病葉アマヒコはキヴォトス人。 作:ザントマン
着物の着付けには、十五分から一時間ほど掛かるとされている。
待っている間、携帯端末を取り出して、桜花祭で開かれるイベントの内容をあらためて確認することにした。
百鬼夜行と云えば、やはりグルメである。屋台では定番の焼きそば、フランクフルト、綿菓子、リンゴ飴といったものから、変わり種としては去年もあったフカヒレまん、角煮コロッケ等々。
各商店街でも、定食屋が忙しくなること間違いなしだ。観光客は注意が必要だろう。なにせ商店街だけで、二十以上ある。とても全部は回り切れないから、候補を絞った上でルートを決めておく必要がある。名物であるタヌキ印のお好み焼きは外せないだろう。第二、第九商店街の中心部では、豪華な祭りくじや大食いイベントも開催される。
部活や委員会ごとの出し物なんかも、目白押しだ。
多面指し将棋部では、部員一名に複数名の対局が楽しめる。
クロレラ観察部では、製麺所と協力したクロレラ麺を屋台で出すそうだ。
フィットネス落語部では……フィットネス落語部ってなんだよ。部の認可したの絶対天地先輩だろう、これ。午後から、天地ニヤとの落語対決ってあるし。これは陰陽部公演会でやるんだ。字面が強過ぎる……。
他には、旧校舎一棟を使ったお化け屋敷や、芸能関連ではミスコンなんかも開かれている。
「お待たせしました。お兄さん、入ってどうぞ」
そんな風に桜花祭の観光案内ページを眺めていると、いつの間にか着付けが終わったらしく、中に呼ばれた。
「どうですか~? シズコ……似合ってますか?」
くりくりとした瞳を潤ませる河和さんと対面した。
桜色の振袖は襟がしっかりと揃えられており、河和さんが動き回っても――ドジっ子サービスでよく転ぶ――問題なさそうだ。袴風のスカートと、フリル付き足袋ニーハイとの間の絶対領域が眩しい。
自信なさげな表情をしつつも、角度やポージングはしっかりと決めているので、十中八九演技ではあるのだが。
だが、それで良い。それが良い。
このあざとさが河和さんなのだ。
「可愛いです、とても」
河和さんが可愛いのは本人が一番理解しているであろうし、もはや常識として語られてもおかしくはない。可愛いの化身として崇められても当然であると云える。この世の真理だ。もはや可愛いって言葉が陳腐にさえ思えて来たな。やはり、河和さんはきゃわわなんだよなあ。ご婦人が近くにいらっしゃるので、きゃわわ発言は控えたけれど、この子の可愛さは苗字である河和からも読み取れるぐらいに――。
「ありがとうございます! ではではアマヒコさんも! ささっ! どうぞどうぞ!」
思考が河和さんの可愛さに支配されていた僕を、河和さんの癖のある声が現実に引き戻した。
他所行きのテンションで声を弾ませている河和さんは、僕の背中を彼女へ向かって押しやると、「アマヒコさんの着付けもよろしくお願いします」と云い残して、出て行ってしまった。
彼女と顔を見合わせて、お互いに苦笑を一つ。
「お願いしてもよろしいですか?」
「はいはい。任せてちょうだい」
着付けは完全に彼女にされるがままの状態だった。
長襦袢を羽織るところから始まり、襟を合わせて、紐で固定。裾を短く上げて――今回は、スカートに合わせるそうなのでかなり短めだった――メッシュの伊達締めで落ちないようにする。
見栄えの良さも重視して、今回は重ね襟もするそうだ。
襟を固定する金具を着物に縫い付けることも可能ではあるが、一旦専用のクリップで留める形となった。クリップの代用は、ヘアピンでも良いらしい。
僕が着付けをするときのそれと比べて、正確さとスピードが段違いだった。
てきぱきと流麗な仕草で仕立て上げていく手つきに、確かな年月の重みを感じた。
白黒の鱗柄の振袖――河和さんもだが、小振袖だ――を通す際に、手の甲を滑る絹の感触が心地よかった。
