病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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「それではお兄さん、シズコちゃんのこと、よろしくお願いしますね」

「任されました」

「おばあちゃんなに云ってるの。あんたも頷くな!」

 

 大仰に頷いてみせたアマヒコに、シズコは思わず、声を上げていた。

 

 玄関先まで見送りに来た彼女は、ころころと笑う。

 自らがおばあちゃんと慕うその人が、茶目っ気を多分に持った人物であることは、無論のこと承知している。

 久方振りに会った彼女は、別れたときに比べ、肩の力が抜けたように見えた。

 まずはそのことに安堵を、次いで終始楽しそうに彼女と会話を続けていたアマヒコに対し、嫉妬の念を抱いた。

 

 が、直ぐに後悔することになった。

 

 児戯に等しい恥ずべきそれを、シズコは隠したつもりであっても、目の前の二人が相手では意味を成さなかった。アマヒコだけであれば、彼はそういった後ろ暗い感情を察して空気を読むが、彼女は空気を読んだ上で、嬉々としてこちらを揶揄いに走るのだ。

 そうなってしまえば、アマヒコも場の空気に身を任せてしまうのだから、堪ったものではない。

 

 細まった目元は、孫を見るそれに限りなく近しい。

 

 嬉しいやら、恥ずかしいやらで、それはそれはもう、むず痒いひとときを過ごすことになったのだった。

 

 

 

 キヴォトスは学園都市である。

 

 数千に及ぶ学園が存在する此処での中核は、語るべくもなく生徒だ。

 そんな生徒――若者たちにとって、伝統や文化といったものは、自らを縛るものとして敬遠されるきらいがある。

 厳しい顔をした司祭が、粛々と祝詞を紡いでいる絵面は退屈極まりなく、各学園の伝統や文化が色濃く反映される催しにおいても、先進的な流行を求められる。

 

 であるならば、変遷の激しい流行の最先端に若者が多く集うのもまた、必然と云えるだろう。

 

 心地良いアースカラーが基調の店内は、ところどころに緑が置かれており、リゾートホテルを思わせるつくりをしていた。上品な落ち着きの中にもカジュアルさがあり、前評判に違わず、人で溢れ返っている。家具や照明一つ取っても――おそらくオーダーメイド品だろう――こだわりが見える。

 

 案内されたテラス席は、屋上にあった。昼下がりということもあって、相応な賑わいを見せている。日差し避けのパラソルの下でミストファンが稼働し、各所に設置された冷風機から送られる空気は、炎夏の気配を爽やかなものに仕立てていた。

 

 注文を済ませ、あらためて開放的な空間に視線を送る。木の温もりを感じられるテーブルと乳白色のソファ、傍にある観葉植物が、常夏の雰囲気を助長していた。フェンスの向こう側に広がるのは、瓦が鱗の如く重ねられた木造の家屋、それらの静謐な調和を乱す高さの、アンバランスで見慣れた建物たち――ではなかった。

 

 超高層ビルが、幾つも並んでいた。

 

 同じ規格、同じ棟数、同じ間隔で建てられている。日が落ちてからの景色は、壮観だろう。水路が随所に張り巡らされた街は、洗練された、機能的なうつくしさがあった。水に面した公園に併設されたカフェは、テラスが川へとせり出しており、そこで釣りを楽しむ人々も居た。

 

 ミレニアムサイエンススクール。

 キヴォトスの最先端であり、最新鋭の自治区。

 

 遠くを走るモノレールを目で追っていると、アマヒコがサングラス越しに瞳を細めていた。口元は、緩い弧を描いている。

 

「お元気そうで良かったですね、彼女」

「そうね。久しぶりに会ったけれど、安心したわ」

 

 シズコは頷きを返すと、口元を覆っていたマスクを引き下げた。グラスを傾けて、唇を水で湿らせる。よく冷えたそれに、顔の熱がほんの少しばかり引いていく気がした。

 

「暑くないですか、それ」

「暑いに決まってるでしょ」

 

