人々を癒す方法を模索する旅の途中、情報の提供と注意喚起のためにホグワーツへ何度も手紙を送った。
魔法の研究のために強い力のある鉱物が必要だと書いたら、街の人々の安寧を守れるのならばとルックウッド先生はいくつかの鉱山を手配してくれた。街から隔離され人目につきにくいそこは、いつしか医師や癒者、研究者たちが集まる場所となった。
死にゆく人々から苦しみを取り除いた。そして、自ら死のうとしている人々から苦しみを取り除いた。
古代魔術の力は秘密にしなければいけないと、納得はしていなくても教えられてきた。だからそれは秘密裏に行った。
同僚となった恩師たちを家に呼び研究の成果を見せた時、数人の目には好奇心が見えた。同時に、戸惑うような反応もあったことはわかったけれど、明確に否定したのはラッカム先生だけだった。
死の病が収まるころには既にたくさんの痛みを抜いていた。副産物として得た力の保管場所をまず提供してくれたのも、やはりルックウッド先生だった。
ルックウッド城に保管所を作って暫くして、城近くに現れる亡者の数が減った。
先の疫病では大量の死者が出た。墓地は死体で溢れ、土葬も間に合わず、穴に埋められたり捨て置かれた死体も多い。感情は力だ。淀み重なり留まった悲しみは呪いだ。それは、闇の魔術と似た力を生んで、ハイランド地方の亡者は増えていた。
けれどフェルドクロフトは、ルックウッド城を中心に亡者の被害が少ない。まるで古代魔術の力が呪いを封じ込めているみたいだと考え、守護者たちへ進言した。
私にはまだ、救わなければならない人々がいた。
子を亡くした親がいるのなら、親を亡くした子供もいる。疫病にかかった家の子だと、謂れのない蔑みと差別を受けた子供たち。苦しみ死にゆく家族を見つめ続け、誰にも助けてもらえなかった子供たち。彼らの悲しみが、たった数年で癒えるはずはない。
父と同じだ。世界の全てが彩を取り戻す中で、悲しみと不審に死んだままの心。
私は彼らを救わなければならない。自分の父親だけを救い、他を放っておくなんて許されないことだ。
ルックウッド城では力の源が収まりきらないことを伝えると、守護者たちは悩んだが、二つ目の保管所をホグワーツに作ることにした。古代魔術の秘密を守るのに適しているという理由以上に、見知らぬ魔法の痕跡を無視しても、その力に有益性があると判断されたのだと思う。
しかし、疫病の恐怖が去って少しして、これ以上はこの魔法は使わないとラッカム先生を中心に守護者達は勝手にそう決めた。正直、この力を認めてくれていると思っていた校長にまで痛みを抜く魔法を拒絶されたのは予想外だった。
私は危惧し、予見し、残すことにした。
来たるべき時は必ず来る。この疫病はきっと繰り返す。もしかするとそれは、そう遠くない未来かもしれない。
18
アミットととの二人旅で、クラグクロフト周辺のいくつかの星見台を観測し終えた。
このペースなら夏休み中にハイランド地方の星見台が全部観測できそうだ!と嬉しそうに笑ったアミットに、禁じられた森にある星見台はどうしたのか尋ねると、いつも多弁な彼がそっと目をそらした。
――「ホグワーツを思いっきり楽しみたいなら」と教えてくれた友人の言葉は、どんな生徒にも当てはまるようだった。
「ハイランド地方は、ロンドンとは全然違うね」
「そりゃあそうだよ」
一帯を旅して思ったことだった。田舎だとか、気候だとか、地形だとか、そういうことだけじゃない。魔法族が多く住むからということでもきっとない。
クラグクロフト地方はさらにホグワーツの周辺の村とも随分違うと、小高い丘陵の上で細い月を吸い込まんとする海を眺めながら思う。
「この辺は特にノルウェーに近いからね。ヴァイキングの歴史だって影響してる。それこそ、ゴブリンの歴史もね」
「ヨーロッパの中心から遠くて、代わりに豊かな海が近い」
荒い波が打ち付ける海岸沿いには、たくさんの城壁の跡があった。
クラグマー城は、陸地では一本の道からしか行くことが出来ないよう、周囲を海に覆われた地形の上に建つ要塞だ。
防衛の跡は見て取れた。海岸から城へ続く道は入り組んでおり、崖の上から敵を襲撃できる位置に砦跡は残っている。
海岸を歩いていて、大きなドラゴンの骨を見つけた。
確かに人なんて丸のみだ。生前は腹だっただろう箇所に立ち魔法界初日の危機を思い出す。あの時、フィグ先生がいなかったら僕は、間違いなくホグワーツに辿り着ことなく死んでいた。
