修学旅行、一日目。空港からホテルへ移動し、必要な荷物だけ取り出した俺たちは海へやってきていた。
10月初旬でも流石沖縄と言うべきか、昔ならはっきり夏だと言えるような気温。本州よりも日差しが強く感じ、海面に反射した日光も殊更眩しく感じられた。
なんてことはどうでもよくて、俺の脳は『彩芽とぎゅってしたい』ただその一点に支配されていた。
ぎゅってしたくなったのはホテルを出た直後。そこから今までずっとぎゅってできておらず、彩芽とぎゅってしたい気持ちがどんどん蓄積されていく。俺にできることと言えば、俺の目の前で自身の肉体美を披露するバカ二人を眺めて気分を萎えさせることくらいだ。
「どうや? 修也」
「気分が悪い」
「どうやら僕たちの肉体美に見惚れてしまっているようだね」
マズい、気分を萎えさせるどころか気分が悪くなってきた。なんだって俺は修学旅行で男の水着姿を眺めてなきゃなんねぇんだ。クソ、こいつらの他に気を逸らせる何かがあれば……。
「あれ、修也……?」
背後からかけられた声に振り向く。彩芽の声でも中条の声でもないその声の持ち主は、顔も知らない二人の女の子を引き連れて、肉体美を披露している廻と拓斗を見てから俺を見た。『えっ、彩芽と付き合ってるのに男の肉体美を鑑賞してる……? まさか、三股!?』と勘違いしているのが表情で見て取れた俺は、開口一番文句をぶつけた。
「結菜。アレはあいつらが勝手にやってるだけで、三股してるわけじゃねぇからな」
「なんだ。それならそうと言いなさいよ」
「そう言わなきゃいけねぇ理由を教えてくれよ」
俺のいとこである結菜。修学旅行へ行く前に「えっ、あんたも沖縄!? もしかして……」と言って『俺が結菜のことが忘れられなくて、学校に直談判して修学旅行の行先を変えた』って勘違いしてたから沖縄にいることは知ってたけど、まさか会うとは思わなかった。
「結菜、今修也って言った?」
「へぇー! この人が噂の!」
「わっ、ちょっ、修也、違うわよ! 別に私は学校であんたのことを彼氏だって言いまわってて、学校全体があんたのことが気になる女子でいっぱいなわけじゃないから!」
「そんな突飛な勘違いすんのお前くらいだろ」
どうせ結菜のことだから、いとこと最近よく会うようになって、そのいとこに可愛い彼女がいるとかそんな程度のことを言ってるだけだろ。結菜の友だちが興味津々で俺と「お、郭さんやん」「君も僕たちの肉体美を見に来たのかい?」って近寄ってきたバカを見ている。わかる。こいつら初見だとめちゃくちゃ気になるよな。でも見ない方がいいぞ、目が腐る。
「マジでレア! 写真一緒にいいですか?」
「みんなでピースしようよ! あ、お友だちは引っ込んどいて!」
「あぁ、僕たちは単体で撮りたいってことか」
「ならしゃあないな」
「ちょ、あんたたち! 迷惑だからやめなさい!」
結菜の友だちが俺の隣に座り込み、スマホを掲げピースしだした。勢いすごいな。っていうかレアってなんだ? 倒したら経験値が多いタイプのモンスターか俺は。経験値で言ったら多分あっちの二人のが多いぞ。常人じゃできない経験してるから。
「なんで写真?」
「結菜が初恋の人だって言っててみんな気になってるから、写真撮って見せてあげよーって!」
「へぇー? 俺が初恋なのかお前」
「えっ……」
「いや、自分が初恋だと知ってお前のことが気になって、恋が始まったわけじゃねぇからな?」
「すごっ、結菜の勘違いわかるんですね!」
「マジ血のつながり感じるー!」
つかマジか。そういや前帰省した時にそんなようなこと言ってたけど、本当にそうだとは思ってなかった。まぁ、いとこっつったら家族っていうよりも身近な異性って感じがするし、ある程度知識がついてくる前ならそうなってもおかしくない。
