Down By The Salley Gardens
君と二人で坂道を登る。
暫く歩いていると体も温かくなり始め、涼しい風が心地よく感じる日差しの下。
坂の途中に小さな橋がいくつか架けてある。間に大きな段差があるわけでもないのに何のための橋だろうと、不思議そうな顔をする彼女に、きっと昔は小川が流れていたのだと教えると、少し考えながら浅い橋の下を眺めていた。
ハイランド地方は、山と、川と、丘で出来ている。冬には雪が降り、春にはその雪解け水が川へ流れていく。この橋はきっと、その雪解け水に対応したものだったのだ。
今はもうその水みちは枯れてしまい、短い草が生えているが、東側に見える山肌の緑は一部が薄くなっている。
彼女と歩いているこの坂の上には、古い城跡がある。きっとその時代、その名残だ。そんなことを話していると、目的の城跡が見えてきて、ぱっと彼女は笑顔になった。
――ほらセバスチャン、こっちだよ、と嬉しそうに坂道を駆けていく後ろ姿を、眩しく、愛おしく、少し寂しく思いながら僕は見ていた。
寮に閉じこもって本ばかり読んでいると、心配した友人二人に部屋から引っ張り出された。
どうやって男子寮に入ったんだよ、なんて、ホグワーツ城内ならどこだって行けてしまいそうな彼女に言っても仕方ないのだろうけれど、そんな外れた行動も気に留めないようにスンとした顔でオミニスが隣に立っているのだから意外なものだ。
あのお転婆のアンですら、男子寮に入ったことなんて無いし、入りたいなんて言おうものなら、オミニスは絶対止めたし叱っただろうに。
人って変わるもんだなと自分のことを高い高い棚の上に押しやり、友人二人を椅子に座ったまま見上げていると、彼女が僕を観察するように顔を近づける。
そして、「たまには自然の空気を吸った方がいい」なんて、唐突に、都会っ子の彼女が言いだしたものだから、僕は思わず笑ってしまった。
「ロンドンもホグワーツと変わらないだろ」
「残念だけど、ロンドンはもっと酷い。だからこそだよ。外に出た方がいい顔をしてる」
「へえ。どんな?」
「やだなあ。セバスチャンは自室に鏡も置いてないの?」
ほら行くよ、と僕の読んでいた本を取り上げて立ち上がらせ、代わりにローブを手に持たせて、ゆったりと歩いて三人でホールに向かう。
会話の流れからオミニスも一緒に行くのだろうと思っていたが、彼は他に用事があるといって、いくつかの荷物を僕に渡した。
何の荷物なのか尋ねると、軽食とお茶だと言う。まるでピクニックだなと笑おうとしたが、わざわざホグワーツの外へ散歩に行こうという僕らを指すのに、ピクニック以外の名詞もないだろうと思い直し止めた。
準備のいいことだと呆れていると、今度は彼女が僕に箒を手渡し、何やらこの箒の解説を始める。
なんてマイペースな二人だろう。そう思いながらも、僕は口元に笑みが浮かぶのを感じていた。
城から箒で飛んで暫くは彼女の後ろを付いていった。
いつもの風を切るような飛行じゃなくて、のんびりと日差しを浴び、鼻歌でも歌っているのかと思うほどゆるゆると飛ぶ。
昼間の太陽の白っぽい光はいつだって目に痛い。まるで胸の奥まで照らされるようで、広がる景色は明るくみずみずしく見えた。
湖を飛び越え、ホグワーツ急行も通る線路の上にさしかかったところで、彼女はこちらを振り返り、目で合図して箒を降下させる。
線路の横から小道が延びている。ああ、この坂上の城なら知っている、と言うと、そうだろうねえと彼女は笑った。
彼女が言う「外の空気を吸った方がいい」って言うのは、きっとどこでもいいというわけではないんだろう。僕の言葉に微笑んだのに、まるで全く僕が知らない場所を案内するかのように、彼女は僕より一歩だけ先を歩いた。
坂道を登り切ると、以前も見た城跡があった。
こっちこっちと言う彼女の足は、城門ではなく入り口横の大きな木の方へ向かっていく。
