『どんどろろ〜ん!』
「ブハハハハハ!!! ナマコ! ナマコ!」
「キモッ!! キモなのじゃーっ!!!」
巨大なわたあめのような入道雲が遠くに浮かぶ青空、潮の香り、焼け付くように熱い白い砂浜、そして、心の底から楽しんでいそうな水着姿の青年と少女の笑い声、化け物の間抜けな叫び。
目の前に広がるのは、至って普通にバカンスを楽しむ男女のじゃれあい。
しかし、それを遠目で見守る、アロハシャツを引き締まった肉体に羽織わせた彼、夏油傑と、白黒の水着で瑞々しい肢体を隠した――黒井美里、海岸線で遊び呆ける白髪グラサンの青年、五条悟と、エメラルドグリーンの可愛らしい水着で肉付きの良い四肢を彩った天内理子。
その実、彼らは日本各地から伸びてくる賞金稼ぎの呪詛師の魔の手に目を光らせていた。
____
星漿体“天内理子”、その護衛と抹消の任を受けた五条、夏油の最強コンビは、護衛対象と待ち合わせている都内某所のホテルへと向かう。無論、夏油がお腹に抱える炊飯器には、まっくろな泥のような呪霊、どんどろが顔を覗かせていた。
人払いがなされているため周りの視線も気にせず、二人と一匹がのんびりと目的地に向かう最中、高層ビル状のホテルが覗けるほどの距離まで来た途端、その一室が爆発。
護衛対象である、ヘアバンドをつけた制服姿の少女――天内理子が、力無く地面へ落下している様を発見したのである。
呪詛師の襲撃。一手遅れ、あわや任務は失敗かと思われたが____
この場にいるのは、現代最強格の術師二人、そして、史上最凶の呪霊である。
『目立つのは勘弁してくれ、今朝怒られたばかりなんだ』
『その制服…… 高専の術師だな? ガキをわ____』
『どんどろー!!!』
『……』
呪詛師集団“Q”構成員――コークン、夏油傑が落下中の天内理子をマンタ型の浮遊呪霊で救出したことに気を取られ、どんどろの奇襲にあう。泥の細腕の右ストレートを無防備に受け、意識不明の重体。
また、五条悟の対処にあたった“Q”最高戦力――バイエルもまた、五条の無下限術式を前に成すすべなく敗北。
それにより、呪詛師集団“Q”、組織瓦解。
その後も呪詛師の襲撃、呪詛師御用達の闇サイトにおいて、天内理子殺害に3000万円の賞金がつけられていることの発覚、呪詛師の謀略により、天内理子の幼少からのお付き人、黒井が拉致され、その迅速かつ平和的解決など、数奇で危険な道筋を超え、
彼らは今、南国沖縄にいた。
『どぉ!! どおおお!!!』
「どんどろが離岸流に捕まった!」
「わぁあ! どんどろー!!」
「……」
夏油、五条両名は、全力で天内理子護衛任務にあたっている。
____夏油にとって何よりも意外だったのは、彼にひっついてくる炊飯器、もといどんどろが、天内理子に対してまるで犬かのように懐いていることであった。
天内も、呪霊に懐かれているというのに、それを受け入れ、自らも飼い主かのように情を注ぐ始末である。
別に悔しいだとかそんな感情は1ミリも湧かない夏油であるが、ただただ気が気ではなかった。なにせ、豹変して天内を食おうと襲いかかることもあり得るからである。
もっとも、信頼できる友人が彼女の真隣に陣取っているし、分体のどんどろならば夏油でも払えるほどに弱体化しているので、気は揉みつつも現状静観するのみであった。
『どおお……』
「おい五条! お前のなんたら術式で助けてやれば良かったのに!」
「そのまま海の藻屑になった方がいんじゃね?」
ふしゃーと威嚇するように怒る天内の腹に抱えられた炊飯器から、でろりと体を垂れ下げてぐったりとした様子のどんどろ。それに対して、先ほどまでの輝くような顔はどこへやら、眉を顰める五条の意見に、真顔の夏油も頷かずにはいられなかった。
◇◇◇
夜が深まり、風が漣の静かな音を運んでくる中のこと。沖縄の都市部にある高級ホテルのとある一室にて、
「……」
天内はさらさらな肌触りの柔らかな布団の中で目を覚ました。薄暗く、エアコンの冷えた空気が漂う天井をじっと見上げる彼女は、何故だか目が冴えて仕方がなかった。不快な匂いなどしないはずなのに、息が詰まりそうに感じていた。
ふと、彼女の瞳は、すぐそばのベランダへ続く窓から見える濃紺の空に浮かぶ、一際大きな光を見つけた。
ほとんど満ち、ほんの少しだけかけた月。
月が満ちた日。明日には____
「……」
布団を押し除け、白くシンプルな寝巻きに包んだ体を露わにして起き上がった天内は、顰めっ面で広々とした寝室を見回した。扉の方を見ると、夏油が放ったのだろう、血走った目をぐりぐりと動かす蜘蛛のような呪霊が蹲っていた。
プライバシーだのなんだのと言っている暇はないのは彼女が一番理解していた為、全く気にしていないといえば嘘になるが、そこは弁えていた。
相変わらず、息苦しさは拭えない。
「……はあ」
