14
やや前方でセバスチャンが眠っている。
というか、今は魔法史の授業中で、今まで習ってきた非魔法族の歴史とのすりあわせに忙しい私以外、波のような先生の単調なリズムに大体の生徒が惰眠をむさぼっている。
この授業の時、私はいつもセバスチャンの斜め後ろの席に座ることにしていた。
カクン
頬杖ついた手から首が外れた一瞬、ピクッと彼の体が覚醒する。それでもまだまだ眠いのか、また同じ位置に収まって目を瞑る姿に、私は声を出さずに笑った。
魔法史の教室はステンドグラスの窓が美しく、うららかな午後の太陽光が柔らかな色を纏い降り注ぐ。停滞する時間と光を浴びたセバスチャン、頬杖をついているからいつもは長めのローブの袖に隠されている彼の綺麗な手がよく見えた。
それは、大切に、大切に育てられたものの手だった。
非魔法族の子供で、あんなに綺麗な手をしている者は少ない。セバスチャンも、オミニスも、アミットも。綺麗な手をしている。
私だってあちらで働いてはいなかったが、朝は早く夜は遅い労働者であった両親のため、たくさんの家事をやっていたから彼らより手は荒れている。
(魔法薬が好きなギャレスの手が荒れてるのは、草でかぶれてるんだろうけど)
思ったより荒れた手をしてるのは、ナティとポピーだ。ナティはその出身地から全く家事をしなくて良いということはなかったのだろうと思われたが、ポピーの手が酷く荒れているのは結構意外だった。
その手が示すようにセバスチャンは、少し捻くれてても純粋で、真面目で、性根が真っ直ぐで、そしてとても優しい。
(そう。セバスチャンは、とてもとても優しい)
彼の生い立ち――両親との死別――がそうさせている、とも言えるし、その生い立ちであってなお、とも言える。
セバスチャンはアンについて、いつも「双子の妹」と言った。双子であっても、彼は兄なのだ。
絶望に苛まれ、けれども彼自身が逃げ出すことを許さない。
悲鳴を噛み殺し立ち向かわんとするセバスチャンは、その優しさこそがきっと強さの根源だ。
私は誰にも見られていないことを良いことに、睡魔に負けて揺れる、まだ少年のようで青年にさしかかった横顔を見つめた。
止まった空気の流れる教室の中、まるで、私の思考だけが走り出しているかのようだった。
(ああ、そうか)
そうして私は、俯瞰的に、唐突に思い至った。
(彼は、私が、存在を必要とする人なんだ)
――こんな人がいて欲しいと、願っていた人間なのだと、そんな確証が体を駆け巡った。
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15 転+セバ+オミ
「決闘って、非魔法族の決闘と同じ文化を源流としてると思うんだけど、あんまり形式がないよね」
「そうか?」
「そもそも、マグルの決闘ってどういうものなんだ?」
「今はもう法律で禁じられてるけど、名乗りを上げて、自分の潔白や告発の正当性を訴えるものだよ」
「それは大げさだな」
「裁判だからね。被告人は負けたら絞首刑だよ」
「相変わらず、マグルは裁判ですぐ人を殺すんだよな」
「魔女狩りも苛烈だったし、君みたいに”悪人”に容赦がない人間が育つのも分かる」
「いや、それは人によるよ」
「当たり前だ。冗談に決まっているだろ。むしろ、冗談であってくれないと困る」
「確かにそれに比べれば、僕らの決闘は、『事前に指定された者』が『指定された決闘場』で基本的に『杖で戦う』というルールぐらいしかないよな」
「少数対多数有りだしね。あれ、最初すごくびっくりしたよ」
「ああ。杖十字会の2ラウンド目に、隣で「え!三人!?」とか驚いてたな」
「君、ルーカン・ブラトルビーの説明聞いてなかったのか?」
「まだ知り合いが少ない頃だったから、名前聞いても誰か分からないし、聞き逃してた」
「それは君が悪いだろ」
