病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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 頭の上に輪っかが浮かんでいる。

 輪っかは僕が意識を保っている間は常に浮かび続けているが、脳震盪を起こすと揺らめく意識に同調して点滅を繰り返す。

 それに加えて、僕の体毛は髪をはじめ、まつ毛も薄っすらと発光している有様だった。

 

 意識が浮上すると同時に視界に映りこんだのは、薄暗がりの中で重苦しく伸びた発光する髪だった。

 暖簾をかきわけるように前髪をどけてから、ゆったりと上体を起こす。

 

 時計を見やると、早朝と呼ぶに相応しい時間帯だった。

 

 念のためと枕元にセットしていた端末のアラームを停止させる。その拍子に髪が鼻先を掠めて、むず痒い感触が走った。

 衝動に逆らわないまま、大きなくしゃみを一つ。それを合図に意識が完全に覚醒する。

 台所に向かい、白湯を準備する。水が沸騰するまでの間に洗面台へ向かい、髪を櫛で軽く梳かしていく。ある程度整えたあと、台所に戻ると丁度良く水が沸騰し終わるので、湯呑へと一杯分注ぐ。中身がまだ熱々のそれを手に取ったら、ベランダへ出て日の光を浴びながら、少しずつ時間を掛けて白湯を飲む。白湯が半分程度なくなったら、今度はシャワーを浴びる。

 

 シャワーを浴びる前に、必ずユニットバスに取り付けてある換気扇を止めておく。これを止めるのと止めないとでは、肌の乾燥に雲泥の差がつく。

 

 水を吸って重くなった髪を洗う作業は面倒で仕方ない。

 

 僕の髪の毛は発光するだけでなく、何故か切ることが出来ない。市販のハサミから、カッター、カミソリ、バリカンと試してみたものの、切ることは叶わず、どころか手が滑って頭皮や肌に傷がついてしまう始末だった。いまは、諦めて伸ばしっぱなしにしている。

 髪を伸ばしたまま手入れを怠れば、所謂清潔感のない風貌があっという間に出来上がるのは想像に難くない。

 

 髪の次は、洗顔だ。髪を一つにまとめてから、泡立てネットを用いてもこもこになった洗顔料を優しく肌の上に乗せていく。おでこから鼻、頬、顎先と重要な箇所に乗せたあとは、泡で肌を覆い隠す。小鼻は指先を使って、ほんの少し泡を転がした。勢いを緩めたシャワーで顔に泡を乗せていた倍以上の時間をかけて洗い流していく。

 

 シャワーを止めて、昨夜の内に準備してあった清潔なタオルで顔に押し当てるようにして水分をある程度拭いてから、化粧水、美容液、保湿クリームの順で顔に塗っていく。サミュエラ系列の商品は外れが少なくて助かるね。これに変えてから何処となく肌の調子が良いような気がする。

 

 手早く身体を洗い終えたあとは、髪を丁寧に櫛で梳かしつつ、変な方向に跳ねないようにドライヤーの風で撫でつつ乾かしていく。この工程が朝の準備の中で、最も長く、億劫な時間だった。

 髪を乾かし終わった頃には、起床してから二時間が経過していた。これを見越して早起きを繰り返していくうちに苦ではなくなったけれど、最初の頃は辛かった。

 

 髪を乾かし終わったあとは朝食の準備だ。冷蔵庫から納豆と卵を取り出して、よそったご飯の上に乗せて、仕上げにオリーブオイルをほんの少し垂らして完成だ。色々試したけれど、結局これが一番美味しい。キムチもあれば最高だったけれど、いまは切らしているから仕方がない。

 

 使った食器を洗って、歯磨きを済ませれば家を出る時間まで約一時間と少し。この合間に、軽くメイクをする。メイクといっても精々日焼け止めを塗ったあとに下地をつくって、コンシーラーで軽く整える程度だ。

 この世界だからなのかわからないけれど、周りの生徒たちって化粧しなくても毛穴一つない化物みたいな肌してるからね。僕なんかは若さにかまけてサボったらあっという間に見た目が劣化する自信があるから、面倒でも手を抜けない。せっかくなら、いつまでも見た目は若々しくいたいし。

 