 コミュニケーションの一環だとわかってはいても、だ。

 見てわかるようなことを訊いて来ないで欲しい。自然と態度はそっけないものになる。

 対面の彼は、涼しげな表情を崩さない。人によっては、それがスマートに映るのかも知れない。痩せ我慢だと知っているシズコに取ってみれば、こんなときまで取り繕うなと思う。

 

「肌にもあんまり良くないですよ。僕みたく、服とこれで良かったんじゃないですかね」

 

 アマヒコは微苦笑を滲ませながら、サングラスのツルを摘んだ。

 

 アイロンをしっかりとかけ、張りを持たせた白シャツにサングラスの組み合わせは定番ではあるものの、誤魔化しの効かない格好だとも思う。だのに、こうまで着こなしてみせる彼の器量の良さを、羨んだ回数は少なくない。飾り気のない小綺麗なデニムがまた、小細工なんて必要ないと云わんばかり。そもシンプルなコーデなのだから、装飾は却って邪魔になるのだけれど。

 

 せめてメイクが下手であれ。何度、シズコは思ったことだろう。コーデから浮いた化粧をしてくれたら、可愛げがあったかも知れない。そんな淡い期待を抱いたシズコに、アマヒコは一度として応えることはなかったが。

 

「いいのよ、今日はしたい格好するって決めたんだから。文句ある?」

「滅相もない。可愛いです」

「当然。もっと云っていいわよ」

「河和さんは今日も可愛いなあ!」

「そういうときだけ素直よね、あんた……」

 

 翻ってシズコの格好はというと、シンプルを突き詰めたアマヒコのそれとは、アプローチが異なる。

 

 端的に表するなら、量産型あるいは地雷系の衣装に身を包んでいた。

 

 桃色のトップスは、肩の露出によって大人っぽさとフェミニンさが同居し、腰回りを締めつつもふわりと広がる黒のスカートは、脚を長く見せてくれる。テーブルの下で、レース付きの厚底パンプスが艶を放つ。メイクも垂れ目に見えるよう意識してやれば、完璧だ。

 

 ピンクや黒、紫といった色調を基調とし、存分にフリルがあしらわれたファッションは、見た目よりもずっと簡単に着られるし、取り揃えることができる。

 

 こうした趣味全開の服装を、シズコは極力控えるようにしていた。

 

 百夜堂の看板娘は、彼女の仕立てた服あってこそという思い……情を抜きにしても、ある種のイメージの固定化、キャラ作りと云っても差し支えないそれに余念がなかった。

 

 河和シズコは百夜堂の看板娘であり、逆もまた然り。

 だから、これまではできなかった。いや、しなかった。

 

 デートをするのに、いまの時期は都合が良かった。

 

 シズコがストレスを溜めていたタイミングも、アマヒコの悪目立ちをしたタイミングも――この二つに関しては、マッチポンプ感が否めないが――そして、ミレニアムの自治区に住む娘と同居を始めた彼女から、近況報告の連絡があったことも。

 

 おばあちゃんに会いに行くついでに、デートはどう?

 私もあんたも、こっちだといまは周りの視線が気になるでしょ。

 ……どうせなら、変装でもする?

 

 そんな風に、シズコとアマヒコは装いを変え、デートと洒落込んでいる。

 

 注文の品が届いた。

 シズコはいちごをふんだんに使用した、贅沢なタルト。

 アマヒコが頼んだのは、ピスタチオアイス。

 

 美意識の違いを、たった一品で見せつけられた気分だ。

 小ぶりなアイスに並ぶと、まるでシズコの食い意地が、可視化されているようだった。

 

 載せられた写真より立派なタルトを前にして、喜べない自分が居る。

 舞い上がっていた。だって、久々のスイーツだ。試作品のための、味見し続ける日々とは打って変わって、素直に楽しめる機会なのだ。アマヒコも、アイス以外にパスタを頼むなりなんなり、この二つが並んでいる状況を回避する術はあったのではなかろうか。尤もこれから二軒、三軒と回る予定であるから、満腹を避ける彼の注文は、当然と云えるのだけれど。