このドラゴンが密猟者にやられたのか、ただ朽ち果てたものかはわからないけれど、アミットも隣で珍しそうに観察している。
「僕も箒で飛んでいて、この間ドラゴンを見たんだ。もちろん遠くからだけどね。大きかったよ。凄かった。教室で見る標本とは、やっぱり全然違うよね」
「そういえば、アミット。以前、図書室のドラゴンの書籍のところで会ったよね」
あの時は何を調べていたのか。そう聞くと彼は少し苦く笑った。
「僕が預かって君が譲り受けたロドゴクのルーンの飾り。実は僕、あれを三本の箒で見せてもらったことがあるんだ。その時ロドゴクに、いるかどうか聞かれてさ。対価も払えないしもちろん断ったけど、どうしてゴブリンがルーンなんてって気になっちゃって」
「ああ、これ。やっぱりアミットは見たことがあったんだね」
首にかけていた飾りを外して手の平にのせると、アミットは頷いた。
あの天文学の授業の後も、アミットはこの模様自体には全然触れなかった。ゴブリンが作った銀細工だから興味を示しそうなのに、と少し不思議だった。
これは何の魔法もかかっていないただの飾りだ。古代魔術の痕跡や光もない。それでもやたらと胸元になじむから、やっぱり特別なルーンなんだと思う。
「このルーン、ドラゴンに関係あるの?」
「さあ。僕、ゴブリディグック語は読めるし英語も得意だけど、ルーン語の授業は取ってなくて詳しくないんだ。でも、ルーンとドラゴンの組み合わせはたくさんあるよ。ここら辺でも、よく見るなって思ってさ」
見せてほしいと言うアミットにルーンの飾りを渡すと、彼はうっとりとその模様をなぞった。
ゴブリンの銀も、ルーンの神秘も、アミットはきっと好きだ。
これはロドゴクの形見みたいなもの。そう考えて、その飾りはアミットにあげると笑うが、彼は固辞するように首を振り、僕に返した。
アミットは所有欲がないなあと困ってみせると、彼は「僕より相応しい人がいる場合が多いからね」と言って僕から少し視線を外し微笑んだ。
19
辺鄙な場所にある星見台は目撃情報も少なく、中々見つからない。
この地方最後のマナー岬にある星見台もひっそりと朽ちた城壁に隠れており、てっきり視界の良い広い荒野にあるものだと思っていたから、見つけるのに苦労した。
ニフラーを飼っている彼の知人から聞いた情報を頼りに、ようやく星見台に辿り着いた頃には夜も更けており、僕たちは慌てて準備をして観測を始めた。
位置や角度、それに光の強さや散り方、星の温度の推測。手書きで写し取っていくのと同時に、望遠鏡で見える光を魔法でも記録していく。
雑談交じりに、写真機の登場でマグルでも僕らと同じように客観的な記録が付けられるようになったと彼から聞いた。客観的な資料が増えるということは、多くの人々が分析できるようになるということだ。
マグルのほうが魔法族より遥かに人口が多いことを考えれば、もうじき夜空はその神秘を脱ぎ捨て、僕らが理解しうる何かに変わってしまうのかもしれない。
夜明けに星を観測し終えたころには、うっすらと空は白んでいた。護岸そばの城跡で彼の背の空を眺める。今日世界で一番最初に朝日を見るのは、きっと僕だと思った。
「そういえば」と、彼は高さも気にせず崩れた石壁に体を預けて伸びをし、強い海風を背に受けながらもよく通る声で尋ねた。
「ホグワーツ城の星見台で、アミットが言っていた疑問。――どうして、ルックウッド城の地下に最初の保管所があったのか。五年生の僕は、全てに盲目的過ぎたのかもしれないね」
彼が見たのは記憶であり、彼が話した肖像画達も実のところは記憶だ。それはつまり一方的な視点のみで語られた歴史でしかない。
天文学や歴史学に限らず多くの学問では、結果をもたらした要因の客観性がどの程度であったかを吟味しなければならい。
歴史書から学ぶとき、"誰の"あるいは"どの組織"の視点で書かれているのか知ることは重要だ。そして、残された歴史ではなく本当の史実を掴みたいなら、できるだけ多角的に資料を探すことが大切となる。
では、四百年前の出来事について、守護者とは違う視点で残された資料は何か。一つはゴブリンによって記された"ブラグボールの日記"である。ただし、こちらを僕たちが確認する術はないだろう。
(そして、もう一つはイシドーラの残したもの)
彼女は多くの手記を残したが、それはおそらくメモだった。本来、彼女が後世へ残す予定だったもの、彼女の考えと視点がわかるものは別にある。
