14
外の猛吹雪が信じられないほど、飼育場の中の草むらは暖かくて心地いい。
慣れない寮生活を気遣って、必要の部屋という癒しをくれたウィーズリー先生には本当に感謝している。
ホグワーツ周辺の村は、小さくて閉鎖的だ。ホグワーツのローブを着ているから人々は優しいが、必ず、初めて見る顔だと品定めされるのは意外と疲れる。
それに、道中で出くわす無法者達も結構邪魔だ。というか、邪魔だ、くらいで済まなくなってきた。
息抜きに刺激が欲しければ外へ行くが、安らぎが欲しければここで寝転んでいるのが一番いい。
微かだが青々とした草と小花の匂いは悪くない。毎日綺麗な水で入浴できるようになったせいか以前よりずっと柔らかくなった髪が、風の小さな動きに合わせて肌をくすぐる。
向こうの方では、たくさんのジョバーノールが群れるように飛んでいた。
景色を重ねて思い出すのは、いつか空が飛べたらいいなと子供達が見上げていた、煙を吐き出す煙突の向こうの空。
足下にあったのは敷き詰められた石畳だ。植木鉢と庭以外に街中で草木は見ない。猫はいた。犬もいた。鳥もいたとは思うが、食料か害獣かだ。そのどれもが大体くすんでいた。
多くの人が集う喧噪の街は、活気があり、一方で様々な落差があり、文明的で、細かいルールの下に開放的で、傲慢で、薄灰色の偽善を纏いつつ、とても利己的だった。
(この風景は、まるで天国だね)
夢が全て叶ったような世界。
悲しみから守られるのは、外の吹雪を遮るこの城の中だけだ。それでも。
(それでも、……私は、どうしたいんだろう)
暖かい風につられ瞼を閉じてなお闇の中に眩しさを感じる。
手の甲を目の上にのせ一息つくと、落ちるように意識は眠りに飲まれていった。
15
僕のクリスマス休暇の帰省は短い。副校長をしている叔母さんと一緒に行動するから、ほんの数日だけ。
休暇を取る人々の中で誰よりも遅くホグワーツを出たのに、おそらく誰よりも早く戻ってきた。
いつもに比べて人の少ないグリフィンドールの談話室では、それでもひときわ元気な生徒が、ぴょんと高い壁から飛び降りて僕を出迎えてくれた。
「やあ。ネリー。クリスマス休暇は満喫してる?」
「お帰りギャレス。えーと、四日ぶりね!人が全然いなくてつまんないから、早く休暇が明けて欲しいよ」
そう言いながらも彼女は、僕の背をぐいっと押した。
なに?と聞くが、いいからそのまま真っ直ぐ!と、にこにこと笑っている。
ちょっと強引なのは、我が寮のカラーだ。何か見てほしいものがあるんだろうと思ってそのまま背を押されてあげる。
二十歩ほどで辿り着いたのは昔から寮にある不思議な上部が欠けた箱で、けれどそこにはいくつかの丸い木板が埋まっていた。
横で得意げな顔をしているネリーが、以前気にしていた物だ。
「すごいね。見つけたの?」
「そう!この箱に寮のトークンをはめていってるんだ」
まだまだ箱には空白が在り木板の数は足りないようだが、彼女は嬉しそうに頷く。
「休暇中、暇だったから中庭の壁を魔法で上る練習をしていたんだけど、そこで、ほら”あの子”に会って」
ああ、まただ。と思った。
最近のホグワーツで、こうやって悩んでいることが進展したという生徒に話を聞くと、必ず同じ人物の名前が出てくる。
うんうんとネリーの話を聞きつつ、思い浮かべるスリザリンのローブの少女は蛇の目だ。
五日前、ホグワーツを出る前日の夜。人狼の間の近くでばったりと彼女と出くわした。
彼女はあんなところで何をしていたのか。結局それは聞けずじまいだ。
僕と彼女は、お互い持ちつ持たれつの関係を結んでいる。そういうことになっている。
でも本当は違うと思っている。僕が、彼女が持ち帰ったたくさんのモノを手入れしているといっても、やっていることは彼女の方がよっぽど危険で重要だ。
「ギャレスの方はどう?」
「バタービール爆発薬は、あと何回かの試作できっと出来るよ」
楽しそうに話を聞き返したネリーは、僕の調合の良き理解者の一人だ。
昔からアクロバットな動きが得意で、ウィゲンウェルド薬と引き替えに、よく先生達の目を引いてもらった。最近はお願いすることが少なくなっていたけれど、また何か作戦を立てるのも面白いだろう。
大広間から中央ホールへ向かう途中の中庭は、僕とネリーの作戦立案場所でもある。小さな迷路みたいになっているから、少し動線から離れた張り出しにいれば、開放的で怪しくもないし、人に会話も聞かれない。なにより、ホグワーツでお気に入りの場所はいくつもあるけれど、あそこから見える中央ホールに夜の灯りが灯る様子は、本当に綺麗だ。
「あ!私そろそろ手紙を出しに行かなくちゃ!ギャレス、その話、後でまた中庭で聞かせてよ」
久しぶりに夕方見に行こうかなと思っていると、ちょうど良く慌ただしいネリーからお誘いがきた。
