1
セバスチャンはよく闇の魔術に対する防衛術の教室近くの廊下にいる。
あんなことがあり、彼は当初こそ随分取り乱していたが、今では以前とそう変わらないように過ごしていた。
むしろオミニスの方が、辛そうだったり思い詰めたような表情をすることが多く、顔色も悪い。
アンの行方も分からない。
彼が失ったものの大きさは私には計り知れないが、ほんの少し前まで、いつか四人でホグワーツで過ごしたいと語っていたはずなのにと思うととても胸が痛んだ。
オミニス、大丈夫?そう聞くと彼は、いつもほんの少しだけ笑って、君がいてくれて良かったと言った。
私は偶然会ったサマンサと授業の復習がてら廊下で立ち話しつつ、ちらりと一つ階下の廊下で話すオミニスとセバスチャンを見る。
闇の魔術に対する防衛術の教室近くには地下聖堂がある。だからか、地下聖堂に行きがたいときも、寂しさを埋めるように彼らはこの近くをふらふらしていた。
私は目がいい。
階下を見下ろしている状態であっても何となく彼らの表情は見て取れ、相変わらずオミニスの表情は暗かった。
それでも口元は笑みをつくっていて、目は伏せがちながらセバスチャンの話に耳を傾けている。
一方でセバスチャンは、廊下の張り出しの手すりに頬杖をつき、穏やかな表情で話しかけていた。
時々オミニスの方を見るが、すぐに視線は吹き抜けの廊下へと戻る。
数分、私がサマンサとレポートの範囲を確認し終わるまでのほんの少しの時間、目を離し、またなんとはなしにそちらを見ると、オミニスがセバスチャンに何か伝え何処かへ立ち去るようだった。
セバスチャンは、張り出しの手すりに頬杖をついたまま軽く手を上げてその背を見送り、また吹き抜けの方を向いた。
「……あ」
思わず声が漏れ、どきりとした。
私は目がいい。
とはいえ流石に、階下の人間の表情が完璧に見えているわけじゃない。
だから見間違いかも知れない。
頬杖をつき宙を見るように視線を戻したセバスチャンの無表情な瞳から、一筋、涙が零れているように見えたなんて。
受け止め切れているわけがないんだ、と私はようやく気がついた。
2
君がいてくれて良かった、とオミニスは言った。
君の友情に感謝する、とセバスチャンは言った。
(本当に、そうかな)
私はいつも考える。
セバスチャンを唆したのは誰なのか。
彼の背を押し続けたのは誰なのか。
彼に希望をちらつかせたのは誰なのか。
それでも、彼らは私を責めない。
セバスチャンは私に請うた。古代魔術をアンのために使って欲しいと。
けれど結局彼は一人で、地下墓地の遺物に手を出した。
――最後の最後で、彼を一人にしてしまったのは、進み入った先で梯子を外したのは、私だったのだ。
情緒不安定なセバスチャンにつられて喧嘩が増えた。
分かっていたじゃないか。オミニスとセバスチャンを見て。どんなに親友が反対しても、一人でしなければならないと決意したらセバスチャンは一人でやってしまう、出来てしまうのだと。
引き渡さないと決めたのは私だと思う。
その行いの是非じゃない。私が測ったのは、結局セバスチャンがアズカバンにいったところで誰も納得しないという損得勘定からだった。
アズカバンは罰を与えるところである。罰を享受することが罪を償うことになるのは、被害者あるいは遺族が望む場合と、自分自身が悔い改める場合だ。それでは、いったい誰がセバスチャンに罰を与えたいというのか。今、セバスチャンが悔いていないというのか。
(――違う。そんなのは、全て言い訳だ)
私は、セバスチャンまでいなくなってしまうことに怯えただけだ。
もしかすると私は、その選択で、私のところまで彼を引きずり下ろしてしまったのではないか、そんなことをぼんやり考える。
古代魔術なんてものを扱う私の側にいてくれる、誰かとして。
3
人間は人間を殺してはいけない。
絶対の真理は、未だに守られることはない。
どうして彼の罪はこんなにも重いのだろう。
どうして私の罪はなかったことになったのだろう。
――もうやめなさい、セバスチャン。
こびりつく、ソロモン・サロウの懇願。
その思いが分かったのは、私を振り返らない彼の背に声をかけ続けたときだった。
――セバスチャン、待って!
