ちゅんちゅんと小鳥の囀りが聞こえ、冷たいそよ風がレースのカーテンを僅かに揺らした。
「ふー……」
呪術高専は全寮制である。夏油傑もまた、豊かな山林の中に構えた現代的な寮に自室を持っていた。
その、几帳面に整えられたベッドの上で、髪も結わず服もねずみ色の寝巻きのまま寝転んでだらけていた彼のため息が、緩んだ空気に溶ける。
特級術師たる五条悟は任務に駆り出されて不在、家入硝子は先輩と遊びに行ったらしい。頼みの綱の後輩すら任務。
夏油傑は、呪術総監部の命により任務への参加を無期限停止、別命あるまで待機を余儀なくされていた。
そんなこんなで早一週間。読みかけの本を開きっぱなしで机の上に放り、半分ほど飲みかけの麦茶が入ったコップがしんと立ち尽くし、つけっぱなしの換気扇の音が、黒い拡張ピアスで引き伸ばされた福耳をつつき。
完全に暇を持て余している彼であるが、しかし、退屈は感じていなかった。
『どんどろ〜』
「……君のおかげで私は職を追われたも同然だ。どう責任をとってくれるんだ?」
『どんどろ〜』
頭の中に響くお気楽な鳴き声。それは、夏油をこのような状況に導いた元凶――どんどろ。
呪霊操術によって調伏された呪霊は、本来自我が希薄になり、術者の命令以外には何も反応しない肉人形のような存在になる筈が、ルール無視でところ構わず頭に声を届けてくるどんどろである。
本を読む手が進まないのも、どうやら視界を共有して外界を見回しているらしいどんどろが興味を持ったのか、執拗に騒ぎ立てて集中できないからで、その点は迷惑しているが、おかげで夏油に虚無感は無かった。
「……」
____その時。
夏油は布越しの太ももに振動を感じた。
寝巻きのポケットを弄り取り出したのは、一定の周期で振動を繰り返す携帯電話。開いて相手を確認すると、
「……先生?」
携帯を耳に当てると、いくばくもしないうちに、野太く威圧感のある声が聞こえ始める。初見であればヤのつく自営業を思い起こさせるが、夏油にとっては馴染み深い声であった。
《傑か》
「お疲れ様です夜蛾先生。何か用事ですか? 問題は何も起こしてないと思いますが」
《そうではない……》
夏油のしらばっくれたような態度を気にせず、相手――
《お前に新たな命令が下った。任務だ》
◇◇◇
別命があるとすれば“呪術高専最深部に引越しろ”ぐらいと認識していた夏油にとって、自身に任務が振られるのは想定外であった。
「“虹龍”…… 実力は等級換算で一級から特級レベル……ね」
「派遣先では土地神として扱われているとも聞きます。十分用心して下さいね」
「わかってるよ。心配ありがとう」
眼下に流れていく枯れた棚田を見つめながら、随分心配性な補助監督の助言に軽く返した夏油は、首を鳴らして、車の座席に深く背を下ろした。
なんでも、被害が出始めたのはひと月前からで、すでに周辺住人のうち、若い女性を中心に10人が虹龍の手にかかっているとのことである。
そこの里長は正義感の強い者であり、また、呪術総監部へ
しかし、現代最強を二分する五条家の嫡男は任務で出払っており、推定特級クラスにぶつけられる術師も、それこそ多忙を極めている。
唯一手が空いているのは、長い目で見れば虹龍など目にならない爆弾を抱えた夏油一人であった。故に、
が、それは上層部の下世話極まりない事情であって、当然現場には伝わらない事である。当事者たる夏油もまた、詮索不要と腐ったものを見捨てていた。
彼の
(特級クラス…… 今、私が使役している呪霊では
表情にはおくびにも出さず、夏油は静かにどんどろを恨んだ。
というのも、今の彼の手持ちの呪霊は50体と極端に少なく、せいぜい索敵にしか使えないような低級呪霊が全てを占めていたのである。
無論、原因はあの日の戦闘。どんどろという化け物を抑え込むために彼もまた、特級クラスをも含めた手持ちの呪霊をフル活用、その全てをどんどろに
『どんどろ〜』
名前を呼ばれたと思ったのか、どんどろが頭の中で声を上げる。それを無視し、夏油は隣の座席に置いてある、呪具をしまうための包みへ目をやった。
それは、彼が任務直前に上層部へ伝えたこと____
“
という、切実なお願いかつ脅迫を行って貸し与えられたものである。夏油自身、どんどろを外へ出す気は毛頭無いため、それは僥倖ではあった。
しかし。
(正直、呪霊を完全に使わない戦闘というのは久々だからなあ……)
特級呪術師である自負、プライドが無いわけでは無い故に、負けるつもりはかけらも無い。が、久々にきつい戦闘になるのは必至。
「……」
どこか遠い目をした夏油を乗せて、山中の高速道路を駆け抜けていく黒塗りの高級車が向かうは、関東甲信のリゾート開発めざましき里山である。
懐玉・玉折編が終わったあとの話 ※得票数が多い順に全部書きます
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ぐ〜るぐる
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がっしゃぁーん!!
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イカがなものかと!!