病葉アマヒコはキヴォトス人。 作:ザントマン
咄嗟に身体が動いていた。
僕は椅子を蹴飛ばすようにして立ち上が――無理だな、水羽さんの手を引いて、胸元に抱え込んだ。
彼女はされるがまま、控えめな悲鳴を漏らす。
天井を仰ぐように倒れている最中、汁物の入った茶碗が落下していく様を見届ける。背中に衝撃。彼女の髪の上を三角巾が滑っていく。姿勢を入れ替えて、覆い被さった。数々の調理器具が床を跳ねて、甲高い音を周囲に撒き散らした。
地響きは、断続的に響いていた。
ほどなくして、揺れは収まっていく。余震らしきものは感じられないが、油断はできない。この区域の地図は頭に叩き込んである。最も近い避難所を割り出そうとして……苦笑する。馬鹿か、僕は。
僕たちがいま居る場所は、学生食堂――校舎内だ。
学び舎は往々にして、避難所としての側面を持ち併せている。百鬼夜行連合学院も例外ではない。保存食も幾らか備蓄されていることを思い出す。
旧校舎ならともかく、建てられて新しい校舎であれば、倒壊の心配もおそらくはないだろう。
「すみません、水羽さん。大丈夫ですか」
「……はい」
蚊の鳴くような声がした。
見下ろした先で、視線が合う。
彼女は、非常に困った顔をしていた。
服の前面の大部分はエプロンに隠されているものの、やや乱れている。目元や頰は、微かに赤らんでいるのが見て取れた。煮干しの出汁の匂いに混じって、上品な香水の香りがした。髪が床に広がって――そこではたと気づく。
女性に覆い被さる自身の姿を客観的に見て、云い訳のしようがないな、と。
「や、すみません。ほんと」
「いえ……その、わかっていますので」
突き飛ばされなかったことに、密かな安堵を覚えつつ、非礼を詫びる。
身体を起こすと、水羽さんもそれに続いた。
彼女の髪から、水滴が落ちていた。
やはり、困った顔をしていた。
「……すみません」
「……はい、わかっていますので」
濡れた髪は、出汁に塗れていた。
無限回転寿司戦隊・カイテンジャー。
キヴォトスにおける、所謂ローカルなご当地ヒーローというわけではなく、指名手配されている犯罪者集団である。
戦隊を名乗るだけあって、構成メンバーは全員ヒーローコスチュームに身を包んでいる。
今回、僕たちが居た区域を襲った縦揺れは、どうやら彼女らの操る合体ロボが
動画サイトでは、クロノス報道部のチャンネルから、実際に戦っているときの様子を映像で確認することができる。
ロボットの造形は、なんとも男心をくすぐるデザインをしている。とても寿司がモチーフとは思えない出来である。個人的な注文があるとするならば、もう少々大きさが欲しい。大きければ、大きいほど良いのだ。こういうものは。
ヴァルキューレの警備局部隊が到着した頃には、戦闘は佳境を迎えていた。衝撃と怒号を切り裂くように、赤い戦士が快活な声を上げた。合体ロボが脚を地面に叩きつける。
巻き上げられた土煙と粉塵が舞う。
咳き込みながら、懸命にレポートを続ける眼鏡を掛けた生徒。その真横を掠めるようにして飛来した破片か何かがカメラに直撃した。
悲鳴を上げる生徒の声を最後に、映像が途切れる。
被害は比較的軽微と云えた。特に歴史的に価値のある建造物は無事で済んだ上に、周辺施設も無事ときた。
観光業に力を入れている百鬼夜行としては、どちらにも大きな損失が発生しなかった点を喜ぶべきだろう。
なにせ、カイテンジャーが現れた地域は、焦土になると専らの噂である。
とはいえ、洒落にならないことも起きている。
合体ロボが引き起こした地響きによって、周辺地域に断水が起こっているのだ。
自販機で買った水で、ハンカチを濡らして差し出す。
「ありがとうございます」
