病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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「あっ……」

 

 風が吹いた。森がそよいで、葉っぱが鳴った。

 光が生まれた。(ひぃ)(ふぅ)(みぃ)

 数えられたのは、そこまでだった。

 光は、雨になった。

 大地を踏みしめているのに、満天の星空の中に居るようだった。

 

「――――」

 

 誰も、言葉を発しなかった。

 ただ、ただ、見入っていた。

 

 ――蛍の成虫の命は、十日から二週間だという。

 

 水面を高く、低く、蛍が舞う。

 光の尾を引いて、命の輝きを放ちながら。

 

 この瞬間が、永遠に続けばいいと思った。

 

 このまま、このまま――。

 

 

 

 扉が閉まった。

 緩やかに列車が動き出す。慣性に引っ張られて、身体がほんの少し、傾いた。

 肩をそっと支えられる。

 ほっそりとした白い指先がまず、目に入った。手の甲の皮膚は薄く、血管が透けて見える。

 甘い、バニラの香りがした。

 

「おっと。大丈夫ですか? とりあえず座っちゃいましょうか」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 アマヒコは手を離すと、ミモリに先を促した。

 耳の裏で、脈を打つような感覚を覚えた。

 咄嗟に手が伸びそうになって、抑える。

 肩が剥き出しの服でなくて良かったと心底思った。

 服越しでこれなら、地肌だったら、どうなっていたのだろう。

 

「すぅ……すぅ……」

「春日さんが立ったまま寝てます、水羽さん」

「ご、ごめんなさい。直ぐに進みますっ」

 

 車内は上質な木材のつくりになっていた。見渡す限り、乗客は三人。席はずいぶんと空いていた。出入り口に近い四人掛けのボックス席に移動し、網棚へ――紐で編まれたものは大変珍しい――荷物を載せる。臙脂色の生地に覆われたレトロ調のシートは、テーブルを挟んで設置されている。

 

 ミモリの隣にツバキ、向かいの席にアマヒコが座った。手荷物は空いた席にまとめる。今朝作ったお弁当を入れたランチバッグは、膝の上。飲食が可能であることは事前に確認済みだ。

 

 始発駅を発ってから、一時間が経過していた。

 乗り換えは、電車から列車に変わるこれを合わせて二回目になる。

 慌ただしく動いていたが、座席に着くとやや弛緩した空気が流れた。

 ほどよい冷房が、熱した身体に染み渡るようだった。

 

「――私たちが向かっている場所は、此処です」

 

 一息ついたタイミングで、ミモリは携帯端末を二人に見せた。

 

 光る蛍が数匹映った写真が表示されている。

 蛍以外には、茜色に染まった空、民家や田園、木は二本以上あると判別できた。外灯がないからか、ほぼ黒に塗り潰されている。

 撮影場所の問題かも知れないが、取り立てるほど景観が良いわけではなさそうだった。

 そも、蛍を見に行くのだから、さほど関心を払う者は多くないのかも知れない。

 

 写真が投稿されたのは、去年の六月。

 添えられた地名は日向(ひむか)。調べてみると、百鬼夜行自治区内ではあるが、中心区からは、かなり離れた地区の村だとわかる。

 村の隣には逢初(あいぞめ)町。此処に、ミモリたちが泊まる民宿がある。

 日向村と調べて出てくる観光サイトの記事は、最新のものが五年前。

 サイト曰く、村には幾つかの伝承が残っており、中には蛍が登場するものもあるようだ。

 かつては蛍が多く見られたが、年々、姿を見なくなって久しいようで、いまでは蛍を見に行こうとわざわざ足を運ぶ者は少ないらしい。

 

 観光業が盛んと云われる百鬼夜行とはいえ、それは中心区に限った話だと、以前、アマヒコから聞いたことがある。

 

 中心区に居を置くミモリも、同意見だ。

 

