病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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 水羽ミモリは幼い頃から、他人の顔色をうかがうことが得意だった。

 

 視線の動かし方、眉の位置、小鼻の膨らみ、頬の突っ張り、口元の歪み、手のひらの開き具合、肩の上下、背筋の曲がり方、足先の向き、声のトーン――それらを見聞きすることで、いまどんなことを考えて、何を求めているのかが手に取るようにわかった。

 

 ミモリに備わったそれは経験に基づいた思考や論理によって導き出される解ではなく、閃きに似た直観で得た限りなく正解に近い結果を、相手の一挙手一投足から読み取った情報で補填した極めて高い精度を誇る代物だった。

 のちに読心術と称されるそれを遺憾なく発揮したミモリは、周囲から頼りにされることが多かった。

 

 ミモリ自身、他者から頼られることや感謝されることが嬉しかったから、生来の世話焼きな気質もあいまって、初等部に入学してから直ぐにクラスメイトたちから慕われた。

 

 しかし彼女が初等部三年になったとき、所属するクラスで、ある問題が発生した。

 

 ミモリをめぐって、クラスメイトたちが争いを始めたのだ。

 

 周囲に配慮を欠かさず、相手の欲求を過不足なく読み取れるミモリはクラスの人気者だった。人気者ゆえに、誰もがミモリの一番になりたがった。ミモリは特別誰かを贔屓にしているつもりはなかったけれど、手を差し伸べる必要がある子がいた場合に、掛かりきりになってしまうきらいがあった。

 

 だから、ミモリは知らなかったのだ。ミモリがいないときのクラスメイトたちがどんな雰囲気で過ごしているのか、ミモリが誰かに掛かりきりになっているときに、どんな風に思われていたのかを。

 

 視野が狭い、と彼女を責めることはあまりに酷であろう。彼女の行動の根底には他者への慈しみと真摯さがあった。誤算があったとすれば、ミモリの善性をただ同然に享受していた輩がそれを取り上げられたときに、どう思うのかを想像できなかったことであった。

 

 いつも遊んでいてくれたのに、遊びを断られた。

 授業中、ほんの少し喋っていただけなのに注意を受けた。

 子供だからこそ見逃すことの出来ない小さい不満が波紋を生み、それらは大きなうねりとなってミモリに襲い掛かった。

 

「ミモリはあっちの子の方が大事なんでしょ」

 

 あちらが立てばこちらが立たぬとは、正にこのことだった。

 一旦、関係が拗れはじめるとそこから先はあっという間だった。ミモリが何をしても、どう言葉を投げかけても、クラスメイトたちは反発するようになってしまったのだ。

 

 幼馴染であるツバキの存在は、ミモリにとって救いだった。

 ツバキのどんな状況であろうと自身の在り方を損なわない自由気ままな気質と、陽だまりのような温かみに満ちた心に触れることは、ミモリに少なくない安らぎを与えてくれた。

 

 しかし、ツバキと離れて過ごせば、再び身体の末端から削られていく感覚を覚えた。他者の心根を、ミモリは望む望まないにかかわらず、はじめからそう設計されているかのように、無秩序に、一方的に傍受した。

 

 麻薬のようだった。毎日、幾人もの胸の内を覗くことが当たり前になっていたミモリにとって、他者の心情を読まないことは、呼吸をしないことと同義だった。

 

 押し寄せる情報は容赦なくミモリを絶えず侵した。

 精神を摩耗していき、限界を迎えたミモリは学校を休んだ。

 防衛本能からなる逃避行動ではあったが、それすらもミモリを苦しめた。自分が休んだことで、誰かに迷惑を掛けたらどうしよう。風邪をひいたわけでもないのに、休んだことが知られたらズルだと思われないか。それによって生み出された感情や思考を、ミモリは際限なく読み取ってしまう。もはや学校に行く気力すら湧かなかった。

 

 一日中、誰とも触れ合わずにベッドで過ごす毎日を過ごした。学校を休み始めてから、時間や曜日の感覚すら曖昧だった。

 ツバキが家にやってくる時間が唯一の楽しみだった。他愛のない話をして、二人で並んで横になって、手を繋いで眠った。ミモリは日がな一日ベッドの上で過ごしていたから、ちっとも眠くなんてなかったけれど、手のひらから伝わるツバキの熱いくらいの体温が心地よかった。

 

 学校を休み続けて、一週間が経過した。枕元に無造作に置かれた携帯端末の日付を乾いた表情で眺めて、それを知った。

 もう一週間経ったのか、まだ一週間しか経っていないのか。

 このままではいけないことはミモリにもわかっていた。

 漠然とした不安は夜が訪れる度にミモリを苛んだ。だが、どうしても一歩が踏み出せない。教室へ向かう自分を想像するだけで、動悸が激しくなり、こめかみに鈍い痛みが走った。解決策を見出せないまま、時間だけが無為に過ぎていった。

