食堂、いつもの角、そして俺の隣には彩芽がいなくて、正面には天ケ瀬と凪咲ちゃん。
今回は、相談を持ち掛けられたわけじゃなくて、むしろ俺から声をかけた。相談に乗ってほしいと二人に言えば、任せてくださいという嬉しい返事。自惚れじゃなければ俺を慕ってくれている二人は、いつも助けてもらってますからと更に嬉しいことを言って俺を喜ばせてくれた。
「彩芽がぎゅってさせてくれないんだ……!」
そんな二人にこんな情けないことを言わなきゃいけないなんて、俺が一体何をしたっていうんだ……?
あれから三日が経った。三日、三日だ。三日間ぎゅってできなくて、その間もぎゅってしたい気持ちはどんどん募っていっている。このままだといざぎゅってしたらしばらく離れられなくなる。そんなの耐えられるか? いや、耐えられない。だからこそ、これ以上長くぎゅってしないようにするために、恥を忍んで後輩に頭を下げているというわけだ。
「ぎゅってさせてくれないって、彩芽先輩に何かしちゃったんですか?」
「ぎゅってしたらキスしたくなるって言ったら、ぎゅってするの禁止って言われた」
「キスしたくなるから……? それでなんで禁止されるんスか?」
……そうか。二人は俺たちが付き合ってるって思ってるし、二人の目の前で随分いちゃついていたからキスくらいもうしてるもんだと思ってるのか。
首を傾げる二人に「実は、キスはまだなんだよ」と言えば、一瞬の沈黙の後大声で驚、きそうになったところでここが食堂だということを思い出しお互いの口をお互いの手で塞ぐ。仲良しね、君ら。
「ま、マジっスか!? アニキと真咲先輩、キスしたことねぇんスか!?」
「絶対嘘ですよね! お二人がキスまだなら、キスのハードル高くなるから嘘って言ってください!」
「これがマジなんだよ。あとハードル高くなったら何か困ることあんの?」
「あ……聞かなかったことに」
キスのハードルが高くなったら、天ケ瀬も「まだアニキたちの域に達してねぇ!」って言ってキスしてくれなくなるってことを心配していたんだろう。それがうっかり漏れちゃったみたいな感じだろうけど、大丈夫。天ケ瀬気づいてねぇから。まだ俺たちがキスしてないっていう衝撃でびっくりし続けてるから。
「ぜってぇ毎日って言っていいくらいキスしてると思ってったっス」
「結構初心なんですね、彩芽先輩」
凪咲ちゃんに言われたくないんじゃねぇかな、というのは相談している立場が言うことじゃないなと言葉の選択肢から外す。でもまぁ、初心っていうのは間違いじゃないかもな。それでいて天然の可愛さを持っていて、反撃されると弱いくせによく俺をからかってくる。は? 俺の天使は幼馴染か? 違う、俺の幼馴染は天使か?
「目も合わせてくれねぇんだよ……」
「それは深刻っスね……」
「彩芽先輩に限ってないと思いますけど、愛想つかされたとか?」
「いや、それはねぇ。目を合わせたら俺とぎゅってしたくなるからだ」
「あぁ、そうですか……」
ほっといてもよさそうじゃない? いや、困ってるアニキを見捨てるわけにはいかねぇ! と話す後輩カップル。
そもそも、なぜ俺が後輩カップルに相談したのか。バカ二人は相談した瞬間「キスくらいさせたったら?」「男の欲は適度に発散させておかないとひどいことになるよ」なんてめちゃくちゃなことを彩芽に言いかねないから却下で、中条は彩芽のフォローで忙しいだろうからなし。姉ちゃんはおもちゃにしてくるからなしで、高宮さんは姉ちゃんに言いそうだからなし。結菜はまぁなし。
というわけで、最近付き合い始めて『彼女にスキンシップを断られる』っていう状況が身近にありそうな後輩カップルに声をかけたというわけだ。なんか天ケ瀬に押し切られて凪咲ちゃんが折れて、色々進むの早そうだし、一番力になってくれそうだし。
「ぎゅってしないからいつも通りにしようって言うのは?」
「無理だな。絶対ぎゅってする」
「アニキ。女の子の嫌がることすんのは男じゃねぇっスよ」
「理由は話せねぇけど、彩芽が俺とぎゅってしたいのは間違いないんだ」
「セリフだけ切り取ると完全に犯罪者のそれですけど、舞坂先輩と彩芽先輩ですもんね……」
所かまわずいちゃいちゃしててよかったー。今までの俺たちが俺の発言の説得力になってくれた。よく考えたら俺の発言ってストーカーみたいっていうかそのものだもんな。いつもの俺たちを見ていても疑うくらいにはキモい発言なのに信じてくれるなんて、やっぱり二人はいい子だ。一生可愛がろう。
「キスはなしで、ぎゅってするだけってのもダメなんスか? 聞いた感じ、キスするのがダメなんスよね」
「詳しくは言えねぇけど、ぎゅってしたらキスしなきゃ離れられないんだ」
「できれば詳しく教えてほしいところですけど……」
口外したら死ぬって言われてないから言っても問題ないだろうけど、むやみやたらに魔法の存在を広めるべきじゃない。それに、魔法のことを口にした瞬間絶対よくない目で見られるようになるし。……いや、天ケ瀬は信じてくれそうだな。その代わり凪咲ちゃんから「やっぱり、義兄さんと同じなんですね」って悲しそうな目で言われそうだけど。
「うーん、でも、彩芽先輩が嫌がる意味があんまりわからないですね……ぎゅってしたらキスしたくなっちゃうって、私なら嬉しいなって思いますし」
「え?」
「ち、違う! 彩芽先輩ならそう思うだろうなって! 言い間違えたの!」
「あ、なんだそっか! ちょっとドキッとしちまった!」
「なぁ。彩芽とイチャイチャできない俺への当てつけか?」
「アニキ。それダセェっスよ」
「こら!」
あぁ、もうだめだ……俺の前で二人がイチャイチャし始めた……。俺と彩芽も周りから見たらこんな感じだったのか。今度から控えよう。って言ってももう控えられてるんですけどね! ガハハ!