 

 考えたところで、もう、目の前のそれを取り下げることなんてできやしない。

 

 とりあえず、タルトを撮った。角度を変え、もう何枚か撮る。アマヒコの端末を借りて、アイスも撮ってやる。

 避暑対策が功を奏してか、比較的快適ではあるものの、屋外だ。氷菓子の類は溶けるのが早い。表面に露が生まれていた。

 

 この辺りで、シズコは開き直ることに決めた。

 ファッションと同じだ。

 己が是とすれば、それで良いのである。

 伊達に、少女趣味をしているわけではない。

 

 アイスを口に運ぶアマヒコを横目に、ルビーのように赤いそれを頬張り――シズコは目を丸くした。

 いちごの瑞々しくもなんと力強いことか。土台の生地は厚めで香ばしく、アーモンドクリームの、深みあるコクが広がる。卵黄たっぷりのカスタードクリームも、引けを取らないまろやかさだ。

 しかし特筆すべきは、酸味がやや強めのいちごジャムだろう。クリームやタルト生地……それらの甘さを引き締めてくれる。くどくないのだ。暑さの続くいまの時期には、酸味が欲しくなる。その観点からも、ぴったりだろう。

 

 いそいそとナイフを動かすシズコの視界に、ほっそりとした指先が映った。スプーンで緑色のアイスをすくうと、上品に口まで持っていく。

 ただそれだけの仕草が、目を惹いた。

 

「どうしました」

「アイス、どんな感じ?」

 

 つい、訊ねていた。

 見つめていたことを誤魔化す意図があったことは、否定し切れなかった。視線に敏感なアマヒコだったから、尚更だった。

 

「美味しいですよ。豆乳が混ぜ合わせてあって、好みの味です。刻んだナッツも散りばめられていて……わざと粗くしてあるのがいいですね」

「ふぅん」

「追加で頼みます?」

「それは駄目」

 

 たかが、アイス一個。

 されど、アイス一個、だ。

 

 シズコは体質的に、顔から丸くなるタイプだった。

 タルトだって、果肉入りアイスと合わせての注文という誘惑を振り切り、頼んだのだ。

 

「なら、ひと口いかがでしょう」

 

 シズコの手元に、緑色のアイスが差し出された。

 

「ありがと」

「ピスタチオは、トリニティのレモンがよく育つところで栽培されてるイメージなんですよね。店の雰囲気もそれっぽいですし。発掘区域近くにリゾート地がありまして」

「確かに、そっち寄りかもね。はい、タルトも美味しいわよ」

「どうも。……酸味が効いてるのがいいですね、これ」

「ね。いちごもジューシーで、しかも大きいのよ」

「うん。重くないし、食べ易い。もう少し、貰っても?」

「どうぞ。あんまり食べ過ぎちゃうと、あとが怖いし」

 

 料理のシェアは、さほど珍しいことではなかった。

 毎回するわけでもなく、それぞれが好きなものを頼んで食事を終えることもあれば、店の下調べの段階で、注文を取り決めておく場合もある。

 

 新たにスプーンを取り出し、軟らかくなったアイスに差した。

 口の中に広がったピスタチオの香りと、粗めに刻まれたナッツの食感を楽しむ。豆乳の味わいもまた、ピスタチオの風味を損ねることなく、コクのある美味しさを両立していた。

 

「あっ、こっちも美味しい」

「アイスだけで色々な種類がありますし、果肉入りはどれも美味しそうですね」

「頼みたくなるから、云わないで」

「半分こにしたら、カロリーも半分ですよ」

 

 努めて……努めて甘言を無視する。

 甘やかすなら、もっと違うときにして欲しい。

 誘惑を目先の幸福で塗り潰したシズコは、ナイフを動かしていった。

 

 

 