勿論二つ返事で了承を返した僕は、談話室を飛び出していったネリーを見送ってから、荷ほどきのために自室へと向かった。
16
もう一度書斎に行こうと誘った彼女に呼び出され、深夜遅くにスリザリン寮を抜け出した。
以前書斎の出口と繋がっていた辺りを叩くと壁の内側へ移動できる、という。
「本当か?僕もあのあと何度か試したけど、壁は反応しなかった」
「やり方が違ったのかも。ほら、見てて」
そう言った彼女がコツコツと杖で壁を叩くと、引き戸のように壁が開きその姿を壁の内側に消してしまう。
(僕がやっていたことと、変わりはなさそうだけど……)
案の定、その姿を真似て杖で壁を叩いてみるが、少しも反応は返ってこない。
――当然だ。こんなことで、スリザリンの書斎へ行けてしまうのなら、その手前のトラップなんて不用だったし、長い歴史の中で既に誰かが見つけている。
これも古代魔術の力なのか?と考えていると、石を引きずる音がして再び壁が開き彼女が戻ってきた。
「どうしたの?」
「……残念だけど、僕ではここの扉は開かないみたいだ」
「え?セバスチャンの叩き方が悪いんじゃなくて?」
さらっと僕を疑い不満そうな顔をした彼女に苦笑する。
どうにも彼女は、一緒にいると、自分がことさら特別だということを忘れがちになるときがある。
「君、自分が特別だって知ってるだろ?」
「そりゃ知ってるけど。ただ、オミニスやセバスチャンと来る前は、この辺に仕掛けは無かったから……」
彼女が、ホグワーツ中にレベリオをかけては、気になる像や絵を杖で小突いている姿は見たことがある。
何しているのかと尋ねれば、ギャレス・ウィーズリーから"抜け道"を教えてもらってから、探すのにはまっているのだと楽しそうにしていた。
「ふうん。だったら、一度書斎に行ったことがきっかけで、君はここから入れるようになったんだろう」
「どういうこと?」
「結局は"書斎"だからな。サラザール・スリザリンが使用するときに、いちいちあの仕掛けを抜けてくるなんて手間だろ。だからこちらは、スリザリンが日常的に使ってた道で……あの道は、そうだな、来客用というか」
じゃあ一緒に、と言って彼女が壁を開くが、僕が潜ろうとすればすかさず閉まってしまう。
先に行っても、後に行っても、同時に行ってもだ。流石スリザリン。古代魔術の抜け道より手強い。
「あの道が来客用なんて、随分なもてなしだね」
憮然とした表情で顔をしかめた彼女は、壁から離れ階段を上り始めた。
ふっと息を吐いてその横に続きながら、まだ残る疑問をゆるりと考える。
じゃあ、どうしてそのスリザリンが日常的に使っていた道は彼女だけに開かれているのか。
(いや……もしかして、オミニスも通れるんじゃないか?)
じわりと心に靄が陰る。
頭によぎったのは、書斎で例の本をめくる優雅な二人の姿だった。
17
「なあ、どうして もう一度一緒に書斎へ行き来こうなんて思ったんだ?」
あの後、例の松明の仕掛けに火を灯して中に入った彼女を僕は壁の外で待った。
パーセルタングが鍵になっていた入り口が閉まっているかどうかを確かめてくると言う。
数分してもう一度松明の仕掛けに火をつけると、眉を下げて彼女が戻ってきた。
その様子だと駄目だったみたいだなと肩をすくめると、困ったなあと彼女は首を傾げた。
とりあえず寮の談話室に戻り、暖炉の火を強めてその前に隣り合って座り込む。椅子の影に隠れてしゃがめば、声も姿も潜められるというものだ。
スリザリンの談話室の前の廊下は、ホグワーツでも一、二を争う冷たさを誇る。もう慣れたとはいえ、かじかんだ手に炎の暖かさがちくちくと刺さった。
じんわりと手に熱が戻ってきた頃、今日の散歩の目的を尋ねると、「うん」と頷きぱっと例の本を取りだした彼女が、ぽいと放るような扱いでそれを渡してきた。
「おいおい。もっと丁寧に扱えよ。貴重な物なんだから」
最初に見つけたときとは随分違う。
興味がないにしても雑すぎる仕草に苦言を呈すと、「それだよ」と彼女は僕の手元の本を見て眉を寄せる。
「どうしてこんなに貴重な本が、まるで放置されているみたいに書斎に置かれていたのかな。なんだか変じゃない?セバスチャン」
「変って?」
「……守護者はさ」
いまいち意味が掴めない僕に、始めて聞く古代魔術のペンシーブについて話してくれる。
「試練を終えて"記憶"を見せるときに使うペンシーブを、凄く壮大な場所に置いてるんだ。ああ、これ、大事な物なんだろうなって分かるように」
「でも、"あの遺物"だって、地下墓地にぞんざいに置かれたぜ。なんというか、人によるんじゃないのか?」
「ああ、そうだね……そっかあ」
ふむふむと納得したような、あまり腑に落ちないような顔をしている彼女は、ぞんざいかあ⋯と呟いてぼんやりと炎を見つめる。