 家を出る前に、鏡で最終確認。服装よし、メイクよし、最後に軽く香水を吹きかけた。

 

 今日は、百鬼夜行連合学院で開かれる百夜ノ春ノ桜花祭に足を運ぶことが目的だ。

 

 キヴォトスでは明らかな戦争目的の越境と見なされなければ、自治区の往来は基本的に自由だ。戦車やら走行車両やらが一般的な公道を走ることが可能なのだから、キヴォトスにおける法整備がどれほどのものなのかは察して余りあるものがある。

 ただ、物を壊せば損害賠償は発生するし、きちんと取り締められる。

 問題は法を犯した者も法の番人も銃の引き金が軽いことだろうか。

 バスを何回か乗り継いで、電車に揺られること一時間と少しで百鬼夜行連合学院の自治区に辿り着いた。

 駅から出て直ぐの学院に停車すると思われるバス停の前で、桜花祭の運営と思われる小柄な生徒が声を上げる。

 

「お帰りなさいませご主人様! 桜花祭に参加される方々はこちらのバスでの整列にご協力お願いいたします!」

 

 可愛らしい見た目から繰り出される濁点つきのボイスに、僕は思わず目を見張った。

 なんだ、この癖になる声色は……。

 周りを見渡せば、僕と同じく足を止めて少女を見やるグループがいた。おそらく桜花祭に赴くであろう団体様に目ざとく気付いた彼女は小動物染みた動きで近づいて来て……。

 

 彼らの前で転んだ。

 

 気まずい沈黙が一瞬、辺りを支配した。

 生徒は転んだまま動かない。

 集団はお互い顔を見合わせたのちに、猫が一匹、いや一人が進み出て、おそるおそる声を掛ける。

 

「だ、大丈夫かにゃ……?」

 

「……さい」

「にゃにゃ? いまなにか……」

 

「ダメなメイドでごめんなさい……」

 

「はにゃ!?」

 

 顔を上げた彼女は目を伏せながら、口元を歪ませていた。

 

「ご主人様にお祭りを楽しんで貰おうと気合いを入れて此処まで来たのに、私のドジでこんな気まずい雰囲気にしてしまって。メイド失格です……」

 

 悲壮感たっぷりに言葉を吐き出す彼女の目元には、いまにも零れ落ちんばかりに涙を溜めていた。

 それを目の当たりにした猫は、機敏な動きでハンカチを取り出した。

 

「そんなことないにゃ! おみゃーさんは一生懸命だったにゃ! そんなおみゃーさんのことを見て嫌な気分になる輩にゃんて、みゃーの仲間にいないにゃ! おみゃーらもそうにゃ!?」

「お、おう! そうだ! 全然恥ずかしいことなんかじゃないぞ」

「ふっ……おれなんてよ、大事な取引の日に毛玉塗れで出勤しちまって取引相手にそっと指摘されたことがあったぜ。あのときの気まずさに比べたら屁でもねえさ」

「そうそう! というか転んだところも逆にラブリー? 的なさ」

「み、皆さん……ふふ、ありがとうございます!」

 

 立ち上がった彼女は、受け取ったハンカチをそっと目元に押し当てるとはにかむように笑った。

 

「あ、あのハンカチは洗って返します! そ、その、不躾なお願いで大変恐縮ですが、皆さんを楽しませたいという私の我儘を叶えていただくことは可能でしょうか」

「そのぐらいお安い御用にゃ。ハンカチだってそのままおみゃーさんにあげてもいいくらいにゃよ?」

「ありがとうございます! 是非とも私が働いているお店にいらしてください! 精一杯のおもてなしをご提供いたします!」

 

 末恐ろしいな。

 あの一連の流れ全てが計算されたものであるだなんて、いったいこのバス停の前にいる何人が気付くだろうか。

 僕は見ていた。

 彼女は何もないところで、これ以上ないほど自然に転んだのだ。

 誰も不幸にならないあざとい客引きがこの世にあっただなんて。

 彼らが乗った学院行きのバスを見送った少女と、目が合った。

 彼女は笑った。

 僕もとりあえず、笑っておいた。

 

「ご主人様、メイドはお好きですか?」

 

 大好きです。

 

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