 そういえば、とアマヒコが思い出したように口にした。

 

「河和さん、所属する学園の名前は云えますか?」

「はあ?」

 

 わけがわからなかった。謎掛けだろうか。

 訝しげなシズコの様子に、アマヒコは微苦笑を一つ。

 

「別に謎掛けだとか、引っ掛け問題だとか、そんな話じゃないですよ。これからする話に、関わることなので」

「……百鬼夜行連合学院でしょ」

「百鬼夜行連合学園ではなく?」

「うぇっ? 学園じゃなくて、学院……よね? え?」

「仰る通り」

 

 おそるおそる口にすると、頷かれた。

 ますます、わけがわからない。

 

「河和さんは、百鬼夜行連合学院にどうやって入学しました?」

「あんた知ってるでしょうが! ……初等部からそのまま地続きだけれど。ちゃんと試験もあるわね」

「では、僕のような受験を経て入学を志す者は、その前になにをするでしょうか」

「ねえ、このノリ長かったりする?」

「答えは、願書を出します」

「云ってるじゃない、答え」

「そろそろ怒られそうなので、普通に話しますか」

「……今日は、ストレス発散に付き合ってくれるのよね」

「それはしまってくださいごめんなさい」

 

 話を続けろ、と銃をリロードして促せば、彼はそのまま喋り始める。

 

「事の起こりは――なんて云うと、あたかも壮大な話の前振りだと錯覚しません?」

「さて、と」

 

 銃爪に指を掛ける。

 

「話します話します。桑上先輩が云うには、『今年、百鬼夜行に届く願書に記載されている学園名の誤りが多かった』らしいです」

「陰陽部の先輩のことほんと好きね。いまも狙ってるわけ?」

「振られてからは、特に。いまは愚痴聞いたり、偶に和楽さんが可愛いってだけのモモトークが、壁打ちのように来ますね」

「思ってたより、愉快な人なのね」

「和楽さんに向ける感情、わからないでもないですからね……僕が河和さんに向ける感情と相違ない、いや負けていないと思っていますから。所謂、ソウルシスターとでも云いましょうか」

「……変なことしてないわよね? 頼むわよ、本当に」

「ま、それは一旦置いておくとして。話を元に……云った通りの内容ですし、戻すも何もって感じですが」

「あんたが云ってた、百鬼夜行連合学園、と願書に書かれてたわけね」

 

 単なる書き間違えであれば、わざわざ面倒な口振りで話題にしないだろう。

 書き間違えたことは事実だとして、陰陽部の人間が頭を悩ませている事態にまで発展している。

 

「そんな多かったわけ? 連合学園って書いてた人」

「はい。それはもう、びっくりするぐらい居たそうですよ。はじめは、こういうこともある、程度に笑ってたそうなんですが。願書全体の二割近くって考えると……」

「願書出した二〇〇〇人のうち、四〇〇人が書き間違えているって想像したら、笑えないわね」

「桑上先輩、悲しんでましたよ。合否に影響はなくとも、まあ、ねえ?」

「わからないでもないけど。私も百夜堂を間違って覚えられていたら、思うところあるもの。でも、変な話ね。メールで送る前に、確認しないの? 送る前にもう一回見るでしょ、普通。紙なら、尚更じゃない?」

 

 アマヒコは、気軽に告げる。

 

「書き間違えたんじゃなくて、百鬼夜行連合学園だったんでしょう。少なくとも、二割ないし、一割の方々には」

 

 迂遠な物言いに慣れたシズコは、アマヒコの云わんとしていることを正確に察していた。

 

「で、結局どういうことなのよ。書き間違えた人以外は、連合学園だと思ってた理由って」

 

 頷いたアマヒコは、携帯端末を取り出した。

 液晶画面に表示されていたものに、見覚えがあった。

 