ハンカチを髪に巻きつけている水羽さんの表情は、暗い。
気づいたのは、水羽さんが髪を洗い流すため、部活棟のシャワー室に足を運ぼうとしたときのことだった。
床に散らばった食器や調理道具の類を片付けていると、彼女は沈鬱そうに「水が出ないんです」と告げた。
べたついた手を洗うためだろう。水羽さんが掴んでいた流しの蛇口を僕も捻ってみたが、うんともすんとも云わない。SNSで情報を集めたところ、他にも断水してしまったらしい人々が書き込みをしているのが見て取れた。
水羽さんが住む寮は此処から近いようで、見事に断水区域に入っていた。
遠い過去の記憶を掘り起こす。断水の復旧に掛かる見込みは程度に左右されるが、おおよそ三日だとされていた。
だが、此処はキヴォトスだ。
そこら中に物を壊す
いや、遂げざるを得なかったというべきか。
水道局のHPにアクセスして得た情報によれば、復旧は半日を目処に終了する予定だ。驚異的なスピードである。
数日、水が使えない状況よりも遥かに幸運ではあるが、いまの水羽さんにとって、半日は長過ぎる。
「……明日には、復旧するんですね。良かったです」
反応は芳しくない。
そりゃそうだ、という感想以外浮かばない。
僕だったら、流石に当たり散らす真似はしないにせよ、声色がフラットになるかも知れない。
返事をしてくれるだけ、御の字だろう。
「春日さんのところでシャワーを借りるのは」
「ツバキちゃんですか……。そう、ですね。連絡してみます」
電話を掛けた水羽さんだったが、首を横に振る。
「なるほど……」
銭湯という手もあるにはある。
しかし、考えることは皆同じだ。現に幾つかの銭湯は、これを機に客を獲得しようとSNSで宣伝を始めているし、近場の銭湯が混雑していることに対して、うら若き乙女たちの怨嗟の声が、続々と投稿されている。
見るからに気落ちしている水羽さんの姿は、宿泊施設で女子会でも開いたらどうです、だなんて口にできる雰囲気でもなかった。
僕も髪の手入れに苦心している手前、浅からず同情を抱いてしまう。
加えて、要らぬ気遣いによって――他ならぬ自身の手で不利益を強いた罪悪感。それが拍車を掛けていたのだと思う。
つい、らしくない誘い文句を吐いていた。
「僕の家、来ます?」
「はい……はい?」
「綺麗に断水区域からは逃れているっぽいんですよね。ま、少々遠いんですが」
女の子を家に誘うにしては、あまりにも色気が足りないやり取りだった。
目を丸くする水羽さんに、やや演技がかった仕草で肩を竦めてみせる。
彼女は逡巡するかのように視線を伏せていたが、やがて小さく頷いた。
「よろしくお願いします」
いっそ、春日さんも呼んで振り切れた方がらしいな、と苦笑した。
流しに食器や調理器具をまとめ、床を掃除するだけなら十分程度で終わる。どうせ明日まで水が出ないのだから、放っておいてもいいだろう。
給食部への連絡を終えた水羽さんを連れて、校舎を出る。途端に生温い風が頰を撫で上げた。
商店街を抜けて、住宅街にある緑の帯の中を歩いていく。
入学式の日、桜一色で塗装されていた道には木漏れ日が差し込んでいた。
並木道の半ばにある、階段下を西に進む。住宅地を直結するような細い駐車場、建物と建物の間の細い道を通り抜けていく。
「実は最近、引っ越したんですよね」
「……そうなんですか?」
「ええ、前の部屋も悪くなかったんですけどね」
僕がこれまで住んでいた安さ重視の部屋は、風呂なし、お手洗いは共同というアパートだった。床板がいやに軋むこと、僕以外誰もお手洗いを掃除しようとしない点に目をつぶれば、ひっそりと過ごせる立地だった。
「トラブルか、何かですか?」
「や、そういうわけでは。強いて云うなら……巡り合わせですかね」
