9
試練を終えるたび、地図の間に戻ってくる。
深い青色に光が舞う床の魔法は、いつ見たって美しい。
四百年前からあまりホグワーツ周辺の地形は変わっていないようだった。街路が敷かれ人が流入し、目覚ましいほど産業発展が進むロンドン周辺とは大違いだなと思う。
足元の光が楽しくて、川をなぞるようにくるりくるりとその上を回っていると、フィグ先生は笑っていた。
「ダンスは好きかね?」
「はい。友達とよく遊んでいました」
都市部には細かく身分差があるが、ピアノやダンスは、どんな家庭の女の子にとっても憧れだった。
煤ばかりの広場で見よう見まねのステップを踏めば、中々様になっていると評判になり、ダンスの上手な貴族女性に戯れで教えてもらったこともある。あの彼女にしてみれば、流行のボランティアだったのだろう。
「ふむ。確かに基礎はしっかり押さえているな。しかし、左足にやや癖がある」
「……フィグ先生はダンスがお好きなんですね」
左足の癖はわざと直さなかったものだ。
小器用な程度が人から褒められるのにちょうどいい。下町らしくて粋じゃない?と笑うと、友人達は嬉しそうだった。
(上手すぎるってのも、良くない)
そんな思いを隠してフィグ先生の言葉をそらすと、先生はそれを分かっているのかいないのか、側に来て私の手を取り、流れるような動作でくるりと一回転させてみせた。
「君が怪我をしていないようで安心した」
さあ試練の報告だと言ったフィグ先生に続いて、守護者達の肖像画まで光の粒の上を進みながら右手を握る。その背を見つめ胸に抱く思いは、柔らかな暖かさへの憧れだった。
10
プルウェット家は純血一族だが、代々グリフィンドール生が多い。
僕自身は入学当初、スリザリンの方が気質は合ってるんじゃないか、なんて思っていたが、五年間過ごした今ではグリフィンドール生であるということに誇りを感じている。
五年生から入学した珍しい同級生は、そんな僕から見て、スリザリン生らしくない振る舞いの、しかし疑いようのないほどスリザリン生らしい少女だった。
彼女は凄い。杖十字会の決闘で負けて、引き寄せ試合で負けて、箒の腕は始めから足下にも及ばなかった。
勉強はどうだろうか。実技に関しては既に、特化した知識を持つ一部の生徒以外、彼女に勝っている者は少なかった。座学についても、まだ覚束ないが、好奇心の塊なのですぐにコツを掴むだろうと思えた。
人好きのする笑顔と容姿なこともあって、五年生からの入学なんてミステリアスな謎を持ちながらも、周囲の一定数は彼女に魅了されている。
ビュウビュウと北風が吹き雪が舞うホグワーツの玄関前の庭で、僕に箒の乗り方を理屈立てて教えてくれているそんな圧倒的に優秀な転入生を見る。
彼女は、いろんな人から困りごとを引き受けている。これは、彼女が聞き上手なことが要因だろうと思う。
時々意地悪な捻りのある返しをするが、基本的には相談者の話を良く聞き、親身なって受け答えをしている。
だから、このままでは飛行術の授業で落第してしまうと途方に暮れていた数十分前の僕は、たまたま通り掛かった彼女に声をかけたのだ。
「なあ、君はマグル出身か?」
隣であまりに上手く箒を乗りこなす彼女を見て、ふと疑問が湧き口から出た。
それは侮蔑さえ含まなければごく一般的な話題であり、出自不明な彼女への興味、好奇心だった。
けれど彼女は、意外なほど不快そうな顔をして箒から降り、首を傾げて斜め下から僕をじとりと睨んだ。
「やだな、リアンダー。血筋ぐらい勝ちたいって考えが見え見えだよ?」
僕の一族は古き純血一族だ。魔法族の中でも脈々と受け継がれてきた"由緒ある血だ"と言われているが、今さら彼女に血筋での分かりきった勝負を口にしても空しいだけだ。
そうじゃないんだと言い訳を考えながら、彼女のローブの胸元にあしらわれたエンブレムを見る。そこにあるのは当然、銀蛇だ。
マグル生まれのスリザリン生がいるのか?少なくとも半純血はごろごろいる。しかしあの寮で、「純血以外である」などと堂々と言う者もいないだろう。
「……気分を害したのなら、すまない」
ただの興味で、怒らせる気は無かったのだと素直に発言を謝ると、きょとんとした彼女は、次には微笑んでみせた。
