31 チャルダッシュ
リビングぐらいの広さの部屋に、深い茶色を基調としたインテリア。
大きな窓には重厚なボルドーのカーテンが両端にまとめてあり、風にはためくレースの向こう側から柔らかな光がそそぐ。
複雑な模様の絨毯は、部屋をずっしりと落ち着かせていた。
窓辺黒いピアノ。壁沿いの本棚には楽譜が並べられている。
部屋の手前の布地のソファに、オミニスが優雅に座っていた。
彼の目の前のセンターテーブルの上には、ティーセットと開かれたバイオリンのケース。
「じゃあ、レッスンを始めるぞ」
オミニスの声に、窓の側のピアノ椅子に浅く腰掛けて手を組んでいたセバスチャンがゆっくりと立ち上がった。
ローブを脱いで部屋の中央に立った彼は一礼をし、招くようにすっと手を差し出す。
オミニスが飲んでいたティーカップを机に置き、バイオリンを手に持ってセバスチャンより少し外れたところへ進み、顎へその端を挟み目を伏せ構えた。
光が強くなる。
その空間は重く目映く華やかだった。
バイオリンは、震えた鳴き声で短調の旋律を奏でる。
音の波だけが進む、時の止まった絵画のような空間に、まるで全てのものが溶けていってしまうような、透明感な何かがすり抜けていくような切なさが漂った。
それでもその侘しい響きは、いいようのない懐かしさで部屋を満たしている。
――まるで、夢のよう。
セバスチャンは、手を取った私に柔らかく微笑んで、音の波の中へ一歩足を踏み出した。
-------------------
32 ポルカ
蜂蜜色のレンガの家が転々とする村の道を、てくてくと小川に沿って歩く。秋の軽い季候に、セバスチャンとオミニスを誘ってちょっとした遠出だ。
自然豊かなこの地方に注ぐ光はいつも明るい。小道に吹く風は過ぎた夏の日差しを払い、眠る冬へ備える秋草花の匂いを運ぶ。それはそれは甘い、実がつくときの豊穣の香りだ。
のんびりとして麗らか。穏やかで素敵だねと隣に言うと、オミニスが笑った。
「ここは、セバスチャンとアンと、ホグワーツの外で始めて来た場所なんだ」
「へえ。そうなんだ」
「まだオミニスのお行儀がよろしかった頃だな」
ははっと声を出したセバスチャンが懐かしそうに目を細めて、あそこ、と川向こうの広場を指した。
そこでは、マーケットが開かれている。
小さな露天がいくつか。その周りに人が集まり楽しそうに声を上げて、輪になって踊っていた。
あ、大道芸人がいる。と様々な村に出入りする見慣れてきた顔を見つけた私に、1年生の時にな、とセバスチャンは歩きながら続けた。
1年生の間もなく、セバスチャンとアンとオミニスは仲良くなった。
1年生はまだホグズミードに行っちゃいけない。城からの外出はあまり許されていない。そんな決まりは、元気に伸び伸びとしたフェルドクロフトから出てきた双子には窮屈だった。
ホグワーツは広くて勿論わくわくする。庭園だって美しくて、図書館は魅力的で、秘密めいた部屋はいっぱいあって、でも、もっともっと自由な空気が外にはあるんだ、と二人はオミニスの手を取った。
自分でどこに行くか決める、そんなことが許されるなんて思いもしなかったオミニスは、その太陽のような誘惑に適わなかった。
ホグズミードは生徒がいっぱいで見つかっちゃうから。そう言って二人が選んだのがこの村だった。
家並みの間をうろうろと歩き、広場に出て、織物や小物の露店を見て回る。
くん、と香ばしい香りが漂っているのを三人の鼻がかぎ取ったとき、小さく誰かのお腹が鳴った。
果物や野菜などの青果の店の入り口に、片手で持てるくらいのパイがたくさん並べられていた。どこで作っているのかは分からないけど、焼きたてのようだった。
目の前の親子がひとつ買い、仲良く半分こにして食べていた。
「……いいな」
じっとそれを見ていたアンが、ぽつりと呟いた。
残念ながらセバスチャンとアンは無一文だった。でも、アンが羨ましいと思ったのは、それがとても美味しそうだったからだけではなかっただろう。
隣で同じ光景を見ていた兄がそっと妹の手を握ると、アンはえへへと笑ってその手を握り返した。
