スリザリン転の話・1
もしあの瞬間がなければ、今よりも幸せだったのだろうかと、君は問うた。
1
スリザリン!と組み分け帽子が叫んだとき、魔法の世界も侮れないなと感心した。
(レイブンクローかグリフィンドールって言われると思ってた)
それは、ホグワーツまで私を導いた教師から聞いた寮のイメージと客観的な自己評価からだ。
フィグ先生が面白そうな顔でこちらを見ていたので、ニコニコ人懐っこく笑顔を浮かべて手を振った。
先生は良い人だ。好ましい。知性や言葉選びも、魔法の腕も、フットワークの軽さも、その心根も。最も理想的と言える素晴らしい年の取り方をした尊敬できる老教師だった。
緑色を基調とした制服とローブを身に纏い、一番しっくりくるなと思った。一応念のため匂いを嗅いでみるが、勿論危ない薬品や顔料の匂いはしない。
緑色は、死の色だ。
緑色に染められた衣服のために何人もの中毒者が出たことは、そんなに遠くない過去だった。
談話室は湖の中にあった。暗いが美しい。ただ、少し寒々しくて私の趣味とは違った。
何人かの生徒と話をする。
印象的だったのは、思ったよりも人当たりがいいことと、落ち着いてこちらを観察する瞳だった。
突然の異分子への抵抗は聞こえる。けれど、攻撃というより蔑みが強い。五年生から入ってきた新入生なんて、何か事情があるか、一年生から通えなかった能力的な問題があるか、どちらにしろ大したことないんだろうという、侮蔑。
いいねと薄く笑う。やりやすい。私より優秀な人間なんてあまりいないのだから、評価なんてすぐにひっくり返る。せいぜい一週間。勿論その考えを顔に出すこともない。
一方で、そういう侮蔑を、試すような笑顔に隠して親しげに話しかけてきた幾人かの同級生。彼ら彼女らはきっと強かで、仲良くなれそうだと思った。私も、ぐるりと談話室を歩きながら寮生らを値踏みしていた。
――やあ、困ってるんだね。私で避ければ力を貸そうか?
――そんな謎があるの?面白そうだね。是非解き明かしてみせるよ、任せて!
――上手くいくか分からないけど考えがあるんだ。もし見つかったら届けに来るね。
魔法魔術学校は想像以上に実力主義だ。生徒の多くは、自分では解消できない悩みを抱えている。
緑のローブをはためかせ、ひょいと箒に乗ると歓声が沸いた。
偉人にはパズル好きも多い。彼らがお遊びで隠した"宝物"や小さな秘密。解読するのに頭を捻った割に、成果がいまいちだったときは肩をすくめてしまうが、それも笑い話として大広間で披露すれば、楽しそうに下級生達は聞いていた。
「セバスチャン!」
「やあ、何かようか?」
びゅんと、箒を急降下して探し人の隣に下りるが、彼は軽く手を上げただけで少しも動じない。
初めての防衛術の授業の時、まるで達人と決闘しているみたいだったなんて茶化してきたが、彼自身は決闘の結果になんて全くこだわっていなくて、あくまで話題の一つ、面白いことの一つとして私を受け止めた。
今まで負け知らずだったのに悔しくないの?と聞くと、少し考えた後で、負けても別に困らないからと笑ったのだ。
人当たりが良く、このホグワーツで出会ったどの生徒よりも有能。
けれど、そんな彼も、自分では解消できない悩みを抱えていた。
2
俺たちのようにスリザリンに選ばれる者は、心の中に蛇を飼っている。
それ自身が悪いと言うことはない。
毒を持つか、持たないか。他者に噛みつくか、噛みつかないか。良い悪いを決めるのは、その心のあり方だ。
双子の親友が出来て、ホグワーツに来て、はじめて俺は、そういう風に考えることが出来るようになった。
日だまりを好む蛇。キラキラとした鱗が光を反射する。
光も闇も蛇の目で見つめて、二匹の蛇は闇の中にいた俺を日だまりの方へ連れ出した。
――秋の匂いがした。冬の楽しさを知った。春の暖かさにまどろみ、夏は音で溢れていた。
他人を愛し、失いたくないと思う、初めての感情を知った。