本当に許してもらえたのか分からないが、もういいよ、ということらしい。どうにも僕は、その考えがいっさい読めない微笑みが苦手だった。
「僕が勝ちたいのはセバスチャンさ」
「決闘で?……うーん。それはまた、随分と才能の差を埋めないといけないね」
困ったように笑いながら、言いにくいことをさらりと言う。
どちらにも決闘で勝った彼女は、僕とセバスチャンの力量差を正確に計れているんだろう。
セバスチャン・サロウ。僕らの学年で優秀な生徒といえば、まず彼の名が挙がる。
今は休学している双子の妹も優秀だったが、僕がライバル視しているのはやはり同性の彼だ。
それこそ、セバスチャンの親友は魔法族の純血性では天上に近いゴーントだ。僕の血筋の主張には意味がないし、くだらないと鼻で笑われて終わるだろう。
彼と、双子の妹と、オミニス・ゴーントの三人は、派手ではないのによく目立ち、学年の中心だった。
みんなが彼らと話したいと思い、彼らは人当たり良くそれを受け入れ、けれど三人だけのスリザリンらしい閉鎖的な空気を纏っていた。それは、アン・サロウが休学した一年間も変わらなかった。
そこに、それを打ち破るほどのカリスマ性を持って現れたのが、彼女だ。
結局セバスチャンに取り込まれ、二人で何かこそこそしていることは多いけれど、それでも一歩引いたところから、彼女は彼らを見ている。
「ああ、でも。既にリアンダーが、私にも、セバスチャンにも勝ってることがあるよ」
箒が地面から徐々に離れ、足は付かない。大事なのは姿勢……それは分かっているが、どうにも体が不安定だ。
四苦八苦している僕を横目に、すっと乱れなく浮き上がった彼女は、僕の腰辺りをぽんと叩いた。
――リアンダー。力を入れるのは腕じゃなくて、首でも背中でもない。まずは腰と箒を垂直にして。
ビュウビュウと、強い風の中でも彼女の声はよく耳に届いた。
叩かれた箇所は意識せずとも力が入る。彼女の声を反芻しながら少し腕から力を抜けば、驚いたことに本当に箒は安定した。
――今度は少し前傾に。ここで始めて腕に力を込めるんだ。でも、込めすぎないで。大丈夫、行きたい方向と速度に姿勢の形を一致させれば、上手くいくよ。
風よけとして前を飛んでくれている彼女の声に導かれるように、抵抗なく進む僕の箒。
君、将来は飛行術の教師になりなよ。そうしたら、僕みたいに箒が苦手な生徒がきっと減るから。思うだけで軽口を叩く暇はないけれど、思った通りに前に進む箒が楽しいと感じた。
そんな僕を、彼女は嬉しそうに振り返り、さっき言いかけた話だけど……と柔らかく微笑んだ。
「リアンダーは、私やセバスチャンよりもずっと、友達の数で勝ってるよ」
「そんなわけ、」
ないだろう、という否定の声は、前屈みになったせいで一気に不安定になった箒に振り落とされる叫び声に変わった。
高度をあげていなかったのは幸いだったが、背を打ち付けた衝撃と痛みに一瞬息が詰まり次にゲホゲホと咳き込む。
頭は打っていないのに視界がちかちかした。いたた⋯と声を出すことで、無理やり意識を引っ張り上げる。
箒はこれが嫌なんだ。クディッチ選手は理解できない。ブラッジャーに殴られても、もっと高いところから振り落とされても、また飛ぼうとするんだから。
足りなくなった酸素をなんとか吸い込むと、クリアな視界と周囲の風の音が戻ってきた。
右隣で華麗な着地を決めた彼女が差し出したウィゲンウェルド薬を飲み干して、漸く背中の痛みが引く。
「今日はここまでだね。医務室に行った方がいいんじゃない?」
「君が変なことを言うからだろ」
「リアンダー。どんなときだって平常心は大事だよ」
転がった箒を拾った彼女は、ごめんごめんと笑っているが、少しも悪びれない。
コガワに借りてきたそれは彼女が片付けておいてくれるらしい。煙突飛行粉はいるかと尋ねられたが、頭がくらくらする今、とてもじゃないけど使う気にはなれなくて丁重に断った。
心配しているのか、していないのか。じゃあねと手を振って踵を返した彼女は、もう振り返らない。
その背を少しだけ見送って、僕は医務室へと歩き始めた。
(君たちよりも友達が多いって?)
