病葉アマヒコはキヴォトス人。 作:ザントマン
「はっぴい~、ば~~すでぇ~~い!」
玄関を開けると、予想だにしない声に出迎えられた。
ただ、驚きよりも先に納得してしまう程度には、聞き覚えのある声だった。
むしろ、
我が家に、我が物顔で彼女は立っていた。
チェシャ猫めいた笑みを携えた美人だ。
頭には、パステルカラーの三角帽子を乗せていたものだから、その手にクラッカーがなかったことに、拍子抜けしてしまう。
首謀者の傍らで、同じく三角帽子を被った抜群の美人が決まり悪げに佇んでいた。
とりあえず、鍵は変えよう。
遊び心に理解は示すし、常ならば一緒に踊ることもやぶさかではないけれど、自宅という不可侵領域にまでそれを持ち込む気も、持ち込まれる気もなかった。
「にゃはは。嬉しさのあまり感極まって、声も出ないといった様子で」
「――――」
「おやおや?」
「――――」
「可愛い可愛い後輩の誕生日を祝いに足を運んだ健気な先輩を、知らん顔は違うと思います」
「――桑上先輩」
「はい」
「どうして、こちらへ?」
大仰な身振り手振りを混じえながら、好き勝手に語っている輩は努めて無視する。というより、この程度の問答に手間を掛けていたら、時間が幾らあっても足りない。
打てば響く、とばかりに桑上先輩は頷いた。
こちらの意図を察して応じてくれる辺り、優秀な人である。
「私は、純粋にお祝いを――と、そう云えれば良かったのですが。別件でお話がありまして。勿論、アマヒコくんのお誕生日はおめでたいことです。あらためて、おめでとうございます」
「美人に祝っていただけるなんて、法悦至極に存じます――と返しておく場面ですかね」
「いやーん、面と向かって云われるの照れるわあ」
「歳上を揶揄うものじゃないですよ?」
「嘘は吐けない性分でして。特に、頭に三角帽子を乗せている女性には目がないので」
「誰にでもぽんぽん云ったらあかんよ、勘違いする娘出てくるから。まあ、おねえさんの魅力に首ったけになるのもわからんでもないけども。でもごめんな、私にはカホがおるから」
「やっぱりアマヒコくんは、口がお上手ですね」
この手の会話にもすっかり慣れたようで、控えめに笑う桑上先輩は余裕そうだ。
「電話やメッセージじゃないのは珍しいですね。お忙しいでしょうに」
連絡先はとうに交換済みである。
五月中旬に差し掛かった時期に、ふと思い立って、陰陽部に差し入れを持って行くと、桑上先輩に泣きながら感謝されたことがあった。
後輩からの慕われ具合を見る限り、僕以外にも差し入れを持っていく人は多いように思えて、後日訊いてみると。
『はい……みんな、みんな良い子なんです。私が忙しいときは気を遣って、真面目に、無駄口を叩かずに働いてくれて……だから、余計に頑張らなきゃって。ふふっ、チセちゃんが居なければ、もう駄目だったかも知れませんね……』
涙を誘う返答だった。
誰も悪くない、悲しき負のスパイラルが形成され続けていた頃に、空気を読まずに僕が現れたらしい。以降、頻度は高くはないものの、メッセージを飛ばしたのち、差し入れを持っていくのが恒例の流れとなっている。
夏祭りが来月に控えている関係で、百鬼夜行は慌ただしく動き始めている。
携帯端末を確認しても、新着のメッセージ等は届いていない。手続きを重視する桑上先輩にしては、珍しい。
微笑んでいた彼女は、困ったように眦を下げる。
視線は、僕と――その背後に居る水羽さん、春日さん、河和さんを捉えている。
「申し訳ないのですが、此処に住んでいるアマヒコくんに関連するお話なので」
なるべくお時間は取らせません、とつけ加える。
穏やかな声が上がった。
「席を外して欲しい、ということですね。では、私たちは客室に。よろしいですね、アマヒコさん」
「お願いできますか」
「はい。ツバキちゃん、シズコちゃん、行きましょう」
二階に上がっていく水羽さんたちを見送る。すれ違いざまの彼女らの顔は、何処か白けていた。先ほどから、さっさと反応してやれという圧を背中越しに感じてはいたのだ。
「あかん、泣いてしまう。かなしくてかなしくて、胸が張り裂けそう」
自らを抱き締めて、そう嘯く。
切り揃えられた黒髪の下で、目元がより細まった。
胸元を強調するように寄せられると、視線が吸い込まれてしまうのは悲しいかな、男の性だった。
迷惑料代わりにと視線を送り続けていたら、組んでいた腕を解かれてしまう。頬が赤いところを見るに、恥ずかしかったらしい。
その姿に、若干の溜飲を下げたところで話し掛けた。
