探索を始めたときは、誰もいないと思っていたから、魔女を見つけて驚いた。
簡易的な木箱の机に、魔法で灯したのだろうランプの明かりが揺らめいていた。
生真面目そうにきっちりと束ねている髪。決意を宿した瞳が、物音に気づきこちらを向いた。
一瞬、不思議そうな顔をし、少し悩んだあとで彼女は、自分の隣を指差した。
「休憩にしようと思ってたところよ。良かったら一緒にシードルとパンはいかが?」
ゴブリンに微笑みかけるなんて珍しい魔女だ。しかも、食事を一緒になどあり得ないと思った。
魔法族のゴブリンに対する差別意識は激しい。いいのかと尋ねると、魔女はさっと杖を振って小さな木箱を出し「ここに座って」と、もう一度誘ってくれた。
魔法族に、まるで対等のように扱われたのは初めてだった。
魔法族は好きではなかったが、彼女は研究熱心で、賢く優秀、そして何より純粋で優しい魔女だった。
研究を手伝って欲しいと、彼女に頼まれたときは、少し誇らしい気持ちになった。
何をすればいいのか、何をして欲しいのか、一体何をしているのか。何を尋ねても、他の魔法族と違って彼女は隠し事をせず、共同者として質問に答えてくれた。
彼女と過ごした時間は長くは無かったが、気づけば自然と信頼を寄せ、好ましく思うようになっていた。
だから、そんな彼女が死んだと、おそらく殺されたのだと知ったとき、とてもやるせない気持ちになったのだ。
4
鉱山で出会った魔法使いの少年と、シローナの店でまた会った。
彼はこちらを見かけると嬉しそうにやってきて、私の広げた銀製品をうっとりと眺めた。
「こんにちは、ロドゴク……ええと、僕アミットです。あの、雪山で会った……」
「ああ、覚えている。ゴブリディグック語が読める学生は珍しいからな」
アミットは私の返しに喜んだようで、隣に座っても良いかと尋ねた。
商売の邪魔をしないのなら別に構わない、そう答えると、バタービールを持ってきて隣の席に腰掛け、そわそわとこちらの様子を窺っている。
悪意ではない。好意に近い好奇心。この少年もまた、ゴブリンに友好的な珍しい魔法使いだった。
「銀製品が好きなのか?」
話しかけると、彼は目を輝かせ怒涛のように語り出した。
「僕、天文学が好きで、いろんな望遠鏡を持ってるし調べるのも好きなんですけど、有名な物や質の良いものは必ずゴブリン製のパーツを使ってるんです。この間買った最新の望遠鏡もレンズと調整具はゴブリン製で、歪みも全くなく、もうこれを使うようになってから最高の星空が見えるようになりました。ピントもぴったり決まって、じわじわずれていくこともないし、何より装飾としてみても本当に綺麗で、……」
魔法でしまっていたのだろう望遠鏡まで取り出し、にこにこと話していた彼は、しかし変なところで言葉をやめる。
何だ?と思って見ると、目が合った彼は、すみませんと謝った。
「何を謝る?」
「僕、つい喋りすぎるから、煩かったですよね。いつも、僕が話し出すとみんな少し困ったような顔をするので」
だから友達もいないんですと寂しげに呟いて、バタービールを飲んだ。
「彼は友人だと紹介したじゃないか」
「彼にとって、例えば秘密を共有してもいいような友人は、きっと別にいますよ」
夕暮れの訪れと共にシローナの店の客が増えてきた。
何人かの魔法族がこちらに目を向け、いくつかの商品が売れる。
ソーセージや肉を焼く匂いとアルコールの匂いが混じる店内。
そろそろ門限だ、帰らなくてはと立ち上がったアミットは、一つの銀細工に目を留めた。
「これ、不思議な模様ですね。ルーンかな?」
「ああ。祖先の作品の模倣だ。少し調べたいことがあって作ったが、もうその用途では不要になったからな」
ミリアムに、調べるのを手伝って欲しいと頼まれた金属の箱に付いていた模様。
ふと思い至って、いるか?とアミットに尋ねた。ミリアムのようにゴブリンという種族に好意と尊敬を抱いてくれる希有な魔法使い。