「うっ。でも、やっぱりなんかこう、ぬるっと始まるのは締まりがないっていうか、格好悪くない?」
「昔はどうだったんだろうか。セバスチャン何か読んだことないのか?」
「さあ。昔はマグルと作法も似てたと思うけど、魔法族の決闘に”神の裁き”の概念がない分簡素化されたんじゃないか?」
「えー、じゃあ、次の試合、名乗り上げてみる?」
「『我、セバスチャン・サロウ』って?僕、絶対嫌だぜ」
「嫌だね」
「嫌だな」
「オミニス、良い案ない?」
「何故俺に聞く」
「格式張った家の出身、オミニスだけでしょ」
「そうだな、僕らより詳しいよな。相手と対面したとき、最初にすることとかあるのか?」
「君たちな……うーん。一礼、とか?」
「それだ!」
「それだ!お辞儀をするんだよ、セバスチャン」
「お辞儀?」
「うん。軽く目を合わせて、呼吸を合わせて、一瞬頭を下げて、戦闘。すっごくかっこいい」
「シンプルだし、それくらいなら今度やってみるか」
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16
お祭りに行こう!といつも唐突な彼女が、地下聖堂で次は何の呪文を練習しようかという会話の中、脈絡もなく言い出した。
お祭り?と不思議そうな顔をしたオミニスに、そう、お祭り!とにこにこ答える。
そもそも、オミニスは「祭り」を知ってるんだろうか。
「ダンスとか、演劇とかか?」
「そういう演目がある場合もあるけど、たぶん想像してるものとは違うな」
この近くで祭りがあるなんて聞いていないと彼女に言うと、だってアイアンデールだものと軽く返された。
「結構遠くないか」
「そう?フェルドクロフトの近くだよ」
「言っておくけど、僕の故郷、普通は箒で日帰りの距離じゃないからな」
煙突飛行粉を使おうと彼女は言うが、いったい外出の言い訳はどうするのだろうか。尋ねた僕に、アンのお見舞いだよ、と彼女はふふんと笑った。
「実はね」とローブのポケットから取り出した手紙。なにやらまたお節介を焼いたことへの感謝と祭りへの招待が、見知らぬ筆跡で書かれていたが、最後の一文だけ、見慣れた妹の文字で綴られていた。
「村の人と世間話で、実は5年生からの転入生だから魔法族の文化に疎いって言ったら、お祭りやるときに呼んでくれるって約束してて」
「アンもこの人と知り合いなのか?」
「物騒だから近くの村と協力するって言ってたし、最近知り合ったんじゃないかな」
元気にしてる?お土産買ってきてね、と書かれた短い文は、けれど、少し前の妹からは考えられなかったことで、僕は仕方ないなと笑った。
(本当は、アンとも一緒に行きたいけれど)
そういうことは一言も言い出さない彼女は、僕の表情で了承を得られたのだと分かったようで、嬉しそうに、楽しそうに笑った。
「ところで、どんな祭りなんだ?」
「火祭りらしいよ」
ああ、豊穣祭かと呟いた僕に、きっと想像が出来ていないだろう二人から、へえとのんびりした返事が返ってきた。
当日の夜、僕とオミニスはフェルドクロフトから、用事があるという彼女は直接アイアンデールに来るということで、村の入り口で待ち合わせをした。
村は至る所で火柱が立ち、まるで全体が燃えているのかと思ってしまうほど炎に包まれていた。
「すごく賑やかな雰囲気だな」
「そうだな。オミニス、大丈夫か?」
反応が気になって親友を覗うと、興味深そうに、まるで見えているかのように彼は周囲を見渡した。悪くないと薄く笑ったオミニスに少し安心する。
少しして、今日はほとんど遅れずやってきた彼女と合流し、三人で小さな村を見て回った。
連なる石積みでは、柔らかな曲線で模様を描きながら火が走り回り、家の前に並んだプランターには炎の花が風に火の粉を散らしながら赤々と咲いている。
建物の二階の窓の近くでは、たくさんの青白い火の玉の群れが魚に形を変えて泳いでいた。
「本当に名前の通り火祭りだね」