 例えば、百鬼夜行特集というもので、お土産を――和菓子や漬物――買うなら、この店だ、という風に紹介される。

 店名を見ると、なるほど、確かに老舗である。

 けれど、ミモリからしてみれば、しっくり来ない。

 店の良し悪しの話ではない。

 当たり前のことを大仰に書いているなあ、と思ってしまう。

 実用書ではなく、観賞雑誌という印象が抜けない。

 読んだ人に夢を与えるもので、本来の百鬼夜行とは違うように思ってしまう。

 

 百鬼夜行で美味しい○○の店は何処ですか。

 

 百鬼夜行に来て、ミモリは日が浅い。

 故に訊きたい内容はわかるし、案内もできるだろう。

 ただ、百鬼夜行の住民にこの手の質問をすると、怪訝そうな顔で見られることがある。事実、ミモリはあった。

 饅頭や大福を買うなら、饅頭屋さん。千枚漬けならあの店と、大体にして、行きつけのお店が決まっているのだ。

 着物や帯に、格が決まっているようなものだ。金糸、銀糸が入った帯とは合わせられない。

 用途に応じて細かい使い分けをする。

 和菓子全般、漬物全般で勝負をするのではなく、店側も「うちはこれで行く」という気概がある。

 はじめは、この仕組みというか、文化の違いに馴染めなかったものだが、いまではすっかり慣れたものだった。

 

 百鬼夜行はハレとケがあり、表と裏、内と外に分かれている。

 雑誌や観光事業で取り上げられるのは、ハレ――表の百鬼夜行だ。

 

 百鬼夜行に来た頃は、ガイドブックを参考に町を歩いていた。

 しかし、それは香りを楽しむだけの、他所の自治区から見た百鬼夜行を装丁したものであって、日常がそこにはないと、いまならわかる。

 ハレの部分と対になるケ――裏の百鬼夜行。

 百鬼夜行の日常は、地味だとミモリは思う。

 ただ、暮らしを始めて落胆したかといえば、そうではない。

 むしろ、日常こそ、しっくりと来たくらいだった。

 雅でも、煌びやかでもない。

 素朴で華奢で、侘び寂びがあるように思えるのだ。

 根っからの百鬼夜行の住人であるシズコに話したら、「そんな良いものじゃないわよ」と笑い飛ばされた。

 そのあと、「お饅頭食べる?」と、彼女行きつけの店の品が差し出されたことから、内心どう思っていたのかは、語るべくもない。

 

 閑話休題。

 ともかく観光客が持つ百鬼夜行のイメージは、やはり、中心区の古めかしい町並みである。

 また、蛍の有名な観光スポットでは、六月になると、人間の手によって蛍が放たれる。養殖の蛍がふわりと飛んでみせる姿は、地元の人間も足を止めて、見惚れるほどだという。

 

 翻って、日向村。

 古都のうつくしい、映えるような建築物はないだろう。

 観光の目玉にしていた蛍が減ったいま、村の活気がどうなっているのかは、想像に難くない。

 清流に生息する蛍が姿を消している、という点に不安が残るが、昨年、写真に収められていることから、自然を大きく損ねるような問題は起きていないと思うべきか否か。

 

 ミモリたちの目的地は――そんな場所だった。

 

 二人に説明をしながら、どうして此処を選んだのかと自問しても、答えに窮してしまう。

 

 喧騒から身を遠ざけたかったことや、誘う面子のことを考慮に入れたことは間違いないが、正直なところ、後付けでしかない。

 こんな遠くまで足を運ぶ必要はあったのか。その日の天候や状況に左右されるとはいえ、まだ、蛍で有名な観光スポットに赴く方が良いのではないだろうか。

 

 そう考えなかったのかと云えば、嘘になる。

 

「確かに、人はあまり来なさそうですね。……伝承かあ。桑上先輩から、古今東西の民話や伝承が載ってる奇談集があるって聞いたなあ」

「陰陽部の人」

「ええ、桑上(くわかみ)カホ先輩です。ほら、僕を陰陽部に連行した方がいらっしゃったじゃないですか」

「入るの断ったんじゃないの?」

「断りましたよ」

「いまも交流あるんだ」

 

