病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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 人気(ひとけ)のない、ひっそりと静まり返った商店街に、祭りの名残が散乱している。

 持ち帰り用の飲料カップ、ストローの挿さった空き缶、割り箸と弁当箱の容器、半ばでへし折られている焼き鳥の串に、とうもろこしの芯。

 おびただしい数のそれらは、歩道に備え付けられたゴミ箱から溢れ出し、通りに影を落としていた。

 

 河和シズコは、膨らんだコンビニ袋を啄むカラスを追い払うと、ため息を吐いた。

 

 かあ、と何処か間抜けに鳴いて、それは羽ばたいた。

 手近な電線にとどまったカラスは小刻みに、探るような動きを繰り返す。尾羽がひょうきんに揺れていた。

 やがて、丁度良い位置を見つけたのか、脚を止める。

 

「なによ」

 

 黒々とした瞳がシズコを見下ろしている。眉間にしわが寄っていくのを自覚した。

 かあ、とカラスがまた鳴いた。

 睨みつけてもまったく動じる様子のないカラスに向け、猫のように威嚇をしつつ、あらかじめ持って来ていたポリ袋に、次々とゴミを投げ入れてゆく。

 こうした後始末に駆り出されるのは、決まってシズコをはじめとした地元に住む人々だ。

 

 早朝に吹いて来る涼しい風を全身に浴びながら、澄んだ朝日を拝む瞬間が好きだった。

 しかし、いまそれが吹いたところで、運ばれて来るのは清涼とした夏の匂いではなく、生温い臭気を帯びたものであろうことは、想像に容易い。

 というか、吹かないで欲しい。切実に。

 中身の詰まったビニール袋が(こだま)する様子は、風情も何もあったものではない。

 桜が舞うならまだしも、ティッシュや紙袋が飛び交うだなんて、幾らなんでも格好がつかない。

 

「っと」

 

 屈もうとした拍子につんのめって、転びかけた。

 慌てず、騒がず、身体をしならせる。

 前転とびの要領で地に降り立ったシズコは、ちらと店の看板に目をやった。

 準備中の札が掛けてある。

 

 シズコは祭りの間、一人で百夜堂を切り盛りしていた。

 

 忙しくなるにつれて元気になる性質のシズコは、働いている最中は、いつだって無敵だった。

 反面、ぼんやりと過ごす時間は苦手としていた。

 ゴミを拾う手は片時も止めてはいないものの、忙しないというわけでもない。

 

 だから、色々なことを考えてしまう。

 

 それは例えば、漠然とした未来のことであったり。ここ数日間の自身の過ごし方であったり。はたまた、しばらく顔を合わせていない友人のことであったり。

 電線を一瞥するも、未だカラスは飛び発つ素振りを見せない。

 (からす)の濡れ羽色、という表現に(たが)うことのない髪と、光る物を好むカラスの習性が、友人を想起させたのかも知れない。

 尤も、彼が好んでいるのは光りものであり、アジやサバといった魚が主だった。加えて、本人も()()()()である。

 

 病葉(わくらば)アマヒコが入院してから、十日を過ぎていた。

 

 山鉾が倒れかけたところに飛び込み、蹴りでそれを阻止した結果、足を負傷したそうだ。

 迷子を保護した、という知らせを受けていたとはいえ、休憩時間を過ぎても一向に帰って来ないアマヒコに対し、はじめは憤慨していたシズコも、時計の針が進むにつれ、心配が勝るようになっていた。

 

 シズコはその日、ミスを連発した。

 

 ドジっ子サービスをウリとしている現在の百夜堂では、多少の注文の遅れや配膳の取り違えは、むしろそれ目的の客からしてみれば、望むところではあった。

 だが、シズコ自身がそれを許容できるわけもなかった。

 ミスをしてしまったとしても、コンセプト通り(ドジっ子アピール)であると誤魔化せる――そんな打算も加味した上で、自身の仕事ぶりに納得がいかなかったのだ。

 ツバキから事の経緯と顛末を聞いたシズコは、それらを頭から追い出して、店に集中することにした。

 その甲斐もあってか、売り上げは上々。百鬼夜行商店街会長であるニャン天丸への借金も、耳を揃えて返済できそうだ。

 いつの間にか、ポリ袋が満杯になっている。

 袋の口を縛っていると、朝焼けが辺りを包み込んだ。

 あちらこちらにある空き缶が照らされて、影がより濃いものになってゆく。

 (たもと)から新しい袋を取り出した。

 

 この頃になれば、ちらほらとシズコ以外にもゴミ拾いを始める人が増える。

 

