我々守護者は、次代に現れる"魔法の痕跡が見える者"が、ホグワーツの外部の者かもしれないことを危惧した。
だから、地図の間への入り口も、試練の場所への入り口も、ホグワーツの外部へ作ることにした。
イシドーラはサン・バカーの塔を気に入っていた。「ラッカム先生、見て」と上層階に置いた質素ながら女性らしい家具を見て、懐かしみ微笑む彼女は、いつまでも可愛い教え子のままだった。
私とイシドーラで作り上げた地図の間へと通じる道はどれも、この上なく美しい出来映えになった。サン・バカーの塔の試練の道は、イシドーラが付けた「古代魔術の宝物庫」という名に十分ふさわしい荘厳さであった。
彼女の無から有を生み出すその力は、以前と変わらず素晴らしく、巧みだった。二人で「宝物庫」を造っていると、まだイシドーラが学生だった頃を思い出して久しぶりに笑っていた。
イシドーラは保管所を作るため協力者としてブラグボールというゴブリンを紹介した。
私を含め、多くの魔法族はゴブリンに相容れぬ感情を持っている。どこか冷めた目で彼を見下ろした我々の前に立ったイシドーラは、しかし庇い攻めるように言った。
どうしてそんな顔をするの?彼は理解者よ。――彼は敵対するゴブリンとは違う。全てのゴブリンが悪いわけじゃないのに。
彼女は革新的な魔女だった。その種族間の垣根を越えて理解しあおうとする姿は、我々がいかに閉鎖的で偏見に満ちていたかを思い知らせた。
すまないと詫びた私に、イシドーラは安心させるように言った。
「ブラグボールはこの力を、"人を選ぶ力かもしれない"と認めて封じ込めるのに賛成してくれたわ。ラッカム先生、『友人』は決して自分でこの力を使おうなんて気持ちは持っていないの」
彼女は先の疫病で、魔法族も、マグルも、そしてゴブリンすらも分け隔てなく救ったのだと、後にブラグボールが誇らしげに話していた。
ああ、知っていた。君は優しい子だ。
――どんなに道を違えても、私の自慢の教え子なのだ。
22
アミット・タッカーという同級生は、純粋でお人好しだけれど、融通が利かないというか、気の利かないところがある。それは美点か欠点か。彼に友達が少ないという事実で、同級生にどう受け止められてるか押し図れるものである。
「と、私は思ってたんだけどなあ」
すべての授業が終わって夕食までの間、宿題でもしようかと図書館に向かっていた私を呼び止め、呪文について教えてほしいと言ってきたのは、同学年でも特に優秀と言われる男子生徒である。
彼が入学したてだった一年前ならいざ知らず、今更私が教えられることなんてあるだろうかと思ったが、何のことはない、それは私が以前失敗した魔法のことだった。
「以前クレシダが本を羽のように飛ばしていた魔法について、詳しく知りたいんだ」
軽く持ち運びやすくするだけのつもりが、まるで意思を持つかのように勝手に飛んで行ってしまった本たち。貴重な本を使って何度も失敗すれば、流石に司書から出入り禁止にさせられてしまうとすっかりお蔵入りにした魔法である。
彼にはあれ以外にも幾度か迷惑をかけているし、時々一緒に図書館で勉強したりもする。試作している魔法を書き留めた手帳のうち、未完成の印を付けたそのページを見せるぐらいであれば構わないと言うと、爽やかに嬉しそうに彼は笑った。
(彼くらい親しみやすければ、寮がどこかなんて全然気にしないんだろうな)
そんなことを考えていて思い出したのが、休暇明けから少し雰囲気が変わったレイブンクロー生のアミットのことだった。そういえば最近、彼が親しげにアミットに話しかけているところを見かけた気がする。
図書館で向かいに座った友人は、私のアミットへの苦手意識を知っているからか、紙を束ねただけの簡易的なノートをめくりながらくすくす笑う。
「クレシダはどうしてアミットにそんなに厳しいの?」
「厳しくないわ、苦手なだけ。あまりに真っすぐすぎて、余計なことを言うから」
「それはちょっと分かるよ。でも、最近のアミットは言葉を飲み込むようになった」
そうなのだ。相変わらず話したいことだけ話すところは変わらないけれど、最近のアミットはふと会話を止めて微笑むようになった。
「あなたの影響?」
「違うよ。僕は前のアミットの方が話しやすかった」
私はよい変化だと思っていたが、彼の方は違うらしい。
呪文を唱えず、軽く何度か杖の振り、目当ての呪文を習得したらしい彼はノートを私に差し出して礼を言った。
「あなたが作りたかった魔法が完成したら、今度は私に教えてね」
「もちろん」
どうして彼がそう思ったかなんてわざわざ聞かない。異性の友情なんてよく分からないのだから。
(でも、アミットなら「なぜだい?」なんてデリカシーもなく聞きそう)