ずっと見ていても仕方ない、そろそろ帰ろうか、とセバスチャンが切り出そうとしたとき、オミニスがスタスタとその屋台に近寄っていき、何事かを店主と話し、戻ってきたその手には目の前でどんどん売れていったパイが一つ。
「セバスチャンとアンとで、半分こにしたらいい」
ほら、と半分に割ったパイを差し出しオミニスは微笑んだ。
双子の事情をまだ知らなかったオミニス。それでも優しく笑ったその笑顔に、思わず受け取ったアンとセバスチャンは、それをさらに半分にしてオミニスに渡した。
オミニスも食べようよ、と言うと、困ったようにオミニスは首を振る。
「立ってなんて、行儀が悪くて食べられない」
「マーケットの食べ物は、立って食べたって行儀悪くないよ」
そういうものなんだから、といいながらセバスチャンは自分の手に残した片割れを口に運んだ。
さくさくパイを食べて、パラパラと食べかすがこぼれる。
それをはらりと払って地面に落とし、ほら、とオミニスを促した。
「美味しいよ。ありがとうオミニス。君も食べてごらんよ。こういうのは、とっても美味しいって顔をしたら十分なんだ」
具は、ミートではなく豆を煮たものだったがソースは甘辛くて美味しい。焼きたてのそれはほかほかで、いい匂いがした。
美味しい、と笑って頬張ったもう一人の双子につられて、オミニスもぱくりぱくりとパイをついばんだ。
「……美味しい」
「よかった」
先に食べ終わったアンはハンカチを出して、オミニスが落とした食べかすを払った。
美味しい美味しいと言ってパイを食べる子供達に、微笑ましげに屋台の女性は笑っていたそうだ。
「――なんだか、お腹がすいてきちゃったよ」
「なら、君も食べてみるか」
広場に着くと、大道芸人の愉快な音楽が聞こえてきた。
あそこのパイだと笑ったオミニスは、私とセバスチャンにその場で待つよう言い、先ほど聞いたパイを一つ買って帰ってきて、器用にも三等分した。
ほら、と差し出されたそれは、素朴ながらとても美味しい。
「なんで一つだけなんだ、足りないだろ」
「ああ。あの頃のセバスチャンは可愛かったのに」
「思い出を辿るみたいでいいじゃん」
私はアンじゃないけど、と言うと、四人で食べるなら流石に次は二つを半分こだなと二人は笑った。
じゃあ、思い出辿るついでに、とセバスチャンとオミニスは私の腕を引っ張って広場の真ん中へ連れて行く。
楽しげな明るい音楽はとてもリズミカル。アコーディオンが、高い空に抜けるように和音を響かせた。
二人組で踊っている人達の中に紛れて、三人で手を繋いだり手を合わせたり、くるくる回る。
あはは!と楽しくてしょうがなくて笑った私に、ほらな、あの時のアンみたいだ、と二人も声を上げて笑った。
-------------------
33 セバ+転+オミ
「脳天気な君でも、風邪を引くんだな」
「魔法薬でも風邪って治せないんだね」
「魔法薬も万能薬じゃないからな。全く、この寒いのに夜通し外になんているからだ」
「いやあ、ちょっと星空の下でダンスとかしてたら興が乗っちゃって」
「ははは、また随分とロマンチックなことをしたんだな」
「……それ、アミットか?」
「ん?ううんポピーだよ」
「は?」
「ムーンカーフのダンス可愛かったねって話してて、やってみよっかって」
「ムーンカーフのダンスとかいつ見たんだよ」
「そこで、やってみようってなるのか君たちは」
「ムーンカーフにも物珍しげに見られたよ」
「そうだろうなあ」
「軽い熱だけだから良かったけど、あんまり心配させるなよ」
「へへ。お見舞いありがとう」
「どういたしまして。もう休めよ。よい夢を」
「おやすみ」
「うん。おやすみ」
-------------------
34 アイリッシュダンス
クリスマス前に一度、実家に帰らないと、と言った彼女に、休暇は学校に残ると聞いていた僕は本から顔を上げた。
どうしたんだ?と尋ねると、向かいの席でいくつかのカードを書いていた彼女も顔を上げる。
「至高の叡智、蒸気機関車のおかげで、親戚一同集まっちゃうからね。カードぐらいなら梟に運んでもらうけど、プレゼントは流石に量が多いし重いから届けてくる」