まあ、確かに僕でも、本も遺物もあんな風には置かないだろう。
彼女に「人による」と言っておきながらだが、想像していたサラザール・スリザリンは神経質そうだったから、イメージとも一致はしない。
スリザリンの血を引くオミニスも、大胆なところはあれど粗雑ではなく、スリザリンと思想は違うが、本質には通じる潔癖さを持っている。
(いや。……違う)
自分で引き合いに出した"地下墓地の遺物"を思い出しながら、気付く。
あれは、学生が一度持ち出し、そして返した物だ。彼の記録では、あの遺物についての研究を諦めた様子は感じられなかった。
(もしも、もう一度研究するつもりで、元々保管されていた場所とは別の所に一時的に置いていたのだとしたら……)
――あの遺物は、本来"どこ"に置かれていたのだろうか。
ぱちぱちと木が爆ぜる音が耳に入り、思考の中から浮上する。
今考えたことを彼女に言うか。
口を開いたものの、何故か声が出ない。
「セバスチャン?」
「……いや。なんでもない」
「そう?」
じっと数秒僕を見つめた彼女は、ふんわりと柔らかく微笑んだ。
暖炉の火に照らされたその顔は濃い陰影を映し、まるで人形のような薄い色素の彼女に、いつもとは違う人間味を感じる。
彼女とはそんな仲じゃない。そんなことを考えたこともない。けれどだんだんと火照る顔の熱は、きっと暖炉のせいだけでもない。何か言わなければ。そう微かに焦りながらも、目や耳や肌の感覚はこの空間に包み込まれたままだ。
そんな僕とは対照的に、彼女はそっと横の距離を詰めて、――僕の右手から再びサラザールの本を奪い取った。
「……は、あ!?」
「やっぱりこの本おかしいよ!燃やそうよ!」
「はあ!?止めろ!馬鹿!」
思わず杖を抜こうとした僕の手を、また雑に、今度は後ろに本を放って空になった手で掴んで、ほら!と小声で叫ぶ。
「この本を持ってからなんだよ、セバスチャン」
「何、が」
ぎちぎちと男女の体格差なんかお構いなしで押さえ込んでくる。
体制的に僕の方が不利だとしてもありえない。この馬鹿力め…と睨むと、負けずと彼女も睨み返す。
「感情に負けそうになるって言ったじゃない。君は"知っている"でしょう?闇の魔術が、人の心も変えてしまうこと」
「だったらなんだっていうんだ!それでも、アンを救うために必要なことだ」
分かっている。
僕自身が、感情を制御できなくなりそうになっていることも。
闇の魔術に冒されたアンが、心までどんどん弱ってしまっていることも。
そう言って懇願する僕に、彼女はけれども、首を振って悲しそうに訴えた。
「君のご両親みたいに、なっても?」
息をのみ、すとんと僕の手から力が抜ける。
唖然と見上げる僕を見下ろす形の彼女は、今度は冷酷な無表情に見えた。
かろうじて浮かんだ、どうして、という言葉は、けれどやはり短く吐きだした息にしかならない。
それでも彼女は、その言葉を拾った。
「ねえ、セバスチャン。あなたは、どうやって磔の呪文を学んだの?」
暖炉の炎が小さな火の粉を散らしながらも、ゆらゆらと影を作る。
くっきり見えないのに、はっきり見える。いつだってそうだ。夜を照らす灯りはいつだって濃い影を背負う。
つんと鼻の奥に、ガスの匂いがした気がした。
18
思ってもいなかっただろう私の言葉に衝撃を受けたセバスチャンは、それでも、「オミニスか?」と言葉を絞り出す。
揺さぶっても、彼は理性が強い。
全部ではないが、半分はオミニスだ。頷いておくかと判断する前に、いや、いい…と彼は私を制した。
「オミニスが、口を滑らせたことなんてきっと少なくて、君は憶測でものを言っているんだろう」
正解だ。
よく分かるなあと思う。もう少し早く頷いておけば良かった。
「外れてる?」
「はあ。……いや。分からない」
ごまかしても仕方なさそうだったから、セバスチャンの言葉を肯定すると、盛大に溜息をつきながらも彼も素直に答えてくれた。
徐々に調子を取り戻してきたらしいセバスチャンは、放った例の本を名残惜しそうに見たものの、先ほどの実力行使とまではいかない様子だった。
「セバスチャンはのめり込んでいる」とオミニスは言うけれど、その視点ではきっと何も解決しない。
彼の様子は軽度の中毒者そのものだ。アルコールでも、薬物でも、似た状態を見たことがある。それが現わすのは――"自発的ではない執着"だ。
口を閉ざしたセバスチャンを窺いつつ、本を呼寄せもう一度収納する。
(暫く持ち歩いてみたけど、私にセバスチャンの言うような変化はない)
ただし、私は持ち歩いているだけで本は読んでいない。
古代魔術の術者だからなのか、"読む"という動作が引き金となっているのか、あるいはセバスチャン自身の闇の魔術との親和性が高いのか。
私にはまだ、判断は出来なかった。