私には居心地が悪いその追撃。けれど、何か大きなものを抱えてるのだろう目の前の優秀な同級生は、その一言に救われることがあったのだと思った。
23
長期休暇明けに、急に一皮むけて登校してくる生徒はいる。
今学期最初の闇の魔術に対する防衛術の授業で、杖捌きが二段も三段も上達していたアミット・タッカー。
聞けば、件の生徒と一緒に夏休みの半分を過ごしたらしい。ああそれで、と納得した。
昨年、痛ましい犯罪を起こして、目をかけていた生徒だったセバスチャン・サロウが退学した。
その行いはとても許されることじゃないが、その境遇を知っている教師陣にはやり切れなさが漂った。また、ホグワーツ襲撃の事件もあって、多くの学生にその事実は伏せられている。
例の生徒とサロウは仲が良く、私はそう差し向けた一人であった。彼ら二人は切磋琢磨し、確かに驚くほどの相乗効果で魔法の腕を磨いた。
そして、上達したタッカーの杖捌きは、サロウの動きに似ていた。
「随分上達したじゃないか。だからと言って、危険な実践で腕を磨くというのは賢い学生とは言えないよ」
「もちろんです先生。僕には決闘はあまり向いてないみたいですし」
一応釘を刺すために声をかけると、タッカーは笑っていた。
自分を知っている生徒。実に優秀で、レイブンクロー生らしい返事だ。それならいいと頷くと、彼はふと目線を動かし、ヘブリディーズブラック種の標本を見上げる。
今更物珍しいものでもないだろうと思っていると、私に質問するというよりは、言葉を漏らすようにタッカーは尋ねた。
「先生、ドラゴンに魔法は効きますか?」
「よっぽどの魔法使いじゃないと、ドラゴンに魔法なんてかけられないよ。まあそれは、私じゃなくてホーウィン先生に聞くべきことだけどね」
珍しいと思った。そんなことを、当然彼は知っている。
むしろ気になった。どうしてそんなことをわざわざ聞くのか。いや、確認するのかと。
「トロールも、人間よりは魔法に対する耐性は強いはずですよね」
「巨人ほどではないさ。だけど、あんたが倒すなら苦労するだろうね。どうしたんだい、何が気になる?」
一部の生徒の士気が上がっていることは知っているが、オナイも、スウィーティングも、死人が出てもおかしくない橋を渡っている。
昨年は、この地方の安全確保が重要課題だと、再認識させられた一年だった。生徒たちはちっとも学校でじっとなんてしてくれない。
近くでトロールの出現の噂でもあっただろうかと考えながら先を促すと、少し迷い、タッカーは言葉を選んだ。
「ゴブリンによって、ドラゴンも、トロールも完璧に操られていたのを、先生はご存じですよね」
「――案外、口の軽い子だね」
古代魔術について、タッカーが彼から話を聞いているのは明白だった。
まあ、仕方ないと思った。
恐らく一番の理解者だった教師も、そして友人も、彼の前からいなくなってしまったのだから。彼にとっては、残った大切なものよりも、むしろ失ったものの方が大きいと言っていい。
(寂しいのだろうね)
他には一体誰が古代魔術について知っているのかと、改めて確認すべきことが増えたことは分かった。
タッカーは、物事を一歩引いて見ることが出来るし、人の感情と事象を切り離して考えられる生徒だ。客観的な視点を持つからこそ、目的や結果に辿りつくことが出来る。
「ゴブリン達は、魔法族を、古代魔術とゴブリンの銀で直接操ろうとしていたんでしょうか」
「おそらくはね。ランロクが率いるゴブリンの使っていた銀の効果は服従の呪文に近い。そしてそれは、密猟者たちには上手く使いこなせていなかったことも分かってる。ゴブリンだけが使える服従のアイテムなんて、考えたものさ」
ランロクの目的は戦争だったとして、逆転の鍵は古代魔術の強大な力そのものであり、さらにそれが付与する呪いだったのだろう。
どのようにそのゴブリンの銀を魔法族に持たせるつもりだったのかは知らないが、禄なことじゃない。
実際、奴らに襲われたり攫われたりした魔法族も多かった。下手をすると実験台にされていたのかもしれない。そう思うとぞっとする。
うーんと一度唸ったタッカーは、けれどそれ以上の質問はせず、礼を言って教室を退室した。
24
夏休みの経験を経て、ようやく僕は、古代魔術の守護者達とイシドーラ・モーガナークは拒絶しあっていただけではないのだろうということに気づくことが出来た。
誰しも大切なものをしまった部屋にかける鍵は強力なものを望む。
ムンさんに教わった鍵開け呪文はかなり強力で、複雑に閉じられた鍵であっても開くことができる。
魔法はイメージだ。僕が鍵開けの際に想像するのは、金庫のような、その中に宝物がしまってある箱を開けることだった。