「――で、天地先輩はなんの御用でしょう」
たかが一生徒の誕生日を祝うために、この人が足を運ぶなんてことがある筈がない。必要なことがあれば陰陽部に呼びつけるか、桑上先輩経由で伝えるだろう。
言外に早く本題に入れと促せば、天地先輩は取り出した扇子で口元を隠しつつ、流し目を寄越した。
「酷いなあ。カホと対応あからさまに違うし。――此処を安く借りられるよう工面したん、私なのに」
「桑上先輩は話していて癒されるので。――貰えるのなら、貰う主義ですし」
「私は? ――普通、警戒するもんと違う?」
「ノーコメントで。――だから、話を訊く姿勢を見せているんです。
部屋は安く借りられているが、管理費なんかも引かれているので、業者が掃除に訪れるということもない。住人は僕一人。使われていない部屋の掃除や、設備の管理は僕がしている。つまるところ、管理人のようなものだ。
僕がこの寮――と評するには、些か立派過ぎる建物だ――に引っ越したのは、天地先輩の紹介を受けたからだった。立地については、正直なところ以前の家の方が遥かに楽だ。
けれど、重厚な趣があるこの古民家を、僕は一目で気に入ってしまった。家賃が変わらないというのであれば、多少の不便さには目をつぶることも厭わないぐらいには。
天地先輩が物件を勧めた意図はこれから明かされるのだろうが、少なくとも、僕は裏があることがわかった上で乗ったのだ。その件に関しては、お互い対等なやり取りだった。チップの前払いのようなものだと思えばいい。……まあ、多少の不便さに、顔見知りが不法侵入することを許せという項目が含まれるなんて想定できなかったのだが。
いつまでも玄関口で話すわけにもいかず、ひとまずラウンジに移動することにした。
天井までの吹き抜けが広がるロビー空間。杉の木目を生かした床には黒漆が塗られ、外から差し込む光によって、様々な表情を垣間見せる。古民家の雰囲気を損ねないよう、テーブルや椅子に至るまで、木材が用いられている。
「で、どの娘が本命? カホというものがありながら、色んな娘に手を出して」
「天地先輩、お見送りは必要ですか?」
「やーん。カホ、後輩が冷たい」
小指を立てるな、小指を。
ラウンジの一角、手頃な大きさのテーブルと椅子に腰かけて早々に茶番を挟もうとする天地先輩に、投げやりに云い放つ。
「いまのは、ニヤ様が悪いと思います」
流石に見かねたのか、桑上先輩が諫めてくれた。
応えた様子もなく、笑みを浮かべ――。
「――ニヤ様?」
「こわい声出さんといて。……本題に入る前に。まずはこれを見てもらおか」
カホ、と天地先輩が声を掛ける。
桑上先輩がテーブルに置いたのは、一つのタブレットだ。液晶には、百鬼夜行連合学院自治区の地図が表示されていた。幾つかの区域は赤く塗られており、中心区から遠ざかるにつれて、赤い箇所は目に見えて数を増やしている。
はじめは、空き家かと考えた。旧校舎が連なる区画は当然として、周囲から孤立した箇所にぽつんとある場合もあったからだ。
百鬼夜行に限らず、こういった区画は何処の自治区にも存在する。
そう、確か――。
「――市街化調整区域」
天地先輩は満足げに目を細めて、口を開いた。
「そ、むやみやたらに建物作るのやめなさいって設けたもん。これがいま悪さしとって――」
話をまとめると、だ。
今年の新入生を含む在校生が新たに部活を幾つか立ち上げた。その際に部室も併せて申請をする。これについては、生徒が通う校舎、あるいは区画内にある建物を使用しているのが通例だが、今年はそれだけでは建物がとてもではないが足りないという事態に陥っているとのことだった。
非公認の部活が、許可なく旧校舎を使っているケースは珍しくない。それに関して、陰陽部は積極的に処罰をする気はなく、見て見ぬふり、黙認をする形を取っているのだという。
ただ、問題は申請書類を出した部活だ。正式な手続きを踏み、陰陽部が許可を出した部活である以上は、非公認部活と同じように旧校舎――市街化調整区域の居住や建物を使わせるわけにはいかなくなる。
「百鬼夜行は、連合学院なんよ。じゃあ、連合を連合たらしめる要因はなんだと思う?」
「それぞれの組織が、組織としてちゃんと機能していることですかね。云い換えれば、対等な立場であること」
「せやね。それは陰陽部も同じ。新規部活動の立ち上げに他の部活からの保証書が必要な理由も、陰陽部のトップ体制ではなく、連合としての在り方を示す意味合いもある。一部活であろうと、連合に加わる新参を見極める義務と権利を持っとるってなあ」