「夏祭りのポスター? 時間が過ぎるのあっという間ね、来週じゃない」

「はい。百鬼夜行で毎年開かれる夏祭りのポスターなんですが。これは、来年度から刷られる予定のものです」

「へえ……待って、それをなんであんたが持ってるの」

「原本の格納場所知ってるからですね」

「そう……」

 

 質問の答えを得たのに、疑問が新しく生まれる。

 アマヒコが相手の場合は、よくあることだった。

 

 夏祭りのポスターは、全体のカラーリングに赤と白が用いられている。

 前夜祭と本祭りの日程、それらを含めた期間、場所――百鬼夜行自治区全域と豪快に記されている。

 

「で、これが今年度もとい、昨年までのデザインですね」

 

 画面が切り替わる。

 そこには、同じポスターが表示されていた。

 カラーリングも打たれた文字の位置も変わっていない。開催期間だけが、異なっている。

 いや、もう一つの差異があった。

 

「手抜きね」

「由緒あるデザインとしておきましょう」

 

 夏祭りの文字の上、ポスターの上段には、百鬼夜行連合学園と書かれていた。

 

「願書に誤った学園名を書いた生徒たちは、パンフレット代わりにこれを見たんでしょう。駄目で元々だったのか、とりあえず願書だけは出しておこうと思ったのかは、定かではありませんが」

「多分、うちで開かれた祭りには来てないんでしょうね。学園なんて、それこそ沢山あるもの」

「興味が薄いから、碌に精査もしない。そういった連中に心を砕いてやる必要は、ないと思うんですけどね」

 

 大多数の人は、おそらくそうだ。

 どれほど情報が容易に手に入るようになったとしても、興味を持たなければ、いちいち調べたりなんかしない。

 記憶に残らない。

 アマヒコだってそうだろう。

 

 知り合って、一年が過ぎた。他者にどう見られるかは理解しているのに、どう思われるかについては、髪の毛一本ほどの興味もない。彼自身がどう思うのか、で行動が完結している。その癖、心理を読み取ることには長けている。

 

 アマヒコと長く関係を続けるコツは、なるべく彼の理に沿った行動や言動を心掛けるか、そんなものを考慮せずに好き勝手に振る舞うかだ。好悪の激しい人物ではあるが、懐に入れた者には、些か甘い。

 

 しかし、ここ最近の彼からは、変化の兆しが見える気がした。

 

 それの善し悪しはともかく、変化しないことを美徳だと思えるほど、シズコは刺激に飽いていない。

 

 というよりも。

 

「ポスター、ちゃんと確認しない学院側にも、問題があるでしょ。誰も気づかなかったの?」

 

 非はどちらにもあるだろう。

 学院側が被害者ですみたいな考えは、好きになれない。

 願書を出した事実に変わりはないし、その時点で学院にプラスだ。生徒数が少ないよりは、とも思う。

 シズコの指摘を前に、アマヒコは薄ら笑みを浮かべる。

 

「天地先輩が内緒にしてたらしいですよ。誤字を指摘する人がどの程度居るのか知りたかったみたいで」

「なんで例の先輩に黙ってたのよ。というか、お祭り運営委員会の管轄じゃないの、この手のポスターは」

「遊び心ですかねえ、伝えなかった理由は。委員会についても、その通りです。修正されたのが最近という時点で、察してください。ところで、河和さんはどういう人が指摘すると思いますか?」

「わかった。あんたみたいに重箱の隅をつついて嗤ってる意地の悪い奴」

「……はい、正解です」

 

 アマヒコは盛大に頬を引き攣らせていた。

 呻き声に近いそれに、なんだか楽しくなって来たシズコだった。

 

 

 

 昼間の熱を溶かして、薄めて広げたら、きっと、こんな色になるのかも知れなかった。

 

 午後の光が朱と混じった頃に、喫茶店巡りを終えた。

 ミレニアムが誇る最新式の家電や、身だしなみを整える道具、化粧品を幾つか見て回ったのち、アマヒコの買い物に付き合った。

 

 彼が購入したのは、鼻毛カッターだった。

 