ぴちゃんと、水が石の床を打つ小さな音が響く、スリザリンの書斎へと続く通路。
自寮の談話室や地下牢よりも、さらに陰気で暗い。隣にはセバスチャン、先頭にはつい数ヶ月前に同寮の仲間となったばかりの少女。
「ルーモスに照らされる蛇の顔は随分醜悪だね」などと毒づく彼女は、朗らかで優しいという噂とは大分違う人物のようだった。
それでも、有能だ。俺が一番よく知り信用する魔法使いは、そう言って彼女を認めている。
「オミニス、私、アンにあったよ」
二つの部屋を手分けして調べようと言うことになって、セバスチャンが奥の部屋を調べている間、彼女が俺に小さな声で囁いた。
「いつ」
「先々週ぐらい。あれは酷かったね。セバスチャンが焦る理由が分かる」
「酷かった、のか?」
「――うん。死相が出てた」
死相、という言葉にびくりと反応する。今まで、アンの症状について、そこまであからさまな発言をする者はいなかったからだ。
思わず立ち止まった俺の肩に彼女は手を置き、落ち着かせるようにそっとさすった。
「君が闇の魔術によって苦しめられてきたこと、少し聞いてる。ごめん」
「俺の家族は、本当に最悪だ。俺はサラザールも変わらないと、どこかで思っている。ただ、叔母の行方が知りたいんだ」
彼女がセバスチャンから話を聞いているということは分かっていた。
むしろ、だからこそ、もう既に闇の一部に巻き込まれているからこそ、今回彼女を誘うことに抵抗がなかったのだ。
俺とセバスチャン。本当はきっとそれで十分だ。今のセバスチャンは俺の話を聞かないが、俺は未だ親友を信じている。
それでも、俺たちにとって一番物事が上手くいくのは、俺とセバスチャンとアンの三人で居たときだった。――だから、『アンの代わり』を、彼女にお願いしたのだ。
そんな俺の思惑に気づいている彼女は、ふっと笑った。
「君なら、闇の魔術の本質が分かる気がする。私と同じように」
「同じ?」
「うん、そのことは今度教えるよ。今は書斎を見つけることに専念しよう」
彼女はそこで言葉を切った。
まるで彼女との密談が終わるタイミングを計っていたかのように、こっちだと、セバスチャンが呼ぶ声が聞こえた。
3
磔の呪文のレリーフの前に立ち尽くし、数十分。
オミニスを説得してこい、と言う彼女に従ってみるものの、やはりオミニスの混乱ぶりは激しく聞く耳なんて持ってもらえない。
じゃあ、まあ、僕か彼女かでこの呪文を成功させるしかないわけだが、彼女は杖捌きを教わるだけ教わりながらも、僕に少し待てと言い出した。
「なんなんだ」
「セバスチャン、磔の呪文使ったことないんでしょ?」
「そりゃそうだろう」
「じゃあ、成功するかなんて分からないじゃない」
「なら、君がかけるのでもいいぜ?」
「それだって同じだよ。成功するかなんて分からない。こんな危険なもの、リスクは下げるべきだよ」
この呪文の適任者は私たちじゃない。そう言った彼女は、少し離れたところでうろうろと動揺するオミニスをじっと見た。
(おいおい、嘘だろう)
先ほど僕がすげなく断られたばかりだ。この狭い空間で、彼女はその始終を見ていたはずだ。オミニスの事情だって、伝えている。
すうっと彼女の目が細まって、手を当てていた口元が笑みの形に口角を上げた。そのあとで僕をちらりと見、ゆっくりとオミニスに近づいていった。
「オミニス」と彼女が話しかけると、彼は僕らを見えない瞳で睨む。
「君がやらないなら、私がセバスチャンに磔の呪文をかける。本当にそれでいいの?」
「書斎を探したいのは君たちだろう、俺じゃない」
オミニスの拒否感は強い。根底にあるのは過去への恐怖だ。
もう二度と使いたくないと、何度も言っていた。流石の僕も、あんな様子の親友に無理を言おうなんて思わない。
失敗してもいい。痛みは引き受けるから君が僕に使えばいい。君ならきっと上手く出来る。そう言おうとした僕を、彼女は一瞬視線を送って黙らせた。
