凪咲ちゃんと話してから一週間が経った。
何を血迷ったのか、俺の『凪咲ちゃんはお母さんが好き』っていう情報を、拓斗は『凪咲ちゃんはおぎゃりたがっている』と捉え、凪咲ちゃんは拓斗から哺乳瓶とおしゃぶりをプレゼントされたらしいが、それでもなんとか頑張って普通に会話しようとしているとのこと。あの子、いい子過ぎていつか悪い大人に騙されるんじゃねぇかな……。
まぁ、悪い大人が近づいてきたらそれこそ拓斗の出番だろ。あいつ頭がおかしすぎて対人性能完璧だし。対人性能って言っても撃退専門だけど。
「舞坂先輩!」
「凪咲ちゃん」
朝。「一緒に行かなくていいの?」とやはり俺と彩芽が付き合っていると勘違いしている姉ちゃんが鬱陶しく張り付いてきて、それをなんとか引きはがし、疲労感を抱えながら登校していると、後ろから凪咲ちゃんが走ってきて隣に並んだ。下から見上げ、「おはようございます」と笑う凪咲ちゃんに「おはよう」と返す。
あれ以来、ありがたくも懐いてくれたらしい。俺だけにじゃなくてもちろん彩芽にも。なんなら彩芽も随分凪咲ちゃんを気に入ったらしく、「ねぇ修也。どうにかして凪咲ちゃんを妹に迎えられないかな?」って俺に相談してきた。「お前、廻と拓斗みたいなこと言うな」って言ってからもうそんなことは言わなくなったけど。
「彩芽先輩は一緒じゃないんですか?」
「女の子と仲良くしてると、廻と拓斗がうるせぇからな」
「義兄さんがいつもご迷惑をおかけしてます……」
凪咲ちゃんは俺と彩芽が仲良しだと勘違いしている。俺と彩芽がお互いのことを好き合ってるところしか見てないからそりゃそうだ。だから、凪咲ちゃんの前では俺と彩芽は仲良しでなきゃいけない。拓斗の義妹になったのに加えて、俺たちが仲悪くして余計な心労増やしたくないしな。
「でも、それなら私と一緒にいてもいいんですか?」
「どうだろうなぁ。俺と凪咲ちゃんがそういう風に見えたらうるさくなりそうだけど」
「じゃあそういう風になっちゃいます?」
「凪咲ちゃんのことは可愛いと思うし、正直会う前は女の子と知り合えるチャンス! って思ってたけど、冷静に考えたら友だちの妹には手ぇ出せねぇよ」
なんというか、あれだ。友だちの妹は自動的に対象外になる。もはや自分の妹みたいなもんだって思っちゃうんだよな。凪咲ちゃんは可愛いしいい子だし、同級生で友だちの身内じゃなければそういう風になるのは大歓迎だった。
ただ、女心は難しい。俺が手をひらひらさせながら言った言葉がお気に召さなかったのか、あざとく頬をぷくっと膨らませて不機嫌をアピールしてきた。
「私も舞坂先輩のことはいい先輩で義兄さんよりも兄さんっぽいなぁって思ってますけど、ちょっと気に食わないです」
「おい、あんまり男に対して兄貴っぽいとか言うなよ? 男ってのは一度気を許したら気持ちワリィくらい構ってきて、変な独占欲出す生き物だからな」
「はーい。気を付けます」
ふふ、と楽し気に笑う凪咲ちゃん。うん、可愛いなと素直にそれだけ思えたらよかったけど、この子のいい子なところ見る度拓斗の義妹になったことが可哀そうだと思ってしまう。せめて俺の家にきてくれてたらなぁと思ったところで、父さんの義娘になることと拓斗の義妹になることと天秤にかけ、今の方がマシだと思い直した。
……なんであんな変な魔法かけてくるやつが家を支えてんだ?
「なぁ修也。最近凪咲ちゃんと仲良さそうだけど、まさかそんなことはないよな?」
「ねぇよ。ありがたくも懐いてくれてるだけだろ」
昼休み。今日も今日とて空き教室に集まったら、拓斗から疑いの目を向けられた。こいつ、ちゃんと兄貴やってんだなぁ。大方、妹に近寄る悪い虫を払おうとしてるってところか。誰が悪い虫だコラ、やんのか?