「深くは、訊かないようにします」
入り組んだ道のりは迷路のようで、慣れていないと二十分以上は掛かる。
裏道、あるいは抜け道を駆使して、歩くこと数分。
そこは豊富な樹木に囲まれていた。
小さな二階建ての古民家で、紹介されたときは寮という触れ込みだったが、別荘と云われてもなんら違和感はない。
古い石造りの門を抜けて、広い敷地内に入れば、見事に何もない。噴水でもあれば映えただろうが、それは贅沢というものだろう。
隠れ家をコンセプトとして建てられたそうだが、道を覚えるだけでも一苦労な此処に、わざわざ住もうと考える奇特な人間が居る筈もなく。
覚えたところで、ちょっとした買い物も腰が重くなる程度には、商用施設や駅まで距離がある。
地価高騰の影響で家賃は馬鹿にならないし、家屋だけを残して住民が去ったため、周囲は不気味なほどに静かだ。
「此処に、いまはお住まいなんですね」
「ネットにも載っていない此処を、いままでの部屋と同じ家賃にたまたま値下げしたタイミングで、知り合いがたまたま僕に紹介してくれたんですよね」
ぽつりと零した水羽さんに答える。
知り合い、と口にした辺りで、胡乱げな視線が送られる。
家賃を伝えると、水羽さんは口元に手を当てて驚いていた。
「他の方はいらっしゃるんですか?」
「や、僕だけですね」
「アマヒコさんだけ、此処にお一人で」
「ええ、たまたま」
たまたま何処ぞの商店街会長がほくそ笑んでいそうではあるが。
ニヤニヤ教授も、この程度は賄賂のうちにも入らないと笑い飛ばしていた。
……自治区の実質的なトップが、率先して犯罪界のマスターだのなんだのと噂を流布しているのは、正直どうかと思う。自治区の外へは漏れないように徹底している辺り、やりたいことはなんとなく想像はつくが。
「……深くは、訊かないようにしておきます」
異性の家に招かれたことがあるか、という問いがあったとして。
ミモリは、あると答えることができるだろう。
それでは、どういった理由で異性の家に、なんて問いが投げかけられたとして。
答える義理のあるなしにかかわらず、ミモリは口を噤むことだろう。
あるいは、こう答える羽目になるのだろうか。
「出汁塗れの髪を洗うため――だなんて、あんまりです」
女の子は身体を冷やしてはいけない、と誰かに云われたことを、ふと思い出した。
刺すように冷たい水は、ミモリから容赦なく体温を奪い続けている。
けれど、この冷たさこそ、いまのミモリが望むものだった。
髪は、とうに洗い終えていた。
抱き留められたときに触れた箇所が、熱を帯びているような気がしてならない。
理性は、それを錯覚だと諭していた。
感情は、賢しげな理性を嗤っていた。
不幸な事故だった。アマヒコに落ち度はない。
故に、部屋に足を踏み入れたときは、申し訳ないという思いが先行していた。
真新しいタオルに、シャツとズボン、ドライヤー、服を入れる用のビニール袋を手渡されたときも、まだ申し訳なかった。
化粧水や乳液が三種類ほど用意されたときは、感謝より先に手慣れた様子だったことが、ちょっぴり癪に触った。誰で鍛えたのだろう。……シズコだろうか。
「いつも使ってるブランドあるなら、買って来ますよ」と事もなげに云われたときは、流石に固辞した。
気落ちしていたミモリだったが、服を脱いでから、ふと鏡に映る自分の姿を目の当たりにして。
異性の家で、一糸まとわぬ姿を晒している事実に気づいて。
ミモリは顔を両手で覆ったまま、打たれ続ける。
熱はまだ、消えそうになかった。
結局、シャワーを止めたのは、それから五分後だった。
アマヒコの家で
扉をゆっくり開く。
顔だけを覗かせ、脱衣所の向こう側へと意識を向ける。
水滴が垂れる音と、風鈴の音だけが聞こえた。