はは、ははは。
「きっと、恥ずかしいから今はしないってだけですよ。だって彩芽先輩、舞坂先輩のこと大好きですから」
「でも俺は今すぐぎゅってしたいんだよぉ……ぎゅってしてあっためてほしいんだよぉ……最近寒いし、ぎゅってしてぬくぬくした方がいいって思わねぇか?」
「彩芽先輩とぎゅってしなさすぎておかしくなってる……」
「……アニキ、ちょっといいっスか?」
身を乗り出した天ケ瀬が俺の額に手を当てる。食堂は暖房がついているとはいえまだ外の冷気が残っているのか、手が冷たくて気持ちいい。どうせなら彩芽にやってもらいたかった。
「やっぱ、熱あるっスね」
「え!? 彩芽先輩とぎゅってできなさすぎて熱出ちゃったってこと!?」
「くっ、そこまで真咲先輩のことを……! やっぱりアニキ、男っスね!」
「言ってる場合じゃないよ! 舞坂先輩、立てます?」
「おいおい、俺とぎゅってしようとしてくれるのは嬉しいけど、天ケ瀬が可哀そうだろ」
「違いますから! 保健室行きますよ!」
そばまできて俺の腕をとり、ぎゅってしてくれようとした凪咲ちゃんを断れば、どうやらそうじゃないらしい。保健室? なんだ、俺の頭がおかしいとでも言いてぇのか? あ、いや、なんか熱あるとか言ってたっけ。俺が? 熱? そんなまさか。ここ数日間、彩芽とぎゅってできなくて、風呂上りに数十分ぼーっとしてたことくらいしか心当たりねぇぞ?
あぁ、それか。
「ちょ、おも……寝ないでください舞坂先輩!」
「凪咲! 俺が背負っていくから、先生と真咲先輩に伝えに行ってくれ!」
「ありがと! わかった!」
わちゃわちゃする後輩二人の声。久しぶりの誰かの背中。
それが気持ちよくて、ぐっすり眠ってしまった。
目を覚ますと、保健室だった。背中が柔らかい。ベッドだ。額が冷たいなと手を伸ばせば、冷却シートが貼られている。
つか、なんか動きにくい。両側になんかいるような……まさか、彩芽!? 「ぎゅってしなくて熱でちゃったんだよね……? じゃあ、ぎゅってしたら、治る、よね」って潜り込んできたのか!? まったく、可愛いやつめ! ベッドの中でぎゅってしてキスするととんでもなく危ない絵面になるけど、この際仕方ねぇよな!
右を見る。ソフトモヒカン。
現実を受け止めきれなくて左を見る。年上好きのイケメン。
「何してやがんだテメェら!!」
「あれやん。風邪もらってあげるってやつ」
「修也の風邪を二等分して僕らにうつせば、修也は治って僕たちは風邪をひかない。完璧だとは思わないか?」
「本当にそれができんならっていうのと、相手がテメェらじゃなきゃな」
「は? お前女の子に風邪うつすんか?」
「見損なったよ」
「マジでムカつく」
それはそうだけどさぁ!! なんか、期待するじゃん? ぎゅってするの禁止されてて、俺が熱出て保健室で寝てて、心配になった彩芽が一緒のベッドで寝てくれるとまではいかなくても、起きるまで一緒にいてくれるみたいな。それがなんだってこんな変態に囲まれて寝なきゃいけねぇんだ。
「今雅さんが迎えにきてくれてるらしいから、それまでゆっくり寝ておくんだよ」
「なぁ。彩芽はなんて言ってた?」
「なんも言うてへんかったで」
「正確には慌てすぎて音を発せてなかったね」
よかった。可愛かった。これで全然気にされてなかったらいよいよ俺の人生が終わるところだった。
ほっと安心していると、拓斗がそばに置いていた俺のスマホを手に取って俺に手渡してくる。とりあえず画面に触れてみれば、中条から動画が送られてきていた。
開くと、彩芽が腕をばたばたさせて四方八方に動き回り、机の角に膝をぶつけてうずくまる短い動画だった。アニメの慌て方してんじゃねぇか。つか端っこで同じようなことしてる廻と拓斗が映ってねぇか?
「マジでいいやつだな、中条」
「凪咲ちゃんが『舞坂先輩が熱出ちゃいました!』って教室に言いにきた瞬間スマホのレンズを真咲さんに向けてたからね」
「ちなみに、俺らもこの時似たような動きしてぶつかってもうて怪我してもうてん」
「保健室にいる理由それかよ」
……いや、それにしても隣に寝る意味わかんなくねぇか?