今回のテーマはキス
18
セバスチャンと私には身長差がある。
大体頭一つ分、十五歳の男女としては、一般的な身長差だ。
だからまあ、目の前で悶絶している友人に、ごめん、ごめんと繰り返しながらも、どうしようもなかったんだと言い訳を述べた。
「あの……セバスチャン、歯、折れてないよね?」
私とセバスチャンは、その気安い間柄から割と距離が近い。
私が読んでいた本をのぞき込んだセバスチャンの口と、顔を上げた私の額が、良い勢いでガツンとぶつかったのは事故だった。
勿論私も額が痛いが、崩れ落ちた友人は、おそらくその何倍も痛かっただろう。
「だい、じょうぶ」
「医務室行こうか」
少し痛みが引いたのか、ちょんちょんと指で自分の歯の無事を確認しながら、座り込んでこちらを見上げたセバスチャンは、眉を寄せながらも、もう一度大丈夫と繰り返した。
そうは言っても、歯は大事だ。大丈夫そうに見えて、神経が傷ついているかも知れない。この友人はこちらに気を遣って我慢することがある。怪我は早く治す方が良いに決まっているのに。
とりあえず常備しているウィゲンウェルド薬を渡して飲んでもらったが、この薬だって万能じゃないとシャープ先生も言っていた。
まだ口を押さえている彼が心配で、私はセバスチャンと目を合わせるように屈んで膝で立ち、彼の顎をそっと持ち上げた。
「ほら、セバスチャン、手を除けて」
あーん、というが、セバスチャンは目を見開いてこちらを凝視し固まっている。
仕方がないから顎を支えていない右手でその彼の口を覆っている手を除けると、抵抗なく簡単にその手は落ちた。
ぐらついてたら困るなあ、と思って、少し触って良いか確認するが、先ほどからさっぱり反応がない。
反応がないけど、いいか、と半開きになっている彼の口に触れた。
ちょんちょん、と彼の歯に触れぐらついていないことを確認してほっと安堵したとき、私は正気に戻った。
(――私は馬鹿かな!?)
しかし時既に遅し。もういっそ正気に戻らなければ良かった。彼の歯に触れたときに、彼の少し厚みのある唇にも触れてしまった。その感触が、思いっきり指に残っている。
「……医務室、行ってくる」
お互い呆然とした視線が絡み合った瞬間、セバスチャンが反射的に返した言葉に、私は力なく頷いて手持ちの煙突飛行粉を手渡した。
ぱっと消えた友人の姿に、行ってらっしゃい、と言う言葉をかけることもできず、今度は私が声にならない声をあげながら崩れ落ちた。
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19
4年生での転入生は珍しい。そう言われていた自分以上に珍しい5年生の転入生。
しかも、魔法はまるで使ったことがなかったという彼女は、私以上に大変なはずなのに毎日楽しそうで、私はすぐにその転入生に好感を抱いた。
今ではすっかり仲良しになったと、変身術の授業の後、教室の前の中庭でのんびり二人で座っておしゃべりをしながら思う。
相手を鶏に変えられるのに自分を動物に変えるのが難しいなんて、変身術はとても不思議だ。
彼女は、足下にすり寄ってきた茶色の猫を抱き上げ、ごろごろと鳴る喉を掻いてやりながら、うーんと唸っている。
「君、前も動物になってみたいって言ってたもんね」
「ナティはガゼルでしょ。いいな」
ガゼルという動物を調べてみた、と彼女は言った。相変わらず、好奇心のままにいろいろなことに興味を持つんだなと感心する。
体は細く優美で、暗色帯の模様が美しく、しなやかに軽やかに駆ける姿は風と草原に愛されているようだった、と彼女は言う。
「ナティだな、と思ったよ」
「照れるよ。でもありがとう」
率直なその言葉に、こそばゆいような、でも誇らしいような気持ちになった。
彼女は、素敵だと思ったことや好意的なことは、言葉にしてこちらに与えてくれる。裏表なんてないそれが、とても嬉しい。
ぽかぽかと日が注ぐ中庭で猫をなでる友人は、とても穏やかな表情をしていた。
「ふふ。私も猫になって、ごろごろしたいなあ」