「いいなぁ。俺にも紹介してくれへん? 凪咲ちゃん」
「誰がするか。廻が近づいたら妊娠しちゃうだろ」
「オスの頂点やん。ありがとうな、褒めてくれて」
「ポジティブが過ぎるだろ。今のは『お前は性欲にまみれすぎて醜悪だから絶対近寄るな』って意味だぞ」
「あぁ、そういう意味なんか。今『あれ? せやったらなんでクラスの子は妊娠してないんやろ』って思っとったとこやってん。ありがとうな」
「こんなにお礼を言われて気分がよくないことあるんだな」
ちゃんと罵倒されてんのにありがとうって言えるやつこいつくらいじゃねぇか? こういうところが憎めないとこだよなぁ。廻はバカで女の子を目にすれば性欲に脳を支配される化け物だけど、超ポジティブ。これで自分以外の男が女の子と仲良くしてたら殺そうとしてこなきゃ、普通にいい友だちだ。やっぱりこいつらウィークポイントがストロングすぎる。
「はー、せっかく高校生なんやから女の子と勉強会とかしてみたいんやけどなぁ」
「あー。そういや7月は期末試験か」
「そう。幻想打ち砕くようで悪いけど、俺って実はアホやねん」
「罪悪感抱いてくれてたところ悪いけど、アホだと思ってるぞ」
「去年は一年間ずっと補習に泣いてたしね」
主に先生が。あまりにも廻が理解してくれなさ過ぎて、教師としての自信を無くした人もいたくらいだ。中には「やりがいっていうやつを思い出した」って廻に感謝してた人もいたし。なんなら廻は補習前提で、それ用のプリントも作ってるらしい。
そう、期末試験。5月にあった中間試験の時は、勉強するっていう口実で彩芽と集まって、存分に『好き』をリセットしていた。今回もそうしたいけど、姉ちゃんが邪推してきそうで嫌なんだよな……。あの人のことだから、風呂場にマットとか置いてきそうだし。あの父あってあの娘ありだ。
「なんとかして勉強会できひんかな……ところで拓斗、催眠術の調子はどうなん?」
「それが、凪咲ちゃんに催眠術の本取り上げられたんだよ。家庭崩壊になるかもしれないからって。不思議なこと言うよね」
「お前が義母に求婚するっていう不思議なことしたからだろ。凪咲ちゃんが正しい」
っていうか催眠術の調子聞くってことは、催眠術を利用してまで勉強会したいってことか? それはまずい。このままだと廻が教室で「女の子と勉強会したい! どうですか!」って叫びかねない。そんなことされたら、廻と一緒にいる俺の評価まで下がる。もう今更気にしても仕方ないって言われたらそれまでだが、万が一彩芽と俺の関係がバレた時、彩芽の評価まで下がる……いや、いいのか? 元々嫌いだし。いや、でも好きだし。マジで厄介だなこの魔法。俺も魔法使いになって解除方法身に着けるべきか?
「せや。中条に頼んでみようや。ノリでオッケーしてくれそうやし」
「去年も頼んでみただろ」
「確か、『化け物の面倒は見れないから無理』って断られたね。反省しなよ二人とも」
「そういやせやったな。俺らのことが化け物に見えるって、中条もバカやねんなぁ」
そういうことじゃねぇんだよ。
……あ、そういえば、そうだ。中条、俺たちのこと勘づいてないよな? 彩芽の誤魔化しがめちゃくちゃへたくそだって凪咲ちゃんと話した時に判明したから、ちょっと怖い。彩芽にそれとなく聞いてみても、「ちゃんと誤魔化してるよ!」って自身満々だったものの、まったく信じられない。もはやバレていても不思議じゃない。
でも、俺は祈るしかない。どうか、彩芽がバカをやらかしてませんように、と。
「彩芽、最近舞坂のこと目で追いすぎじゃない?」
「え!!?」
真咲彩芽。可愛い可愛い私の親友で、舞坂修也っていう幼馴染がいる。一年の時は同級生の間で有名になるくらいの仲の悪さだったけど、二年になってからなんとなーく関係が改善したように見える。前、舞坂が彩芽を呼びにきたこともそうだし、彩芽が舞坂を目で追うようになったこともそう。一年の時にはありえなかった。
だから、何かあったんだろうと思ってる。それが何かはわからないけど、少なくとも私の言葉に彩芽が面白いくらい動揺してるから、何かあったことは間違いなさそうだ。
「そ、そんなことないよ! ほ、ほら、今日も醜いなぁって!」
「そう? 舞坂、結構男前だと思うけど」
「かおり修也のこと気になってるの!!?」
「なってるって言ったら?」
本当はまったく気になってないけど、彩芽を揺さぶるために嘘をつく。すると彩芽はまた動揺して、「え、あ、う……」と一文字だけを漏らし続けて、もじもじし始めた。私の親友がこんなにも可愛い。私が防波堤になってなかったら、彩芽は今頃男子から告白ラッシュを受けていただろう。よかった。一年の時から側にいられて。
「や、やめた方がいいよ……? その、修也、いやらしいし」
「男なら当然じゃん?」
「それに、友だち思いで年下に優しくて、ちゃんと相手のこと尊重できるし!」
「いいことじゃん」
「いいことなの!!」
「なんでキレてんの」
彩芽の情緒がおかしい。やめた方がいいっていいながら、舞坂のいいところをアピールしてくる。……これ、もしかしてもしかする? だって、舞坂に気がある人をけん制しようとして、でもいいところをアピールしちゃってって、なんか、舞坂のことが好きなように見える。
「ね、彩芽。もしかして舞坂のこと好きなの?」
「は!? そんなことないけど!!? 誰があんなやつ! あんなのを好きになるくらいなら、これからの人生ずっと空を見上げるだけで潰した方がマシだし!!」
「もっと人生大事にしな?」
うん、これ好きだね。何があってそうなったかはわからないけど、間違いなさそう。隠すの下手すぎて可愛い。彩芽の声が大きいから、クラスの子何人か私と同じく勘づいたみたいだし。証拠に、クラスの男子から殺気が放たれているのがわかる。ごめん、舞坂。私が彩芽をつっついたばっかりに、命の危機を訪れさせちゃった。
……ただ、もっと可愛い彩芽が見たくなった私は、更に舞坂の命を危なくさせてしまうであろう提案を彩芽にぶつけた。
「彩芽。来月には試験あるじゃん?」
「? うん」
「舞坂に勉強教えてもらおっかな。確か成績よかったっしょ」
「私も一緒にする!!」
彩芽がもし魚だったら、世界一釣れやすい魚として有名だったんじゃないかな。「言っちゃった」と口を抑える彩芽に意地悪く笑ってしまった私を、彩芽は弱弱しい力で叩いてきた。