 この日も玄関のチャイムが鳴った。身体にまとわりつく倦怠感をなんとか引き剥がしてベッドから降りると、備えつけられたインターホンのカメラを起動した。ツバキの姿を認めると、玄関の扉をそっと開けた。

 チャイムを鳴らしてから、ミモリが玄関を開けるまで二十秒足らず、立ったままの状態で眠りの世界へ旅立ったツバキに声をかけつつ、家の中へ招き入れた。

 欠伸混じりにツバキから差し出された紙袋の中には、幾つかの少女漫画が入っていた。ミモリの気分転換になればとツバキが図書館から借りたものだった。

 ベッドに寝転んだツバキの横で、少女漫画のページを捲った。

 

 その漫画に登場する大和撫子に、ミモリは目を奪われた。うつくしく、優しく、そして芯が通った大和撫子は、様々な困難に見舞われながらも、愛する人と結ばれて幸せに過ごしていた。

 

「こんな風に……なれたら……」

 

 諦念に支配されていた心に去来した憧れが、ミモリを突き動かした。

 小さな身体に不釣り合いな、桜色のエプロンを購入して、姿見の前で身につけた。不恰好にエプロンの裾を引き摺る自分の姿を、網膜に焼きつけた。

 

 いつかきっと、これが似合う大和撫子に。

 

 意外なことに、学校に再び登校し始めたミモリに向けられた目は、厳しいものではなかった。

 どころか、ばつが悪そうにしながら、頭を下げるクラスメイトが殆どだった。

 謝罪を受け入れたミモリだったが、以前のように「誰に対しても分け隔てなく親切なミモリ」として振る舞うことは難しかった。

 だから、大和撫子という自ら描いた理想をなぞることにした。

 ミモリとして過ごすことは辛くとも、大和撫子として過ごすことは苦ではなかった。

 ミモリのままでは、耐えられなかったことも、大和撫子であれば耐えられた。

 成長するにつれてツバキのマイペースな気質に影響を受けたのか、周囲への配慮をしながらも我を通すことを覚えた。

 花嫁修行と称して、忙しなく何かに打ち込む日々を送っているうちに、無作為に読み取っていた他者の心を、意図しなければ読むことがなくなったことに気づいた。

 

 ミモリにようやく平穏が戻った。

 

 中等部に上がって、冬だった。

 

 

 

 昼食のあと、ミモリたちは百鬼夜行商店街の散策をすることになった。

 観光客が賑わう通りから小脇の一本路地に入ってみると雰囲気が一変する。暗い路地にはひっそりと看板が置かれ、提灯が吊るされている。静謐さが漂う空間に、靴底が石畳を叩く音が響いた。

 半ば寝ぼけ眼のまま歩くツバキと隣り合って、その半歩後ろからアマヒコがついてくる形だ。ツバキのヘイローが消えたり現れたりを繰り返す様を眺めていたアマヒコは「百鬼夜行の自治区って、家賃安いですよねえ。ミレニアムは住み易いんですけど、家賃が高くて断念しました」と苦笑混じりに口にした。

 ミモリがどう返事を返そうかと悩んでいると、彼は続けた。

 

「オートロック付きワンルームの家賃が六万九〇〇〇円、火災保険二年分が一万八〇〇〇円、保証会社からの保証料三万四五〇〇円……。家賃は入居のときの四月分だけでいいとは云われたんですけど」

「家賃だけで毎月七万円弱は大変ですね……。元々はミレニアムに通うおつもりだったんですか?」

 

 大通りのざわめきから切り離された狭い道幅だからか、なんとなく声を潜めてしまった。

 ミモリに倣ってか、アマヒコも声の大きさを落とした。

 

「モノレールで大体の移動が事足りる、というのがやはり魅力的でした。朝の準備に時間が掛かるので、登校時間が短くて済むのも。ついでに過去の研究内容も興味深いものが多いですし」

 

 背後を盗み見れば、アマヒコは髪を一房掬いながら、瞳に億劫そうな色を浮かべていた。

 それだけの動作が、目を惹いた。

 ため息を吐いているだけなのに、どうしてこんなにも、うつくしいのだろうか。薄ら寒さすら覚えた。声が上擦らないように気をつけながら、言葉を発した。

 

「どんな研究だったんですか」

「興味深いなんて格好をつけましたけど、下らないものばかりですよ。最近だと面白かったのは『アラクノガールの存在はありえない』って研究ですね」

「アラクノ……?」

「ご存知ないです? ミレニアムでは数年前に映像化もされて流行ったんですけど。ある日、主人公の女の子は、謎の蜘蛛に噛まれてしまう。蜘蛛の力を手に入れた彼女は、手に入れた力の大きさや責任に悩みながらも悪と戦っていく、ってストーリーなんですが」