「此処にある着物、全部古着なんですか?」
「そうよお」
襟を固定するためのコーリンベルトを回しながら、彼女は答えた。
百鬼夜行では古着の露店を度々見かけるが、それなりに繁盛している。
年配の獣人の方々や、観光客が化繊の晴れ着を買っている中、僕と同年代の子が混じっていたりするのだ。
河和さんから聞いた話では、他人と同じものは嫌という気風の人が多いと云っていたが……。
疑問をそのまま、目の前の彼女にぶつけてみることにした。
「確かにそういう人は多いかも知れないわねえ」
「何着も買っていく人を見かけたことがあります。僕はあんまり気にしないんですけど、人が着ていたものが嫌って感じる方もいらっしゃるじゃないですか」
「地べたに敷いたビニールシートの上にてんこ盛りに売ってたら余計にそう見えるかも知れないわ。私の知り合いにも、骨董品だとか、お皿だとか集めるのが趣味の方がいるけれど、着物だけは無理って」
地肌に直接触れるものだからこそ、何処の誰とも知れない者が着ていたそれに、忌避感を覚える人がいることは理解できた。
また、縁起を担ぐ者であれば、それなりに値の張る着物を手放す理由に思い至る者もいるだろう。大概、不幸な何かが起こったときに、縁切りがてら売りに出すということも少なくないのだ。故に、不幸が乗り移るだなんて云って、嫌うこともある。
話している最中も手を止めなかった彼女は、しわ伸ばしがひと段落着いたのか、店内を軽く見回した。
「でもねえ、着物さんに罪はないでしょ。まだ着れるような状態で売りに出されているのは、不幸だと思うの。誰かがもし、不幸になって手放したんなら、私が買うて幸せにしてあげよ、って。くたびれたら、ほどいて、洗い張りして、縫って。座布団でも布団でも仕立て直してあげればいいの」
そう云って、反物をタンスから取り出して見せてくれた。大きなミシンの目で継ぎ接ぎにされた一反の反物は、洗い張りされた古着だという。
着物が直線裁ちであることは知っていたが、実際に目にすると――。
「――すごい」
着物は見事に、甦っていた。いや、ここから別のものへと命を吹き込むのだ。
座布団でも、布団でも。ワンピースでも、スカートでもいい。
「貧乏性だと思う? でも、これが私たちの贅沢なの」
圧倒されていた。
いつもはよく回る口が、いまに限っては動いてくれなかった。
胸の内から震える何かに、ただただ、感じ入っていた。
反物を仕舞った彼女は、着付けを再開した。
紐を取り出して、僕の腰元に巻き付けていく。このあとは、ゴムベルトの伊達締めでまた固定する。
伊達締めが終わりかけた頃に、僕は言葉を吐き出した。
「……お金でできる贅沢では生まれない奥深さ、技ってところですかね」
また一つ、僕の知らなかった贅沢を知ることができた。
「そんな上等なものじゃないわ。へそ曲がりなだけ」
「河和さんも同じことを仰ってましたよ」
「あら、そうなの? 誰に似たのかしら」
スカートを履いて、ベルトで固定した。素足を晒すのは得意ではないが、河和さんが折角用意してくれた代物であるし、たったいま、贅沢の極地を垣間見た身である。それらから生み出されたであろう着衣に畏敬の念を覚えてすらいた。
モノクロの鱗柄の小振袖に袴風のスカート、いつも履いている黒のレースアップブーツ、全体的にシックにまとまった印象だ。
しわを伸ばし、見繕いを終えた。姿見の前で、軽く動いてみる。問題はなさそうだった。
紙袋を渡されたので、着て来た服はその中に入れた。
スカートを履いて思うことは、やはり下から空気が入って来るこの感覚が落ち着かない。ほんの少しの動きでスカートの裾が翻らないか、気になってしょうがないのである。そうすると、自然に動きが大人しくなる。歩幅は小さくなるし、座るときも、腿をぴったりと合わせて座るようになる。スカートの下にショートパンツを履いているとはいえ、気恥ずかしいものは気恥ずかしい。装いによって気持ちが左右されるだなんて、実際に体験してみないと理解できなかっただろう。