 欠片も関心がなさそうな声色のツバキに、アマヒコが微苦笑を浮かべる。

 

「あの人、上からも下からも板挟みでさ。処理できちゃうだけの能力があるのも、考えものだよねえ」

「他人事だね、その云い方」

「まあ、事実、他人事なので」

「――告白までした相手なのに?」

 

 アマヒコが素早く両手を挙げる。

 

「やめましょうか、この話。――何処からその情報を?」

 

 陰陽部の公式HPにて、桑上カホを紹介する欄に「百鬼夜行唯一の男子生徒に告白されるほどの逸材」と記されていることを伝えると、アマヒコは項垂れた。

 

 云うまでもないが、ミモリ、ツバキ、シズコにとっては――振られたことも含めて――周知の事実である。

 

 少なくとも彼は、カホに対して、他人事なんて嘯いている場合ではない。

 

「――いっつも、話をする度に女の子の名前が出て来るよね~」

「待てこら! キヴォトスの男子生徒の数からして、しょうがないでしょうそれは」

「じゃあ、男の子の友達居るんだ」

「……いや、居ませんけど」

「あ~あ、語るに落ちるとはこのことか~」

「ああはいはいそれでいいですどうせ僕は女好きの気障な軟派野郎ですよ」

「自覚あったんだね~」

「泣くぞ!」

「――もう、ツバキちゃん? あんまり意地悪しちゃだめですよ?」

「え~」

 

 ころころと笑うツバキと、力なく笑みを浮かべているアマヒコのやり取りに、ミモリも口元を緩ませる。

 

「お二人が楽しそうで、僕も嬉しいですよ」

 

 肩を竦ませていたアマヒコは、表情を真面目なものへと変えた。

 

「水羽さん、さっきの写真、もう一度見せて貰っても?」

「ええ、どうぞ」

 

 アマヒコが液晶を覗き込んだ。髪を耳に掛けた拍子に、光の粒が弾ける。

 輝く美貌を悩ましげに歪めたあと、ミモリに礼を告げ、シートに身体を預けた。

 

「どうしたの? 知ってる場所?」

「あ、いや。記憶にある限り、知らない場所です。でもまあ、なんとなく――」

 

 ただ、そう。懐かしいな、と。

 

 ぽつりと呟かれた言葉に、ミモリは息を呑んだ。

 

 同じ、だったからだ。

 

 日向村を選んだ決め手は、それだった。

 ミモリは、初めてこの写真を目にしたとき、云いようのない懐かしさを感じたのだった。

 地名や伝承を調べても、一つとして、見聞きした記憶がない。

 にもかかわらず、風景に関しては、途端に郷愁を覚えるのだ。

 

 偶然だろうか?

 

 奇妙な符合を前に、心臓が高鳴るのを自覚する。

 もしかして、これは。

 

 彼とは物心がつく前から知り合っていて、一枚の写真をきっかけに、距離が近づくという王道の展開――!

 

 あるいは――生まれ変わり、だろうか。

 

 まさか、ミモリもそんな与太話を本気で信じているわけではない。フィクションだからこそ、熱を上げて応援し、憧れるのだ。

 現実は、そう甘くない。

 だが、漫画のようなシチュエーションに、ボルテージが高まっていく。

 

 大和撫子足らんと居住まいを正していたが、頬が薄っすらと紅潮していることに、ミモリは気づかなかった。

 

 旅は人を何処か開放的にする、という通説を思い出す。

 気安いやり取りをしつつも、常に一歩半ほど輪の外側に立っているようなアマヒコであっても、例外ではない筈だ。

 

 で、あるならば。

 

 ミモリは、次の行動に移った。

 