「あはは。君でもそんなこと思うんだ」
「思うよ。ホグワーツの猫、凄く可愛がられてて自由なんだもの」
ねえ、と彼女の膝に居座った猫の脇に手を差し込んで目線の高さまで上げて彼女が問いかけると、ぶらんとなされるがまま、肯定するかのように、あるいは不満を言うかのように、猫はにゃあと鳴いた。
可愛いなあ、と言いながら、彼女はその大人しい猫の目をのぞき込む。
猫は目を合わせるのを嫌がると聞いた気がしたが、黒に近い茶色の瞳の猫は嫌がるそぶりもなく、もう一度にゃあと鳴いて彼女の鼻をぺろっと舐めた。
ふふふ、と嬉しそうに笑った彼女は猫に軽いキスをして、また膝の上に戻してやる。
「でも、君が変身するとしたら、猫じゃないんじゃないかな」
「そっか。自分で変身する動物は選べないって言ってたね」
「うん、そうだよ。猫科でも、虎とか、ヒョウとか、もっと強そうだよ」
確かに穏やかな性格をしているが、私が彼女に対して持つイメージは”強い人”だった。ええ…と困惑した声を出した彼女に、私はクスクスと笑う。
君はどんな動物になりたい?聞くと彼女は少し考えて、ぽつりと言った。
「……熊とか?」
「十分強そうじゃない!」
彼女が想像したのは、サーカスの熊と、絵本の熊と、テディベアという可愛らしいものだったそうだが、私がイメージしたのはグリズリーだ。
可笑しくって肩をふるわせていると、彼女は子供のように少しむくれて見せた。
「大人しくて友好的なイメージだったのに!」
「いや、ぴったりだよ」
言い合ってる私たちがうるさかったのか、膝の上の猫は耳をぴくぴくと動かしたと思ったら、ぴょんとその上から飛び降りた。
あ、という残念そうな彼女の声を無視して、てくてくと歩き去って行く。
今度は誰にじゃれつくのかな、と思って見ていると、ちょうど北ホールの方から出てきた私と彼女の友人の方へ向かっていった。
足下をぐるぐる回る猫を、スリザリンカラーの制服を着た友人はひょいと抱き上げる。
隣の彼女が、ああ、セバスチャンに取られちゃった、と悔しげな声を出した。
彼は、一緒にいるオミニス・ゴーントと何か楽しそうに話しているが、噴水を挟んだところにいる私たちのところまでその会話は聞こえない。
なんとはなしに私たちがその様子を見ていると、彼は腕の中の猫を先ほどの彼女のように自分の目線の高さまで持ち上げて、これまた先ほどの彼女と同じように軽くキスをした。
「……あれって、間接キス?」
「ナティ!」
猫を降ろしてひと撫でした彼がこちらに気付いて、恥ずかしそうに、ばつが悪そうに、顔を染めるまできっとあと数秒。
私の隣であわあわと恥ずかしそうにしている友人と早くくっつけば良いのにな、と私は声を上げて笑った。
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20
倒れている人間を拾うのは、これが生まれて初めてだ。
そうしてどうか最後であって欲しいと、僕はホグワーツ城の片隅でぐったりしていた友人を抱えながら目を閉じた。
ホグワーツは広い。
だから人通りの少ない廊下だってあるし、おまけに秘密めいた隠し部屋や隠し通路だってある。
気まぐれな階段に遊ばれて、目的地とは全然違う場所に連れて行かれ大きく迂回させられていたこの廊下も、そんな人通りの少ない廊下の一つだ。
そんな廊下のはしっこで、ホグワーツのローブが丸まっていた。
僕は、スリザリン生とはいえ基本的には善良な一般生徒のつもりだ。
だからもちろん見捨てるという選択肢はなく、近寄ったところそれが大変見覚えのある少女で慌てて抱き上げた。
「おい!君、どうしたんだ」
「……やあ、セバス、チャン」
どう見ても具合が悪そうなのに、薄く目を開けた彼女はいつも通り挨拶をしようとする。
ざっとその姿を確認するが、見たところ外傷はないようだ。そもそも、おそらく僕と同じくらい強い彼女を、ここまで弱らせることが出来る生徒なんてそういない。
(もしかして、彼女は何か、僕の知らない病気を抱えている?)