ため息混じりに、布団から降りてスリッパに足を通し、静かなエアコンの風の音が漂う部屋に立った天内は、抜き足差し足、ベランダへ続く閉じた窓へ向かった。
____かちゃかちゃと音のなる窓の鍵に焦燥を煽られつつ、ゆっくりと窓を引いた天内は、突如として吹いてきた生暖かい夜風に目を伏せた。月光に照らされた髪が捲れ上がり、彼女の艶やかな額を外気に晒した。
その時、ふと、彼女は寝巻きのズボンの後ろを引っ張られるような感覚を覚えた。
「……お前」
『……どんどろ〜』
まるで、彼女の心持ちを察しているかのように囁いた、炊飯器から顔を覗かせ、そこからまっくろな腕を伸ばしてズボンを掴む存在、どんどろ。
呆気に取られたようにして、月光を背に薄く微笑んだ天内は、炊飯器を持ち上げ、ベランダに出た。
そよ風よりも少し強い風が吹き、眼下に広がるは、夜空を塗りつぶす人工的な光の群れ。耳をすませば、風切り音の奥に車のゆく音が混じっている。
それが、否応なしに天内のノスタルジーを刺激する。
ついさっきまでしていたことが昔のように感じられ、耐えようもなく懐かしく感じられるのは、明日には天元と同化するからであろうか。
炊飯器を抱き、支える手の指の力が無意識に強まる。
「……」
やはり、息苦しさは拭えない。
『……』
すると、どんどろの赤い瞳が見上げる天内の口が、徐にもごもごし出した。
「……妾は、……」
一瞬の躊躇。相手は呪霊だというのに、これを話したところでわかるはずがない。虚しいだけ。
しかし、天内は口を回さずにはいられなかった。
「……お主、沖縄そば食べた時、すごい微妙そうじゃったよなあ」
出てきたのは、お昼にみんなで食べた沖縄そば。
どんどろはそばが好物と聞いていた通り、彼に少しだけ分けてやると、いつものにやつき顔をさらに破顔させたのだが、口にした瞬間に真顔になったのだから、印象に残らない方が無理であった。
____どうでも良い、面白かったこと。
「ジンベイザメ、生で見ると大違いだった」
沖縄県の見所の一つである某水族館。そこに展示されている数多の海棲生物、その全てを凌駕する雄大さを見せつけたジンベイザメ。
本来ならすでに東京に戻っているはずが、わがままを聞いてもらったが故の、初めて。
最近のことがぽつりぽつりと浮上し、それに引っ張られ、さらに溢れてくる過去の情景。
それら一つ一つを咀嚼し、目を閉じた天内は、再びの違和感に苛まれた。
天元と同化するということがどういうことか。それを受け入れ、覚悟を決めた筈だったのに。
積み重ねた経験が覚悟へと殺到し、まるで針の筵のようにされたそれは、もはや根を上げていると言っても過言ではない。
(……)
無意識に眉間に皺がより、炊飯器を持ち上げる力がますます強まる。
それを否定し、しかし、意識の底からきりなく湧き上がり。
(何で、なんで天元様は
……これなら見ない方が良かった)
◇◇◇
コナラの青々とした葉で陽の遮られた、延々と続く鳥居の連なり。その真ん中を通る緩やかな階段を登ってゆくと、絵に描いたような、雅な雰囲気の神社の境内のような場所へ出る。
護衛
闇サイトに投稿されていた天内への賞金
「みんな、お疲れ様」
____高専の結界内だ。
夏油の労いの言葉の後、緊迫して張り詰めていた空気が、穴の空いた風船のように萎んで緩んでいく。まるで彼らの奮闘を称えているかのように燦々と差し込む暑苦しい日差しに、誰が吐いたかもわからない吐息が溶けていく。
「これで一安心じゃな!」
『どろ!』
いっそ元気すぎる、炊飯器から身をせり出したどんどろを抱えた天内の声。
「……ですね」
隠しきれない憂いの混じった相槌を打つ黒井。
そして、うっすらと目元に隈をつけた、三日三晩寝ずの護衛、おまけに六眼および無下限術式をフル稼働させていた五条は、一言も言葉を発さず、ただぼうっと突っ立っていた。
そんな彼の前に、無二の友人、夏油が歩み寄る。
「悟、本当にお疲れ様」
全体ではなく、彼一人に特別に向けられた言葉。
それを皮切りに、五条の中で張っていた糸が明確に緩んだ。
「二度とごめんだ、ガキのお守りは」
「あ゛?」
五条が煽り、天内がキレる。五条の立ち位置が夏油に変わることもあるし、二人して年下をイジることもある。
この3日間での、普通の日常。
それは、
____トスっ。
胸に広がる暖かな脈動。
熱い衝動。
それに気づいていたのは、まっくろな化け物の赤い瞳だけであった。
懐玉・玉折編が終わったあとの話 ※得票数が多い順に全部書きます
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ぐ〜るぐる
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がっしゃぁーん!!
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イカがなものかと!!