「ツバキちゃん、アマヒコさん」

「うん?」

「はい?」

「お腹空きませんか? お弁当食べますか?」

「あ、うん。云われた通りに朝ご飯は抜いてきたから、お腹は空いてる」

「僕も、はい。お腹空いてます。そういえば、水羽さんの料理をいただくのって、今日が初めてですね」

 

 ミモリは楚々とした、しかし弾むような手つきでランチバッグを開いた。

 男性は胃袋を掴んでおくと良い――なんて話は、少女漫画の世界でも鉄板である。好みの料理をあらかじめ訊いてから、不意打ちで手作り弁当を差し出して、意中の相手にそれとなく好意を伝える。

 使い古された手法ではあるが、故に王道。根強い人気がある。

 相手を想いながら、懸命に苦手な料理に挑むいじらしい主人公の姿に、ミモリは心打たれたものである。

 

「お口に合うかはわかりませんが――」

 

 予防線を張るなんて、まだまだ修行不足だと思いつつ、中身を露わにする。

 

 これまで、アマヒコに料理を教えることはあっても、振る舞う機会はなかった――あったとしても、彼は何故か固辞していた――ため、緊張は多少なりともある。

 

 それを上回る期待も。

 

「――どうぞ、お召し上がりください」

 

 

 

 ミモリの手料理は好評だった。

 

「うまっ」

「恐縮です」

 

 端的な賞賛に、ミモリも短く返した。

 アマヒコは茄子をゆっくりと咀嚼する。

 もう一度、箸を伸ばして、今度は、あっという間に嚥下した。

 

「茄子、とろとろにする派閥ではないんですね」

「……もしかして、そちらの方がお好みでしたか?」

 

 美味しいけど、好みとは違うなあ。

 

 そういった、遠回しな表現だろうか、と考えてしまったミモリは、順調にアマヒコに毒されていた。

 以前、箸の持ち方が綺麗だと褒められたときは、素直に喜べていたのに。

 

「いや、僕はこのぐらいが好みです。茄子のきゅっとした歯触りが好きなんですよ」

「ツバキちゃんも、あまり柔らかいものを食べないので、火を通す時間を少なめにしてるんです」

「よく噛んで食べると、セロトニンが出て睡眠に良いから。ミモリのご飯は今日も美味しいね〜」

「ふふっ、ありがとうございます。ツバキちゃんも沢山食べてくださいね」

「ブレない生き方してますね、春日さん。まあ、それはともかく。生姜の効いた甘辛い味付けに合わせることを前提としたこのおにぎりも、梅だけでなく、酢を混ぜてあるから、さっぱりとしていて食べ易い上に、わけぎで彩りや、風味にまで気を配られている。……そうか、酢と油の食べ合わせ……食欲増進に、この時期の傷みにくさにまで……水羽さん凄いですね。すごっ」

 

 立板に水を流すようにこちらの思惑や、配慮を口にするアマヒコは、無粋の極みだった。

 そこは素直に美味しい、で良いのだ。

 細かいところに気を配り過ぎて、一周回って、粗探しをされている気分になった。

 とはいえ、好みだと喜んでくれたのは、嬉しい。

 

「あんまり難しく考えなくて良いと思う」

「それもそうですね。うーん、美味いなあ。美味い」

 

 シズコを加えた四人での旅行を予定していたこともあり、材料は多めに用意していた。

 三人だと、一度では食べ切れないかも知れない。

 そんな心配は、杞憂に終わった。

 気合を入れて作り過ぎてしまったことは反省しつつ、作り手の冥利に尽きるとは、こういうときに用いられるのだろうな、とミモリは思った。

 

 空になった弁当箱をしまう。

 ツバキはお腹が満たされたからか、早速、船を漕いでいた。

 アマヒコは席を立っている。

 お手洗いだと口にした彼に、ミモリは一言だけ、告げた。

 

「油ついてますよ」

 

 彼の唇は油でつやつやになっていた。

 アマヒコは指摘されるそのときまで、気づいていなかった。

 

 つまるところ、それだけ、夢中になってくれていたのだと。

 

