病葉アマヒコはキヴォトス人。   作:ザントマン

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 百鬼夜行の桜を見ると、寿命が延びる。

 

 あくまで僕の所感ではあるが、この自治区の桜を目にしたとき、そう感じさせるだけの魔力があるように映った。

 

 賑やかな場所は嫌いではない。けれど花見をするなら、静かな場所が好ましい。ところ狭しと青いビニールシートを敷いて、飲めや歌えやの大騒ぎは、咲いた桜への礼を欠いているように思えるからだ。

 

 百鬼夜行は神樹をはじめとした桜が有名だが、梅林や桃林も二月の中頃を過ぎると、うつくしい花を咲かす。梅の花の凛としたうつくしさは、桜に勝るとも劣らない。

 

 三月が中旬になれば、しだれ桜が中心区を艶やかに染め上げる。近寄って見たときに小さなつぼみがぎっしりと枝を覆っていたことを覚えている。花は薄紅色なのに、つぼみは朱いものだから、枝に頬紅をさしているように見えるのだ。

 

 清楚な装いをしつつも、咲き誇る時期に備えて着々と準備をしている植物の力強さに、ひどく感銘を受けた覚えがある。

 

 桜の花は空ではなく、地面を向いて咲く。しだれ桜の下で首が疲れるまでじっと仰いでいる時間はさぞや贅沢であろうと、僕は思う。

 

 だから、実践することにした。

 

 その一角は桜色に染まっていた。遠目から見ると桜色の霧がかかったようで、枝をくぐって木の幹に近づけば、おあつらえ向きに石がテーブルと椅子のように設けられている。花びらに覆われて、日差しも――ともすれば音すらも――届かないと思うような静かな場所だった。

 

 入学してから一週間、丁度いい場所はないものかと探しに探して見つけた場所だった。校舎からは遠く、お昼どきにわざわざここまで訪れる人は少ない。

 しだれ桜を真下から見上げて、首が疲れるまでじっと見合った。疲れたら、石の上に座って、持って来た資料を読み込んでいく。そよいだ風に攫われた花弁が手元の紙面に散っていく。文字を隠してしまうが、あえて手で避けることはせずに、そのまま読める箇所を目で追っていく。読めなかったところは、明日、またここに来て読めばいい。(いとま)のある、生活の自由を存分に謳歌していると感じた。

 

 ミレニアムに通っていたら、きっとこうはならなかっただろう。生活の安定という意味であれば、ミレニアムは保障されている。けれど、生活の自由を見出せるのは、百鬼夜行が一番ではないだろうか。

 

 緩やかなままに、たまに、僕が紙をめくる音が響く空間。

 

「なにを読んでいるんですか?」

 

 静寂に差し込まれた音は、この一週間で随分と聞き慣れてしまったものだった。

 

 区切りのいい辺りで資料から顔を上げてみれば、水羽さんと春日さんが立っていた。

 目礼をする水羽さんに同じく返しながら、春日さんを見やった。今日も今日とて、相も変わらずぼうっとしたまま、桜の花を仰いでいた。

 

「百鬼夜行のここ数年の観光収入のデータです」

 

 手元の紙の束をひらひらと振って答えると、紙の上に乗っていた花弁が地面に落ちていく。

 

「えっと……面白いですか?」

「まあ、趣味みたいなものですね。とりあえず頭に入れておけば、どっかのタイミングで使うことになるかも知れませんし」

「わざわざ紙で読んでるんだね。ネットで見れたと思うんだけど……」

 

 春日さんも桜から視線を切って、会話に参加する。

 

「仰る通り。一般公開のデータですから、端末でネットに繋げば簡単に閲覧できますね。端末一つで済むから、かさばらないですし。僕が携帯端末をあまり使わないようにしているだけなので、お二方は端末で良いと思いますよ」

「その、なんで使わないようにしているんですか?」

「単純に便利過ぎるからですかね」

「んー……? それって悪いことなのかな」

「短時間で手軽に見たい情報だけを得ること自体は悪くないですよ。見たいものだけ、見るならね。ただ、調べ終わったら時間が空くでしょう? 空いた時間で、別のもの見たりするじゃないですか。そうしていくうちに時間があっという間に溶けるんですよ。あとは、紙をめくる時間が好きなんです」

 

 尤もらしい理由を並べ立ててはみたものの、最後に付け加えた理由が主なものだ。

 電子書籍の利便性は云うに及ばずだし、検索機能もある。わざわざページを手でめくる作業に時間を取られることもない。

 紙媒体での読むという行為は、紙をめくるときの手触りや音を通すことで余すところなく咀嚼し、血肉として自身の中に根付かせていく。感覚的なものになるが、そんな行為だと僕は考えている。実際、電子媒体で読むよりも、紙の方が頭に入るし。この身体のスペックが高いだけかも知れないが、それとは関係なく紙が好きなのは昔からだ。

 

「私も調べものをしている最中に、気づいたら動画サイトを開いていた経験はあります」

 

