23
大広間の食堂の机は、寮毎に分かれている。
各寮の机に付くのがルールだが、高学年にもなってくると、生徒でごった返す食事時以外の時間帯であれば他寮の生徒と軽食を食べたりもする。
選択制の授業によって、寮の同級生と食事の時間がずれることがままあるからだ。
隣でパイをとりわけ煮た豆のソースをたっぷりとかけている同級生のローブは緑。けれど、頭上にはためくこの席の寮のエンブレムは獅子だ。
「ナティ、どうしたの?」
「ううん。君と一緒に食事をするの、久しぶりだなって思ってさ」
なんだか覚えのある会話だ。
人より遅めの昼食を取っていた私を見つけた彼女は、もうすっかりホグワーツに慣れたようで、他の五年生と同じように疎らになったグリフィンドール寮の机に平然と腰掛けた。
もぐもぐと、そのほっそりとした容姿に似合わず美味しそうにパイをほおばる姿は子供っぽい。口の端に付いたソースをぺろりと舌で拭って、味が気に入ったのか二つ目を取り分けている。
「ナティも食べようよ。美味しいよ」
「君の食べっぷりを見てると、なんだかそれだけで満足しちゃうな」
じっとこちらを見る水色の瞳が、少し心配そうに揺らいだ。
何も言わず微笑んだ彼女は、次はサラダとポテトをよそい、ソーセージに目をやったものの少し悩んでそれを取ることはしなかった。どうやら、お菓子や果物、パンやキッシュは好きだが、あまり肉類は好んでいないようだった。
私も手元のスープを一口飲む。
元気が無い私を心配してくれている。優しい彼女に甘えてしまいたい思いは強い。――でも、今はそれではいけないのだと感じている。
私に母のような予知の才はない。
ただ漠然と、何も秘密を話してくれなくなった彼女が、それでも少しずつ私が後悔した運命に重なり、同じ轍に足を取られようとしているように思えていた。
近頃の彼女と話していて肌に伝わるのは、不幸が近づいてくる気配だった。
「私は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「ナティ。……その、私は何か支えになれたらって思って」
私にはもう取り返しの付かない過去。セバスチャンは、彼女を巻き込んで何かを変えることができるだろうか?
「――私は未来の君に、"もしも"なんて考えなくてもいい選択をして欲しいと思う」
「ナティ?」
彼女が選ばなかったソーセージを取って切り分け、口に運ぶ。
ホグワーツの肉料理は美味しい。スパイスがきいていて、臭みはなくて。ローストビーフだってピカイチだ。
「セバスチャンのこと、私には話せないことがあるんだよね。でも、君が疲れた時は、また私と一緒に食事をしよう?」
(今度一緒に昼食を取るときには、一口だけでも食べてみてもらおう)
ぐっと眉を寄せて申し訳なさそうに顔をしかめた彼女に、珍しい顔を見たと少し独占欲が満たされた気がして、そんな自分が可笑しくて笑ってしまった。
24
(――もしも、か)
談話室で湖の仄暗い揺らめきを眺めながら、そこに薄く反射する自分の顔を見る。
今まで、もしも、なんて考えることはなかった。
いつだって今の自分に一番自信があるし、後悔するほどの失敗をしたこともない。ああしておけばよかったと反省することはあっても、それは、過去の自分の行動に、今の自分が捕らわれるような類のものではなかった。
そのうえ私は、時々ナティが「もしも」と気持ちを吐露するとき、ああ、そのもしもが起きなくて本当に良かったと、人でなしなことを密かに思っている。もしもの世界では、ナティが死んでたかもしれないし、少なくとも彼女はホグワーツには来なかった。私は既に、彼女という友人を手放す気は無いのだ。
私は、ナティの気持ちも、セバスチャンの気持ちも、本質的には分かろうとしていない。
「人魚の声でも聞こえるか?」
「オミニス」
闇の遺物の一件以来ギクシャクしている友人が声をかけてきた。
そういえば入学早々もこの窓辺で話をしたなと、彼の声を受け入れて少し隣にスペースをつくる。
「体の具合はどう?」
「例の呪文の件なら、もうどうってことないさ。それに君の言う通り、セバスチャンとの友情を壊さずに済んだのかもな」
「……」
いいや違う。声には出さず、そう思った。
そして気づいた。もしもといつか私が願うのなら、おそらくあの地下墓地で、この友人に服従の呪文をかけた時のことだろうと。
――あれは、ターニングポイントだった。三人の思いはバラバラになったのに、それでも進む先が決まったのだ。