「だからこそ、規定に縛られて貰う必要があります。それは、あくまで私たちが裁くためではなく、連合間――他の部活や委員会から権利を守り、保持して貰うためです」
「ルールを守って、云われた通りの場所に部室を構えたら、他所は好きなところに部室を構えていました……じゃあ、その部活にも、許可を出した方にもヘイト向きますからね」
道理を説いたところで、感情はどうしようもない。
「この寮の空いた部屋を部室として提供したい……最初からそういう腹積りだったと」
「話が早くて助かるわ。場合によっては、そうなるかもぐらいでええよ。いまのところは、商店街の会長さんなんかにも声掛けて、使ってない物件ないか訊いとる段階」
「懇切丁寧な前振りをされて、気づかない方が。そもそも……いや、いいか」
「ふぅん?」
「話を進めますか。この寮自体も、ニャン天丸氏が貸主でしたよね。許可取れたんですか」
「屋内花火かなんかやらかして全焼でもしない限り、誰も損しようもないし。会長さんは、持て余した物件を貸し出せる。君は、気に入った家に住める。私たちは、空いた部屋を部室として割り当てられる。書面も一通り目ぇ通したけど、不備はなかったしなあ。欲しいものがわかり易い相手は楽できるからええよ、ほんと」
含みのある物言いだなあ。
尤も、それを楽しんでいるのは否定しない。
目線が合い、数秒かそこらでお互いに笑みが零れる。
「恩を売りたい相手でも居るんでしょうかねえ」
「おるんやろうなあ。誰なんでしょ。気になってしょうがないわ」
「似た者同士ですよね、お二人は」
百夜堂の前で騒ぎを起こしていた魑魅一座の子からは、あれ以降、接触も指示もないと聞いている。腹芸が得意そうな子ではないから、嘘は吐いていないだろう。嘘であったとしても、問題ない。僕と雇用関係を結んだわけではないし、正直に全部話す必要もないと伝えているからだ。
寮の空き部屋を部室として貸し出す時期や、おおよその人数がわかり次第、あらためて桑上先輩から連絡をしてくれるそうで。
話がひと段落したところで、帰り支度を整える二人を玄関まで見送る。……ところで、三角帽子はいつ外すのだろう。
お開きの雰囲気になっているし、水羽さんたちをこれ以上待たせるのも心苦しい。
最後に、僕は訊ねた。
「わざわざ、天地先輩まで来るような話でした?」
疑問だった。
どう考えても、直接顔を合わせてまでする会話では、なかったように思える。桑上先輩もそうだ。顔を合わせるだけなら、携帯端末のカメラ越しで事足りる。
市街化調整区域に至っては、調べようと思えば誰でも調べられるのだから、機密性という面でも低い。
首を捻っている僕の耳に届いたのは、忍び笑いだった。
「……ははっ」
天地先輩は顔を伏せ、肩を震わせている。それは少しずつ大きくなっていき、隠し切れない笑みと共に言葉が紡がれた。
「ふっ、にゃははは! 色々考えてるところ、ごめんなあ。私は、とっくにそれ、君に伝えてるんよ」
「はい?」
訝しむ僕を、可笑しそうに眺めたあと、茶目っ気たっぷりに告げる。
「はっぴーばーすでぇー。病葉アマヒコ」
「…………」
「その顔が見れただけでも、儲けもんかな。惜しいなあ、ほんと。顔が好みだったら。いまから君、芋みたいな顔にならへん?」
「……なれねえよ。それと、ありがとうございます」
「にゃはは」
妙に悔しく思う自分が居た。
手を振りながら、天地先輩は出て行った。桑上先輩も続くように歩を進めかけて、振り返る。
「ニヤ様共々、お邪魔しました」
「今後は、控えて貰えると助かります。サプライズの類は得意じゃないので」
「本当に、本当にごめんなさい。……うふふ。でも、安心しました」
「はい?」
柔らかな眼差しだった。
確かに僕に向けられたそれの意図を探りかねていると、桑上先輩は三角帽子をそっと外した。
「アマヒコくんは、ちゃんとお友達を作れたんですね」
ああ、そうか。
「……まあ、確かに友人は少ないですが」
「えっ……あっ!? いや、ちがっ、そういうことではなくてですね!?」
「わかってます」
桑上先輩なりに、気を遣ってくれたのだろう。
忙しいであろう合間を縫って、わざわざ足を運んでくれた理由の一端であることは、天地先輩が教えてくれた。
「贔屓になりませんか、これは」
我ながら照れ隠しが過ぎる発言に、桑上先輩も声を上げて笑った。
「ご安心を。私は百鬼夜行に関することなら――」
指を唇に当てて、秘密を共有するように。
「――いつだって、身内贔屓なので」
次回の更新は、4/1(月)もしくは4/2(火)を予定しています。