 水羽さんは合点がいったように頷き、春日さんは小首を傾げる。

 

「私はないかなあ。まあ、暇な時間があるならお昼寝するからだけど」

「春日さんは最高に贅沢な時間の使い方をしているから、見ていて気持ち良いですよ」

「褒められるとは思わなかったかも」

「自分の好きなことをしている人は魅力的だから、自然と目が吸い寄せられますよね」

「……もしかして、口説かれた? あと、あんまりこっち見ないで欲しいかなあ。視線が、その、やらしい」

 

 胸元を腕で隠す春日さんだったが、より強調する形になっていることに気づいていないのは、云わない方がいいだろう。

 

 眼福だなあ。

 

 内心合掌しながら拝んでいると視線を感じた。

 菩薩のような笑みを浮かべた大和撫子の姿がそこにはあった。

 

「アマヒコさん? 乙女の柔肌は安いものではないですよ」

 

 水羽さんが拳銃を取り出していた。

 銃口は下を向いているが、いつでも撃てるように引き金に指を掛けている。

 

「水羽さんも遠慮がなくなってきましたね……」

「ええ、何処かの誰かさんの不躾な視線に一週間ほど晒されたおかげでしょうか」

「では――その何処かの誰かさんに文句云っといてください。バレないようにやれって」

「はい――では何処かの誰かさん? いい加減ツバキちゃんから視線を外しましょうね」

「もしかして、私だけを見てろってことでしょうか。情熱的ですね」

「――アマヒコさん?」

「あっ、はい。すみません」

 

「ご歓談をされているところ、大変申し訳ありません」

 

 出会ったときよりも気安い――些か距離感が近すぎやしないかとも思うけれども――心温まる交流の最中、不意に声がかけられた。

 

 声の主は、直ぐそこに立っていた。

 金糸のような長い髪、尖った獣耳、短く整えられた特徴的な眉、吊り目に赤いアイシャドウ、口元の黒子がなんとも色っぽい。白い肌を大胆に露出した上半身に反して、下半身は袴に白足袋と奥ゆかしい。

 

病葉(わくらば)アマヒコさんで、間違いないでしょうか」

 

 金色の瞳が、じっとこちらを睥睨している。

 

「はい」

「陰陽部副部長の桑上(くわかみ)カホと申します。部長が貴方とお話がしたいと仰っておりまして」

「ああ、わかりました。いまから?」

「ご都合のつく日時の指定をくだされば、それからでも問題ないと部長――ニヤ様からは伝えられています。ただ、その、なにぶん気まぐれな方でして。今日を逃せば、お話をするタイミングが、次はいつになるか」

 

 歯切れが悪そうに答えたあと、困ったように笑みを浮かべる桑上先輩は、薄幸の美人という言葉がよく似合いそうだった。

 入学式で見かけたときの印象に違わず、陰陽部の部長は相当な曲者であるらしい。

 

「美人の誘いは断らないようにしているんです。では桑上先輩、行きましょうか」

「へぇっ……美人って私のことですか……?」

「他に誰がいるんですか」

「あ、あ……ありがとう……ございます……」

 

 素直に頬を赤らめる桑上先輩に癒しを覚えていると、水羽さんが笑顔で云った。

 

「私もとってもお綺麗な方だと思います。でも、アマヒコさんは誰にでも同じようなことを云いますから。精神衛生上、まともに取り合わない方がよろしいかと」

 

 おーい、僕への当たり強過ぎないかこの子。

 

 

 

 カホと連れ立ってアマヒコはその場を去っていった。

 先ほどまでアマヒコがいた石の上には、ハンカチが敷かれていて――休まれるのでしたらどうぞ、と彼が置いていったものだ――風でそよいで揺れている。日差しが遮られた静かな場所は、昼寝にはおあつらえ向きの場所だった。天候も申し分ない。

 しかし、ツバキは晴れやかな気持ちにはなれなかった。

 アマヒコの後ろ姿を見つめるミモリを横目にしながら、人知れずため息を吐く。

 

 春日ツバキは、自他ともに認める能天気であった。

 

 悩みがなさそう、だとか、何も考えてなさそう、だとか。そんな評され方をされたことも、一度や二度じゃない。周りから見ればのほほんと過ごしているようでも、気苦労をすることだってあるのだ――そう云えれば良かったのだけれど。悩みとは縁の少ない人生を送ってきた自覚はあった。大抵のことは、寝れば忘れられるし。ツバキは悩むという行為に時間を費やしたことがなかった。

 

 友人に関することは別だ。それは話が違う。特に、幼馴染と云っても差し支えないほどに多くの時を共に過ごしたミモリに対しては。

 

 この一週間、ミモリと共にアマヒコと過ごしたツバキからしてみれば、厄介な男に親友が引っかかってしまったという他ない。

 