彼女の実家はマグル界にある。梟が運べる物にも限界がある。
ほら見てよこの枚数。とげんなりした顔で彼女が見せてきたクリスマスカードは10枚ほど。この数のプレゼント、やっと包装し終わったんだから、と溜息を吐きつつもけれどその声は少し楽しそうだった。
「でも君、そんな数、どうやって持ち運ぶ気なんだ?」
「どうって……あ」
この時期、みんな考えることは同じだ。
郵送便は予約でいっぱい。マグル宛てなんて、間口が狭いところは特にそうだ。
そもそも、それが予約でいっぱいだったから自分で持って行こうとなったはずであるが、さてその大量のプレゼントを魔法を使わずにどうやって運ぶ気なのか。
(絶対、浮遊呪文で持って行こう、とか思っていただろう)
魔法界に染まりつつあるというか、それだけ魔法が身近になったというか。けれど、それは御法度だ。
困ったな、と言う顔をした彼女に、ははっと笑いが漏れた。
「しょうがないな。外出許可が出たら、になるけど、僕が手伝うよ」
とはいえ、罰則常習犯の僕だけでは易々と外出許可は下りない。それも、マグルの街に行こうだなんて用事だから特に。
勿論分かっていたので、今僕の前にはこの学校の最高権力者、僕の隣には頼もしき親友がいるわけだ。
存外冒険好きなオミニスが、ブラック校長に殊勝な態度で、最近の情勢なども交えながらそれらしい話を語る。
「蒸気機関車を作り出したマグルの発展はめざましいです。今後、魔法族にとって、何が脅威になるか、今のうちに一度見ておきたいんです」
「しかし、危険では?」
「はい。一人では勿論危ないので、マグル界に詳しい友人と、学生では腕の立つ彼と共に行こうと思います。今は廃れつつあるグランドツアーですが、見聞を広げるための旅は貴族にとって不可欠な物であると……」
などなどなど。グランドツアーなんてすっかり埃を被った一世紀前の流行を持ち出し、すらすらと校長を説得するオミニスに、こいつも悪い奴だよなと僕はにやにやを押さえるので必死だった。
そうやって3日間の外泊をもぎ取ったオミニスの肩を叩くと、悪い顔のままオミニスがにこりと笑った。
「それでは、行こうか。いざマグル界へ!」
出発の日、大量の荷物を抱えて乗り込んだホグワーツ特急は、彼女の言う至高の叡智でもって大量の黒煙を吐き出しながら、ロンドンへ向かった。
マグル界は思っていたより薄暗い。
整然とした街並み、均一に立てられた街灯、湧き出たような人々、馬車と人が歩く道は分けられ、緑はなく煤が溜まり、建物と建物の隙間、路地にはいくつかの淀んだ瞳。けれど活気に溢れ、街はまさに渦巻くエネルギーの塊だった。
その雑踏の中をずんずん歩いて行く彼女は慣れたもので、道の端に目を向けることもなく、荷物重くない?なんて時々声をかけるもののその足は止まらない。止まったら駄目だという。
オミニスは大丈夫か?と横目で親友を見るが、すんと澄ました顔の彼も、杖は出来るだけ下げ目立たないようにし真っ直ぐ前だけを見てその後ろを付いていく。
よっと荷物を持ち直して何度目か、ようやく彼女の家についた。
荷を置いた僕たちは、一杯のお茶に誘われた。その席で、礼と共に泊まっていくか尋ねられたが、折角の家族水入らずを邪魔する気は無い。
宿は取ってるからと断り、遅めのティータイムを終わらせて外に出ると、もうすっかり夕暮れだった。
「三本の箒とはまた全然違うんだな」
「一階はパブ、二階が宿泊施設ってところは一緒だけどな。オミニス、鍵はちゃんとかけろよ」
「言っておくがセバスチャン、今日一番危なっかしかったのは君だぞ」
一階で先に金を払い、鍵を受け取り二階へ。
ぽいぽいと鞄や上着を適当に放って伸びをすると、呆れたようにオミニスが喉の奥で小さく笑った。
まあ、確かに一番きょろきょろしていたのは僕だろう。マグルの街は中々に刺激的だった。
(彼女が、ホグワーツ周辺の村を、お伽噺に出てきそうな小さな村、なんて言う理由が分かったな)
ホグズミードよりもずっと大きく、人も多い。