私たちは悪いほうに進んでいるのだろうか。嫌な予感はするのに、セバスチャンとなら切り抜けられるんじゃないかと、私はまだ信じている。
「オミニス、君はセバスチャンの親友だよ」
「ああ。わかってるよ。――セバスチャンの親友は、俺だけだって」
絡むことはないはずなのに向かい合った視線に、オミニスは微笑んだ。
セバスチャンは災いを呼び寄せる。そう言ったのはオミニスだった。それはいったい、どういう意味だったのか。
青白い美しい顔に微笑み返しながら、私はその白濁した瞳を無遠慮に覗き込んだ。
25
ホグワーツの鐘がなる。
ブラック校長が取り外したと噂の鐘だったが、いつの間にか元に戻っていた。
一時期、元に戻そうと躍起になっていた女子生徒が数人いたが、元に戻したのはきっと彼女たちじゃないだろう。じゃあ誰が、なんて、今や聞かなくたってわかる。
音楽室の一角でぼんやりとしている僕の頭上で、ゴーンゴーンと遠く高く、昼光を祝福するように鐘がなる。
ガチャリと何やら控えめに開いたドアの音に、これは待ち人ではないなと思いながら顔を向けると、同寮のこれまた優秀な転入生である褐色の少女が、驚いたようにこちらを見ていた。
「やあ、ナティ。ここに来るのは珍しいんじゃない?どうしたの?」
「やあ。私は、最近戻ったっていうホグワーツの鐘を見に……ギャレスは何してるの?」
「日向ぼっこだよ」
約束していない待ち人。彼女が来なければ、僕はただのんびり魔法薬のレシピを考えてるだけなのだから嘘ではない。
転入生同士、惹かれあうところでもあるのか、ナティと彼女は寮の垣根を越えて仲がいい。ただまあ、物騒な噂も聞くので、あまり深くは突っ込まない。
反対に、僕とナティは同寮生なのにあまり親しく話したことがなかった。
「新しい魔法薬のレシピを考えてるの?」
「うん」
美味しいバタービールの味を研究したり、鮮やかな色の魔法薬を考えたり、複数の効能を一つの瓶に納められないか考えたり、より安定したレシピを考えたり。新しい要素を取り入れながら既存のものをもっと良くすることができないか、それが僕の学生の間の研究テーマだ。
「ナティ、鐘を見に行かないの?」
「見に行ってほしいの?」
どうしてか僕の近く、座っている二つ下の席の前に立ったナティにやんわりと促すと、困ったように彼女は笑った。
魔法薬学はお金がかかる。材料は消耗品だし、基本的に失敗するし、成功したところで学生だから作ったものを売りに出すわけにもいかない。そして、それでも魔法薬学を続けたい僕のとっている手段は、きっとナティの主義とは合わない。今までお互いにあまり近づかなかったのだ。だから、そんなことはナティだってわかっているはずなのに。
「じゃあ逆に聞くけど、僕ら二人で何するの?新しい魔法薬でも一緒に考える?」
「――それもいいね」
聞いてみた適当な言葉に、少し悩んで頷いたナティに吃驚した。
そういえば、ワガドゥーは古い魔法薬学を残し続けている学校だと聞いたことがある。古い魔法薬学は、複雑な手順を踏むものが多い。簡素化したり、効能を均一化するために改良されたこちらのレシピとは違い、各々のスキルにかなり影響される。ナティが優秀な魔女であることは同級生は皆知っており、その腕がどれほどかは未知数だが、魔法薬学でだって失敗しているところは一度も見たことがない。
「私、思っていたんだけど、ギャレスは何か作りたい薬があるんじゃないの?」
窓からの陽光。その眩しさに負けない異国の少女。――ナティは優秀な転入生で、そして紛うことなきグリフィンドール生だ。
鋭い彼女の一言に、やんわりと曖昧に笑うことしかできず、僕は席を立った。
26
地下聖堂へ降りると、珍しく僕より先にオミニスがいた。
僕に気が付いているはずだが、特にこちらには目を向けず木箱に何やら書き込んでいる。
もう体は平気なのかと、それを僕が聞いてもいいのだろうか。そんなことを思いながらも彼の側によると、少しだけ顔を上げたオミニスは呆れたように笑いかけた。
「俺をないがしろにするのか、大切にしたいのか、どっちなんだ君は」
「――悪かった。その、あんなことを君にしてしまって」
「いいや。『同意があった』、そうだろ?それだったら構わないと君たちが言ったんだ。そうじゃないと、君に磔の呪文を唱えた俺も謝らなければいけないじゃないか」