 ミモリの趣味のうちの一つに少女漫画が数えられるが、そういったジャンルの漫画に出て来る男というものは往々にして主人公であるヒロインに、強引な態度を取ることが多い。普段はそっけないのにここぞという場面では、しっかりと言葉にして気持ちを伝える。何より、そんな男が主人公にだけ――だけ、というのが重要だ――見せる優しさや気遣いに読者は心をときめかせるわけで。

 

 つまるところ、アマヒコの態度は少女漫画に出て来る男のようだった。

 

 基本的には紳士的な態度で接しているのに、たまに強引な、物を云わせない雰囲気を醸し出す。かと思えば冗談を交えつつ砕けた態度を垣間見せる。

 

 ミモリの好む少女漫画に出てくる男のように、琴線に触れる態度ばかり取るものだから、見ていてツバキとしては頭を抱えたくなった。

 悪意を持って親友を弄んだ態度を取っているのならばともかく、アマヒコの態度はどれも本音――少しばかり取り繕えよこの野郎――なものだから、殊更に質が悪かった。

 

 例えば本を読んでいるときに、ミモリが話しかけると、見もせずに「すみません、後にしてくれますか」と言い放って来る。ミモリが怯んで、謝罪の言葉を口にすると「いえ、ミモリさんは悪くないですよ。あとで、しっかりと聞くのでお時間をいただけますか」と返して来る。本を読んでいるときは、本当に一瞥すらして来ない。なんなら返事が返って来ないときもある。ミモリが申し訳なさそうに肩を揺さぶったときは、路傍の石を眺めるかのような視線を一瞬向けたあとに、取り繕ったように笑みを浮かべる。丁寧な口調で会話は続けてくれるが、早く何処かへ行けというオーラを全身から発して、言外に察しろと促して来る。笑顔が能面のように見えて――いや、事実彼にとって笑顔は無表情とさして変わらないのかも知れない――はっきり云って、恐いのだ。ツバキですらそう思ったのだから、近くでその圧を向けられたミモリは余計に恐かっただろうと思う。ミモリも人が良い上に、幸か不幸か察する能力は極めて高いので、そのときはそそくさとその場を後にする。

 以降、アマヒコが本を読んでいるときはミモリが顔色を観察して、問題ないかを把握してから話しかけるという工程が必要になった。

 

 時間を空けて、こっそり様子を見に行くと、こちらが声をかける前に近づいて来て、謝罪を口にする。その謝罪もあくまで形式だけのものだ。一見して謝罪を口にしたアマヒコが許しを乞う立場に見えるが、用件があったのはミモリ側なのだから、是以外を口に出来るはずもない。

 

 嫌われているのだろうか、と思いきや、何でもないように誉め言葉を口にする。ミモリの箸の持ち方が綺麗だとか、口元を抑えながら笑う様が上品だとか。何気ない仕草に発見を見出して、それを隠すことなく伝えてくれる。そんな言葉一つ一つに揶揄う色が欠片も見えないのが、憎たらしい。

 

 ミモリがいないタイミングで「何のかんの水羽さんのことを心配していますよね、春日さん」と、普段からツバキがミモリに世話を焼かれていると見られがちな中で――実際のところ、大体はその認識で問題はない――自身の胸中を云い当てられたことがあった。咄嗟に「何でもわかったような態度、本当に……苦手」と口にしたツバキに、「嫌い、と云わないところに春日さんの人の良さが出ていますね」なんて。

 

 ツバキたち以外と話をする様子も見かけることはあった。彼の容姿はどうしても目立つものだから、嫌でも目に入る。ただ、そのときのアマヒコは何処かフィルターが掛かったように、ぼやけた印象に映った。浮世離れした雰囲気から逸脱しない範囲で、容姿に見合った態度をなぞっているだけというか。

 透明なガラス張りの中に入った、綺麗な人形のようだった。触れようとしても、壁が確かな厚みとして常に存在している。

 

 良くも悪くも、これまで幼馴染の周りにいないタイプの人種だった。無関心を装って、あるいはわざと嫌われるような言動をしてミモリの関心を惹こうとする輩は居ても、いま読んでいる本より優先度が低いと、嫌われるならそれならそれで構わないと、本音を明け透けに晒す者はいなかった。

 ミモリにとって、アマヒコから受け取るものは何であれ、新鮮なのだろうとツバキは分析している。

 友人としては、劇薬過ぎやしないかと心配にもなるのだが。

 

「ミモリ、膝貸して」

 

 まあ、いいかな、とツバキはミモリの膝枕を堪能しながら思う。

 もし、親友を泣かせることがあれば、容赦なく撃ってしまえばいい。

 何でもわかった風な態度のあの男に、どれほど自分がミモリのことを大事に思っているか、身を以ってわからせてやればいいのだ。

 ……そんなときが来なければいいと思うのは、当然として。

 

 ツバキは目を閉じた。

 髪を撫でる優しい手の甲に自身の手を重ねると、頬を緩ませる。

 

 夢の世界へ旅立つのに、数秒と掛からなかった。

 

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