 期待を寄せると外される。

 しかし、望外の喜びを得ることができた。

 

 それで良かった。

 それが、良いと思えた。

 

 

 

 鈍行の列車は、あと三十分ほどで、ミモリたちが降りる駅に到着する予定だ。

 あくまで、予定。

 

 予定は未定である――それを、いまほど実感することはない。

 

 ミモリたちが乗っている車両は、単線区間を走っている。

 ローカル線ではありがちなことだが、鈍行の車両はしばしば駅に停車を繰り返し、待ちぼうけを食わされる。

 

 これもまた旅の醍醐味だと捉えられたのは、はじめの一、二回だった。

 それ以降、列車が駅に止まる度に、辟易とさせられた。

 停車時間が長く感じてしまうのは、今日を楽しみにしていたが故か。

 逸る気持ちを抑えようとすればするほどに、時計の針の進みを逐一確認してしまう。

 

 この駅に停車してから、まだ五分と経っていなかった。

 

「寝てもいいですよ」

 

 車窓から外を眺めていたミモリに、声が掛かる。

 肩の重みに注意を払いながら、アマヒコを窺った。

 文庫本を静かにめくっていた筈の彼が、こちらを見つめていた。

 ミモリの肩に頭を預けたツバキが、寝息を立てている。彼女の前髪をそっと掻き分けた。気持ち良さそうな親友の姿に、アマヒコと顔を見合わせて笑った。

 

「朝は準備が大変だったでしょうし、蛍は夜が本番でしょう? 休めるときに休んだ方がいいですよ」

「ツバキちゃんと、朝に同じような話をしたんです。でも、眠れなくて」

「そういうときもありますよ。今日、ちょっとテンション高めでしたね」

「はしたないところをお見せしてしまいました」

 

 アマヒコは、(かぶり)を振った。

 

「まさか。僕は楽しかったですよ。それに、最高の朝ご飯でした。師匠にはまだまだ敵わないなあ、と」

「師匠は恥ずかしいので、やめてください」

「いやいや。美味しかったです」

「何度も云われてしまうと、嘘っぽく聞こえちゃいますよ?」

「水羽さんまでそんなことを云うんですか。悲しいですよ、僕は」

「ごめんなさい、揶揄い過ぎました」

 

 閉じていた本をテーブルに置いたアマヒコは、身じろぎをする。

 

「……目を閉じるだけでも、違いますよ」

「はい。わかってはいるんですけど……勿体なくて」

「勿体ない?」

 

 はい、と頷いて、ミモリは再び、窓の外へ視線を送る。

 

 ただでさえ少なかった乗客は、停車する毎に一人、また一人と減っていった。この車両に乗っているのはもう、自分たちだけだ。

 駅のホームは無人で、屋根がなかった。

 日差しが照らすのは、塗装の剥げたベンチと、色褪せたポスター。

 事務的に停車し、運行の調整だけにしか必要とされない駅。

 

「眠れないのなら、眠れないなりに。せっかくの旅行ですから」

 

 忘れたくないと思ったことも、取るに足らないことも。

 いま感じているもどかしさや、逸る気持ちも。

 そんなこともあったけれど、楽しかった、という一言にまとめて語られる日が、いつか、きっと。

 

「ちゃんと覚えておきたい、って思ったんです」

「……そうですか。じゃ、付き合いますよ」

 

 ミモリとアマヒコは、列車が動き出してからも、会話を続けていた。

 

「お弁当を作っているときに思ったんです。これはおにぎりなのか、おひねりなのか、おころがしなのかと」

「おむすびで良いんじゃないんでしょうか」

「うふふ」

「どうしました?」

「いえ、なんでもありません」

「さいですか。うーん……いまの返しじゃあ、会話として味気ないので、そうだな。舞台用語と塗装工事でそれぞれ転がしとありますが、どちらについて話しましょうか」

「どちらもお願いします」

「承知しました」

 

