病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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 火照った身体に染み入る、コクのある味わいの豆乳が、一杯五〇円で飲める。

 

 そういった謳い文句があるわけではないが、井戸水を汲みに向かう際は、必ず豆腐屋に寄って豆乳を飲むのが習慣となっていた。

 

 山奥の湧き水ならともかく、井戸水と聞くと感染症や食中毒といったマイナスなものを思い浮かべる人もいるだろう。

 

 実際、それは正しい。周囲の環境に影響され易い井戸水は、水質を一定に保つことが難しいからだ。

 

「此処の井戸水は、水質検査をしているので安全です」と云われて、素直に納得する性分の人間であれば、もう少し気楽に過ごせるのだろうが、生憎、そういった心根であると自認していない。流されて生きてはいるが、リスクを避けることに労力が毛ほども必要ないのであれば、それは避けるだけのこと。

 

 例え、集団食中毒や感染症が流行った時期に、奇跡的に僕の周りでだけはそういった被害が一切なく、これまで生きてきた中で病気どころか、風邪すら無縁であったとしても、だ。

 

 一人暮らしで食中毒は洒落にならないという自衛もあいまって、井戸水に対して良いイメージを抱いていなかった――百鬼夜行に住むまでは。

 

 きっかけは百鬼夜行に越して二週間ほど経った頃、自宅近辺の散策もある程度終わり、少し遠くに足を運んでみようと思い立って、あてもなく歩いていたときのことだ。

 

 自宅から商店街、住宅街と抜けて、踏切を越えて。変則的な十字路を西へ進んだり、見つけた細い道にとりあえず入ってみたりと、ただ歩く。ひたすら歩く。

 別の商店街に入れば、装いは趣のあるものから何処か泥臭いものへと変わり、町の隙間に畑や田んぼが見え隠れするようになる。

 急いでいるわけでもない。目的地があるわけでもない。目に映るものを、そのまま楽しむだけの散歩をして、公園で休憩がてら、携帯端末で現在位置を確認していると、不思議な光景を目にした。

 

 公園の入口からは大きな鳥居が見えるのだが、空のペットボトルを何本も抱えた犬の獣人や、大きなポリタンクを手にしたオートマタ、はたまた水筒を手にした女子生徒が、そこをくぐっていくのだ。少し経つと、空だったペットボトルや、ポリタンクの中身を満たした状態で鳥居から出ていく。

 

 気になって話を訊いてみると、神社にある井戸水から水を汲みに来ているとのことだった。

 キツネ市場の区役所近くから来ていると云われたときには、大層驚いてしまった。その場に居た僕がとやかく云える立場ではないが、歩くには少々遠い距離だったからだ。

 

 用途を尋ねると、炊事全般は井戸水を使うのだという。この水でご飯を炊くと美味しい、と。

 

 興味を惹かれた僕は、家へとんぼ返りした。行きは二時間ほど掛けた道のりは、帰りは一時間にも満たなかった。水筒を持って家を飛び出し、神社へと赴いた。

 

 大鳥居をくぐり、参道を歩いて境内に入れば、井戸は直ぐに見つかった。近くに賽銭箱が置かれていて、この井戸を保存するにあたってご協力を、と一文添えられている。財布からお札を一枚取り出して入れておいた。

 

 手のひらに受けて、水を飲んでみると、非常に癖のない味をしていた。ミネラルウォーターでいうところの軟水に近い味だった。僕の好みは硬度も少し含んだ軟水だが、神社に来るまでにすっかり熱を持った身体に浸透する優しい味わいは、筆舌に尽くし難いものだった。百鬼夜行では、こんなに美味しい水が地下を流れているのかと感動した。

 

 のちに調べてわかったことだが、百鬼夜行で所謂老舗と云われる豆腐屋や、湯葉屋といった店の殆どは、自前の井戸を持っているらしい。涸れたら、井戸は掘り直すとか。

 

 水を使った商売を営んでいるならともかく、一般の家はそこまでしない。文化財に指定されるような住居や古い店舗でも、井戸が涸れてしまっているところもある。

 

 だからこそ貴重であり、贅沢なのである。

 そう、贅沢だ。

 百鬼夜行の至るところにある贅沢というものは、悉く僕の琴線に触れる。

 