オミニスが怒っているのは当然だ。オミニスはいつも僕を心配していて、僕がいつか何かをやらかすだろうと考えている。息が詰まると同時に、それでも離れていかない親友にほっとしている僕がいる。
ここにいない、オミニスに服従の呪文をかけた張本人は一貫して飄々としていて、ただ一番いい方法をとっただけだと僕に言い聞かせたが、その言葉は飲み込むにはあまりにも苦々しかった。
(僕がゴブリンに服従の呪文をかけたことを、親友は知っているのだろうか)
彼はその場にいなかった。共にフェルドクロフトに駆け付けた友人はきっと伝えていない。けれど、アンはどうだろう。
問うこともできなくて、話題を逸らそうとオミニスが書き込んでいる木箱を覗き込んだが、僕はその手元に息をのんだ。
「その模様……」
「君たちと、卒業までには解きたいとよく話していただろう。久しぶりに挑んでみてるんだ」
オミニスとアンと僕がこの地下聖堂へ訪れた初めから誰かがここで研究していた名残があった。いくつものルーン文字と魔法陣、それが、何かを守るとも残すとも意味が取れる模様だというところまで僕たちは調べていた。
僕は既に、その模様が古代魔術のシンボルであると知っている。なるほどと腑に落ちはしたが、その神秘の全てを理解しているわけではない。
「なあ。きっとこれは古い魔術だろう、オミニスは闇の魔術だと思うか?」
「思わないよセバスチャン。でも、通じるところはあるはずだ。ゴーントがこの部屋を見つけたんだから」
自分の血を忌むからこそ、オミニスはその血が引き寄せる事象に絶対の自信を持つ。ああ、本当に秘密を共有すべきは僕なんかではなくて、特別な彼らだったのではないか。そんなことがまた思い浮かんだ。
(それでも……アンを救うには、僕が必要だ)
僕たちはこの場所でいつも三人で遊んだ。去年までのことが鮮明に思い出せるし、アンがここにいたら一緒にやっただろう今年の試験勉強の様子だって目に浮かぶ。
僕はもう、昨日と同じように明日がやってくる日常を失って、何もしなくてもアンの容態がよくなるかもしれないという奇跡の可能性も失っている。
近い未来に妹は死ぬ。数か月後か、1、2年後か。あのやつれ方だ。呪いに蝕まれる体の衰弱は加速度的に早まるかもしれない。今しかない。どんどん悪くなっていくのだから、いつだって"今しかない"んだ。
(いなくならないでくれ)
今までみたいに春には薬草を一緒に育てたい。夏には少しでも祭りで歩こう。秋はアンの好きなクディッチを見に行って、そしてクリスマスカードを送りあい雪積もるフェルドクロフトでまた一緒に年を越したい。――そんな未来を願うたび、同時に、アンが死んで今後ずっと隣が空っぽの"毎年"が想像できて胸が痛かった。
「セバスチャン、俺は、君の力になれないのか」
誰か助けてくれという弱音を噛み殺し叫べない僕に、親友はいつだって傍にいようとしてくれていたけれど、その言葉は響かなかった。
27
占い学は、数多ある未来の可能性に意味をつけ、また手繰り寄せる学問である。多くはささやかな道しるべであるが、時に大きな運命を紐づけることがある。
占って意味をつけた未来は、その他の可能性よりも実現性が強くなる。強い眼力を持つ魔法使いが行うそれはまさしく魔法であり、古来からの呪術であり、言祝ぎであり、呪いである。
不確定な未来を占っているのではない。占い感じとった結果をどの可能性と運命づけるか。それが可能なものなのか。占い学を探求する魔法族は皆、それが可能であると思い方法を探している。
だからこそ、どのような未来にしたいかという願いと、未来の自分を強く信じる心は、占い学に必須である。
「自分の未来に何が見えますか?」
そう尋ねた時、才能豊かな新しい生徒は何の疑いもなく「いい未来が見える」と返した。
その未来にする自信があるのだと言う彼女の言葉は、占い学を否定する答えであり、一方でやはり占い学の芯に必要な考え方であった。
私は強い眼力を持つ魔女である。その私が占い忠告として伝えた未来は、すでに意味を持ってしまった。
課題を終わらせて立ち去った彼女の「いい未来」の中には、親しくしている我が娘は入っているだろうか。
あの若き魔女が発した未熟ながらも強い"言祝ぎ"の中に。
「……ナティ」
スコットランドは故郷よりもずっと悪天候が多い。降りやんだはずの雨雲が立ち込めて、また雨が降り出すのではないか。どうしても薄暗い空模様には慣れることはできない。
私の上にはもう屋根はないのだ。