数秒の沈黙の後、「そう」と彼女は一度オミニスの言葉を受け止めて、けれど、次には驚くほど優しい声音で語りかけた。
「――でもね、アンとセバスチャンの親友は、オミニスなんだよ」
オミニスの表情に、遠目からでもはっきり分かるほど変化が生まれた。
「ただ書斎を探したいんじゃない。冒険したいんじゃない。目的は、アンの呪いの治療だもの。オミニス。二人のために、君が勇気を出すべきだ」
十分にオミニスに近寄った彼女は、両手でオミニスの頬を掴み、次に肩をさすり、その右手を握りこんだ。
さあ、ほら、と彼女の場違いに柔らかい声に、まるで服従の呪文に駆けられたかのように促され、泣きそうな瞳が僕を見た。
4
セバスチャン・サロウは、何故磔の呪文や服従の呪文を知っていたのだろうか。
オミニスは言った。彼の両親と同じだと。
一方で、セバスチャンの叔父は言う。サロウ家は闇の魔術は使わない、と。
しかしそもそも、一般家庭では、闇の魔術を使わないことなんて当たり前なのではないのか?わざわざ「サロウ家」に限定するような前置きはいらない。
反対に、相手が誰であっても、どんな時でも――姪が殺されそうなときですら――闇の魔術は使わないというほど、ソロモン・サロウは潔癖なのだろうか?
セバスチャンとアンは、彼が闇祓いを辞めた原因を、闇の魔術を使ったことではないかと推測していた。それが甥姪から見た、彼の人間性だ。
(セバスチャンの両親の直接の死因は地下室へのガスの充満だとしても、きっと間接的に闇の魔術が関係している)
そもそも、地下室に図書室なんて作らない。
文字を読むには光が必要だからだ。太陽光以上に効率のいい光は、今のところまだ存在しない。
よっぽど、人目には触れさせられない、何かを夫妻は研究していた。
(闇の魔術か。奥深いな)
果たして古代魔術にはどこで繋がるのだろう、そう思って自分の手を握ったり開いたりしていると、なにしてるの?と待ち合わせをしていたナティに声をかけられた。
「やあ。特に何も?ナティ遅かったね」
「ごめん、母さんに引き留められちゃって。寒かった?」
「いつも待たせてることの方が多いから、私だけじゃないんだって少しほっとした」
初日にホグズミードを案内してもらってから、度々こうやって一緒に外出する。
あまり自分の周りにはいないタイプ。にこりと笑うとにこりと笑い返してくれる。なるほど、帽子が選ぶグリフィンドール生ってこんな感じかと納得した。
打算のないお人好し。溢れる正義感。失った家族を思いほんのりと感じる後悔は、傷とはなっていても、ナティを暗い闇に縛るものではなかった。
(セバスチャンとは違うな)
つい比べてしまうのは、二人とも心根は同じくらい優しいのだろうと思うから。
ナティが探そうとする、ハーロウやルックウッドの陰謀になんて興味ない。
ただ、ルックウッドが狙っている物の危険性はよく知っているし、ランロクが既に古代魔術の力を使っていることも知っている。
私は、私の好きな人があんなもので傷つくのが嫌だと、ただそれだけだ。
「それで?今日はどこの聞き込みを?」
「アーチーから、もう一度話を聞けないかと思って。もちろん、あまり辛そうだったら止めるよ」
「アーチー・ビクルか。……大丈夫じゃないかな?彼は年の割に心が強そうだったよ」
父親の死を目撃したという点で、ナティとアーチ―は近い境遇にいる。
アーチーは、奴らに捕まって生き残った数少ない人間の一人だ。しかも、あの場には口の軽そうなカトリン・ハガーティーがいた。
彼女の人柄についてはアイアンデールで兄であるパドレイエクから話を聞いたが、どんなに魔法が強力でもその本質はせいぜい小悪党だという印象だ。
子供の前だと油断して、何か情報を漏らしている可能性はある。
「――どうか、アーチーが恨みや悲しみに囚われないように。絶対ハーロウを捕まえよう」
「いいよ。ナティがそうしたいなら」
君は一人じゃないよと伝えたくて握ったナティの手は、暫く外で待っていた私の手よりもずっと温かかった。