「……でも、ここには何もない」
そう独り言ちたのは、サン・バカーの塔の上階であった。
古代魔術の最初の試練の場所である高い高い塔に初めてフィグ先生と訪れた時、ここはラッカム先生のものだと思っていた。
ただ掃除をするだけの魔法は、けれど何世紀にもわたる持続力を持っていた。魔法をかけ続ける人がいなくても、勝手に意思を持つかのようにパタパタと箒は踊る。同じ魔法を、イシドーラの研究施設の一つでも見た。
フィグ先生が珍しがっていたのだから、きっと独自の魔法に近いものなのだ。クレシダが似たような呪文を偶然にも使っていたので教わってみたが、思うように動かすことと、反して勝手に動かすということを両立するのは存外難しい。
サン・バカーの塔を上ると、途中にずいぶんと厳重に施錠された扉がある。ラッカム先生の肖像画の前だ。それは、試練の入り口も、肖像画も守ってはいない。
重い南京錠を外し螺旋階段を上った先には、ただ小部屋があった。
階下の蔵書から持ってきたのだろう積まれた本と、薬草学や魔法薬学の痕跡が残る部屋。
けれどそこは、階下の部屋とはずいぶんと雰囲気が違っている。多少乱雑ではあるものの、ある程度整理はされていた。なにより、一番の違いはその家具だった。
柔らかい植物柄があしらわれた椅子。少しサイズの小さな机。――ここにはおそらく、女性が居たのだ。
バカー先生の妻などではないだろう。この塔には、古代魔術の秘密が隠されている。ここにいることが許されていた女性は、たった二人のどちらかだ。
そして、鍵のかかった扉の前にあったのはラッカム先生の肖像画だった。なぜこの塔の所有者であるバカー先生ではなくラッカム先生の肖像画があったのか。彼が見守っていたもの。
「イシドーラ。ここにも、君がいたのかな」
もしも、彼女とラッカム先生がここで過ごしたのなら、それは殺伐とした研究の一環ではなく、もっと暖かな時間だったのだろうと思った。なぜなら、自分がフィグ先生と過ごした入学前のひと時が、優しさと楽しさに満ちたものであったから。
ここは封じられていたわけではない。現に、階段は重たい錠前で施錠されているが、壊れた屋根の隙間からアロホモラを使うことなく入り込めてしまう。
この部屋は、ただただ大切に鍵をかけて閉じられていたのだ。
まるで宝物をしまいこむように。
まるで、またこの場所に彼女が帰ってくることを望むように。
25
「フィグ先生、僕、ルックウッドを殺しました」と、ランロクによりホグワーツが襲撃を受けた混乱の中で彼が告げたとき、私は一瞬息をのんだ。
少し前に、彼の親友ともいえるセバスチャン・サロウが許されざる呪文で叔父を殺し、アズカバンに収容されたばかりだ。
サロウの罪を我々に告げたのは、ゴーントであり、そして彼であった。襲われたから仕方なかったのだとサロウと同じことを彼は口にし、彼自身そんな自分の矛盾を分かっていた。
私を見る瞳には、責められるかもしれないと怯えが浮かんでいる。
(ランロクとの決戦の時が迫っている。まず今、彼を失うことはできない)
自身の叔父を殺めたサロウと、ルックウッドを手にかけた彼は、私から見れば明らかに違う。私には、彼を罪に問うことは出来ない。
一度、鼓舞するために肯定し励ますと、ほっとしたように頷き、力強く杖を握って悩みを振り払ったようだった。
――崩れてきた岩の下で、遠く小さく、彼の悲痛に呻く声が聞こえた。
微かに届いたその声に浮上した意識は、けれど腹部の激痛にまた沈みそうになる。
未だ体は動かずとも手には杖を持っている。浅い呼吸を繰り返し、なんとか瞳をこじ開けようと、杖を握る手に力を込める。
今意識を手放したら、今度こそその深みから二度と戻ってはこれまい。
(情けない。ホグワーツの教師ならば、生徒を守らねば)
彼はこの一年頑張った。
かけてはならない苦労をかけた。
させてはならない試練をさせた。
守るべき時に守れなかった。今もまた。
ああ、彼にルックウッドを殺させたのは私なのだと、認めざるをえなかった。
瓦礫を退け、立ち上がった足は血が通っていないように反応が鈍く何度もふらつく。
けれど懸命にホグワーツを守ろうとするその背を見たとき、地面を踏みしめ、自然と杖を振り上げていた。
力尽きるまで。力尽きてもなお。私の何か、命のようなものを削って崩壊しそうな古代魔術の柱に魔法を放つ。
ちらりとこちらを振り返った彼の瞳に、希望が戻った。
よかった。私の力はちっぽけでも、このために、彼のために使うべきものなのだ。
「――きっと、ミリアムも君を気に入った」
若き友であり、君は私の自慢の教え子だ。
最期に見た彼の顔は、ほんの一年前に出会った時と変わらずに、純粋で素直な少年のままだった。