5年生からの突然の転入。思い至ったその考えに、アンと彼女がダブって見えて心臓がうるさく跳ねた。
「あ。すぐに、医務室に連れて行くから」
「……だいじょうぶ、だよ」
情けない、落ち着け、と自分に言い聞かせながら声をかけるが、彼女はゆっくりと首を振った。
大丈夫なものか!叫びたい思いを堪える。いつも平然としてみせるポーカーフェイスすら保てていないくせに。
問答する間に、彼女の手から力が抜けたのか杖が地面へ落ちる。からからと軽い音を立てながら転がっていくそれを、彼女はかろうじてうっすらと開けた目で追っていた。
「なあ、本当にどうしたんだ。どうしたらいいんだ」
「……実は、頼まれて、宝探しをしてて」
狼狽える僕に、浅く呼吸をしながら彼女は言葉を紡ぐ。
その目はもう閉じられており、酷くその肌は冷たいのに額には汗が浮かんでいた。
「それで、見つけたものに触れた瞬間、寒気と眠気が襲って」
「何を、見つけたんだ?」
どうやら病気ではないらしい。そのことに安堵しつつも、彼女が何に触れてこうなってしまったか確認しておかなければ。もしこれが呪いだったら、という思いが僕を焦らせる。
ああ寒いなあ、と呟いた彼女は、暖を取りたかったのかぎゅうっと抱きついてきた。
その背に手を回して出来るだけ優しく撫でながらも、まだ瞳を閉じないでくれ、と僕は祈った。
「ええと……あれ、なんて、いうんだろう」
「君、いつもの聡明さはどこへやったんだ。お願いだ、頼むぜ」
「何だっけ、小人のお話に出てくる、糸紡ぎの針……」
そこまで言って、彼女の意識は落ちた。
(――糸紡ぎの、針?)
彼女の言う、小人の話、は残念ながら知らない。
だけれど、糸紡ぎの針が出てくる別のお伽噺に、僕は心当たりがあった。
妹のアンが、小さい頃母にせがんで何度も読んでもらっていたお伽噺。悪い魔女と良い魔女が出てきて、呪いとは恐ろしい物だという教訓を含みながらも、「十五歳」のお姫様が、最後はハッピーエンドになるお伽噺。
すやすやと僕の腕の中で眠る彼女に、とてもとても嫌な予感がした。
「それって、茨姫じゃないのか?」
彼女に触れている手にちくりと刺激が走って目を落とすと、どこから生えているのか、バラのように棘のある蔓がゆっくりと巻き付こうとしていた。
瞬間、ぞくっと悪寒が走り、僕にも強い眠気が襲ってくる。
(まずい、早く彼女を起こさなければ)
ここは、広い広いホグワーツで人通りがほとんどない廊下だ。今だって、ここにいるのは僕らだけ。残念ながら、一般生徒の僕は煙突飛行粉を常備していない。
茨姫は、どうやって目覚めるんだっけ?と、既に分かっている問いを諦め悪く何度か繰り返し、もうどうしようもなくなってきた眠気に、僕はようやく足掻くことをやめて目を閉じた。
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21 オミ+アン(フェルドクロフト)
「ねえ、オミニス」
「なんだ?」
「お兄ちゃんと彼女って、付き合ってないのよね」
「ああ。まあ、俺が知る限りは付き合っていないな」
「あんなに顔がくっつきそうな距離感で本を読んでいるのに?」
「すぐ側にいて、耳の良い俺に聞こえない距離でよく囁きあっているのにだ」
「うわぁ。……でも、それってやっぱり……私のせいかしら」
「二人に言って、怒られてみるか?」
「ううん、ごめんなさい。ただ……」
「違う違う。あの二人は、自分自身の気持ちに鈍いからな。薄ら気がついてる分、まだ彼女の方がマシだけど、相手の気持ちなんて一生気づかない」
「……セバスチャン、そんなに鈍かったかしら」
「そうだな。どちらかというとセバスチャンは相手の感情には敏感な方だけど、彼女が持つ人の懐への入り込みのうまさとは相性が悪い」
「ああ。そうね、確かに悪いかも」
「悪いだろ」