「シズコちゃん呼んでくるわね」
河和さんが戻って来てこちらを見た瞬間、顔を強張らせたが、すぐに笑みを浮かべてこちらを褒めちぎった。
おそらく、似合い過ぎてて引いたんだろうなあ。
お礼を云いつつ、二人並んで彼女と向き合った。
「二人とも、とっても似合っとる。貴方たちみたいな子に着て貰って、きっとこの着物も幸せでしょう」
「えへへ、そう云っていただけて大変光栄です! 私も、こんな素敵なものが着られてとっても嬉しいです」
「ええ。僕も、贅沢な経験をさせて貰いました」
「そんならよかった。私も、最後に百夜堂の娘さんが着る服を仕立てられて満足」
「え……」
彼女の言葉に、河和さんはバケツの水を浴びせられたかのような顔をした。
「最後、って……」
「本当は去年に閉める予定だったから」
「え、でもなんで……私の注文を……」
河和さんは口を開くも、言葉は尻すぼみとなって消えていく。
そんな河和さんを、彼女は優しく抱き締めた。
「シズコちゃんだからよ。きっと、他の人だったら断って、とっくに店を閉めてたわ」
そうして、彼女は語った。
昔は立地がよく、古着屋が栄えていたが、この辺りに住む者がだんだんと減って、客足が遠のいたこと。
年々体力が減って来ており、露店や出張サービス、SNSを用いての経営に踏み切ることが難しいこと。
元々は大きく稼げなくても、最低限食べることに困らない程度の出入があればと始めたが、最近はそれすらも難しくなったこと。
店を畳んだあとは、ミレニアムの自治区に住む娘と同居する話がまとまっていること。
「シズコちゃんがまだこんな小さい頃、店に来たときのことをいまでも覚えてるわ。目をきらきらさせて、古着で作った小物や、エプロン見てた。近所の猫さんに顔を引っ掻かれて泣きながら店に飛び込んで来たこともあったわね」
「そんな、昔のこと。恥ずかしいですよ」
「ふふっ。猫ちゃん猫ちゃんって。懲りずに追いかけ回して……」
「だから、いいじゃないですか。昔の話なんて。もっと、別の話を」
「小学校に上がったら裁縫セットを持って来て、縫い方教えてって。不器用で、指に針が刺さる度に大騒ぎして」
「…………」
「家庭科の授業でエプロン作ったって見せに来てくれて、クラスで一番出来が良かったって。お婆ちゃんのおかげだって。もう私嬉しくてね」
「……お婆ちゃん」
「最高に可愛い服を作って貰って、それで接客するんだって。百夜堂で、お婆ちゃんの作った服で看板娘になるところ見ててって」
「…………」
「……約束守れなくて、ごめんなさいね」
「そんなことっ!」
弾かれたように顔を上げた河和さんの目には、眩いばかりの意志の光が灯っていた。
その輝きに、不覚にも魅入られた。
「そんなことないっ。だって、お婆ちゃんこうやってちゃんと作ってくれたでしょ。約束破ってなんか、ない」
「……シズコちゃん」
「お婆ちゃんは、約束守ってくれたから。だから、私の番」
彼女たちの物語を、僕は知らない。
僕の知らない出会い、僕が知らないやり取り、僕は知らない二人の絆。
いま語られたもの以上に、知る気もない。
僕はこの場では部外者で、傍観者だ。
それでも、繋がれた縁が羨ましいと思ってしまったのは。
「百夜堂の看板娘、河和シズコって名前がミレニアムにまで届くように、頑張るから。テレビで紹介されるぐらい、有名に。それで――」
瞳の奥で燃える熱が、言葉に宿る意思が。
うつくしいと感じてしまったからだろう。
河和さんは、彼女から一歩離れた。
袖を持ち上げて、片脚を上げて、ポーズを取って。
笑った。
「――可愛い私の! 可愛い服を作ってくれたのは、お婆ちゃんだって! みんなに教えてあげます!」
世界が騙されてもいいと錯覚するぐらい、綺麗な笑みだった。