テンポの速い音楽が崖上の水車の方から響くように聞こえてくる。
不気味で陽気で、とても明るいのに深い影が揺らめく村に、ほんの少しの恐怖と浮ついた興奮を抱いた。
「あれ、熱くない……」
「おそらく炎は魔法の疑似炎だ。何かを燃やしているわけではないのさ」
きょろきょろしていた彼女は、火の粉が降りかかり慌てて払っていたが、思ったより熱くなかったようで首をかしげるとオミニスが答えた。
流石魔法。不思議。熱くない炎なんて初めて見た。と彼女はいつもの好奇心でぐいぐい炎に近づく。
「ルーモスに近いのかな……」
「受ける魔法の印象は、そっちに近いな」
魔法に敏感なオミニスの言葉に、僕も燃えている花を嗅いでみるが焦げ臭くない。
でも何も燃やしていないなら、それは炎って言わないんじゃないだろうか。なんて情緒のないことを言う彼女に、オミニスと笑った。
「どうやって石積みに火の絵を描いて、踊らせているんだろう」
彼女はまるで子供のようになんでも不思議がって、そしてとても楽しそうだった。
新しい彼女の問いは僕の方が詳しいので解説をオミニスと交代する。
「これは、模様そのものが魔法で灯した火を長持ちさせる魔法陣なんだ。炎が走り回っているのは火の性質だろうな。火をじっとさせることの方が難しいから」
魔法陣は魔法の体系が確立している現在ではあまり使われないが、古い魔術の中では良く出てきた。
本で見たことがある模様だ。なるほど、実用性はなくとも文化とはこうやって継承されていくのだなと思った。
(なんだ、知らないことばかりじゃないか)
魔法を学びだしてからは、ほとんどをホグワーツで過ごす僕たち。
僕は、このような祭りをずっと子供の頃に、両親と妹と体験していたはずなのに。箒も煙突飛行粉もあるのに、こんなに近い世界でさえ、まるで見えてなかったことに驚いた。
ある程度村を見て回って、アンへのお土産を買って、さて帰ろうかというときに彼女が呼び止められた。
「お嬢さん、不思議な運命を負っているね」
占い師。大道芸人のような者で、普段からこの村にいる人物ではないようだった。
かけられた言葉に、彼女は面白そうな顔をした。まあ、良くある一声だと僕も思う。
例えばどこが?と尋ねた彼女に、耳の奥で響くようなしわがれ声で占い師は言った。
「一歩を、あんたも踏み外すことが出来るし、また誰かに踏み外させることも出来る。選択の運命を負っている」
気をつけなさい、と言った占い師の言葉に思い当たる節があるのか、彼女は複雑な顔をした。
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17
ああ、失敗した。
魔法生物の観察の課題のためジョバーノールの巣へ近づいたところで、密猟者が乱獲する現場に遭遇した。
すぐに目くらまし術をかけ、そっと岩陰から様子をうかがう。どうも会話から察するに、彼らがここでジョバーノールを獲物にするのは初めてではないようだった。
ここで彼らを蹴散らすか、アジトへこっそり近づいて捕らえられている魔法生物を開放するか。少し考えて、私は彼らの後ろを尾行することにした。
辿り着いたのは山道を途中から外れた崖近く、3つのテントと動物の匂いがする小規模な密猟者のキャンプだった。
ただ、想定よりも確認できる密猟者が多い。
(この規模なら、そしてジョバーノールを狩ってる奴らなら、5、6人程度と思ってたんだけどな)
キャンプにいるのは15人前後のようである。おそらく違うグループの密猟者同士が、魔法生物の引き渡しを行っている最中なのだろう。
いけるだろうか、と本日は残念ながらウィゲンウェルド薬を3本しか所持していないことに少し不安を覚える。
しかし、いくしかないだろうとも思う。だって、今まさに取引が行われているのだから。
「――まったく、少し目を離すと君はこれだ」
「セバスチャン」