 いまでは週に一度、ポリタンクを持って、せっせと神社まで井戸水を汲みに歩いては、途中にある豆腐屋で――此処も井戸水を使っている――豆乳を飲んで、またそこから自宅へ運んでいる。豆腐屋は数あれど、店で豆乳を飲ませてくれる店はそう多くない。

 僕の家から、井戸水を汲みに往復で五キロ程度。

 たかが、水を汲みに、である。

 しかしながら、まったく以って苦ではない。

 

 それほどに井戸水に対しての悪い印象が払拭されたし、もはや生活に欠かせないものとなっていた。

 

 井戸水でご飯を炊き、納豆や生卵をおかずに白米を噛み締める朝を迎える度に、感謝を捧げたくなる。

 井戸水を水筒に入れて、生温い水を喉に滑らす感触が気持ち良過ぎて、涙が出そうになる。

 

 ありがとう、キヴォトス。

 ありがとう、百鬼夜行。

 そして、最後に進学先を百鬼夜行に決めた僕に――。

 

 ありがとう。

 

 

 

 

 六月になった。

 

 桜色に染まっていた一角はぽつりぽつりと花を残すのみで、垂れ下がった枝に青々しく葉をつけている。

 新緑のカーテンに覆われた、日差しや音が遮られた静かなその場所で、ツバキとアマヒコは昼食を取っていた。

 

 ミモリの姿はそこにはない。彼女は現在、修行部の発足に必要な書類――実績証明書が一部、活動に関する他の部活からの保証書三部を携えて、陰陽部に赴いている。

 

 そのため、珍しいことにツバキとアマヒコだけで過ごす運びとなった。

 

「――そうなんだ」

 

 話を聞き終えて、開口一番。

 春日ツバキは、井戸水について、常の涼やかさとは一転した口ぶりのアマヒコに、ぞんざいな口調で返した。

 

 サンドイッチを手に取った。シンプルな卵サンド。野菜ジュースをストローで吸い上げて口の中に水気を補給したのち、かぶりつく。見た目に違わぬ、予想を裏切らないシンプルな味。目の覚めるような美味しさ、という感覚は、自分にはやはり不要であると再認識する。

 

 不意に風が吹いて、枝や葉っぱが一斉に合唱を始めた。

 

「わっ」

「おっと」

 

 弁当箱に慌てて蓋をする。まだ、ツナサンドが残っているのだ。

 目の前で燐光を散らしている――冗談のように長い――黒髪を抑えていたアマヒコは、合唱が終わったと同時に微苦笑を一つ。

 

「春日さん、そんなに素早く動くんですね」

「それ、どういう意味~」

 

 相変わらず失礼な奴だ、とツバキは思う。

 そもそもこの間、駆けつけたときにはちゃんと動いていただろうに。

 抗議するように桜花祭での件を口にすれば、目をぱちくりとさせたあとに、「ああ、確かに」なんて、まるで云われて思い出したかのような態度に、ますます腹が立つ。

 

「次は助けないからね」

「本当に感謝してますって! ランチに連れて行ったじゃないですか……」

「もうちょっと高いお店に行っとけば良かったなあ」

「それはつまり、また春日さんとデートに行けるってことですか」

「また、そういうこと云う~」

 

 口の減らない男である。

 

「いやあ、実際のところ、あのときの――魑魅一座とのあれ、あんまり覚えていないんですよね。お二人が来て、銃撃ったり、盾で弾いたりって場面は、目にしていたんですけど」

 

 何処か曖昧で、他人事のようにアマヒコは口にした。

 言葉を選んでいるのか、ゆっくりと続ける。

 

「昔から……戦いって呼んでいいのかな、日常茶飯事(キヴォトス)だし。まあ、ともかく。戦うって状況になったときに、人に見られると我を忘れると云いますか。端的に云うと、ハイになるんですよね」

「テンション上がるの?」

「それとはまた違うというか。や、ある意味そうなのかな。視線誘導するために、それっぽい感情使ってやるし……」

 

 ぶつぶつと思考に耽るアマヒコを見遣りながら、ツナサンドを齧る。

 

 沢山の人に見られて、緊張であがるというのなら話はわかるのだが。人波に揉まれての人酔いのようなものだろうか。それだと気持ち悪くなるから違うような気がする。

 

 魑魅一座の面々の合間を縫うように疾走していたアマヒコは、水を得た魚のようだった。

 