「最近、詩集を手に入れまして」

「詩集ですか……?」

「ええ。なんでも、今年のミレニアムプライスで優勝した作品だとか」

「すみません、そのミレニアムプライスというのは」

「ミレニアムの部活で、それぞれの成果物を競う催しらしいですね」

「そうなんですね。優勝って凄いですね。あの、ミレニアムで」

「しかも、詩集が。話題作らしいですよ。表題も『思い出の詩集』と、シンプルですよね。事前情報殆ど仕入れてないので、楽しみです」

「詩を、嗜まれるんですね」

「ああいったものは、自分の中でどう消化するか、ですからね。水羽さんは、最近何か読まれました?」

「……漫画を、少々」

 

「天気、大丈夫だと良いのですが」

「心配ですか」

「はい。その、山の天気は変わり易いと云いますし」

「大丈夫ですよ」

「そう、でしょうか」

「まあ、九割程度は」

「……何か、そういった統計的なデータをあらかじめ調べて来たんですか?」

「うん? ああ、いえいえ。まさか。なんとなくです」

「なんと、なく」

「はい。まあ、これが、結構馬鹿にできなかったり」

「はあ……」

「騙されたと思って、気楽にしましょうよ」

 

「……さん」

「は、い……?」

「寝ていいですよ」

「い、いえ、すみません……」

 

 振動に揺られているうちに、ミモリの意識は徐々に微睡んでいく。

 

「水羽さん?」

 

 アマヒコの静かな呼びかけに、ミモリは返事をしたつもりだった。

 

「寝ちゃった、か。女の子の寝顔をまじまじと見るのは、マナー違反かな」

 

 ミモリには、アマヒコがもう何を喋っているのか、わからない。

 耳に届くそれを、言葉と認識していない。

 ただの連続した音を、聴覚が拾っているだけだ。

 空気を震わすその感触を最後に、眠りに落ちる。

 

 だから、続く言葉を聞いているのは、それを吐き出した当人だけだった。

 

「覚えておきたい、か。そうだね、覚えていて欲しいかな。それが叶うなら、僕は――」

 

 

 

 駅舎の窓口に、犬型の獣人が一人詰めていた。

 口を大きく開けて、欠伸をしていた駅員は、ミモリやツバキが近づいたことに気づくと、目を丸くしていた。

 そして、アマヒコを視界に入れて、大仰に飛び上がった。

 

「うおっ! なんだいなんだい今日は! こんなとこに別嬪さんが三人も。ドラマの撮影か? 俺、すっかり目ぇ覚めちまったよ」

 

 矢継ぎ早に言葉を吐き出した駅員から、好奇の視線が浴びせられる。

 良くも悪くも素直な人なのだろうな、と思った。

 

「逢初町に行きたいのですが」

「あー、逢初……? 珍しいなあ。直ぐそこの停留所あんでしょ。それに乗って何個目だったかなあ。この辺はみぃーんな車だから、わざわざバスなんて使わねえのよ。本数も少ねえし。……俺がガキの頃はなあ、隣ん村の日向の川まで行ってよ――」

 

 思い出話が始まりそうだったので、ミモリは半ば遮るように割って入った。

 

「あ、あの、路線図ってありますか?」

「おーっと、いけねえいけねえ。ごめんなあ、こんなとこに来る人なんて珍しいからよお。路線図ぅー、路線図ぅーっと。何処だったっけなあ」

 

 奥に引っ込んだ駅員は調子外れの鼻歌をしつつ、バスの路線図が貼ってあるらしい奥の机に、よたよたと近づいて、「逢初は……三つ停まったら着くよ、うん」と振り返る。

 

「三つだぁ、三つ。わかり易くていいんじゃねえのかなあ。次のバスは――十分ぐらいか。これ乗れねえと、次は夕方になっちまう」

「ありがとうございます」

「いんや。まあ、何しに来たかはわからんけど、気ぃつけてなあ」

 