「おはよう、シズコちゃん。あんさんは働きもんやなあ」

「おはようございます! いえいえ、そんなことは」

「祭りはええけど、こないつまらん作業、一番嫌いやわ。気が滅入ってしゃあないし、報われへん。とっ散らかした連中が、みぃんな布団でぬくぬくしとると思うと、やり切れん。躾けた獣以下、ふんべつなんてあらへん。あっちのカラスの方が利口やない?」

 

 日傘を掲げた貴婦人は、皮肉げな声を響かせた。

 光沢のある腕に目を通せば、メンテナンスが行き届いているのだろう、関節部位に嵌められた貴金属は、シズコの顔が反射して映るのではと思わせるほどに磨かれている。金魚柄の着物が包んでいる身体は、無骨さが際立つ男性のフォルムに比べて、なだらかな線を描いていた。

 最近百鬼夜行に戻って来たという彼女は、事あるごとに自身が抱いた不平や不満の同意を、シズコに求めた。

 調子を合わせることは簡単だった。

 云われるまでもなく、思うところなんてあるに決まっている。

 しかし、同意を示すのは控えたかった。こういった手合いは一度でも懐に招き入れると、途端に気安さと失礼さを履き違えた態度になる。

 百夜堂を訪れてくれた人々も、悪しく云われている気がした。

 殊更、頷くわけにもいかない。

 

「まあまあ。みんながみんな、そういう人ばかりではないと思いますよ?」

 

 当たり障りのない返答に、貴婦人は小首を傾げてみせた。

 

「あら、そう……シズコちゃんは人間できとるなあ」

 

 含みのある言葉だった。

 シズコは、ただ微笑んでやり過ごした。

 軽い世間話を幾つかこなしてから、ゴミ拾いに戻る。

 貴婦人は絶えず愚痴を零しながらも、精力的に取り組む姿勢を見せている。

 何処か嫌いになり切れないのだ、そういった姿が。

 日差しは平等に降り注いだ。建物の陰に身を寄せても、徐々に高まる気温によって、汗が噴き出して来る。ところ構わずに求愛をする蝉の声も、よりそれを助長しているように思えた。

 シズコは額を拭った。

 ポリ袋の数は、三つ目になろうとしていた。

 百鬼夜行自治区でのゴミ収集日は、可燃物が週二回。それ以外のゴミは、種類ごとに週一回ずつ。観光シーズンは回収の頻度を増やしているが、追いついていない。年々、伸びていく観光売上高に比例して、ゴミの量も増加している。いたちごっこだった。

 

 清掃業者を見送ったシズコが視線を上げると、カラスは姿を消していた。

 

 店に辿り着くと、直ぐにシズコは冷房をつけた。

 カーテンで全部の窓を隠してから、汗をタオルで手早く拭き取る。帯を解いて、首から腕、胸元、背中、腹部……誰も居ないのをいいことに、腋の窪みもしっかりと。

 服をはだけたまま、手を洗いにトイレへ向かう。

 鏡に映る姿は、とても他人に見せられるようなものではなかった。

 顔を確認すれば、目元に疲れが覆い被さっている。隈や荒れた肌を、化粧は隠し切れていなかった。

 ホールに戻ると、晒した肌に冷えた空気がまとわりついた。

 

「はあー……」

 

 近くにあった椅子に、背を預けた。硬めの弾力と、吸いつくような感覚がした。肌がまだ湿っていたのだろう。念入りに消毒をしないといけないけれど、いまは極楽気分に浸っていたかった。

 アマヒコの言葉を借りるならば、文明より文化に重きを置いている百鬼夜行に住んではいても、こうした文明の利器に、真っ先に飛びつく。アマヒコは、百鬼夜行を美化し過ぎてやしないかとシズコは思う。彼が盲目とは露ほども思わないが、発言の端々から、好意的に捉えている場面を幾度か目にして来た。

 

 それ自体は、嬉しいと思っているけれど。

 

「実際はこんなものよねー……」

 

 祭りの時期に、テレビで繰り返される映像がある。

 古びた建物が軒を連ねる、趣のある町並み。道行く人が身にまとうのは、艶やかな着物。水打ちをして涼を取り、店先の暖簾(のれん)が風で揺れて、何処からか耳をくすぐる風鈴の音色――。

 

 いかにも、他所から来た者が想像しそうな生活だ。

 

 そういった楽しみ方を否定はしないし、文化的な営みを絶やしたいわけでもない。桜花祭で語った言葉に嘘偽りはない。昔ながらの祭りを継承し、後世に伝える使命染みた思いを抱いている。古臭く思える慣習や不便さもあるが、町屋暮らしだって悪いことばかりじゃない。