それ、とオミニスが僕へ杖を向ける。
「花売りから花を買うなんて」
「どう断っていいか分からなかったんだよ」
宿につく少し前、突然路地から飛び出してきた僕と変わらない年の少女が、随分”訛った”言葉で花を差しだして買ってくれと笑いかけてきた。
煤で汚れた少女と、少し萎びた花。籠いっぱいのそれを一掴み。断り方を知らない僕が花を買い硬貨を手渡した瞬間、オミニスが低い声で「金を受け取ったらさっさと行け」と周囲を威嚇した。
周りを見回すと、何人かの大人が嫌な目でじっとこちらを眺めている。
なるほど、彼女が立ち止まらなかったわけだ、と納得した僕はオミニスとさっさとその場から去った。
「お腹すいたな。下行くか」
「酒は無しだぞ」
「分かってるよ」
こんな何があるか分からない状況で酔っ払うほど僕は暢気じゃない。
連れ立って下りた先はわいわいとしており陽気な音楽も流れていて、夜の三本の箒に少し雰囲気が似て、ようやく僕はほっと息を吐いた。
雑踏の人々はどこか暗い顔をしていたが、酒が入っているからか、一日の慰労を兼ねているのか、酒を煽る顔は幾分明るい。
席に着くと、数人がこちらを、いやオミニスをじろじろと見ていた。
「おい、お前はあっちだぞ」
パブの真ん中の仕切りへ親指を向け声をかけてきた男がオミニスの腕を掴もうとしたので、思わず払うと睨まれる。
何するんだ、と言いたげな男に、そっちこそ何するんだと言ってやりたい。
どかりとテーブルのすいた席に腰を下ろし、男は僕らを鼻で笑った。
「どう見てもいいとこの坊ちゃんだ。なんだ?労働者を笑いに来たか?血を見たくなかったらとっととあちらへ行きな」
男の言葉に、一軒の店の中ですら階級に分かれているのかと、マグルの窮屈さが垣間見れた。
確かにオミニスはいいとこの坊ちゃんだ。整った顔立ちをしているし、どことなく品がある立ち居振る舞いは少しここで浮く。
どうしようかと考えていると、オミニスがおもむろに首元のネクタイをくつろげ、普段はしない腕まくりをし、男の持っていたジョッキを取り上げて、止める間もなくぐいっと飲み干した。
ちょうど僕らの料理を運んできた店員に、急いで彼にこれと同じ物を返してくれ、と再度注文と金を握らせる。
呆気にとられた僕やこちらの様子を窺っていた数人を無視して、ばくばくと料理を口に入れながら、とんと指で机を叩いた。
「セバスチャン、悪くない」
「そうかよ」
そんなはずはない。
ホグワーツの料理と違って、出来たてでも何でも無い作り置きのそれは油が回っているし、肉は少し硬い。
付け合わせのポテトもぱさついている。オミニスの口に合うわけがないが、彼はにやりと笑って、言った。
「酒に合う」
「僕には飲むなって言ったくせに、君はずるいぜ」
隣に座った男に酒が運ばれてくる。
彼はそれを、オミニスがしたようにぐっと一気に飲み干し、音を立ててテーブルに置いたあとで大口を開けて笑った。
「なるほどな。基本的には階級を無視する人間は歓迎しないが、そのお綺麗な顔に免じて今日は見逃してやる」
「僕ら、明日までここに泊まる予定なんだけど」
「じゃあ、明日までだ!」
それが終わったら二度と来んな、と言いながらももう一杯酒を頼んだ男は上機嫌だった。
おい、音楽小せえぞ!と叫んだ男の声を合図にしたかのように、騒々しい打楽器と、笛、弦楽器が速いリズムで跳ねるような曲を奏でた。
何人かの酔っ払いが、女も男も手を取り飛び跳ねるように踊りだす。
お前たちもやれ、と言われて、酒も飲んでないのに引っ張り出される僕と、苦笑いするオミニス。
周りに合わせてリズムを取る。
器用でダンスの教養があるオミニスが、タタン、と足でステップを踏んだ。
(なるほど。いいぜ、タップダンスか)
それならオミニスに習って少し遊んだことがある。
軽やかに、飛び跳ねるように。拍子に合わせて向かい合って手を取りながら、オミニスを真似て足でステップを踏む。
僕は遊んだことがある程度だが、オミニスが上手くカバーする。
僕らのタップに合わせて周りが手拍子をしていた。
薄暗く陽気なロンドンの夕闇が過ぎていく。