「欲しかったんですよね」と鼻先にそれを突きつけつつ、しみじみ云うものだから、笑いを堪えるのに必死だった。鏡の前で澄まし顔のアマヒコが、それを鼻に突っ込んでいる様を想像してしまい、ますます腹筋が悲鳴を上げた。

 ようやっと落ち着いた頃には、いかにこの商品が素晴らしいのかを語るアマヒコに乗せられて、シズコも購入した。とんだお揃いの品もあったものである。

 店を出てから、マスクをしているのだから、顔を見られることはないのだと気づき、なんとなく損をした気分になった。

 加えて、冷房の効いた店内から一歩踏み出すと、熱気が諸手を挙げて迎えて来る。

 日が傾いたところで、暑さなんて、ちっとも和らぎはしない。

 アマヒコと相談をし、水辺で涼むことに決めた。

 

 水辺空間と云っても、ミレニアム自治区のそれは多岐に渡る。

 

 川沿いの新緑が青々と茂る公園ならば、ランニング用のレーンやスポーツを楽しむための設備が充実し、また別の川の縁では豊富な湿地空間が広がっていた。幾つか備えられた展望台から、ミレニアムのスカイラインを見ることもできる。

 

 桟橋の上に作られたオープンスペースに、二人は訪れていた。

 百鬼夜行ではお目に掛かれない一風変わったデザインのベンチや遊具――遊び心を含んだブランコ型だ――が目についた。夕焼けに照らされた遊具の周りを駆け回る子供たちを、大人たちが思い思いに過ごしながら、眺めている。

 

 地平線の向こうに沈んでゆく太陽を、ピストルの構えで狙う。

 

「BANG」

 

 弾いたように腕を振り上げて、勢いのままに、その場でターン。

 遠心力で、スカートがふわりと浮いた。

 夏の夕暮れが水面を打った。茜色に輝いていた。

 

 それらに背を向ける形で、友人に告げる。

 

「お祭り運営委員会に、入ろうと思うの」

「正気ですか」

 

 暗に心配されているのだと理解はできるが、それにしたって、失礼な問いかけだった。

 シズコは見事な笑みを浮かべると、アマヒコに軽やかに近づいて、足を踏みつけた。そのまま続ける。

 

「あによ。やるって云ったらやるのよ、私は」

「……心配ですよ、僕は」

 

 思わず、顔を覗き込んでしまった。

 

「あんた、誰?」

「おい、失礼でしょう」

「ごめん、驚いちゃって」

「いいですけど。そんなに、おかしいですかね」

「なんだ、いつも通りの顔ね。相変わらず、むかつく」

「綺麗な顔でしょう?」

 

 完璧なナチュラルメイクを施されたそれを指して、誰に憚ることもなく、のたまう。

 

「むかつく」

「そんな表情も、河和さんは可愛らしくて素敵です」

 

 二人は悪目立ちしていた。

 アマヒコは服装や振る舞いを変えたところで、髪から燐光は漏れ続けているし、シズコのいまのファッションは、良くも悪くも特徴的だ。

 抱き合うことが容易な距離にあって、足を踏んだ側はともかく。踏まれた側がそれに言及しないばかりか、相好を崩して会話を続けている様子に注目が集まる。何かの遊びだろうかと真似をしようとする子供を、親が嗜めた。

 そんなとき、何処からともなくスピーカーの、ノイズが漏れる音がした。記録された音楽が辺り一帯に、街に流れた。

 夕焼けをモチーフにした曲を合図に、親が子供の手を引いて帰宅を促すと、別れの挨拶が幾つも上がった。

 また明日。ばいばい。

 影法師が一つ、また一つと去ってゆく。

 シズコとアマヒコのただ二人だけが残された。

 まだまだ明るかった。

 

 立ち話もなんだから、と二人はベンチに腰を下ろした。

 

 以前から考えていたことだった、とシズコは切り出す。

 