 アマヒコの動き自体は速いわけではない。むしろ目で追える程度のもので、それが狙いなのだろう。

 長い黒髪に散った神秘的な光は、どうしたって目立つ。

 あえてそれを強調するような重心を一定に置かない独特の動きに加えて、地を這ったり、やたら高く跳んだりと、縦の動きだけは異様に(はや)い。

 とはいえ、平地で跳び上がったところで、蜂の巣にされるだけだ。

 それこそ宙でも蹴らない限り――ああ、そうか。

 

 ツバキは、すっかりと緑に覆われているしだれ桜を見上げた。

 

 確か、自己紹介のときに云っていた。彼は、九鵙(くもず)第三中学校の出身だと。

 ツバキやミモリが卒業した九鵙第一中学校とは違い、自治区の境にある山の奥深くに学校があった筈だ。

 であれば、合点がいく。

 

 アマヒコの戦い方は、おそらく足場がある前提のものなのだろう。壁や天井、あるいは木。

 

 森であれば、目立つ髪ごと身を隠せるし、足場は云わずもがな。

 加えて、取り扱っている得物である回転式拳銃(リボルバー)――しかも、固定式(ソリッドフレーム)――の再装填に掛かる隙も、木から木へ移ってやり過ごしながら、一発ずつ確実に装填すれば良い。

 

 先ほどはアマヒコのことを魚のようだと評したが、どちらかと云えば猿のようだ。

 いや、平地では魚のように流麗に立ち回り、森の中では猿のように木々を味方につける。どちらもあってこそかも知れない。

 惜しむらくは回避に比重が置かれ過ぎて、攻めっ気が足りないことだろうか。

 

 自分がアマヒコと戦うことになったら、どう立ち回るだろう。

 

 とりあえず、まともに相手をしたら面倒なことこの上ないので、まともに相手をしないだろうな、と思う。

 

 具体的には、目をつぶって弾幕を張って、視覚に頼らない戦い方をする。

 

 目で見るから翻弄されるのであって、アマヒコの動きそのものは、繰り返しになるが速くはないのだ。

 音はどうしようもないけれど、何か云っていても無視すれば良いし。いつもやっていることだし。

 

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる理論ではないが、銃口を向けられた瞬間に、弾が当たらない場所に移動することができても、弾が発射されたあとに避けられる人間なんて存在しない。広範囲に及ぶ爆撃を味方に仕掛けて貰うのも良いかも知れない。

 

 一発や二発当たったところで、問題なく動けるのがヘイロー持ちの特権ではあるが、あのときのアマヒコは、何故か銃弾をその身に受けることを必要以上に忌避しているように見えた。

 

 ツバキ自身もやり方は異なるが、アマヒコと同じタイプの戦い方をする人間なので、やられて嫌なことはある程度はわかる。

 

 ……まあ、もしかしたら服が汚れたり、駄目になるのが嫌だっただけかも知れないが。

 

 ツバキは、ミルクの紙パックにストローを挿した。

 

 普段であれば、とっくに昼寝を堪能している時間なのだ。

 あまり使わない頭を働かせたからか、身体が糖分を欲している。

 ミルクを吸い上げながら、未だに考え事をしているアマヒコに再び視線を移した。

 

 変わったなあ、と思う。

 何が変わったのか。

 

 ツバキの、アマヒコに対する感情だ。

 

 入学式の日にたまたま隣に居合わせた、女性と見紛う輝く美貌を持つ男子生徒。

 

 はじめはただ、警戒していた。親友が厄介な男に引っかかってしまったと。

 けれど、過ごしていくうちに、「よくわからないけれど、ミモリが気になっている男子生徒」から「とてもわかり辛いけれど、それが癖になって面白い男子生徒」に変化していった。

 

 表情や仕草、言葉で他者を動かそうとするそのやり口は、いまも好ましいとは思えないが、振り返ると実に馬鹿馬鹿しい独善的な感情に由来するものだと知ってからは、馬鹿なんだこの人、という結論に落ち着いた。

 

 どうにもこの男は、近しい人間に対しては、自分と接していく上で損をさせたくないという考えを抱いているらしい。

 

 それでいて、ミモリに対しての距離感は人一倍気を遣ってあれなのだから、手に負えない。

 嫌われたいならはっきりと口にすれば良いのに、いちいちミモリに離れるかどうかの選択肢を与える。

 だのに、表面的なものから内面に至るまでしっかりとミモリを見て、良いと思った点は逐一褒める。

 どっちつかずで中途半端だ。思わせぶりな態度でミモリを一喜一憂させないで欲しい。

 