 ただ、良い面ばかりを取り上げるのは、小狡い気がするのだ。

 経営者としてのシズコではなく、シズコ個人の考えだ。

 今朝のゴミ拾いもそうだ。この自治区に住む者は、除くとして。季節ごとの催しに訪れる若者や観光客。きっと、過半数の人々に、もう一度会うことはないのだ。そして、自分が住むことになるであろう土地を汚す人なんて、居やしない。

 

「……お客様だから」

 

 百鬼夜行が一番好きな自分を、ふと不思議に思うことがある。此処で生まれ育ち、祭りを親しんで、祭りと共に過ごした。よほどのことがない限り、別の自治区に移ることはないだろう。進んでゴミ掃除をしたいわけでもないが、それもまた、この土地に住む以上は切っても切り離せないものであって。けれど、貴婦人が口にしたような不満がないかと訊かれたら、嘘になってしまう。

 

「うーん……うう、寒いかも」

 

 鳥肌が立っていた。冷房の温度をちょっぴり上げた。

 考えがまとまらなかった。やはり、ぼんやり過ごすのは性に合わない。

 はだけていた服を直して、立ち上がった。

 百夜堂は、今日は休みに決めた。どの店も、総出で商店街の清掃に取り掛かるだろうから、客足も自然と遠のく。

 まずは背もたれの消毒から始めて、それから、店の中も軽く掃除してしまおう。

 袖を捲って、気持ちを切り替えた。

 

 シズコの鼻歌が、ホールに満ちてゆく。

 

 

 

 病室の窓の向こうは、茜色だった。

 夕焼けに染まったベッドに横たわっていたアマヒコは、廊下から聞こえる足音に、そっと上半身を起こした。

 少なくとも、看護師(ロボット)の類ではないことは確かだった。

 静かな病院は、それはもう、音が響く。入院患者は皆、大なり小なり病んでいるもので、日常生活では気にも留めない音にさえ、過敏になる。日頃から、リノリウムの床を行き来する看護師ならば、足音を潜める感覚がとうに染み付いていることを、アマヒコは短くない入院生活で知っていた。

 足音の間隔や軽さから、廊下を歩いているのは、小柄な人物だと当たりをつける。

 扉がノックされた。

 

「どうぞ」

 

 入室を促せば、見知った顔がそこにあった。

 くりっとした大きい瞳をはじめとして、顔の輪郭やパーツが丸みを帯びた、所謂たぬき顔の美人だ。

 

「なんだ、やっぱり元気そうね」

 

 開口一番がそれだった。

 

「そう見えているとしたら、河和さんに会えたからでしょうね。お久しぶりです」

「はいはい、いまはそういうのいいから。疲れてるの」

 

 シズコは椅子に腰を下ろし、さも面倒そうに呟いた。

 いつもは軽快に揺れ動いている二つ結びが、萎れているように感じられた。

 目元の化粧が濃く見えるのは、時間帯のせいだけではないだろう。

 人に弱音を見せたがらない。見せてしまうことはあったとしても、由としない。

 目に見える――この場合は目に宿った、が正しいだろう――疲労だけでなく、素直にそれを吐露する姿は、ストレスの閾値を越えた証拠だった。

 

「こんな面会時間ぎりぎりに来なくても。お店、どうされたんですか」

「顔を出す気はなかったのよ。二人から、大した怪我じゃないのは聞いてたし。お店は……今日は、休み」

「それはまた、どうして急に」

「別に。此処に来たのは、この近くに寄る用事があったのと、ただの暇潰し」

 

 やつれた指が、アマヒコの目に留まる。水仕事に精を出したのか、少しばかり、乾燥が目立った。

 視線に気づいたシズコは、手を揺らした。

 

「店の掃除してたの」

「そりゃ疲れるでしょうに。休みにしたのなら、ゆっくりしましょうよ」

 

 微苦笑混じりに口にしたアマヒコに、シズコは唇を尖らせた。

 

「掃除って気になったら、最後までやっちゃうのよ。考え事も、捗るし……勉強?」

 

 床頭台に置かれた教科書とノートに、視線が送られる。

 

「ええ、まあ」

「ほどほどで済ませたらいいのに。受験のときより気合い入れてない?」

「ただ勉強して、試験受けるだけでお金が貰えるなんて、最高じゃないですか」

 

 口調の軽さにそぐわない、実感の込められた言葉だった。

 定期テストの成績上位に入れば、奨励金が貰える。

 勉強に打ち込む時間を捻り出さずとも確保できる学生という身分は、アマヒコからしてみれば、天国のようなものだ。

 

「耳タコだと思うけど。あんた、罰当たりよね」

 

 切り出された話題は、この病室に訪れる人間が、必ず一度は口にするものだった。

 