けれど彼は、きょとんとしたあと、柔らかく微笑んで首を振った。
「僕はきっと、この銀細工に相応しくないでしょう?」
さようなら、ロドゴク。そう言ってシローナにジョッキを返し立ち去ったアミットの後姿は、真っ直ぐに背筋が伸び、どこか潔さがあった。
5
ポピーと密猟者のテントから保護したドラゴンの卵。
僕が預かっておくことになったけれど、一体どの様に保管したらいいのか分からない。
流石のポピーも知らない様子だったので、じゃあ調べようと図書館に向かうと、以前"羽ばたく本"を捕まえる手伝いをしたクレシダに話しかけられた。
「あの時はありがとう。何を探しているの?手伝うよ」
「やあ、クレシダ。ええと、ドラゴンについて調べたいんだけど、どこにあるかな?」
それならあの辺に⋯…と案内してくれる彼女に礼を言い付いていくと、目的の書架の前に先客がいた。
あ、とクレシダが顔をしかめたので、僕がここまでで大丈夫だと伝えると、彼女はほっと息を吐き静かに離れていった。
図書館の本は古い物も新しい物もあるけれど、視線の先の彼が持っている本はとりわけ年季が入った物のように見えた。
声をかけるか迷ったが、ゆっくりとページをめくる真剣な表情の彼を邪魔するのも悪いかなと思い、僕は横からそっと本を探し始めた。
「……君、いつからいたの?」
「うーん。二十分くらい前かな。アミット、随分真剣に読んでるけど、それどんな本なの?」
「ああ、これかい?竜とドラゴンの本だよ」
本を読み終わったアミットが顔を上げたので、挨拶のように手を上げると、彼は少し驚いたようだった。
尋ねた僕に、どうぞと本を差し出してくれるアミット。受け取って数ページめくる。北欧神話の竜とイングランドのドラゴンの違いについての研究書らしい。
こんな宿題は出ていないから、アミットが自発的に調べていることなんだろう。
北欧神話と星座や、ヴァイキングの星見術に関する勉強だろうかとあたりをつけながら本を返すと、彼はそのまま本棚に戻した。
「あれ?借りていかないの?」
「何となく知りたいことは分かったからね。ここにいるってことは、君もドラゴンに関して調べ物があるんだ……ひょっとして、また何か危険なことしようとしてる?」
その鋭い疑問に、あははと笑って誤魔化すが、アミットの頬が引きつっているので、まあ、何となくばれているのだろう。
僕が広げているドラゴンの飼育方法が載った本をアミットはちらりと見た。
「そういえば、君はここに来る前にドラゴンに襲われたんだったよね。その、怖くなかった?」
「怖かったよ。でも、現実味がなかったな。今まで架空の生き物だと思っていた生物に、今まさに殺されようとしているなんて、不思議な感じだった」
「……そうか。君のその、何にでも、危険にすら平気で飛び込んでいってしまうのって、元々の質もあるのだろうけど、一番の理由はその恐ろしさをよく知らないことなんだろうね」
そう言ってアミットは、一冊の本を棚の低いところから抜き出し僕に差し出す。
それは、とてもカラフルな装丁がされた低学年向けの物語集だった。綺麗な本だなあと眺めていると、その本は三百年前の物だと説明したアミットが、僕の手に本を載せたままページをめくった。
「これにはね、魔法族の子供が聞かされる物語の中でも危険な魔法生物が出てくる話が沢山載ってる。ほとんどが冒険譚さ。こういう物から僕たちは、小さい頃から蜘蛛やドラゴンに恐怖を抱くんだ。でも、君にはそれがない」
「――もしかして、この間の鉱山のこと、怒ってる?」
「ううん。あれは怖かったけど、ロドゴクと話せたのは嬉しかったし、ゴブリンの鉱山の内部を見れたのはいい経験だったよ。そうじゃなくてさ、君は”危険”を知らなすぎるんじゃないかって思うんだよ。それに」
「そうだね、分かった。覚えておくよ。この本も借りて読んでみる。心配してくれてるんだね、ありがとうアミット」