 そもそも人間関係というものは、損得勘定のみで考えるものではないだろう。中にはそういった付き合いもあるのだろうが、少なくともミモリは、打算で人を選ぶような真似はしない。

 

 この間の桜花祭でもそうだ。

 ツバキには素直に助けを求めた癖に、ミモリには「暇だったら来てください」なんて。

 ミモリは憤慨していたが、当然だろう。

 どうしてミモリがアマヒコを修行部の実績作りに駆り出しているのか。お昼を一緒に取っているのか。

 ミモリからの好意は自覚しているだろうに、真正面から受け取ることを(よし)としない。

 その点では、桜花祭を契機に知り合ったシズコは、上手くアマヒコと付き合っていると思う。

 

 そうした日々積み重なっていく馬鹿(アマヒコ)への鬱憤は、馬鹿を苛めることで発散するに限る。

 

 ツバキやミモリが弄り回しているときに垣間見せる年相応の反応は、澄まし顔とのギャップも相まって中々に痛快だ。

 

「――まあ、いいか」

 

 その声が耳に届いて、ツバキは思考を打ち切った。

 

 こういうところだ。

 思慮深いかと思えば、途端に思考を放り投げることがある。

 考えてもわからないことや、苦手なことは後回し。後々痛い目に遭うのは自身だろうに。

 

「水羽さんって、怒ると怖いじゃないですか、おそらく」

「うん、怖いよ。私はミモリだけは怒らせたくない」

 

 馬鹿がなにやら云い始めた。脈絡が無さ過ぎる――が、些かの逡巡もなく頷いた。

 この場に居ない幼馴染の名前を出したアマヒコは、予想していたと云わんばかりに微苦笑を零す。

 

「あ、やっぱ怖いんですね」

「怖いよ」

「やはり、そうでしたか」

「うん」

 

 ミモリとの付き合いは誰よりも長いと自負している。

 規律や周囲との和を重んじるミモリと、マイペースなツバキは奇妙にも馬が合った。喧嘩らしい喧嘩は、数えるほどしかない。

 それだけに、普段優しい人が本気で怒るとどれほど怖ろしいのか、身に染みて理解している。

 

「僕が視線誘導するときによく使うのが、怖いって感情なんですけど――」

「あ、そうやって話繋げるんだ」

 

 終わってなかったんだ、さっきの話。

 

 

 

 昼休みが終わる頃、ミモリからモモトークのグループにメッセージが届いた。

 先日新しく作られた、ミモリ、ツバキ、シズコ、アマヒコの四人でなるグループだ。

 

 陰陽部に書類を届けたこと、部の認可の公的な手続きにまだしばらく時間が掛かること。

 書類の内容に不備はなく、問題なく修行部が設立できそうなこと。

 実績作りにあたって協力したアマヒコへの感謝、ツバキへは労いの言葉とこれからもよろしく、といった旨のメッセージが続々と送られる。

 

 各々メッセージを返し、遅れてシズコが祝いの言葉を送った。

 

 数分経って、再度ミモリからメッセージが送信された。

 

 

 

『来週、みんなで蛍を見に行きませんか?』

 





百鬼夜行の桜って、神木以外は、ちゃんと四季に引っ張られるイメージあるんですけど、どうなんですかね? 大雪原とかあるし、地域によって違うのだろうか。

桜花祭でのオリ主の描写がなんか強そうに見えたので、大したことないよというツバキ視点からの説明回&オリ主への感情の変化。周囲に気を遣わせる系オリ主。周りが優しい人ばかりで良かったねという。

ゲームだとオリ主はツバキと同じ回避盾ポジションだと思います。無論、性能はツバキの劣化。

そしてサラッと修行部設立。もう少し劇的に描こうかと考えていたんですが、これ以上引っ張ってもな、ということで。

夏のイベント幾つか消化していきます。感想で云われるまで水着というか海についてはまったく考えていませんでした。どうしようかな……。

秋、冬と百鬼夜行での日常を描いて、先生がキヴォトスに来るって感じで。

2023/12/20 追記

オリ主の台詞を以下のように修正しました。

「ミモリさんって、怒ると怖いじゃないですか、おそらく」

「水羽さんって、怒ると怖いじゃないですか、おそらく」
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