「セバスチャンも、彼女の記憶が覗けたらって言ってたなあ」
懐かしみながら微笑んでいても、彼の表情には後悔が滲んでいた。
「君たちは実際にイシドーラの記憶を覗いたんでしょう?」
「そう。僕らが地下聖堂って呼ぶイシドーラが残した秘密の部屋でね。その記憶だけであれば、彼女が伝えたい希望は魅力的だった」
「つまり君たちは魅了された?」
「セバスチャンは魅了されてたよ。でも僕には、薄気味悪く見えた」
彼とセバスチャンが三枚絵を発見した秘密の部屋は、僕には踏み込めない領域だ。見てみたいと言ったが、困った顔をした彼にはっきりと断られた。僕だけの秘密の場所じゃないから、と。
そういえば具体的にはイシドーラの記憶について聞いてなかったなと思いながら、なぜ彼とセバスチャンで真逆といえるほど印象が違ったのか気になった。
「どうして君には希望的に見えなかったの?」
「同じシーンの守護者たちの記憶を、先にルックウッド城の試練で見せられてたんだ」
「……え?」
――そんなはずはない。反射的にそう思ったが、それは十分にあり得ることなのだと瞬時に思い至った。
「イシドーラが見せた記憶のほとんどは、ルックウッド城で見た記憶のうち一部だけ編集された記憶だったんだよ」
少しずつ見えてきていたイシドーラと守護者たちの関係性。そのパズルのピースがかちりと明確に嵌まったような気がした。
20
話している途中で何か閃いた様子のアミットが、星見台に羊皮紙を広げた。
「どうしたの?」
「イシドーラの残したものが、繋ぎ合わせられるかもしれない」
そう言ったアミットは上部に三枚絵の額縁の絵を描き、左端の額縁飲み残してそれ以外を塗りつぶした。そしてその下には、矢印と「オーバールック鉱山」という文字を書き足す。
ああ、これは三枚絵を解き明かす順番だと僕もすぐに理解した。だとしたら、次は右側の額縁だ。その絵の先は、アミットとも探検した塔の洞窟である。絵の下にもそう書かれた。
「三枚絵とともに残されていた手記から考えて、イシドーラが古代魔術を研究する拠点の移り代わりもこの順番だった」
そうアミットは告げる。確かに手記は見つけたとおりの順番で可笑しくなかった。
そして、中央の額縁だけを残した絵を描き、その下に空白を示す丸を記す。
「じゃあ、この中央の絵の先にあるのはどこだったと思う?」
「ええと……ごめん、アミット。わからないよ。左右の絵の場所も、セバスチャンが見つけてくれたから」
僕は方向音痴だ。ハイランド地方の風景は、馴染みが薄いのもあってなかなか細かく覚えられない。それが四百年前の景色となれば、なおさら何処か分からない。
いっそアミットに三枚絵を見せることができれば手っ取り早いのだろうが、地下聖堂へ入れることは憚られるし、三枚絵は持ち運べるほど小さくもない。
「……僕は中央の絵の先には、ルックウッド城があるんじゃないかと思う」
しかし、僕からの答えをあまり期待していなかったのだろうアミットは、自らの問うた空白の丸に"ルックウッド城"と書いて数秒沈黙した。
「どうして?」
尋ねると、口で述べる代わりにルックウッド城の下に更に矢印を書き足し"ホグワーツ:最後の保管所”とアミットは加えた。それで彼が書きたかったことは終わりなのだろう、ペンを置き小さく息をついた。
「君の話を聞いて、なぜルックウッド城に保管所があったのかが疑問だったけれど、僕はもう一つ気になったことがあった。"保管所と試練の順番"に違和感があるなって。ルックウッド城ではまず保管所にたどり着いてから、試練が行われるような配置になっていたんでしょう?試練の出口はルックウッド城の保管所ではなく、ホグワーツだった」
「……確かに」
差し出された羊皮紙は、イシドーラの残した痕跡だ。それがルックウッド城で守護者の試練と重なる。"ルックウッド城の保管所を作ったのもイシドーラ以外にいない"ということが分かってるのだから、不思議なことではない。
ただ、ひどく悲しい気持ちになった。
アミットが言いたいことは、守護者達の試練を作ったのもまたイシドーラだったということだ。
「そうであれば、なぜ、第三のフィッツジェラルド校長の試練や第四の試練だけ、それまでの試練とも、最後の保管所の雰囲気とも全く違う内容だったのかという疑問にも答えが見つかる」
「イシドーラが絡んでない。彼女の事件のあとに加えられた試練だから」