 借金という憂いをなくしたのち、看板娘としてキヴォトスに名を響かせるには、どうしたらいいのだろう。

 観光区としては名高い百鬼夜行は、メディアの出入りが盛んだ。

 けれど、老舗と呼ばれる店は世にごまんとあるのだから、それらと一線を画す目新しさをシズコは求めた。

 客層の固定化をなるべく、避けたかった。新規が入って来ないコンテンツは、緩やかに消滅してゆく。

 シズコはそれを、目の当たりにして来た。

 閑散とした商店街を歩きながら、思い出の残滓を見つけては、胸中に飛来する寂しさと云ったらない。

 

 ドジっ子サービスを全面に売り出した喫茶店は、一周回って、新鮮に映るのではないかと考えた。

 

 澄まし顔で、何処かお高くとまった、一見さんお断りの店構え。腹に何かを抱えているのに、表では微笑を絶やさない店員なのだと囁かれる。

 

 百鬼夜行の古くからある店には、確かにそういった厭な風潮があった。

 老舗である百夜堂の看板を背負いながら、客に愛想を振りまいているシズコは、異端だろう。

 

 客に媚を売っている。

 

 良い顔をされなかったことも、陰口を叩かれたことだってある。

 セルフプロデュースの賜物か、そういったものに飢えていた層を上手く取り込めたのか、結果は出せていた。出す気でやっているのだから当然という思いは、勿論あったが。

 

 しかし、地道に積み重ねた先で、シズコの目的は達成できるのか。

 有名になれるのかという懸念は、常にあった。

 観光地としては収益を上げても、人は居なくなる一方で。

 

 人をこれまで以上に呼び込みたい。盛り上げたい。

 

 入れ物そのものに、興味はない。

 アマヒコはそういう人間だ。

 場所そのものに、大した思い入れを抱かないタイプだ。

 

 でも、シズコは入れ物だって、大事にしたい。

 此処で出会った人たちが居たのだという証を。軌跡を。

 なくしてしまえば、思い出すことすら、難しくなってしまいそうだから。

 

 打算だって、ある。

 シズコは自分のことをそこまで感傷的な人間だと思っていない。

 お金を稼ぐことが好きだし、即物的な人間であると思っている。

 

 お祭り運営委員会に所属して、イベントを取り仕切る立場になれば、衆目に晒される機会は、自ずと増える。仮に委員長にまでなれば、他所の自治区への出張も選択肢に入る。

 

 だが、委員会と百夜堂の両立は、並大抵の労力ではないだろう。

 

「ね、あんたも来る? お祭り運営委員会」

 

 シズコの誘いに、アマヒコは目を瞬かせた。

 

「あれ、一緒に働くのは疲れるから嫌だ、って云ってませんでした?」

「百夜堂だと、ひたすら回しちゃいがちになりそうだから。肝心のお客さんを蔑ろにしそうで怖いのよ。でも委員会なら、基本は裏方でしょ? あんた、細かい作業得意だし、好きでしょ」

「資料読むのは好きですよ。物や人を動かすのも」

「私がみんなを可愛さで癒して、あんたが発破掛けて働かせるのよ」

「飴と鞭ですか。百夜堂のことも考えたら、そういう役回りがしっくり来るでしょうね」

 

 アマヒコは悲観主義者寄りの現実主義者だ。考えなしの夢想家には、取り分け厳しい視線を投げる。

 彼が見せる気楽な姿勢は、常に物事をマイナスに見る癖から、想定したこと以上に悪いことは起こらないだろう、という思考に基づいている。

 この男は否定するだろうが、社交的な風に見せておきながら、煙に巻いた言動ばかりしている人間を、少なくともシズコは根明とは思わない。

 病葉アマヒコは根暗である。

 閑話休題。

 

 想像する。

 誰かが提出した祭りの企画案に目を通したアマヒコが、粗を見つけ、ねちねちと問題を挙げ連ねる。

 シズコがフォローに回り、アマヒコとああだこうだ云いながら、上手い具合にまとめるのだ。

 あらかじめ決まった役回り。彼が嫌われ役で、シズコが支持を集め――。

 