「あっ、映画の」

「それです。で、フィクションの存在であるアラクノガールの存在を否定している研究があるんですよ。例えば、ヤモリ以上の大きさの生き物が垂直の壁を這う場合、とてつもなく巨大な粘着性の足底が必要とされるらしいです。もし、僕たちのような大きさで、壁を這って移動する場合は身体の表面の四〇%を覆う足底が必要で、想定される足のサイズは個人差はありますが、その研究では一〇〇を越えるだとかなんだとか」

 

 足のサイズが一〇〇を越えた人物が壁を垂直に移動する様を想像して、ミモリは小さく噴き出した。

 

「面白いでしょう?」

「うふふ……はい。何を思って、その研究をしようと考えたんでしょうか」

「さあ? ただ、まあ、こういう研究が許されるミレニアムの大らかさに、それはそれはもう感銘を受けましたよ」

 

 一本路地からまた別の通りに出た。緩い傾斜を下っていく。レンタルした着物を身につけたであろう観光客とすれ違う。

 アマヒコは、次々とミレニアムで過去に行われた珍妙な研究の内容を語っていく。

 どうしてそんなことを研究しようと思ったのだろうかと、頭に疑問符が浮かぶものばかりだった。

 普段触れることのない知識だからか、真面目に相槌を打っていたら、不意打ちのように、

 

「そういえば、タイツの着用評価に関する論文もあったんですよね」

 

 と、アマヒコが口にしたものだから、顔から火が出そうになった。

 咄嗟にスカートの丈を伸ばすようにしてなるべく太腿を隠そうと試みる。

 視線が送られた箇所に、じんわりと汗をかいたような気がして、余計に羞恥を覚えた。

 

「あの……見ないでください」

 

 春とはいえ、風はまだまだ冷たい。そう考えて履いてきたタイツによって辱めを受けている不条理を嘆いていると、神妙な面持ちのアマヒコが頭を下げた。

 

「ああ、ごめんなさい水羽さん。そんなつもりでは」

 

 ミモリの太腿に視線を固定したままだった。

 

「どこに向かって頭を下げているんですか!?」

「水羽さん……本当にすみませんでした」

「せめて私の目を見て云ってください」

「ミモリ……喜んでる?」

「ツバキちゃん、どう見たらそう見えるんですか。喜んでません」

「気恥ずかしいですね。そんなつもり微塵もなかったんですが」

「恥ずかしい思いをしているのはこちらですよ!?」

 

 途中で意識が覚醒したツバキも一緒になって、ミモリを弄り始める。

 

 気づけば、時間も忘れて会話を楽しんでいた。

 

 空が茜色に染まり始めた頃、分かれ道に差し掛かった辺りで、アマヒコと別れた。

 散々弄られたことで頬を膨らませていたミモリに、微苦笑を浮かべながら、「困ったことがあればお詫びにお力になりますよ」と告げて、彼は去っていった。

 ミモリたちも帰路につくために、足を進めた。

 

 濃い、一日だったように思えた。

 

 会話を重ねれば重ねるほど、アマヒコの印象は変わっていった。

 遠目からは、大和撫子のような容姿に佇まい、加えて浮世離れした雰囲気が同居した、独特な存在感を放っていた。

 昼食のときは、明確な拒絶が滲んだ声色と共に怜悧な眼差しを向けて来たかと思えば、フラットな態度で会話を振って来た。

 ミレニアムであった研究内容を嬉々として語ったときの表情は、とても柔らかい。

 太腿への、隠す気がない無遠慮な視線と、ふざけた態度。

 出会ってから一貫して、ミモリを尊重している風な物言いだが、よくよく考えてみるとぞんざいに扱われているような気もする。

 

 嫌うなら、お好きにどうぞ。

 

 こちらの顔色なんて気にしないと云わんばかりの態度だった。

 きっと、ミモリが「貴方のことが嫌いです」と告げても、彼は澄まし顔で「そうですか」と返すような気がする。

 不快に感じてもおかしくないけれど、不思議な高揚感すら湧いた自分に、戸惑いを覚えた。

 立ち止まって、名残惜しげに振り返る。

 既にアマヒコの姿はなかった。

 

 影法師が二つ、並んでいるのみだった。

 

 それが、三つになる光景を想像した。

 

「ミモリ、どーしたの?」

「ごめんなさいツバキちゃん!」

 

 ミモリは軽やかに駆け出した。

 

 春で、新生活がこれからだった。

 





病葉アマヒコはキヴォトス人。――完。



というのは流石に嘘ですが、失踪しそうにはなりました。
お気に入り登録に救われてます。評価や感想いただけると大変嬉しいです。

あとカエデのモチーフについてご存じの方がいらっしゃったらご教授いただけますと幸いです。
ツバキが狸、ミモリがサトリまではわかり易い、あるいは情報あったんですが……。

アマヒコのモチーフについては、そのまんまなので割愛します。

次の投稿は早めにしたい気持ちはあるんですが、資料届くのがめちゃくちゃ遅いので気長にお待ちください。

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