1
あれ、ここどこだろう。
唐突にそう思ったのは、いつも通り授業を受けて、いつも通り闇の魔術の防衛術の部屋の近くへ向かう階段を上っていた時だった。
学校の中でも一番美しいと感じる吹き抜けの廊下。青を基調とした大きなステンドグラスや石張りの階段。
どことなく自寮の談話室の雰囲気に似ていた。創設者のロウェナ・レイブンクローは谷川からやってきたという。まるで水の中にいるようで冷たくて落ち着くその空間は、静かな声で談笑する高学年の生徒の姿が多い。
「五年生からの転入生だっていうのに、学期末試験で僕の成績ぬかしちゃうんだから嫌になっちゃうよ」
変わらないはずのホグワーツに少し感じる違和感。足を止めてきょろきょろとあたりを見回していると、近くにいたレイブンクローの生徒が小声で隣の友人達に言った言葉が聞こえ、思わず自分のことだと身構える。
「僕がアミットに勝てたのはたまたまだろうなあ。エバレットに勝てたのは……多分まぐれじゃないけど」
「僕は将来成績なんて関係ない職を目指すからいいの」
「へえ。箒職人?」
「まあ、それも楽しそうだけど……もっと幅広いマジックアイテムを作る職人だよ」
「いたずらアイテム作りに精を出すのだけはやめてくれよ。君といると時々、僕たちまで女子に怖い目で見られるんだから」
あははと爽やかに笑っている男子生徒。
(五年生からの、転入生?)
可笑しい。ラッカム先生は、五年生からの転入生は珍しいのだと言っていたはずなのに。
「いい成績をとれたのは、みんなが勉強を教えてくれたからだよ。僕は友達に恵まれた」
歩き出した彼らの後を追う気にはならなかった。
まだ私には今日の課題が残っている。ラッカム先生が教えてくれる古代魔術の抗議の時間までに終わらせないといけない。
ホグワーツにはたくさんの医術や薬学の本もある。それらも図書館で読みたい。もっと多くの知識を得なければ。だって私は五年生からの転入生で、父を治す術を探す時間は全然足りないのだから。
ああ、早く禁書の棚への入り方を見つけたい。
(一人でも、やらなくちゃ)
顔を上げた私が見たのは、いつも通り、水が揺蕩うような防衛術の廊下だった。
2
アミットのやつ、ガリ勉だよな。そんな陰口は言われなていた。
知識を重んじるレイブンクロー生なんだ。勉強して何が悪い。そう思ったし、どの教科だって有意義で、学べば学ぶほど色々な知識が紐づいていく感覚は楽しかった。
寮監には、もっと実技を磨けと言われることもあったけれど、得意不得意はある。
魔法族の多くは、戦えるほどの杖捌きを有してはいない。それは、ごく一部の職種に就く者や才能のあった者が身に着けているだけだ。平時であれば僕も、何の問題もなく呪文を発動させることができる。
座学では概ね好成績を取れていること、僕の進路が魔法省などではないことから、その偏りに呆れてはいてもヘキャット先生はため息をつくぐらいだった。
でも、いくら勉強しても僕よりも成績がいい生徒はいる。それこそ、努力だけでは覆せない才能とセンスを有した同級生。五年間、一度も総合成績で勝てなかった相手だ。
実技が得意。座学も得意。好戦的ともいえる性格なのに、趣味は読書で会話は理知的。皮肉屋なのに友好的。レイブンクローの寮監が、自寮の生徒を差し置いて最も目をかけている生徒。
彼がガリ勉だと陰口を叩かれているのを、僕は聞いたことがなかった。
(まあ、羨ましいかといえばそうでもないけど)
魅力的な彼の背負う影はあまりにも重い。
五年間も同級生でいればそれなりに家庭事情は見えてくるもので、両親との死別や妹の受難は、僕の家庭環境とはあまりにもかけ離れている。
裕福な家で、両親に愛されて育ったという自覚がある。無い物ねだりはしないほうが賢明なのだと、僕は知っている。
「セバスチャン!」
「やあ、君か。最近授業以外で見かけないけど何してるんだ?」
「それが聞いてよ。あのね、アッシュワインダーズの根城でね……」
セバスチャン・サロウを呼び止めたのは、五年生からの転入生。彼もすごく優秀で明るい少年だ。僕の話を嫌がらずに聞いてくれるような優しさや、気遣いのできる朗らかな性格でもって、あっという間にホグワーツに馴染んでいた。
僕は、友人に笑いかける彼の首元に巻かれているマフラーに見覚えがあることに気がついた。
(ああ、彼も星見台を巡って回っているのか)
同じような装飾の衣装を星見台の側で僕も見つけた。
(僕があげた望遠鏡、使ってくれてるのかな)
友達になりたいと思った人に既に親しい友達がいたとしても、いつか僕も同じ様な友達になれるだろうか。
ふと考えて、僕には誰も友達がいないのにそんなことは夢物語だと、自分で気づいて笑ってしまった。
3
フィグ先生とラッカム先生は、似てるようで似ていない。
