ベアトリーチェ(ゲマトリア)、キヴォトスにて 作:ふぁっしょん
前回誘拐したセイアの話です。
石造りの古びた建物の一室に、不釣り合いなほど新し気なベッドがあった。
そこにはひとりの少女が眠っている……
あるいは意識を失っていると表現するべきだろうか。
百合園セイアはさきほど、強制的に眠らされたのだから。
そしてその枕元に、赤いひとかげがひとつ、立っている。
ベアトリーチェだ。
彼女は両の掌を合わせ、なにやら思索にふけっているようだった。
花のように開いた頭は、開いては閉じ、無数の瞳もまた虚空を見つめている。
そして、少女が目覚めた。
「う……」
ベアトリーチェはそれをみて、なるべく穏やかな声で語りかけた。
「目が覚めましたか」
すると、セイアは慌てて跳ね起きて、近くのなにかを手に取ろうとして……
しかし、そこにはなにもないことに気が付いた。
彼女が知っている調度品がない。
ただベッドと、セイアだけが、この場所に移されている……
セイアの顔色が悪くなった。
「あ、あなたは……」
セイアが口を開いたが、様々な疑問に混乱しているのか、すこし迷っている。
ベアトリーチェはひとまず、自己紹介をすることにした。
「私はベアトリーチェといいます。普段はマダムと呼ばれています。
この場所はアリウス自治区という、秘匿された地下都市です。
なぜ、あなたをここに運んだのか……それは、あなたが知ってはならないことを知ってしまったからです。
あなたを私が襲う直前の記憶を、覚えていますか?」
「……ああ、覚えているとも。
ただ、途中からだよ」
「では、私がエデン条約調印式でなにをしようとしているのか、わかりましたか?」
「……
いや、わからない。私にはミメシスや戒律といった単語への知識がないからね」
ベアトリーチェの瞳が瞬いた。
「ふむ……
トリニティの古書館を私は確認したことがあります。あそこには戒律とそれが齎すミメシスについての史書があったと記憶しているのですが……
いえ、それはいま、関係のないことですね。
あなたはエデン条約の存在を左右しうる立場にあり、私という部外者がそれに干渉しようとしていることを知り、そしてトリニティ内部に布石があるという言葉を聞いた。
それは、とても大きな問題をもたらしうるのです」
セイアは怯えた様子になった。
「わ、私を……どうする気だ?」
「どうする、ですか。
そうですね、ひとまず……
私の生徒と共同生活をしてもらいます」
「え?」
セイアはぽかんと口を開けた。
小さい口だ。
「ちょうど、サンプルがより欲しかったのです。
私は彼女たちに向けたカリキュラムを設計したのですが、その際いくつか不満が生まれうることを理解していました。
しかし、彼女たちはそれに対し……」
セイアは大きな声を出し、身振り手振りで止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!
どういうわけなんだ……!?」
「どういう、ですか?」
ベアトリーチェは困惑した様子で頭を動かした。瞳も瞬きする。
「説明した通り、あなたがトリニティで何か問題を起こす可能性があるので、拘束させていただきました。
そして、生徒に対するカリキュラムの問題点を指摘できる、貴重な外部の人材でもあります。
ですから、生徒と共同生活していただき、不満点を理解してもらいたいのです」
セイアは啞然とした様子になった。
「なん……え……?」
「ふむ……」
ベアトリーチェは困惑し、思索し、解釈した。
おそらく、この少女は私に行動を強制されることが気に入らないのだろう。
さらに言えば、カリキュラムの内容に不安があるのか。
そこでベアトリーチェは答える。
「無論、カリキュラムはあなたのためにある程度調整を加えたものにします。
そもそも、あなたは虚弱すぎます。適度な運動を心がけるべきです」
「そ、そういう……いや、そういうことなのか?」
セイアは非常に戸惑った様子で、頭を抱えている。
ベアトリーチェは気づいた。
「まさか、あなたをただ拘束するとでも?
そのような残酷なことはしません!」
ベアトリーチェらしからぬ強い口調だ。
「私は生徒の可能性というものを知りました。それは自らを救済しうる、素晴らしいものであると。
そして、それを無暗に妨げるのはよくないことだと教えられました。
であれば、生徒を長期間ただ拘束するなどということは、ありえないのです」
「は、はあ……」
セイアは圧倒された様子だった。
「ひとまず、あなたの暮らすことになる施設へ移動します……」
ベアトリーチェはセイアをベッドごと、赤い線で包み込む。
なにやらなかで騒いでいるが、気にしないままに。
そして赤色がすべてを包み込み、やがてほどけたとき。
そこにはやはり、なにもなかった。
それを確認したベアトリーチェもまた、ほどけてゆく。
そして、すべてはなにもなかったかのように戻った。
あるのは石造りの古い建物だけだ。
静寂が残った……
次はアズサとの接触の予定。