よく、晴れた午後だ。
澄み渡った青空は、まるで音がしそうなほどに、澄んで高く遠い。
風は冬めいて冷たく、私の隣を吹き抜けながら目の前に続く石畳の上の粉雪を舞い上がらせた。
背を向けた校舎から微かに楽器の音が零れ、中庭の方からは下級生のはしゃぐ高い声が聞こえた。
流れるのは清廉な空気。吸い込めば冷たい空気が肺を満たす。穏やかな冬の晴日。
変身術の教室辺りを過ぎると、城の外壁に亀裂が入っている場所がある。それに向かって修復魔法をかければ隠し通路のお目見えだ。通路抜けると、そこは木造作りの部屋。レンガや石で造られているホグワーツでは、極めて珍しい雰囲気である。
「やあ。また来たのか」
ここはセバスチャンが、ただ読書のためだけに使っている部屋だ。
セバスチャンは校内の色んなところで授業の合間に本を読んでいるけれど、まとまった時間がとれるときはここで本を読むのだという。
たくさんの本棚には、彼の本や、彼の前にこの部屋で本を読んでいた学生の置き土産が詰まっている。なかには、十数年前の教科書や、途中まで書きかけたレポートやメモもある。
私が地下聖堂では読まないのかと尋ねると、あそこは遊んだり実践的なことをする場所だから、と彼は言葉を濁した。
「図書館で借りようと思ってた本、セバスチャンが持ってるって聞いたんだよ」
「そうか。どれかな」
図書館の本は右の棚…と、セバスチャンが差す箇所には10冊程度の本。タイトルを確認しながら、3冊を手に取る。
「これと……これも借りたいな」
「そうだな。僕もそれはまとめて読むのをおすすめする」
そう言いながら、セバスチャンはくつろいでいた二人がけのソファから立ち上がり杖を降った。
奥からもうひとつ木製の椅子を運びつつ、こちらへどうぞ、と私をソファに座らせる。
軽く埃をはたいた木の椅子に腰掛けて、彼は先ほどまで読んでいた分厚い本をたぐり寄せた。
「ありがとう。床でもいいのに」
「冗談だろ。僕がそんな男に見える?」
「ううん、そうじゃないけど。悪いかなって」
「この椅子も座り心地いいんだぜ」
何冊も読むならソファだけどな、とセバスチャンは微笑んで、本に目を落とした。
ゆっくりと時間が流れる。
お互いしゃべらないまま、ページをめくり、私は2冊目に手を伸ばし、3冊目を読み進める。
止まってしまった古時計のような部屋だな。と、本を読みながらふと考えた。
窓から差し込んでくるオレンジ色が、薄暗い部屋を斜めに照らし、何本かの光の柱が、穏やかに夕暮れを告げた。
私は、ようやく3冊目を読み終えて、取れてしまいそうに凝り固まった首を振る。
とても美しい夕焼けを見た、と思った。
足を組んで暗色のローブを羽織ったセバスチャンの顔に、光と影が差し掛かる。
伏せられた目は、彼の深い知性と好奇心をそっと隠し覆っていたが、静かなその表情は目を引いた。
逆光が眩しくて、陰と陽が同時に混在する部屋の中、私はそれでも目を細めずにその姿をじっと見ていた。
まるで夢のようなホグワーツは、彼と知り合ったことで、光をまとって輝く現実となった。
「——ああ、読み終わったのか」
「うん。すごく興味深い本だったよ」
「それは良かった」
瞬間抱いた淡い心は、仄暗く燐光を放って、次の刹那には消える。
本棚に戻しに立ち上がると、セバスチャンは大きく伸びをした。
「この椅子はこのまま置いておくか」
「また私が来るから?」
邪魔してごめんね、ソファ譲ってくれてありがとうとお礼を言う。
「君が邪魔じゃないから、置いておくんだろう?」
彼は、困ったような顔で笑った。
冬の夕暮れはとても綺麗だけど、あっという間に過ぎてしまう。先ほどまでの暖かさは嘘のように、しんと寒くなる室内。
行こう、とセバスチャンは私を促した。
私はその笑みに、ローブからでた指先に。先ほどの、夕闇の中で本をめくるセバスチャンを思い出していた。
(横顔で、十分だよ)
ときどき、無性に彼に触れてみたくなる "私"は。
(こんなに側にいられるんだから)
きっと彼には不必要なものだ。
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セバスチャンは、天文学はあまり興味ないの?と、夜の校庭を歩きながら彼女は空を見上げた。
「そうでもないけど、君ほどではないかもな」
「あれ、そうなの?意外だね」
冷たい風もお構いなしな彼女は、ローブをはためかせながら、箒まで持ち出して星の観察にいく。
そんな彼女に比べたら、大体の人は天文学に興味の無い人間に分類されるだろう。
天体の仕組みについては、僕たち魔法使いの方がよっぽど重要なはずなのに、マグルに後れをとっている学問。
興味はあるけど、興味以上に時間をとられそうだと思う。
そう言うと、彼女は少し残念そうだった。
「そっか。こんなに綺麗なのに」
「綺麗……?」
きれい、か。その感覚はあまりなかった。
毎日見るものだ。
星の光は遠くて、かすんだり、光ったり、移ろいゆくけど、それは当たり前の日常の一つ。毎日、毎日、毎日、同じように、きっとそれは変わらない。
君は思ったよりロマンチストだな、なんて軽口を言うと、彼女は僕より一段高い階段で立ち止まり両手を広げて笑った。
「……よく見てよ、セバスチャン。この空の全て。たくさんの毎日だった過去の光が、今ここで、こんなに光って私たちを導いているんだよ」
ばさばさと、ローブをはためかせながら、立つ。
嬉しそうに、楽しそうに、世界を慈しむ彼女を、満天の星すら祝福していた。
数秒。その眩しさに立ちつくす。
僕は、光が降り注ぐ場所にいる彼女に見とれていた。心臓が胸を突き破って飛び出してしまいそうなほど、心が痛い。
同時に、苦しさとも、悲しさとも違う淋しい何かが僕の中を駆け巡っていった。“これ”は、決して僕をはなさない。
綺麗なのは、そこに立つことが出来る君だろう?そう思った。
君がいれば。君と僕でいれば。きっと何でも上手くいく。
その思いは痛みを伴って胸に広がった。
アン。
(君に知ってほしい)
僕の愛おしい妹。
(希望を無くした君に、諦めないでほしいと、こんな風に僕がいつまでも願っていることを)
僕を見てなにか満足したらしい彼女は、軽く跳ねるように階段を降りて隣に並んだ。
はあっと寒そうに息を吐きながら、にこにこと笑っている。
「寒いね」
「寒いな」
そう言って前を歩き出した彼女をぼんやりと見つめながら、いいや、君は暖かそうだよ、と唐突に触れたくなった衝動を押し殺した。