それは、彼女たちにとって、周りにいる人達の大半が”友達じゃない”と言っているのと同義なんじゃないのか。
「……じゃあ、僕は?」
いつかオミニスと廊下で話していたセバスチャンが、僕のことを『プルウェット』と呼んでいたことを思い出して、頭がずきりと痛んだ。
11
闇の魔術に傾倒している。そうオミニスは僕を責めるように見た。
仕方ないじゃないかと言っても、許してくれと言っても、彼は納得しないだろう。
最近は、親友と話していると息が詰まる。放っておいてくれ!と口から出そうになるのを、何度も飲込んだ。
「やあ、セバスチャン」
その点、彼女といるのは楽だった。同じ方を見て、アンを助ける術を一緒に探してくれる。
そして、おそらく僕よりも、闇の魔術について抵抗がなかった。
僕が教えた磔の呪いを、ゴブリンや蜘蛛に使っているのを何度か見た。何より彼女は、オミニスに、教わったばかりの服従の呪文をかけたのだ。
「やあ。君も読書?」
「地下聖堂で?まさか、ちょっと疲れたから休みに来ただけだよ」
そう言って、僕らがいつも冒険からすり抜けて帰ってくる壁に背を預けて座り込む。
僕はオミニスがいないタイミングを見計らい、地下聖堂でサラザール・スリザリンの部屋から拝借した本を読み進めている。そんな時、彼女はふらりとここへやって来て、ただ側にいた。
この場所は、オミニスが教えてくれた僕たちの秘密基地だったが、同じように彼女には彼女の秘密の場所がきっとある。
初めこそ魔法の練習にどうか、なんて口実で彼女を呼び込んだが、その目的は既に不用なはずだった。
特に会話はなく、本を読みながらも気になって、時々様子を窺う。
暫くゆらゆらと揺れる天井の火を見ていた目は、次第に正面の三枚絵の方へ視線を移していた。
この場所は、オミニスと僕とアンの秘密基地。
けれど本当は、彼女こそが、この秘密の部屋が望む主だったんじゃないだろうか。近頃は特にそう感じていた。
(――古代魔術、か)
闇の魔術も古い魔術だが、彼女から聞いた古代魔術は、闇の魔術とも、僕らが普段使う魔法とも違っている。
僕らが自分の中の魔法の力を実感するのは、大体が激しい感情の動きとセットだ。感情が溢れるとき、何かが寄り添うように事象を起こす。
なんとなくだけれど、小さい頃に始めて魔法を使うとき、僕らの多くは、怖いという感情や、悲しいと思う何かに襲われていることが多いと思う。魔法とは、そういったものから逃げ、一方で現状を変えたいと同時に願うことが、根底となる力なのだと思う。
ふと、本の文字を追う手元に影がかかる。視線を上げると、彼女が僕を見下ろしていた。
彼女はスリザリンの本にさして興味を示さなかった。ただ一緒に宝物を見つけて、良かったねと笑って、僕の背を押して、それだけだった。
でも最近は、こうしていると、気付けば近くへ寄ってきて、じっと本を読む僕を観察している。
「――何?」
「オミニスが」
吐息のように彼女が囁いた言葉は、親友の名だった。
「セバスチャンは闇の魔術にのめり込んでるって心配してた」
故郷の近くの墓地で遺物を見つけた。まだ使い方は分からないけれど、あれは凄い物だ。
その方法だって、きっとこの本に書いてあることが鍵になる。
「それで?」
「私は、そうじゃないって思ってる」
僕だって、自分自身が闇の魔術にどんどん惹かれて言っている自覚はある。
感情の制御が出来なくなってきている。魔法は感情に寄り添い、――呪いは溢れでるものに潜む。
可笑しなことを言う彼女は、本を貸してくれと言って、僕に手を差し出した。
「なんでだ。君、この本に興味なんてないだろ」
笑って、払いのけようとした僕の右手は掴まれ、鼻の先へ綺麗な顔が寄ってくる。
薄い色の瞳。オミニスと同じだ。ガラスみたいに全てを跳ね返す水色。
僕が本をしまおうとするよりも早く、彼女は反対の手でそれを取り上げた。
(やめろ!)