「セバスチャンって、執着心は強いけど、独占欲は薄いのよね」
「自分の物は絶対に自分の元に戻ってくるって無意識で思っているからな。そして彼女は最初からそれを素で真っ直ぐ返している」
「両親がいたときから、そうだったなあ。どんなに私が両親に甘えても、最後に褒められるのはセバスチャン。でも、泣いている私を慰めるのもお兄ちゃん」
「自分の懐に入れた物にはとことん甘く優しく、少しの傷も許せないタイプだな」
「私に対してもそう、オミニスに対しても多分そう……お兄ちゃんのあれってなんて言うのかしら」
「――庇護欲、だな」
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22※
彼ってば、私が眠っているときにだけ愛を囁くのよ。
なんて同級生の女の子達がきゃあきゃあ話しているのが、夕食を食べていると聞こえてきた。
だから、時々寝たふりをしてみるの。だって。幸せそうでいいなあと、結構不幸のどん底にいる私は、手元のスープに沈んだ豆をすくい上げ口に運びながら羨んだ。
今日私は、セバスチャンに拒絶されてしまった。
何であんなこと言っちゃったんだろうという後悔が、今私の胸の中では渦巻いている。
昨年、5年生の冬。
いろんなことがあってズタボロだったわけだけど、私たち三人は固い友情を誓い合ったはずだった。
呪いと罪の血で真っ黒なセバスチャンの手。
後悔と懺悔で真っ赤な私の手。
その全てを拒絶して、それでも振り解けなかった、オミニスの真っ青な手。
闇の中で握りあった手は、もう後戻りなんて出来ない友情を示し、全部の色はどろどろに溶け合ってそれぞれを汚しあった。
でも、祈り方を知っている私や、闇の飲み込み方を知っているオミニスと違って、一番大きな傷を負ったセバスチャンはやっぱりなかなか立ち直れなかった。
そもそも、アンの件はまだ終わっていない。
セバスチャンの負う影は、叔父が亡くなったという事実で周りには理解されていた。
両親の死に続き、双子の妹が強い呪いにかけられ、叔父まで失った、可哀想なセバスチャン・サロウ。ある意味で彼は、それを演じなければならず、近頃は目に見えて擦り切れていっている。
なあ、以前の僕はどんな風だった?と地下聖堂でかけられた言葉は、とても悲しかった。
「変わらないよ。君は、いつだってセバスチャン・サロウでしょ」
「――違うだろ。以前の僕の中に、確かに今の僕の片鱗はあったさ。でも、以前の僕は、間違いなく今の僕と違う」
「君自身がたとえ違っても、変わらないんだよ。セバスチャンは、セバスチャンだ」
真実を隠蔽することに決めた以上、みんなにとってのセバスチャンは、彼の言う以前のセバスチャンの地続きだ。
あの決定的な転落の一瞬。あれがどんなに、以前の彼と今の彼の間の道に亀裂を作っていたとしても。知らなければ地続きなんだ。
私の言葉に、セバスチャンはぐっと唇をかんだ。
「それに、私にとってのセバスチャンも、変わらない」
「そんなはずはないだろ。君たちの足下の遙か下だ。君たちがいないと、支えてもらえないと、立ってすらいられない!僕は、もう……!」
「だって!どうしたって、そんな風には思えないんだよ!」
私の言葉に、セバスチャンは噛みつき吠えた。
どんよりした目。怯えを含んだ目。もう、真っ直ぐ私を見ない目。悔しくて悔しくて、その頬を掴んで無理矢理こちらを向かせて私も叫ぶ。
私たち三人は固い友情を誓い合った。
そう。私は固い友情の代わりに、淡い恋心なんてものを、あのおぞましい真実と一緒に捨てて埋めたのだ。
「君はなんて言って欲しいの、セバスチャン」
泣くな、泣くな、とじわりと幕を張った目に力をこめる。
彼を失いたくなかったのは、私だ。オミニスは葛藤して、それでも手を離す選択肢を持っていたが、私はそれを選ばせなかった。
