
「そういう意味じゃ魔法にかかってよかった……いや、よくねぇな。口外したら死ぬような魔法かけられていいわけねぇか」
「あと、なんとか時間見つけてぎゅってでき……ぎゅってしなきゃいけないし」
ぎゅってできるって言いかけたのは聞き逃したことにして、彩芽の言う通りそこが結構困っているところで。
学校があるときはまだいい。彩芽は家が近いし、登下校のどこかで適当に合流して、人目のつかないところでぎゅってできる。ただ、長期休暇になると話が変わってくる。最近は姉ちゃんにジジイみたいと笑われている日課の散歩の時間に彩芽とぎゅってしているが、どちらかの家族が旅行に出かけたりすると、その間一回もぎゅってできないってことになる。そうなれば、好きが溢れすぎて終わる。暴走して背中に『彩芽好き』って入れ墨を彫るかもしれない。
ちなみに、今日も凪咲ちゃんと会うからと来る前にぎゅってしてきた。今の俺たちなら、ぎゅってしてこれくらい時間が経っていればちょうどいい好きになっているはずだ。ちょうどいい好きってなんだ?
「そういや、今日はかわいいって言ってって言わねぇのな」
「あれは! その、わかるでしょ! あの時はめっちゃ好きだったからで、今はそうでもないから!」
「わかってるって。あとその言い方されるとちょっと傷つくからやめてくれ」
「ちっさ。なにー? 私のこと好きなの?」
こいつ……! 今ちょうどいい好きな状態だからって、ここぞとばかりに攻めてきやがって……! 覗き込むように俺を見てにやにやする彩芽に、「あ、すき」と一瞬で敗北しそうになりながらぐっとこらえ、ふんと鼻を鳴らす。
「魔法で好きになってるってのに、愚かなやつだぜ。自意識過剰も大概にしろよ?」
「あー、そういうこと言っちゃうんだ。いいの? そんなこと言ってると赤谷くんか倉敷くんに私がとられちゃうかもしれないよ?」
「本気で言ってんのか?」
「ごめん、それだけはあまりにもない。人選間違えた」
とてつもなくありえないことを言い出したから、死ぬほど冷静になれた。彩芽があの二人に取られるとしたら、確実に非合法な手段だろう。素面で彩芽が、というより正気の女の子があの二人を好きになることはまずない。世界中を探したらもしかしたらいるかもしれないが、彩芽はそのかもしれないには入らない。
でも『あまりにもない』はちょっとかわいそうだから、心の中で二人にごめんと謝っておいた。よし、こうすれば何を言っても大丈夫だ。
「悪い人たちじゃない……ない……? んだろう、けど」
「悪い人たちじゃない割には随分言い淀んだな」
「少なくとも私から見れば悪い人たちじゃないけど、世間から見たら……うん、やめよ。本人がいないところでこういうのよくないし」
「あぁ、いいぞ別に。あいつら女の子に自分のこと考えてもらうだけで喜ぶようなやつらだから」
「じゃあやめる」
「それがいい」
微妙な嫌悪感をにじませた彩芽に、力強く頷いた。
そうして時間を潰していると、「あ!」と彩芽が声をあげ、俺から離れていく。彩芽が向かった方を見れば、凪咲ちゃんがいた。凪咲ちゃんが俺たちに気づいて挨拶をしようとした瞬間、彩芽の腕の中に捕らえられる。なんだあの光景。もしかして『可愛い』の語源か?
「凪咲ちゃん久しぶり!」
「お久しぶりです、彩芽先輩。舞坂先輩も」
「おう。誕生日おめでとう」
「あ、そうだ! 誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます!」
平和だ。そうだよ、学生の日常ってこうだよな。女の影が見えた瞬間殺されるようなのが日常でもねぇし、人質の取り方を聞かれるのが日常でもねぇよな。よかった。日常を取り戻せて。なんとなく夏休みが終わったらまたおかしなのがやってくる気もするけど、それなら猶更今はこの瞬間を嚙みしめよう。
「えへへ。誕生日に彩芽先輩と遊べるの嬉しいです」
「えー! 私も嬉しい! 今日はいっぱい遊ぼうね!」
「ナチュラルに俺が省かれたけど、気のせいだと思っていいか?」
「だってこの前、舞坂先輩は『男はすぐ勘違いする生き物だから』って。なので省きました」
「なーに? 嫉妬? 残念ながら凪咲ちゃんは私のものだから!」
「んなこと言うなら決めてもらおうじゃねぇか。凪咲ちゃん。彩芽と俺、どっちと遊べるのが嬉しいんだ? ちなみに、俺は今日全部奢るつもりでいる」
「お金で釣ってこなかったら正直迷ってましたけど、完全に彩芽先輩に傾きました。あと、男に二言はないんですよね? 今日は色々ご馳走になります!」
勝とうとしすぎてみっともない失態を晒した俺は、頭の中で財布の中を覗き込んだ。大丈夫だよな? 大丈夫なはずだ。大丈夫なはずだけど、頭を下げる準備はしておこう。