「――また、呼んでくださいよ。手伝いますから」

「――そう。せっかく、気兼ねなく、側に居られる理由作ってあげたのに」

「すみませんね」

 

 そう云いつつ、断ったことに対する後ろめたさは一切ない。

 それは、信頼の証なのだろうと思う。

 シズコは、首を横に振った。

 いいのよ、と呟く。

 

「私たちは向いている方向が一緒だから、面白みがない」

「です、ね」

「ままならないわねー」

 

 きっと、上手くやれるだろう。

 でも、それだけだ。

 あまりにも簡単に想像できてしまう光景に、一緒に過ごす意味すら、見失ってしまいそうだから。

 そんなものは、お互いに望んでいないのだ。

 

 まったく以って、ままならない。

 

 シズコはアマヒコから離れて、波打つ水面へ視線を向けた。

 そろそろ、夜が落ちて来そうだ。

 シズコは、落としていた目線を僅かに上げた。

 彼もそれに倣って、そちらを見た。

 

 百鬼夜行にあっても、ミレニアムであっても、それは変わらない。

 

 シズコは一歩、二歩と踏み出した。

 再び、夕日を背にする形で、アマヒコに向き直る。

 長い艶めいた髪が、神秘的な光を辺りへ振り撒いている。

 息を呑むほどにうつくしい。

 そんな素振り、見せてなんかやらないけれど。

 代わりにシズコが浮かべたのは、勝ち気な笑みだった。

 

「私、有名になるわ。百夜堂の看板娘は私だって、キヴォトスの誰もが思い浮かべるように。それでこれまで以上にお祭りを盛り上げる。当面の目標は委員長になることね」

「なれますし、できますよ。河和さんなら」

 

 アマヒコが、頬を綻ばせていた。

 眼差しは、まるで眩しいものを見るようで。

 あんたの方がよっぽど眩しいからと、軽口を叩いてやりたかった。

 

「そういえば、振られちゃったのね」

 

 ふと、口から言葉が零れた。

 思えば、シズコが自分から欲しいと云った人間は、彼が初めてだった。

 あの日、駅から降り立った瞬間に、アマヒコはその場の人々を釘付けにした。

 そんな人物が、自身に首ったけという事実は、シズコの自尊心をいまも大いに満たし続けている。 

 

「光栄ですよ、未来でその名を轟かすことになるであろう、看板娘直々のお誘いですから」

 

 よくもまあ、嘯くものだ。

 

「うっわ、なーんか軽いんだけど? 後悔しても後の祭りって云うから、そうならないといいわね」

「まあまあ、僕はまだ嫉妬で恨まれたくないので」

 

 アマヒコはしたり顔で口にした。

 

「桜花祭で店に来た彼なんかは、特にそうだろうね」

「彼? 誰のこと?」

「他所の男子生徒です。河和さんに夢中になって絡んでた彼ですよ。僕が静観してたら、裏で助けろと怒られたじゃないですか」

 

 夕風に吹かれて、裾や髪が揺れる。

 

 シズコは、首を捻った。

 

「なに云ってるのよ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 ふつつかものですが、よろしくお願いいたします。

 

 三つ指をついて、お辞儀をする動作は洗練されていた。

 嫁入りのようだった。

 

 綺麗なつむじから視線を逸らしつつ、その隣で正座した生徒の頭上に冠する筈のヘイローが消失していることに、妙な安心感を覚えてしまった。獣耳が時折、動いている。

 

 僕はひとまず、電話を掛けた。繋がらなかった。

 愉快そうに笑う糸目の先輩が脳裏にちらつく。

 してやられたと思うのと同時に、この状況は予測し得たことでもあったから、納得があった。それがまたなんとも形容し難い感情を呼び起こす。

 状況を整理する前に、わかったことがある。

 

 客室の空き部屋が二つ、埋まることが確定した。

 

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