「このお城も、きっと昔は立派だったんだろうね」
「そうだな」
廃墟にしては珍しく、蜘蛛も野犬も住み着いていない。ただ寂しげに、城は歴史の名残を残し、けれどこれはこれで自然なことなのだと言っているようだった。
彼女が歩いて行った先では、朽ちた城に不釣り合いなほど大輪の濃いピンク色の花を咲かせた大木と、その足下で白と桃色の小花が風にそよいでいた。
円形の花壇に近づけば、少し甘い花の匂いがする。
花壇の側の石段に腰掛けた彼女が、僕にも座るようにとその隣をぽんぽんと叩き促した。
「運動したらお腹すいたね」
「ちょっと山を登っただけだろう?」
「箒にも乗ったじゃない」
「君にしては、随分ゆったりした運動だね」
軽口を言いながらも、僕も彼女の横へ腰掛け、オミニスから渡された荷物から軽食とお茶を取り出す。
ご丁寧にも、オミニスが「お茶を用意した」と言ったのは、ティーカップとポットと茶葉とお湯のセットのことだったようで、思わず彼女と顔を見合わせて笑った。
確かにお茶は入れ立てが美味しいし、時間が経てば渋くなる。仕方ないなとお茶を準備していると、彼女が近くの木箱をお得意の変身術で小さな机に替え、ポットの包まれていた白い布をかけた。
「簡易的なピクニックにしては、優雅だな」
「そりゃあ、優雅なオミニスが用意してくれたんだもの」
紅茶のいい香りに、パンと少しのナッツと果物、それにジャム。本当に軽食だけど、十分だった。
風のそよぐ音なんて久しぶりに聞いた。草が揺れ、木の葉が揺れ、それに合わせて鳥や小さな虫が揺れる、そんな音。
――何もかも、忘れてしまいそうなほど、穏やかな時間だった。
パンを食べ終わって二杯目の紅茶を入れていると、彼女がごそごそと鞄を漁り、つい二時間ほど前に僕から取り上げた本を差し出した。
こちらをちらりと見て、少し安堵したように笑う。
「途中だったんでしょ。ごめんね、無理矢理連れ出して、邪魔をして」
「いや。君とオミニスは、気遣ってくれたんだって、分かってるよ」
邪魔をしないで欲しいという思いは確かにあった。
早くアンを治す方法を見つけたい。僕の心はいつだってそればかりで、でもそれは、一分一秒だって惜しいほど彼女の症状が重くなっていたせいだった。この世から、たった一人の双子の妹を失ってしまうかも知れない焦燥は、胸に不安の影を焼き付けていた。
遠く離れて、会うことすらままならないのに。アンは死なせない、妹を助ける方法は、まだきっとある。そう思うから、僕はこの距離を今日も何とか許せている。
本当は、一秒でも一緒にいたい。
(でもそれは、僕すらアンを諦めてしまうことと同じだから)
ありがたく彼女が渡してくれた本を読み始めると、彼女も小さく薄い本を取りだした。
室内だったらきっと聞こえたページをめくる音も彼女の息づかいも、風の音に柔らかく消され、光も、緑も、匂いも、いつもよりずっと体感する情報量は多いのに、陰る木漏れ日にいつしか僕は本に集中していた。
「セバスチャン、お茶はどう?」
「ああ。ありがとう」
僕が読み終わるタイミングを計っていたのだろう、彼女が杖を振ると半分ぐらいだったボトルのお湯がまたいっぱいになった。
お湯の温度はすっかり下がっているだろうと思ったら、大丈夫、温め直しているから、と渡されたボトルからは湯気が立ち上っている。
以前、彼女に頼まれてお茶の入れ方を教えた。
お湯は沸騰させてはいけない。空気を含ませて、ティーポットは温めて、掻き混ぜてはいけないし、焦ってはいけない。でも、時間をおかせすぎてもいけない。
僕にとって紅茶の味は”懐かしい両親の味”で、彼女がその味を気に入ってくれたことは嬉しかった。
「君は何を読んでいたんだ?」
「ああ。去年買った詩集だよ。アイルランド人の」
「へえ。気に入ってるんだな。どんな詩集?」
詩集を持ち歩いているなんて意外だったので尋ねてみると、彼女は少し目を泳がせる。