慎重に腕を伸ばし、タオルを引っ掴むと、浴室に身を隠した。
身体を拭いたら、髪が傷まないよう、そっと押し当てて水気を取る。
再び浴室から腕を伸ばして、シャツとズボン、下着を回収。直ぐに身につけて、ほっと一息ついた。
浴室を出て、三種類ずつ渡された化粧水と乳液を手に取り、成分表を確認していく。
普段使っているものに比較的近いものを選んで、目立たない部分に浸けた。
肌が赤くならないか、刺激が強過ぎないか。確認後、顔全体に優しく馴染ませる。
髪を乾かし終えても、脱衣所の向こうから物音はない。
出かけているのだろうか。
「アマヒコさん、いらっしゃいますか?」
アマヒコが住む古民家は、伝統的な百鬼夜行の造形美を残す一方、快適に過ごすことのできる現代的な機能が装備されている。
客室は、三つ。いずれも二階建てのメゾネットタイプ。一階が浴室やトイレ、二階は寝室と居間になっている。居間からそれぞれ吹き抜けを見下ろす構造は開放的とも取れるが、一人で過ごすには寂しいとミモリは感じた。
古い
廊下から二階へ上がり、寝室、客室を順に回った。
彼の姿はなかったが、寝室にある窓際の机に、手書きのメモが置かれていた。
『一時間ぐらい時間潰して来ます。本を読むなり、部屋を見て回るなり、好きにどうぞ』
アマヒコなりの気配りなのだろう。
なるほど、確かに顔を合わせることに気まずさを感じていたことは否めない。
それにしたって、無防備に家を空けるのはいかがなものだろうか。
彼のこれは信頼なのか、あるいは。
「……私が悪人だったら、どうなさっていたんですか」
そう、ひとりごちた。
僅かに開いた窓から運ばれて来た夏の香りが、ミモリの前髪と風鈴を揺らす。
蝉の声は、何処か遠い。自然と気持ちが凪いでゆく。
書き置きに倣って、読書でもしようかと考えた。
部屋は軽くしか見ていないが、本は棚や床に積まれていた。数は多く、何を読もうかと吟味から始めれば、読む時間はさほどない。必ずしも読み切る必要はないだろうし、借りることを前提に考えれば、悪くないことのように思える。携帯端末で動画サイトを開けば、瞬く間に時は過ぎるだろうけれど、それは風情がないように思えて仕方なかった。
ミモリは、居間に足を向けていた。
目を惹くのは、大きなパノラマの窓だ。窓際に備え付けられたデイベッドから、外の風景を見渡すことができそうだ。
畳の敷き詰められた部屋は、意外なことに、散らかっている。
テーブルの上に紙の束――論文を印刷したものだと思われる――があり、乱雑に積み重なっていた。畳には、本がすり鉢状に並んでいる。ところどころに栞が挟まれていた。古い本ばかりなのか、ページは日に焼けて、薄い赤褐色となっていた。
棚は打って変わって、綺麗に整頓されていた。
防災に関する本、辞書、歴史書、詩集、娯楽小説……。
しまわれたあとは触っていないのか、埃が積もり始めていた。
殆どが本だったが、ミモリはその中に空白があることに気づいた。
埃を引き摺った跡を見る限り、取り出されたのは、ここ数日のことのように思える。
置きっぱなし、出しっぱなしを体現する部屋の様相に、面食らっていたミモリだったが、眺めていくうちに、心が霧に覆われたかのように湿る自分に驚いた。
自然と、歩みを進めていた。
「失礼、します」
ベッドに腰を下ろす。
嗚呼、と声が漏れた。
アマヒコは、此処で過ごしているのだろうと直観した。
瞼を閉じる。
月明かりの下で、一人座って空を見上げる姿が目に浮かぶようだった。
月光を受けた髪はさぞや幻想的だろう。艶やかだろう。うつくしいだろう。
しっくりくるから、こそ。
そんなアマヒコを想像するのが、嫌だった。