なぜ試練はあんなにも面倒でちぐはぐなものだったのか。もともと設定されていた試練とは違うからだ。イシドーラが、"守護者として"作った試練は一本道だった。
まず、新たな守護者の力をサン・バカーの塔の試練で試す。それが達成できたものが次に辿り着くのがルックウッド城。
ここで"力を得て"、第一の試練より強靭な新たな試練で試し、さらに大きな力の眠るホグワーツの保管所に至る。
とてもシンプルでバランスの取れたものだ。
(ああ。だから、サン・バカーの塔の試練だけ、"古代魔術の宝物庫"という名前がついていたのか)
その試練を超えることができれば、ルックウッド城の力が手に入る。本当に、宝物庫に繋がる道だったのだ。
守護者たちに騙されていたわけではない。彼らは力を守護し、彼らの信じる正義を示しただけだ。ただ、その正義に至るに不必要な出来事を削ぎ落としたんだろう。
地図の間に、イシドーラの肖像画は無かった。その事実が、無性に息苦しい。
「守護者とイシドーラが全く別々に試練や痕跡を残したんだとしたら、"イシドーラが秘かに作った部屋にもペンシーブがあって"、"その内容がルックウッド城のものとほとんど同じ"なんてありえない。いいかい。ペンシーブなんて媒体で意思を継ぐなんて発想は一般的じゃないんだ」
「つまり、あのルックウッド城の記憶は、もともとイシドーラのもの」
「そう思う。イシドーラは危惧したじゃないかな。自分が残すべきと託した記憶がすり替えられることを。だからこそ自分の秘密の部屋にも同じ記憶を置いた」
だけど、イシドーラが伝えるべきとたった一つだけ選んだ記憶は、やはり守護者達にとっても重要だった。
(だから、差し替えずに、一部だけルックウッド先生の記憶に書き換えた――)
ペンシーブの記憶は編集できる。イシドーラがやったことを、守護者たちはもっと巧妙に行なった。
「イシドーラがホグワーツに作った地下聖堂のことは、彼女だけが知っていた。そこに他の守護者たちの関与は見られない。それなら、守護者達の残した試練にイシドーラが関わっていたと考えなければ辻褄が合わないよ」
そうまとめたアミットは、すっかり日が昇った空へと目をやった。
21
彼との冒険はあっという間だった。
冬の雪山も。夏の海空も。
思いついたように彼が、クラグマー城でのキャンプを言い出した。
アッシュワインダーズの残党は居たが、さすがに頭領を欠いたごろつきに、ホグワーツの五年生が二人いて負けることはなく、そもそも彼は百戦錬磨だ。
もっぱら決闘に強いことは知っていたし、ゴブリンの鉱山でその腕は十分見ていたけど、あの頃よりもさらに腕に磨きがかかっている。
絶対に彼とは対峙したくないなと素直に思った。
「アミット!あっちの篝火は全部消したよ」
「僕の方ももう終わるよ。どうやったの?君の方が随分広いエリアだったのに、あっという間だったね!」
誰もいなくなったクラグマー城の松明の火を、二人で手分けして消し回る。
広いクラグマー城のはずなのに、彼は「あっちは任せて!」と告げひょいと箒に乗り、本当に数十分ですぐに戻ってきた。
驚いて尋ねた僕に、氷結呪文で氷の礫を作ってばら撒いたのだと、結局よく理解できなかったことを揚々と言って笑う。
最後の明かりは、彼の持つランタンだけ。
さっと彼が杖を振ってその火を消すと、真っ暗な地面と、光り輝く夜空が現れた。
船で見るよりも、山の中で見るよりも、本当に今までで一番だ思うほどの星空だった。
(月の明かりが、少ないからかな)
もうすぐ新月だ。きっとそれもあった。でも、それ以上にひと夏の冒険が特別だった。これから先たとえどんなに未開の地へ行ったとしても、今日以上の空は見えないだろうと僕は思った。
「星見台もいいけど、こうやって落ちてきそうな星の光を浴びるように見上げるのも好きだな」
隣で彼が呟く声に、言葉にせず頷く。
横を見ると、星明りに薄く照らされた彼が、まっすぐと空を見上げていた。
――その目が、僕を振り返ることはない。
一度、軽く目を瞑り真っ暗闇を瞳に写してから、今度はゆっくりと目蓋を開けて僕も空を見上げる。
手が届きそうなほど夏の星は明るく近く、たくさんの星々が刺さったように目がちくりとした。
数日前、海辺で彼がルーンの飾りをくれようとしたけれど、とても受け取れないと思うほどそれは彼に似合っていたなと思い出す。
(そうさ。僕よりも、相応しい人がいると知っている)
ルーンの飾りにも。
きっと、彼の隣にも。