確かに僕は魔法族の常識に疎い。
でもそれは仕方の無いことだ。必死に勉強しているし、分からないことは出来るだけ確認するようにしている。
にこりと笑ってアミットの言葉を遮り、飼育本の上にのせてマダムのところへ向かうことにした僕に、彼はまだ何か言い足りないようだったが、小さく頷いて諦めたように微笑み返した。
僕はこのとき、アミットの物言いに少しカチンときていた。
でもそれは、図星を指されたからだったのだと、あの時の彼はとても大切なことを伝えてくれていたのだと、そう気づくことが出来たのは、全てに後悔したあとだった。
6
春の少し長い休暇を使ってマルワンウィーム湖近くの星見台に天体観測に行くと、望遠鏡で星を眺めている同級生を見つけた。
僕が贈った望遠鏡、大事にしてくれていたんだと嬉しくなって、やあ、と声をかけると、吃驚するほど勢いよく彼が振り返った。
「……ア、ミット?」
ゴブリンやアッシュワインダーズは、彼の活躍のおかげで随分減って襲われることも少なくなったと聞く。それに彼は、杖をこちらに向けたわけでもない。敵に襲われた思ったわけでもないだろうに、何をそんなに驚いたのかと不思議に思っていると、彼はカップに飲物を注いで僕に差し出した。
「アミット、良かったら隣にどう?」
「ありがとう。マルワンウィーム周辺は暖かいけど、まだ夜風は少し冷たいね」
彼が煎れてくれたのは暖かい紅茶だった。口に含むと、華やかな香りと湯気が鼻を抜ける。
ここからは大犬座がよく見える、そう言った彼は、羊皮紙に星見台の位置と見えた星座を記していた。
板のような物を下敷きにしていて、書き慣れているのだろうけれど不安定な姿勢。僕は自分のライティングボックスを取り出し、良かったらと彼に渡した。
「え?いいの?」
「うん。中にインクと羊皮紙も入っているから、足りなくなったら使っていいよ」
父から譲り受けた品だから少し古い物ではあるけれど、側面に白蝶貝や真鍮で草花の模様が描かれたそれは美しく、僕の自慢の宝物の一つだった。
箱を開けば表面には文字が書けるようになめらかな革張りがしてある。最近手入れをしたばかりだから、書き心地は悪くないはずだ。
しばらく彼が羊皮紙に文字を書いていくのを、紅茶を飲みながら眺める。
大犬座ならば目視でも簡単に見つけられる。空に目をやると、一等星のシリウスが光り輝いていた。
「ねえ、どうしてさっき、あんなに驚いたの?」
重要なところを大体書き終わったのを見計らって尋ねると、少しばつが悪そうに言い淀んだけれど、それでも彼は答えてくれた。
「……セバスチャンかと、思ったんだよ」
「……」
もともとマルワンウィームに雪は降らない。それでも春になったばかりの今は十分に暖かいとは言えず、ざあざあと吹く風と冷え冷えとした真っ黒な夜の湖に、首が少し縮むようだった。
(セバスチャン・サロウ)
とても優秀だったのに、いつの間にか学校を辞めた同級生。
妹のアンが呪いに苦しめられているだけでなく、つい先日叔父まで亡くしてしまい、いろいろな事情があったのだろうとみんな口々に噂し、または怪しんだ。ホグワーツ襲撃に荷担してたんじゃないかなんて言い出す生徒もいたが、ナティ達杖十字会の面々が抗議し、黙らせていった。
友人の多かった、セバスチャン。
けれど、本当のことを知っているのは恐らく、親友だったオミニス・ゴーントと隣に座る彼だけなのだろうと僕は思っている。
彼はぽつりぽつりと話してくれた。
この近くに、セバスチャンと二人で冒険した遺跡があること。その時、小さな喧嘩をしてしまったこと。セバスチャンと彼の気持ちがすれ違っていたことを感じていたのに、そのままにしてしまったこと。
「――謝りたいんだ、何もかも」
今も会いたくて堪らないと、泣き出すんじゃないかと思うぐらい辛そうな声で、心の内を吐き出した。