ただ生きている。それだけで、様々な問題に直面する。ミモリが好意に囲まれた初等部然り、ツバキが居なかったことにされた中等部然り。
かつて、ミモリたちにまとわりついていたそれらは既に過去であり、それを解決した上でどう生きるのか、という問いが常に発せられる。
アマヒコは、過去に頓着しない。詮索もしない。会話の流れで触れることはあっても、深くは掘り下げない。
初対面のときも、そうだった。
『悪意があるかどうかもわからない僕なんぞに、お二人だけの大事な物語を共有するのは、春日さんへの冒涜ですよ』
――
それはきっと、ミモリの目の前に突然現れたアマヒコに対する期待が生んだ、勝手な幻想だ。
彼からしてみれば、さほど興味のない事柄だったからこその返答なのだと、いまならわかる。
だが、ミモリにとっては。
その寛容とも無関心とも取れる態度が、とても嬉しかったのだ。
いまは――それが、歯痒くてしょうがない。
ミモリの卓越した――少なくとも、人を見るという点において――観察眼は、親交を深めれば深めるほどに精度は高まっていく。
誰もが、そうだろう。ミモリに限った話ではない。
長く一緒に過ごしていれば、好きな食べ物や生活習慣、癖を理解する。
ずるい、と思った。
酷い話だし、酷い人だとも思う。
アマヒコがミモリを遠ざけようとしていたことなんて、とっくにわかっている。
ミモリは、アマヒコのことを知りたいのに。
近づくほどに、それを望まれていないのだと、ミモリは理解してしまう。
彼がミモリに望むのは、ほどよい無関心で。ツバキやシズコがそれに当てはまるのだろう。
学生食堂でのひとときを思い返す。
ずっと、夢想していたこと。
アマヒコに伝えるつもりだった言葉を。
それはなにか。
決まっている。
――私は、貴方に修行部に入って欲しいです。
アマヒコの在り方は、ある意味で完成されていて。
一人でいる彼は、とても綺麗で。
ミモリはそれを黙って、見ていられないのだ。
それの何が悪いのか、という話ではないけれど。
ミモリだって、一人になりたいときぐらいある。
これは、ただ、ミモリがわがままなだけだ。
貴方が一人で過ごしていると、私が寂しく思ってしまうから。
せめて、そっと貴方の後ろを歩くぐらいは許してください。
押しつけがましくて――でも、そんな自分が好きになれる気がした。
想像した。彼の後ろを歩いてみた。
アマヒコが振り返る――そう、振り向いてくれるのだ。そんな甘やかなところが憎たらしい――やはり、微苦笑を零していた。
デイベッドから立ち上がったミモリの気分は、不思議と晴れやかだった。
だからこそ、千々に乱れた部屋が気になってしまった。
勝手に触れたら、気分を害さないだろうか。
しかし、散らかっている部屋をそのまま放っておくことは、なんとなく据わりが悪い気がした。
せめて、テーブルの上の論文や、周囲の本をまとめる程度なら。
本を何冊かまとめ終えて、紙の束に腕を伸ばす。
紙をかき分けていると、指先に何かが触れた。
明らかに紙ではない、硬質な、角張った感触だった。
論文が布団のように積み重なったその下から、幾つもの写真が出て来た。
それは、アルバムだった。
入学直後に撮られたであろう写真には、制服に着られている彼の姿がそこにはあった。
不意打ちだった。
幼いアマヒコの姿に網膜を焼かれたミモリの内から、湧いて出るものがあった。
無性に叫びたい気分だったが、堪える。
「可愛いです……!」
無理だった。
いや、これはもう。
「きゃわわです……!」
如実に、
静かに叫ぶという器用な真似をしたミモリは、食い入るように写真を見つめる。
丸みを帯びた柔らかそうなほっぺたに見合わない微苦笑も、背伸びをしている小さい子供にしか見えなかった。