何でもあげる。友情だって、欲しい言葉だって、君が望む物を。私に差し出せる物なら何だって。
「――君の言葉は、いらない」
けれど、彼が返したのは、私への拒絶だった。
あ、無理だ。と思った。
一瞬、頑張って零れないようにともう一度瞳に力をこめたけれど、もう涙は溢れて止まらなかった。
(どうしよう。いたい。いたい)
胸が痛い。寂しい。辛い。氷の杭で、口から真っ直ぐ体の中を突き刺されたみたいに体の芯から冷えていき、息が止まったような気がした。
ぎょっとしたようにセバスチャンが私を見たが、これ以上何かを言われるのが怖くて、私は煙突飛行粉を使い戦線を離脱した。
(やっぱり食欲、湧かないな)
スープを行儀悪くかき混ぜながら、独り言ちる。
どんな時も、どんな物も大体食べられるのに。今はこの豆のスープを何とか飲み下すのがやっとだった。
食べていても、歩いていても、じわりと涙がにじむ。私の涙腺は故障中だ。
泣き顔なんて見られるのは嫌だから、私は足早に食堂を後にする。
(どこへ、行けばいいんだろう)
必要の部屋はディークがいる。地下聖堂は当然パスだ。図書館は、まだ司書がいる可能性があるし、そもそも、今あの場所は辛すぎる。
集団寄宿舎で一人泣ける場所は少ない。
こういうとき、普通の5年生だったら、きっと1箇所ぐらいそんな場所を見つけているんだろうな、なんて思ってしまう。
私は、まるで迷子だ。
結局、行き着いたのはフィグ先生の教室だった。
今は使われていないから当然施錠されていたけれど、ムンさんの弟子に開けられない扉はない。
大きな窓の側に椅子を引っ張り出して、窓ガラスに頭を預けて横目でしんとした教室を眺める。
痛みを、悲しさが打ち消してくれないかな。そんな思いがあった。
どことなくまだフィグ先生の気配のする部屋は、悲しみよりも安心を与える。
思っていたよりも、月明かりで青白い部屋は私の心を落ち着けた。
(もう少しだけ、ここにいたいな)
かまわんよ、と恩師の声が聞こえた気がして、瞳から一筋静かに涙が零れ、私は目を閉じた。
そのまま少しして、誰かが教室に入ってくる気配がした。
鍵が開いていたから不思議に思ったのだろうか。けれど、こちらに気付けば出て行くだろうとも思った。私がフィグ先生に特別懐いていたことは、周知の事実だったから。
(きっと、そっとしておいてくれる)
しかしそんな期待は、こちらに向かってきた足音に打ち消された。
「――寝てるのか?」
そう静かに問いかけた声に、私は目を開きそうになった。
今一番聞きたくない声だ。息を吐くような、少し甘みのある柔らかな低音。
でも、目を開く勇気もなかった。私の胸に刺さった氷はまだ溶けていないし、涙腺だってたぶん直っていない。
どうしようか、と悩んでいると、セバスチャンの指が私の頬をそっと下から上へなぞった。
それは、きっと涙の跡だった。
「君はやっぱり、光を浴びてるんだな」
今日は満月だ。だから私は今、月明かりを背負っている。
そんなの錯覚だよ、と狸寝入りをした私は言い訳出来ない。
私はオミニスじゃないから、彼の声色や視線だけでその感情を読み取ることなんて、出来ない。
「僕は、もう……」
ふと、顔に射していた月明かりが薄まる。たぶんセバスチャンの影がかかったんだ。
ああ、そういえば、さっきも何か彼は言いかけていたな、とつむった瞳の裏でぼんやり思う。
「僕はもう、君の隣には立てない。一番欲しい言葉は、君からはもらえないんだ」
ごめんな、酷いこと言って。
優しい声で囁いたセバスチャンは、私の目元に柔らかく触れて、教室から出て行った。
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18 指先にキス
19 間接キス
20 口にキス
21 キスできそうな距離
22 瞼にキス