 停留所でバスを待っていると、ほどなくしてバスがやって来た。

 整理券を取って、伽藍堂の車内、その後方に三人並んで座る。細い息を吐き出すような音を合図に、バスが動き出した。

 時計を確認すると、午後の一時を過ぎていた。

 タイヤがアスファルトから砂利を擦る音に変わって、またアスファルトに乗り上げた。車体が小さく上下に揺れる。

 やがて、山道に入った。周囲が緑に囲まれて、傾斜が増える。心配になるほど――樹木から突き出た枝が窓を撫でる音がする――細い道を、バスは慎重に進んで行った。

 バスが停まっても、乗車する者は皆無だった。

 代わりに、車と度々すれ違った。

 駅員の云った通り、この辺りに住む人々なのだろう。商店や公共施設は見受けられず、駅からの道のりは、一面に水田が広がるばかりだ。自然豊かではあるが、観光地には適さない。

 驚くほどスムーズに、三つ目の停留所に着く。列車が停滞したあの時間が嘘のようだった。

 停留所の向かいの道に、深い轍が刻まれていて、先に続いていた。

 脇に看板が立て掛けられている。

 逢初町と書かれていた。

 

 

 

 山の中である。帳が落ちている。電灯はない。しばらくすれば目が慣れてきて、ぼんやりと輪郭がわかるようになってくる。

 傾斜を上がっていくと、田んぼの中にある名もない小川の緩やかに流れる音が、耳を打つ。湿った土の匂いがした。

 ほとりに近づき、覗き込んでも、蛍の姿は一向に見えずじまいだった。

 ミモリと隣り合って歩いているのはツバキだ。振り返る。アマヒコは、髪を一つにまとめて、帽子を被っていた。

 手伝いを申し出ようとしたミモリだったが、アマヒコは三十秒と掛けずに髪を結んでいた。

 幼馴染は髪をほどほどに短く切ってしまうため、自身を除き、ヘアアレンジができそうな相手は限られている。

 密かにチャンスを窺っていたミモリの残念そうな様子に、アマヒコは「また今度よろしくお願いします」と苦笑していた。

 民宿でチェックインを済ませ、夕食を食べたミモリたちは、逢初町から日向村へ向かっている最中だ。

 いや、この道中こそが、目的地そのものだった。

 既視感がそこら中に転がっている。

 どうやら、ミモリが見つけたあの写真は、逢初町と日向村を繋ぐ遊歩道で撮られたもののようだ。

 アマヒコも、ミモリと同様に辺りへ視線を散らしては、微苦笑を零していた。

 帽子の隙間から漏れる光が、暗闇の中で幽鬼のように灯っていた。

 

 懐かしさが胸を突いた。記憶にない場所。導かれるように、視線が動く。

 

 湧き水が溜まった池に、点滅する黄緑色に光る物体を見つけた瞬間、示し合わせたように、全員がそこに近づいた。

 

 蛍の数は十匹ほどだった。

 大概の映像作品では、数えきれないほどの蛍が見られるものだが、この場に落胆の色を浮かべている者は居なかった。

 

「ひ、光っています、蛍が……!」

「しーっ。逃げちゃう」

「写真撮りましょう、写真」

「そうですねっ、シズコちゃんに送る用に撮りましょう。あ、フラッシュ炊いちゃ駄目ですよ」

「そうだね。――アマヒコも光るの控えてね」

「写真撮れましたよ。――オンオフ機能ないんだよ、(これ)

「あ、蛍こっち来た」

「ど、どうしましょう」

「とりあえず、静かにしますか」

 

 蛍が光るという既知を忘れるように、はしゃいでいた。

 ふわりふわりと宙を飛んで来た蛍は、ツバキがそっと差し出した手に止まる。

 手の甲に乗った蛍は、じっとしていた。

 小さい頃、お花畑で遊んでいたとき、蝶がリボンに見えて、頭や指に止まってくれないだろうか、と考えていたことを思い出した。

 蝶と違って、蛍はずいぶんとおとなしい。

 ツバキがミモリの指に蛍を移す。

 

