全てを失うという絶望は、希望の隣にあった。
オミニスは何度も僕に言っていた。
――闇の魔術は、そのときが来るまで、無害で有用に見える、と。
その通りだと嘲笑うかのように、掴み取った希望は掌の肉を断ちながら絶望に変わった。
一番愛していた家族を失った。
当たり前のように来ると思っていた日常を失った。
最後の最後まで引き戻そうとしてくれた友を失った。
故郷を、学校を、過去を、君を、この先の未来を。僕の、全てを。
アンが、呪いをかけられる前に戻りたい。
君が、他の道もあると言った、あの瞬間に戻りたい。
友人の手を振り払う瞬間に戻りたい。
せめて、あのおぞましい瞬間に戻りたい。
あの時ならば、まだやり直せたのだから。
「レヴィオーソ!」
ぐわっと足下が浮き上がり、踏ん張ることが出来ない状況に、まずい、と反射的に思った。
バチン、と向かいから放たれた基礎呪文が肩を殴る。
その衝撃になんとか空中で合わせて、続く二発を避ける。
「プロテゴ!」
「レヴィオーソ!」
地面に足をついた瞬間にお返しのレヴィオーソをかけたが、残念、タイミングを合わされて防がれる。
基礎呪文を三発撃つと、相手の防御魔法は崩れた。
お互いに、じりっと睨み合う。
「やるじゃないか。転入生。」
「浮いてるのに避けるなんて……どうやったのか後で教えてほしいな。」
僕の放つ基礎呪文をプロテゴで防ぎつつ、こちらの隙を狙うように放たれるレヴィオーソはなかなか厄介だ。
――へえ。上手いな。
たった三つの呪文しか使えないのに、こんなに僕と決闘が続くなんて、同級生ではアン以外に初めてだ。
ふと、そう思った時、慣れないはずの決闘で全力で僕に向かってくる転入生が、輝く笑顔の妹にダブって見えた。
「レヴィオーソ!」
(しまった!)
今度は避けられないように体の真ん中を狙った基礎呪文が命中し、僕は場外へはじき飛ばされてしまう。
いたた、と思いつつローブについた埃を払いながら立ち上がると、なんだか納得がいっていない顔をした彼女と目が合った。
「初心者にしてはやるな。負けてなかったぞ」
そう言うと彼女は、嬉しそうに、そして困ったように笑った。
「……もしかして、手加減してくれた?」
「いいや。達人とやり合っているみたいだったぜ」
最後の瞬間の僕の不自然な隙を、転入生は不思議に思っているのだろう。
そう言って肩をすくめておどけてみせると、やっぱりね、という風に彼女は頷いた。
どうやら彼女は大変素直な性格らしい。僕は上手くポーカーフェイスを保てたようだった。
「やあセバスチャン、久しぶりだね。」
それは、彼女の口癖なんじゃないだろうか。
僕は本を読んでいた手を止め、声がしたほうを振り返る。
どこ行ってたんだ、もうすぐ夕食の時間だぜ、そう言いかけた口を閉じ、彼女に微笑み返した。
彼女は神出鬼没だ。
夜中に城をうろうろしてるのを何度も見たし、ホグズミードどころか、ホグワーツ周辺の村ですっかり彼女は救世主だ。
密猟者達を悪態をつきながら蹴散らしてきたり、小鬼の根城を「こんなローブがあったんだ!」なんて言いながら壊滅してきたり。
たまに成り行きで付き合わされた僕は、もうトロール一匹では驚けないし遅れもとらない。
彼女という存在は本当に意味が分からないが、まあ、毎日楽しそうだ。だから、彼女の笑顔が好きだった。
そう言うと、私だってそうだよ、と困ったように笑っていた。
栞を挟んで本を閉じ、座っていた椅子から立ち上がって彼女の方へ向かう。
すると彼女は、にやりといたずらっ子のような笑顔で畳まれた金色のローブを手渡した。
今はもう秋だが、まだこんなに分厚いローブを着る季節じゃない。どこから出してきたんだと思うローブを手渡されて、一瞬当惑した僕の腕を引き彼女は中庭へのドアを開け放つ。
黄昏空が、城も木々も噴水も、正面に立つ僕の親友も、全てを同じ色に染め上げていた。
「やあ、オミニス。久しぶりだね。」
本当に。彼女はどうなっているんだろうかと笑った。
校舎を抜けると、ざわざわとした木々の中を、森とはまた違った方向に僕たち三人は歩いていく。
僕だけだったら、今度はどんな冒険がしたいんだ?と尋ねたところだったが、彼女がオミニスを伴って危険なことをすることはほとんど無い。
しばらく歩いた後、彼女が立ち止まった。
まだ城にはほど近いというのに、来たことがないと感じる不思議な場所だった。
彼女が転がった岩にレヴィオーソを唱えると、やたらと涼しい風が僕たちの頬をなぜた。
このあたりに吹いている風は、ここから吹き出しているんだろう、というような暗い洞窟が目の前にあった。
冷たい風は僕たちを誘っているようだ。
ああきっと今から僕達は世界の深くに潜ってしまうんじゃないだろうか。
そう思ってしまうような暗闇がそこにはあって、それはひどく少年の好奇心を駆り立てた。
隣のオミニスも、その深い空気を肌で感じているようだった。
「ほら、二人ともこっち」
なんてこと無いように彼女は杖に灯りを灯し、すたすたと歩いて行く。
ひんやりとした洞窟は不思議とかび臭くなく、このあたりじゃ当たり前の蜘蛛の巣もない。
ルーモスに照らされる周囲の岩は暗闇を吸い取ったかのように真っ黒だ。
(古代魔術に関する場所か)
多分そうだ。と、問わずとも思った。
「――すごいな」
「そうだよね。星みたいだと思わない?」
洞窟を進むとぽっかりとくりぬかれたように広い空間にでた。
周辺は相変わらず漆黒の岩に囲まれていたが、彼女が杖の灯りを消すと、周りの岩が転々と青白い光を放っているのに気がついた。
星みたいか、確かに。と返事をすると、隣にいたオミニスが、これが星か、と呟いた。
「セバスチャン、ローブありがとう」
そう言って僕が持たされていたローブを回収した彼女は、そのままバサッとその場に敷いた。
結構重いな、と思っていたが、分厚いだけでなくかなり大きなローブだったらしい。
彼女に手を引かれるまま僕とオミニスはローブの上に座る。
ごろん、と仰向けになった彼女は僕に言った。
「ほら、セバスチャンも横になって目を閉じてみてよ。オミニスと同じものを見よう」
「は?」
「ほら!」
目を閉じて、オミニスと同じものを見よう、なんて。
彼女じゃなかったら、不快きわまりない言葉なのに。
不思議と穏やかな空気のまま、僕は目を閉じた。
(……なるほどな)
目の裏に、先ほどの青白い光が、より強く、時に瞬いて、本当に夜空のように映っていた。
――アンにも見せたい。
自然とそう思っていた。
この場所で、アンと、オミニスと、君と、一緒にこの星々を見たいと思った。
頬をつたった涙の冷たさに、鳶色の目を開く。
ガシャリと、足にくくりつけられた鎖がなった。
消して声が出ないように唱えられた呪文のおかげで、痛みにうめく喉をひゅうひゅうと風が通り抜ける淋しい音がした。
「セバスチャン」
懐かしい夢を見た。
呼んでくれた友の声を、久しぶりに思い出した。
今まで何度も縋り付いてきたその声を聞きながら、僕は声も上げられずに泣いていた。