そんなことより結菜の友だちの圧がすごい。まるでテーマパークのマスコットにでもなった気分だ。実際そんな感覚なんだろうけど、自分にカメラが向く時を今か今かと待っている廻と拓斗があまりにも哀れだからそろそろ解放してほしい。
どうにかしてくれと結菜を見れば、結菜の視線は俺に向いておらず、つられて結菜の視線の先を見れば、いた。
「……」
「……」
無。無だった。彩芽は冷たい目で俺を射抜いており、隣に立つ中条は手を合わせて祈りを捧げている。あぁ、彩芽とぎゅってしたいって気持ちは紛れてたけど、ぎゅってさせてくれそうにねぇや。
「修也、ごめん。ほら行くわよ! ちゃっちゃと立つ!」
「あ、待って結菜!」
「ありがとうございました! 修也さん!」
本当に申し訳なさそうにしている結菜に気にすんなと手をひらひら振って、ゆっくり立ち上がって彩芽へ近づくと、それに合わせて彩芽が一歩下がった。
「違うんだ、聞いてくれ彩芽」
「聞かない」
「あれは」
「随分楽しそうでしたね」
「違うんだ! 俺はただ彩芽とぎゅってしたいんだ!」
「あの子たちをぎゅってしたら! 行こ! かおり!」
「待ってくれ! 彩芽! 俺にぎゅってさせてくれぇぇえええええ!!!」
彩芽が俺に背を向けて走り去って、殺されなかっただけマシじゃん? と中条が俺の肩を叩いて彩芽を追っていく。
砂浜に手をついて項垂れる俺の肩に、廻と拓斗の手が置かれた。
「俺らの撮影会ってどうなったん?」
「マジで黙ってくれ」
「まぁ、話せばわかってくれるさ」
廻はバカを晒し、拓斗に珍しく慰められ、俺はとんでもないことを叫んだせいで先生に怒られた。
『がばばばばばばばばばばばばば(なんで彩芽はぎゅってさせてくれないんだ)!!!!!』
ホテル、大浴場。夕飯を食べた後に班ごとに時間で分けて入ることになっており、一般のお客さんがいることを配慮して湯船の中で思いきり叫んだ。
一日目ということもあり、移動と海でその日の行程は終了。潮は海にあったシャワールームで洗い流し、ホテルに戻って夕飯。その間彩芽は一言も喋ってくれず、目も合わせてくれなかった。
「結構怒っとったなぁ」
「まぁ、誰がどう見ても浮気の現場だったからね。仕方ないと言えば仕方ないさ」
「なんで俺の言ったことが聞き取れてんだよ」
湯船から顔を出すと、聞き取れるはずがない俺の言葉をしっかり聞き取った廻と拓斗に返事された。こいつら、やっぱり人間じゃねぇな?
「流石の俺でも気まずいわ。どうにかしてくれへん?」
「どうにかしてやるよって言うのが友だちじゃねぇのか?」
「修也、これは君の問題だ」
「正論言うんじゃねぇよぶっ飛ばすぞ」
なんでこんな時だけ正論ぶつけてくんだよ。正論吐けるならいつも真面目にやってくれねぇかな……。いや、最近は比較的真面目だったわこいつら。元がおかしいからおかしな行動が目立つだけで、人に迷惑はかけて……辛うじてかけてない。かけたとしたら、肉体美を披露して不特定多数の気分を害したことくらいだろう。
「てかなんなん? ぎゅってしたいって。や、好きなんやったらぎゅってしたいんはわかるけど」
「確かに。仲直りしてからならともかく、弁明で『ぎゅってしたい』はどう考えてもおかしい」
「どうせ言っても……お前らなら信じるか。実は俺と彩芽は、『不定期にぎゅってしたくなる魔法』にかけられてるんだ」
「夢見すぎやろ」
「僕たちは真面目に聞いてるんだ」
二人の頭を掴んで湯船に叩きつけ、大浴場を出る。こんなときに雪野さんの矯正の成果発揮してんじゃねぇよ。
浴衣を着てスキンケアをして、脱衣所を出る。あぁ、こう考えたら好きになる魔法はよかったんだなぁ。無条件で好きになるから、何があっても相手の言うことを聞く気になるし、仲直りがしやすかった。そもそも喧嘩らしい喧嘩なんてしたことがないんだけど。