利き腕を押さえたのは流石だ。杖が握れなくて、思わず怒鳴りそうになったが、はっとしてその声を飲み込む。
僕の右手を離さず、スリザリンの本を持ったまま、彼女は相も変わらず僕を見下ろしている。
数秒の沈黙の後、僕の気が収まったのを待って、彼女は静かに口を開いた。
「――ねえ、セバスチャン。もう一度、一緒にスリザリンの書斎に行こう」
息苦しい。
彼女が奪った本に目が行く。
そうしたらその本は返してくれるのかと問うたら、彼女は困った子を見るように笑っていた。
12
ハーロウを追うのも、ルックウッドを追うのも、私が言い出したことだった。
ホグワーツ周辺で起こっている暴力的な悲しい事件を放っておきたくなくて、彼女に一緒に調べて欲しいとお願いしたのだ。
始めて彼女をホグズミードへ案内したとき、あまり絡みたくはなさそうにルックウッドと距離を取っていた。ただ、トロールやルックウッド達を前にしても彼女は怯まず、その姿はとても印象的だった。
「ナティ?大丈夫」
「うん。大丈夫だよ」
アッシュワインダーズとの戦闘も慣れたものだ。なんて言ったら、母さんはきっと怒るだろうけど。
囲まれた中で私を庇うように動きながらも、彼女の魔法は的確に敵を倒していく。
早くて、強い。それだけじゃなくて、彼女の動きは母に通じるところがあった。なんだか先を見越して動いていると感じるのだ。
そういう魔法があることは知っていた。予見ではなく、人の心から動きを見る術だ。でも、大変高度な魔法のはずで、流石に彼女がそれを使えるはずはなかった。
よそ見をするでもなく、それでも彼女の動きを目の端で追っていると、武装解除呪文を放った彼女の杖から不気味な力を感じた。
「君は、大丈夫?」
戦い終わって、側に来てくれた彼女の顔に付いた雪を拭う。されるがままに頬を差し出しながら、「ありがとう」とはにかむ顔は少し子供っぽい。
所々衣服が汚れていたりするけど、血の跡は見えないし、腕や足の関節を痛めたりもしていないようだ。
ほっと息をついてその目を見つめる。
アイスブルーってこんな色なのかと、自分とは全然違う色素の薄さに見入ってしまう。
「クラグクロフト地方で、いくつかの無法者達の拠点を潰したって噂は本当?」
「――うん。本当」
助けて欲しいってお願いされたからと続けた彼女は、当たり前のことをしただけだと言わんばかりだ。
アッシュワインダーズだけでなく、ゴブリンも、アクロマンチュラのような危険な魔法生物も相手取っているという噂。きっとどれも本当なんだろう。
――もしあの時、私が巻き込まなかったとしても、彼女はそんな危険に飛び込んでいったのだろうか。
「私、心配してるんだ」
「ナティは、その言葉じゃ私を止められないことを知ってるでしょう?」
「でも、君は一人で……」
私に彼女を助けられるほどの技量はない。悔しいけれど、初めて呼寄せ呪文を使った彼女にすら完敗している。
彼女から、助けて欲しいと梟便が届いたことはないのだ。
それでも同じ年の少女に、こんな薄暗い使命を背負わせて、一人にさせてはいけないのだということは分かっている。
「私、一人じゃないよ」
「それはフィグ先生一緒だから?」
彼女が師として仰ぎ懐いているホグワーツの教師を思い浮かべる。その関係は、確かに良好に見えた。
それならひとまず安心だ。あとは、頼ってもらえなくても、私や彼女を好ましく思う同級生で見守れば……
かけた言葉に頷いた彼女は、私が安堵したところで、それに、と続けた。
「セバスチャンもいる」
「――そう、だね」
彼女に魔法を教えることが出来る、数少ない同級生。先ほどの不気味な武装解除呪文。あれを教えたのは、セバスチャンだろうか。
どうしてか友人の名を呼んだ彼女が冷たく暗い霧に囚われていくように感じて、私はその冷え切った頬を両手で包み込んだ。
13
用事もなく地図の間に行っても、守護者達は話してくれない。
肖像画の魔法は特別なのだとフィグ先生が言っていたことを思い出す。生きている人間とは違うのだと。