地図の間でフィグ先生にロドゴクについて報告しながら、僕らを見下ろすラッカム先生の肖像画を見上げて思ったことを告げると、「ほう」とフィグ先生は楽しそうに笑った。
「フィグ先生、放任主義ですよね」
「私には古代魔術を君に教えることはできないからな」
「アロホモラも教えてくれるって言ったのに、結局教えてくれませんでした」
「教えようと思っていたら、君はすでに習得しておったんだ」
「ええ。僕はムンさんよりフィグ先生に教えてもらいたかったです」
「ははは。若き友よ。君は冒険が好きだ。そして様々な人と関わることも好きだと、私は知っているよ」
それはその通り。
先生の返しに言い返せない悔しい思いと、僕の性格を分かってくれてることへの嬉しさが混じる。
「それで、ラッカム先生は過保護です」
「私が?」
返した肖像画に頷く。
「僕には試練を受けさせているのに、イシドーラには丁寧に古代魔術を教えてました」
「それは……今は由々しき事態であることが主な要因ではあるが」
「まだ見せてもらった記憶は途中ですけど、イシドーラはすごい魔女になったんだろうなあ」
自分より優秀かもしれない、なんて正直思う。彼女には、セバスチャンにすら感じたことがない地力差を感じるのだ。
「――ふむ。それで言えば、私も君はすごい魔法使いになると信じているよ」
「!フィグ先生!」
「しっかりと魔法の腕を磨くように」
「ぐっ……!もちろん分かってますとも。フィグ先生に古代魔術を見せてあげるのが僕の夢ですから」
「ありがとう。優秀な若き友。期待しているよ」
はい!と元気よく返事をした僕の傍で、――いいや、ラッカム先生とフィグ先生はよく似ているよ。そう誰かの肖像画がささやいた気がした。
4
アンのために、古代魔術の力を使ってくれ。そう頼み込んだら彼女は、「もちろんよ」と手を握り返し微笑んでくれた。
「だめだよ。セバスチャン」
どこか遠くで聞こえる声には気づかないふりをした。
彼女のおかげで、アンの痛みは取り除けた。
微笑むアンからは以前の活発さは感じないが、痛みに苦しむ様子も、叔父を失ったことを憂う様子もない。
時折、アンの焦げ茶色の瞳が伽藍洞のように濁った気がしたが、妹を失わなかった安堵から僕は、些細なその変化を気にしなかった。
「セバスチャン。君は本当にそれでいいのか」
怒ったような親友の声に、失ったことのない奴は気楽でいいなと思った。
息をしている。隣で笑っている。少しずつ反応が鈍くなっていることは気づいていたが、アンは生きている。
最後かもしれないと怯えずに手が握れる。――ただ、それだけのことがどんなに幸せか。
「ありがとう。イシドーラ」
「あなたが妹を失わなくて、私も嬉しいわ」
僕の頬を伝った涙が落ちたとき、どこかで皿に張った水がはねたような音がした。
5
あれ、ここどこだろう。
唐突にそう思ったのは、いつも通りに授業を受けて、いつも通りに闇の魔術の防衛術の部屋の近くへ向かう階段を上っていた時だった。
「五年生からの転入生だっていうのに、学期末試験で僕の成績ぬかしちゃうんだから嫌になっちゃうよ」
変わらないはずのホグワーツに少し感じる違和感。足を止めてきょろきょろとあたりを見回していると、近くにいたレイブンクローの生徒が小声で隣の友人達に言った言葉が聞こえた。
僕に話しかけられたんだと思い軽口でも返そうとして、その相手がひどく苦々しげな表情をしていたから息をのんだ。
「君に勝てたのはたまたまだって。俺に勝てたのは……多分まぐれじゃないけど」
「先生達が贔屓するからさ」
「僕さ、彼女に、将来魔法省に入るんだろ?って聞いたら、どこにも所属せず研究者になりたいんだって」
「羨ましいよな。天才ってやつ?」
「ガリ勉だろ。先生以外の誰かと一緒にいるところなんて見たことないぜ」
あははと賑やかに笑っている男子生徒達。
(五年生からの、転入生?)
悪意に満ちた噂の矛先は僕じゃない。そのはずなのに足が竦んだ。
歩き出した彼らの後を、とてもじゃないが追う気にはならなかった。
「いい成績をとれたのは、私があなたたちの誰よりも勉強を頑張ったからよ」
少し離れた席で本を読んでいたレイブンクローの少女が立ち上がって、僕の隣に立った。
「――早く、禁書の棚へ忍び込まなくちゃ」
切羽詰まったような彼女の声に、自分が重なる。
(ああ、僕もそう思っていたなあ)
僕には手を差し伸べてくれた友がいた。大好きだった友人。
いい方法があるんだと、そう笑った顔を思い出したくて、少し目を閉じる。
そうして数秒後に顔を上げた僕が見たのは、いつも通りの、セバスチャンとの思い出が揺蕩う冷たい防衛術の廊下だった。
完結です。ご精読ありがとうございました。
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