彩芽が出てこないかなぁ、と女湯の方へ目を向ける。そんなことをしても彩芽が出てくるわけもなく、ちょうど出てきた浴衣姿の色っぽい彩芽が俺を見つけて目を丸くした。
出てきてんじゃねぇか。
「彩芽!」
「っ」
やはり、彩芽は俺に背を向けた。追っても逆効果かと足を止めたその時、中条が出てきて、彩芽を後ろから抱いて引き留めてくれた。
「はい彩芽ストップ。そろそろ話くらい聞いてあげてもいいじゃん? 舞坂、他の女になびくようなだらしない男じゃないよ。それはあんたが一番よくわかってるっしょ?」
「……」
「ん、いい子いい子」
中条は頷いた彩芽を撫でて、ぽん、と俺の方へ彩芽を押し出した。
「先部屋戻ってるかんね。ごゆっくりー」
「中条!」
「今はそっちのかわい子ちゃんと話しなよ。お礼はその後聞くから」
姉御……!! 出会い方が違っていたら、間違いなく舎弟になっていた。カッコよすぎだろあいつ。
じゃない。今は、中条が言った通り彩芽と話さなきゃいけない。
「……ここじゃなんだし、中庭行くか」
「ん」
彩芽を連れて、中庭に出る。昼間は10月といえども暑かったくらいだが、夜になれば涼しい風が吹いて、かなり過ごしやすくなっていた。空気が澄んでいるからか夜空には星が見え、それだけでここが都会じゃないんだと実感できる。
よく手入れされた庭園にあったベンチに座って、鯉が泳ぐ池に視線を落とす。俺たちが来た途端に水面へ向かってぱくぱくと口を動かす間抜け面は普段なら笑えただろうけど、今の心境的に笑える気がしなかった。
「彩芽、その、ごめん」
「なにが」
「……俺たちは付き合ってるわけじゃねぇけど、今までを考えたらそりゃあ他の女の子とくっついてたら気分ワリィよな。だから、ごめん」
「……そうだよね。付き合ってるわけじゃないもんね」
とん、と肩に軽い感触。それが彩芽の頭だっていうことは見なくてもわかったし、風呂に入った後だからか青少年には刺激的な香りがする。そんな場合じゃないっていうのに、心臓が高鳴って仕方がなかった。
「ね、修也。修也は、私のことどう思ってる?」
「……正直に言うと、わかんねぇ」
「私も。でもね、修也が他の女の子とくっついてたところ見たら、すっごくもやもやした」
彩芽が俺に身を預け、腕を首の後ろに回してくる。それを受け止めるように彩芽の背中へ腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「修也」
「ん?」
「私も、ごめんね? ヤな態度取っちゃってた」
「いや、俺が悪かったんだし」
「修也。多分ね、私。修也が好き。でも、付き合うのはやだ」
思考が、止まった。何? 好き? 今は、好きになる魔法にはかかってなくて、それで、好き? 誰が、彩芽が、俺を?
面白いくらいに混乱している。上下左右がわからない。池の鯉は、ぱくぱくさせていた口を閉じて俺たちへの興味をなくしている。そんなのはどうでもいい。彩芽は今、なんて言った?
「この気持ちって、魔法にかけられなきゃなかったものだと思うから。だから、ちゃんと魔法が綺麗に全部解けて、それでも好きだったら」
「……」
「私を、彼女にしてくれますか」
耳元で、彩芽の震える声が聞こえる。ぎゅってしたくなる魔法の効力はとっくになくなっていた。はずなのに、まだぎゅってしていたい。
それがどういう意味か。それがわからないほど俺は鈍感じゃなくて、それを伝えようと開こうとした口は、俺から体を離した彩芽に指で塞がれた。
「さっき言ったでしょ。返事は、魔法が綺麗に全部解けてから」
彩芽は俺の口から指を離して、その指をじっと眺めた後、俺の視線に気づいて誤魔化すように笑った。
「えへ。ほら、早く部屋に戻らないと、先生に怒られちゃう。行こ?」
「……彩芽、マジで可愛いな」
「でしょ!」
彩芽の手を取って、二人で立ち上がる。前までなら繋いだままだっただろう手は立ち上がってすぐ離された。