なんてことをしたんだ。ああ、取り返しが付かない。死んでしまった。どうしよう。どうしようも、ない。どうなるんだろう。何が、どうなったんだろう。どうしてあんなことを。何故、どうしよう。どうして杖なんて向けたんだ。どうして助けてくれなかったんだ。どうして邪魔をするんだ。どうして。どうして。
僕は悪くない。――そんなはずは無い。でも、どうしようもなかった。違う……違う!
彼が言葉にし、あるいは言葉にしなかった、動揺。
(ああ、このままでは失ってしまう。大切な君の、何かを、私が)
だから言った。大切な恩師が、ルックウッドを手にかけた私に声をかけてくれたように優しげに。
君は十分悔いている。オミニスとは私が話す。心配しないで、と。
だって、フィグ先生はもういない。
この上君までいなくなったら、魔法界を守ると先生に誓ったのに、魔法界が大嫌いになりそうだった。
4
夜のホグワーツ城を徘徊する。慣れっこだ。
監督生に見つからないように、幽霊にそっと目配せをして、絵画には優雅に一礼を。
闇の魔術に対する防衛術の教室近くの廊下。
昼間セバスチャンが立っていた場所に、同じように頬杖付いて立ってみる。
全体的に青く白く暗い。外の光がステンドグラスを通してちかちかと目に痛かった。
「君、僕の後をつけてきてるんじゃないよな」
「オミニスが心配していたからね」
しばらくぼんやりしていると、地下聖堂から出てきたセバスチャンと会う。
やあ、と声をかけると、呆れたように溜息をつきながらも、やはり穏やかに微笑んで彼は隣に立った。
「女の子に夜の見回りを頼むなんて、オミニスらしくないな」
「オミニスはまだ、セバスチャンを引き渡さなかったことに、自分の中で折り合いをつけられていないんだよ」
オミニスは私と同じ葛藤を負っている。
アンをダシにしてセバスチャンを引き留めた私。自分の意見は言いつつも、ある意味で私の決定に服従したオミニス。
5年生からの奇想天外な転入生とオミニス・ゴーント。この学校で発言権が強いのはどちらか。そんなもの、考えなくても分かるのに。
そうか、と頷いたセバスチャンは、苦笑していた。
「……君は?」
問うたセバスチャンに、ほんの少し逡巡し、私はそれでも口を開いた。
とんでもないことを、言おうとしているな。そう思いながら。
「この間、ここでセバスチャンが泣いているのを見ちゃったんだけどね、どうやら私は恋に落ちたみたい」
「は?」
理解できなかったのか怪しげに聞き返したセバスチャンに、頬杖付いていた腕を解き、そっと彼の手を取って握った。
思ったよりもずいぶん冷たかったその手に、私の熱は伝わるだろうか。
「頭からね、離れないんだ、セバスチャン。――私は、君の側にいたいよ」
間違ってしまった後悔ばかり。取り返しの付かないものを嘆いてばかり。
失い、あるいは自ら大事な人を手放してしまった私たちには、友達以上の存在がきっと必要だった。
そして、それは、君がいい。そう思った。
5
じゃあ、抱きしめてもいいか?と聞いた彼に、手を開いて笑った。
ひっついた体は、手と同じように冷たくて、けれど温かだった。
耳の奥に響くほど、心臓は大きく早く跳ねている。
私の心臓も、セバスチャンの心臓も。
図書館で助けてくれたときから。
いいや、もっと前。初めて闇の魔術に対する防衛術で、杖を交えたあの瞬間から。
ずうっと特別だった男の子。
それでも、あの時までは恋じゃなかった。
そっと背を撫でると、はは、と彼は耳元で笑った。
微かに甘い柔らかな声。
いいなあ、と自分でもよく分からない感想を抱いていると、少しだけ抱きしめる力が強まって吃驚した。
「……きっと僕も、君に恋をするね」
「ふふふ。うそだ」
そんなわけないよと否定すると、体を少し離したセバスチャンが私を至近距離でのぞき込む。
とても優しく、とても悲しそうに、後悔と痛みを含んだ微笑みを浮かべていた。
「君がそうであってくれるように。僕も、傷つき 誰かを傷つけた君の、味方になりたいと思ったんだ」
いつか僕の前で泣いてくれよ、と言って、もう一度彼は私を抱きしめた。