「指輪みたい、ですね」

「うん」

 

 蛍火の指輪は神秘的だった。

 お尻の光ばかり注視してしまうが、よく見てみると、実に昆虫らしいフォルムをしている。

 昼間にこちらに向かって飛んで来たら、声を上げてしまうかも知れない。

 

 野暮な思考は、瞬く間に、感嘆に取って代わった。

 

「あっ……」

 

 風が吹いた。森がそよいで、葉っぱが鳴った。

 光が生まれた。(ひぃ)(ふぅ)(みぃ)

 数えられたのは、そこまでだった。

 光は、雨になった。

 大地を踏みしめているのに、満天の星空の中に居るようだった。

 

「――――」

 

 誰も、言葉を発しなかった。

 ただ、ただ、見入っていた。

 

 ――蛍の成虫の命は、十日から二週間だという。

 

 水面を高く、低く、蛍が舞う。

 光の尾を引いて、命の輝きを放ちながら。

 

 この瞬間が、永遠に続けばいいと思った。

 

 このまま、このまま――景色を切り取ってしまえたらいいのに。

 

 絵のように、写真のように。

 記憶を、永遠を、閉じ込めてしまえたら。

 

 自失していたのは、数秒か、数十分か。

 蛍雪という言葉があるように、本すら読めそうだった。

 それこそ、隣の人の顔だって照らしてくれる。

 ツバキは眩しそうにしつつも、目を輝かせていた。口が開きっぱなしになっている。

 そんな表情も愛らしい幼馴染から、アマヒコへと視線を移した。

 彼は少しだけ離れた位置で――。

 

「――ぇ」

 

 なんて顔をしているのだろう、と思った。

 

 アマヒコは、笑っていた。

 

 顔をくしゃくしゃにしているわけでもない。

 涙を流しているわけでもない。

 いつも通りの、涼しげな微笑がそこにあった。

 綺麗な顔だった。

 

 あんまりにも綺麗で、儚げで、まるで。

 

 いまにも消えてしまいそう――。

 

 

 

 あれ。いま、私は、誰のことを。

 

 

 

「――水羽さん」

「は、はいっ?」

「大丈夫ですか」

「えっと……はい?」

「じゃあ、行きますよ――春日さん」

「おっけー」

 

 アマヒコが、携帯端末を構えた直後、肩に衝撃が走る。

 ツバキがミモリと肩を組み、ポーズを決めていた。

 目を白黒させていると、アマヒコが可笑しそうに笑う。

 

「ま、こういうのもいいですよね」

「あ、アマヒコさんっ」

「駄目ですよ、あんまり騒ぐと。蛍が驚いちゃいますので」

 

 無防備な姿を撮られたミモリが抗議をしても、何処吹く風。

 ひらりひらりと手を振って、次々と蛍を写真に収めていく。

 その姿に、ミモリは何かを云おうとして――辞めた。

 懐から携帯端末を取り出して、アマヒコに向ける。

 蛍の群れに混ざって揺らめく彼は、嫌味になるぐらいに映えていた。

 こちらの視線に気づいているだろうから、隠し撮りなんて意味がない。

 だから、これは、ただの意趣返し。

 

 ミモリは、思う。

 

 今日はとても、良い日になった。

 

 

 

 近所の路地を歩いていたときのことだ。

 獣人の子供が、金盥(かなだらい)で行水をしている姿を見つけた。

 祖父だろうか、もう一人がホースで撒いた水が飛沫となって、通りへ大きな弧を描いている。

 足を止めて、数秒眺めてしまったのは、どうやらアマヒコだけのようだった。

 

 百鬼夜行の夏は、蛍も、町屋も、料理も、その全てに水が関わっている。

 

 子供のはしゃぐ声を背中に浴びながら、アマヒコは思う。

 

 いつまで、こうしたむかし暮らしに出会えるのだろう。

 

 でも、そう、願わくは――。

 





あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。
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