杖を握りしめて前を見据えたところで、少し後ろから、聞き慣れた落ち着きと呆れを含んだ声がかけられた。
気を張っていただけに一瞬息をのむが、杖を持った手を上から彼の掌で押さえられて、ゆっくり呼吸を整える。
目くらまし術で存在が薄らいでいるが、彼が少し笑った気配がした。
「流石に無茶だと思わないのか?君、姿くらまし使えないだろ」
「どうしてここに」
「この辺に密猟者がいると思うけど場所が特定できないっていうポピー・スウィーティングの代わりに偵察さ」
君の影響でホグワーツ生の正義心が刺激されてるのは悪いことではないけど、危険なことに向かない生徒も多いだろ、とセバスチャンは辺りを窺いながら会話を続ける。
「僕は流石に殲滅する気はなかったんだけど、君は無茶をするなあ」
「勿論、手助けしてくれるんでしょ?」
「手助け?こうなったら、いつもどおり僕らは共犯さ」
いくぜ……と、アジトの中心にお得意の炎の呪文を打ち込む。騒然とする周囲に紛れるように左から回り込むセバスチャンに続いて、私も右から回り込んだ。
数人に石化呪文をかけ、そしてセバスチャンと背中を預け合う混戦がはじまる。
コンフリンゴ、ボンバーダ、アクシオ、インセンディオ、レヴィオーソ、グレイシアス、ディフィンド……
ヘキャット先生は決闘に勝る練習はないと言ったけれど本当にその通りで、私とセバスチャンの息はどんどん合っていった。
「それ、ヘキャット先生に言ったら、学生の分を弁えろってまず怒られるな」
「素敵な教えに従ってるだけなのにね」
「君は、絶対僕より問題児だぜ」
近くにあった木箱を魔法で持ち上げ見張り台の上にいた敵に投射すると、そういう変に物理的な戦い方、流石マグル出身だなと言ってセバスチャンは吹き出した。
(姿あらわしの練習してて、最近回避にちょっとワープ機能がついたのはまだ黙っておこうかな……)
死屍累々。やっとアジトを壊滅出来たところで、ぐったりした密猟者達に目隠しをして縛り上げる。岩にくくりつけ完全に動けないようにしてから、私はポケットから出した赤と白のマーブル色の狼煙を上げた。
この狼煙は、あまりに密猟者や無法者を引きずってやってくる私にシンガー巡査がくれたものだ。当局が狼煙に気付いてくれればここに飛んでこれる、一時的な煙突飛行地点みたいなものだ。
「また君はそんなものを」と呆れ顔のセバスチャンをあえて見ずに、私は魔法生物が捕まっているだろうテントの裏に足を進めた。
「……酷いな」
「うん」
作業台のような物の近くに広がった血は、乾いて黒くこびりついていた。
今日見つけたジョバーノールは、まだ無事だった。セバスチャンと二人で、他の捕らえられていてまだ生きている魔法生物も開放する。
だけど数が少ない。
(そっか。引き渡しってことは、処理済みってことだもんね)
つるされた皮や、むしられた羽が詰め込まれた箱を引っ張り出して、言いしれぬ不快さを感じながら見つめていると、インセンディオと呪文を唱える声が聞こえ目の前のそれらが燃えた。
「……可哀想だな」
「うん」
ちらっと横目で見て、ああ、失敗したなと思った。
セバスチャンは、たぶん動物が好きだ。授業で、生まれたての魔法生物に嬉しそうだった表情が頭をよぎる。
それに慣れていない。こんな風に、生き物が"物"として扱われることに。命が軽んじられていることに。
「ごめんね、セバスチャン」
何に対してとは言わないけれど。無表情で炎をお互い眺める中で、口をついたのは謝罪だった。
今度は、セバスチャンがこちらを見たのが分かった。
首だけ動かして目を合わせると、彼は少し寂しそうに笑った。
「僕は、君が、悲しんでいることを知っているからな」
そうかな。思ったけれど言わなかった。
(私は、君ほど優しくないんだよ)
けれどセバスチャンの言葉は私の心に染みて、なんだかいつもよりも少し、自分が優しい人間になったような気がした。