知らず知らずのうちに指を伸ばしかけていたミモリは、我に返る。
勝手にアルバムを見るだなんて、そんな真似が果たして大和撫子に相応しいものなのかと。
冷静になって、考えてみる。
仮に逆の立場であったとして。
自身の中等部の頃の姿を、アマヒコに余すところなく、見せられるのか。
例えば、前髪を切り過ぎてしまったときの姿や、シャッターを切られた瞬間に、変な顔になっている写真を……。
「無理です」
考慮にすら値しない問いだった。
それはそれとして、中学校の頃のアマヒコは見たかった。
アマヒコの書き置きを理論武装に、背中を押される形でアルバムをめくる。悪い子になったみたいで、少し、わくわくした。
めくり終えるまで何度か叫びそうになるも、乙女の矜持がそれを上回り、事なきを得る。
「ありがとうございます……」
何に対する感謝なのかわからぬまま口にしつつ、ほうっと息を吐く。
アルバムを戻す前に流し見をしていたミモリは、ふと奇妙な違和感が目についた。
魚の小骨が喉に刺さったかのようなそれに、首を傾げる。
写真を最初から最後まで、一枚ずつ確認した。
アマヒコは、長く艶めいた髪から燐光を散らし、相変わらず目立っていた。
何かしらのポーズを取らずとも、自然と目が惹き寄せられる程度には、存在感を放っている。
そんな彼だったが、入学から中学一年生の秋に掛けて、一人で映っている写真がやたらと多い。写真の構図が、被写体であるアマヒコを撮るにしても、やや引き気味に感じられるのだ。
いや、まるで一人というよりも――。
アマヒコの周りに、隙間があった。
彼の涼しげな微笑が向けられた先には、誰も居ない。
空白だけが、あった。
喩えようもない、薄ら寒さを覚えた。
今度こそアルバムを戻そうとしたミモリは、一枚の紙が落ちていることに気づいた。
論文ではない、ノートの切れ端のようなそれ。
さっきまで、何も落ちていなかった筈だ。
角に折れ目があったり、劣化して汚れているそれを拾い上げる。
アルバムに挟まっていた……のだろうか。
それとも、論文の山に埋もれていたものだろうか。
読む気はなくとも、文字があれば自然と目が追ってしまう。
見覚えのない名前が書かれていた。
十人にも満たないそれは、名前の響きから全員男性だと思われた。
不思議には思ったものの、特段おかしなものでもない。
名前の書かれた紙は、迷ったがアルバムに挟むことにした。
緊張の糸がほぐれていく。
「けほっ、ごほ……っ! もうっ、こまめに掃除してください」
弛緩した瞬間、埃で咳き込んだ。
目尻に溜まった涙を指で払おうとしたが、指が汚れている。
嘆息しながら、一階へ降りる。
手を洗うついでに、携帯端末を取ったミモリは液晶画面に指を滑らせた。
新着のメッセージが、二件。
ツバキとアマヒコだ。
前者は、寝ていたことに対する謝罪と、用件は何かという問いだった。
後者は、ミモリが書き置きを見つけなかったことを想定してか、同じ内容が届いていた。
ツバキに返信をしつつ、ミモリは調べ物をすることにした。
頭に浮かんだのは、先ほど目に留めた名前の一覧だ。
キヴォトスでは、男子生徒は稀少な存在だ。
名前は公表されないまでも、何処の学校に何人在籍しているのか程度までは、簡単に調べられる。
アマヒコ以外に、男子生徒が居ない百鬼夜行は除くとして。
他の自治区で確認されている男子生徒の数――。
2024/03/15 追記
ミモリ、お誕生日おめでとう。
大きく展開は変えていませんが、後半の流れが強引に感じられたので修正しました。
加筆、文章の差し替え等行っておりますが、大きな変化としては以下となります。
ミモリがアルバムを棚から抜いて、中身を見る
↓
ミモリがアルバムを偶然発見し、中身を見る