「神事ですからねえ。神賑(かみにぎわい)とも云うんでしたっけ。ま、どちらの怒りを買うにせよ、真っ先に僕の名前はリストに載るでしょう」

「……訂正しとくわ。普段の行動を見てると、天誅よりも人誅が適してる気がするもの」

 

 誰が誅するんでしょうか、とは訊けなかったし、大和撫子との先日の会話を思い出したアマヒコは、そっと肩を竦めた。

 

人誅(そちら)には、今後は手心を加えて貰うとして」

「……やらしい顔ね」

「色っぽいってことですか?」

「気色悪いってことよ」

 

 目の前の友人が自分に手心を加えることは、今後もなさそうだった。

 

「ま、これから通る道が汚れていたら、嫌な気分になるのは、神でも人でも変わらないっぽいですね。特に穢れなんてもの、神は極端に嫌いますから」

「もしかしたら、危うくゴミ箱をひっくり返すところを、立て直した風にも見えるのかもね」

「とってもわかり易い例えですけれども」

 

 山鉾の華やいだ見かけと祭囃子で、疫病や厄災を引き起こす悪霊を惹きつけ、神輿の通る道を清める。

 つまるところ、百鬼夜行の厄を山鉾に集めている。

 巡行を終えたのち、それらは速やかに解体され、これを以って、厄払いとする見方もある。

 表現として、ゴミ箱は端的でありつつも、本質を捉えていると云えた。

 そういえば、とアマヒコは思い出した。

 

「ゴミ散らかってました?」

「桜花祭のときよりすごかったわよ。それこそ、ゴミ箱をひっくり返したみたい」

「今回はお手伝いできなくて、申し訳ないです」

「まあ、いいのよ。いつものことだから。それよりも……あんたはただでさえ、目立つんだから。悪目立ちしたら、店で使い辛いじゃない」

「いままでも隠す気があったのかと云われたら、疑問ですけどね」

 

 頭髪が光る人間が、そうそう居る筈もない。

『百夜堂の嫩葉(どんよう)アリエ』も、廃業だろうか。

 元は、ゆくゆく百夜堂の看板娘として名を馳せるであろうシズコへの配慮と、過不足なく男子生徒(アマヒコ)を使うための、建前だった。見てくれもさることながら、こなせるだけの器用さを持ち併せてもいた。

 シズコは、なんでもないことのように云う。

 

「建前は重要でしょ?」

 

 強かさは美徳だとアマヒコは思う。

 

「河和さんのそういうところが、好ましいんですよね」

「私も自分のこういうところが、好きよ」

 

 夕闇の病室に、沈黙が数瞬生まれたかと思えば、直ぐに打ち破られる。

 

「早いけど、お暇するわ。私になにか云いたいことある?」

 

 面会の終了時刻を待たずして、シズコは病室を去ろうと腰を浮かせた。

 アマヒコは、微苦笑を浮かべた。

 

「お疲れさまでした、河和さん」

「……へえ、ふーん。なに? 言葉だけ? それが労いだなんて、ずいぶん安く見られたものだわ」

 

 シズコは言葉に込められたニュアンスを正確に読み取ったのか、澱んだ雰囲気を発し続ける目元に、力を込める。

 アマヒコは、力なく垂れた二つ結びが、轟と立ち上ってゆく光景を幻視した。

 

「山鉾を蹴るなんて罰当たりをした馬鹿は、その場に居る人たちにお願いごとをしたそうじゃない。『食事は是非、百夜堂でよろしくお願いします』」

 

 軽やかに跳ねる印象の強い声に、責めるような響きが、確かにあった。

 視線を交わし合う。

 

 加減しろ、馬鹿。

 いやいや、河和さんならいけましたって。

 

「百夜堂下半期のスタートダッシュとしては上々。予定より、早い時期に売り上げが作れた。これまでの積み重ねもあるから、感謝はすっごくしてるんだけど……それはそれ、これはこれ。私に、なにか云いたいことある?」

 

 そこで言葉を打ち切ったシズコは、アマヒコを窺った。

 求められていることを察するのは、得意だった。

 察して、実際に行動に起こすかどうかは別として。

 そして、何事にも例外というものは、存在するものだ。

 

 例えば、友人の溜まりに溜まったストレス発散のため、遊びに誘うときだとか。

 

「わかりました――僕とデートしてください、河和さん」

 

 唇の端をほんの少し吊り上げて、シズコは笑った。

 

「あんたのご褒美じゃない。しょうがないわね――それで手を打つわ」

 

 日程は追って知らせるから。

 室内に餡蜜の香りを残して、シズコは去った。

 

 アマヒコの退院は、それから三日後のことだった。

 

 そうして、八月を迎えた。

 





河和シズコ、お誕生日おめでとう。

持っている方は、是非ともシズコの誕生日ボイスを聴いてください。
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