「……ええと。恋の、」
照れくさそうにしながらも、閉じた詩集をそっと撫でた指は少女のもので、そういえばアンもこっそりそんな物を読んでいたな、と思った。
似合わないよね、なんて面映ゆいという表情で笑う彼女に、肩をすくめて首を振る。
「そんなことないだろ。君が心を動かされたのなら、その本はきっと君に似合ってるんだよ」
朗らかに彼女に笑いかける言葉と裏腹に、じゃあ僕に似合う本は?と自問する。
おそらくそんな僕の暗い心に気づいているようでそれでも手を触れない彼女は、こちらをじっと見た後で困ったように微笑んで頷いた。
時間も大分経った。
確かに部屋に閉じこもっていたのは良くなかったのだろう。歩いたり本を読んだりして疲労はあるはずなのに、ここへ来る前よりも頭はすっきりしていた。
どちらともなく本をしまい、ティーセットを片付け、テーブルは元の木箱へ戻し壊れた荷車の側に置いた。
一度大きく伸びをし深く息を吸うと、肺に涼しい空気が流れ込んで少し胸が冷えた。
行こう、と帰るために箒を取り出し振り返ると、ぼんやりと大木の花を見つめていた彼女の瞳も僕を見つめ返す。少し悩んだ様子の後で彼女も箒を取り出したが、またがることなく僕の隣まで歩いてきて、セバスチャン、と名を呼んだ。
「読んでいた詩集にね、こんな言葉があって」
恋の詩だと、彼女は言った。
僕は、その意味を、ちゃんと分かっていたけれど。
「『葉が伸びるように、自然で気楽な恋をしましょう』って……私も、君に言って いいかな」
君と僕の間にざあっと甘く冷たく吹いた風に、何も言えなかった僕の返事は溶けていった。
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墓の側で、柳の枝が寂しげに揺れていた。
父と、母と、それに。
墓地を見舞うなんて、果たして僕に許されるんだろうかと、ここに来る度に考える。
花を手向け、墓地から出て坂を下る。
川辺にはふわふわとした花をつけた低木が沢山植わっていた。こちらは柳は柳でもネコヤナギだ。
強い風に騒ぐ木立に、ホグワーツにいた頃を思い出した。
冷たい空気に耳が痛い。そういえば彼女は、いつも子供みたいに耳元までもこもことマフラーを巻いていたなと懐かしくなる。
(……帰ったら、紅茶を入れよう)
それは、僕の手元に残った、数少ない大切な物の一つだった。
僕の住む街は、いつでも賑やかだ。
たくさんの人が行き交い、家と店が並ぶ。石畳のメインストリートは街の"流れ"の中心だった。人々はこの道から、店へ、家へ、路地へと行き来し、ざわめきや喧噪がこの道を流れる。
それが流れ着く先は露店市場も兼ねた中央広場だ。シンボルツリーの側では、女性が弦楽器を弾き、観衆を楽しませるように歌を歌っていた。
集まった人々の後ろを通り過ぎながら、綺麗な声だと感心していると、ふと聞いたことのあるフレーズが耳をかすめた。
――葉が伸びるように 自然で気楽な恋をしましょう、と君は言ったけれど
その詩は、懐旧を覚える優しい旋律に包まれ響いていた。
揺れる柳の園の。
恋の詩だと、彼女は言っていた
セバスチャン、と僕の名を呼んだ彼女は、分かっていてきっと穏やかに笑ってみせたのだ。
――若く愚かな僕は、そうだねとは 言えなかった
溢れるほどの郷愁と、切望の目映さ。
彼女の心を動かしたのは、悲しい愛おしさが詰まった、失恋の詩だった。
『Down By The Salley Gardens(サリーガーデン)』
アイルランド民謡で、訳詩は名曲アルバムから。
「葉が伸びるように、自然で気楽な恋をしましょう」の本来の意味は、焦らない恋をしようみたいなことらしいので小説内の解釈は違っている気がします。
前半は、ゲーム本編中でも本編後でも。二人がピクニックしているのは、ホグワーツの東側の城跡です。