クリスマスの数日間、ホグワーツは少し人が減って授業もなく暇になった。
とは言っても、人がごった返すこの時期にホグワーツ特急で帰るのも大変なので、居残る者も多い。
蒸気機関車って偉大だなあと思いつつも、やはり魔法の方が便利だと考えてしまう。ホグワーツは通学に関しては煙突飛行粉の使用を認めていないが、クリスマス休暇くらいは許可してくれればいいのにというボヤキも、ちらほら聞いた。
(万が一が起きたとき、それも複数同時に起きたとき、絶対にフォローが大変だから許可はされないのだろうけれどね)
クリスマス中なんて人目に付くし、ただでさえ人手は足りないのだ。
子供が多いからか、賑やかに飾り付けられたホグワーツは、浮き足立っていて落ち着かなかった。
広いホグワーツ城の中で、たくさんの秘密の空間の一つ。
地図の間は、私とフィグ先生だけが知っている場所だ。
――君にも見せたかった
足下の光のくずたちは、動きに合わせて散らばる。
もしもミリアムさんがいたら、この場で踊る二人が見れたりしたのだろうか、なんて、クリスマスらしくロマンチックなことを思いながら、くるくるとダンスの真似事をして時間を潰した。
地図の間から城の中央へ向かう階段は、しんとして暗い。
すっかり夜になって冷えた石造りの城は、昼間の賑やかさを漸く収めて、古く厳かな様相を取り戻す。
「おや。こんな夜分に何やってるの?」
「……びっくりした。ギャレスこそ、眠れなくて新しいレシピでも考えてるところ?」
クリスマス休暇をホグワーツで過ごしている同級生の一人と、地下から出たところでばったり出くわした。
冷えて凍えるような城の端の真夜中の階段だ。頭を冷やすにしても寒すぎるし、グリフィンドール寮からも遠すぎやしないか。
(もしかして、ここにも抜け道がある?)
じとっと疑いを持って見つめると、へらりと何かをごまかすようにギャレスは笑う。
まあ、どこにいたのか聞かれて困るのはこちらも同じだ。言及は出来ないかと、軽口でも交わしてこの状況を流そうと思ったとき、階段上から騒々しいラッパ音がした。
うわ、ピーブズだ!
そう呟いたのは、たぶん同時だった。
勿論消灯時間は過ぎている。クリスマスイヴの夜にあんな奴に捕まって台無しにされるのは流石に嫌だ。
幽霊は目眩まし術でごまかすのにも限界がある。
一人であれば地図の間へ戻るだけだけれど、と思って隣のギャレスへ目を向けると、彼もこちらを伺っていたようで視線が合った。
「――こっち」
ピーブズの声から離れるように一つ階を下りて、途中の踊り場のタペストリーの中央をギャレスが押すと扉が開く。
知らない場所だった。
短い廊下には、何か不気味な剥製が飾られている。見たことのない獣だが、先を進むギャレスの速度に合わせて歩くのでよくは見えない。
少し進むともう一つ部屋があった。ずらりとタペストリーが絵画のように並んでいる。
「あいつ、ここには絶対入ってこないから」
「ここは?」
確かに、ピーブズの声はもう大分遠い。
暗い部屋にルーモスを灯して、入り口に一番近いタペストリーを眺めると、ゆるりと絵が動いた。
(魔法の絵……)
部屋一面に複数飾られたタペストリーらは、物語になっているようだった。
「人狼になってしまった女性の物語だよ」
「人狼」
さっきの剥製はもしかしてと合点がいった。
満月に変身する狂暴な怪物。その印象にはほど遠く、描かれた狼人間はあまりにも貧相で哀れな出で立ちで、物語は悲劇に満ちている。
「ここは、僕の秘密の場所なんだ」
そう言って最後のタペストリーを見つめるギャレスは、いつもとは少し違った。
彼にとってここがどういう場所なのか、それを詮索する気は起きなかったし、ギャレスもそれを話すほど私に心を許してはいない。
ただ、こちらを見ずに人狼に思いを馳せるギャレスの表情には、軽蔑や差別と言った存在否定の感情はなく、それでも哀れみと悲しみの静かな揺らぎが見て取れた。