【第二部開始】人型機動兵器ヒューマンフレーム・ゼロ 作:ガルカンテツ
横田家の年末年始は、ある種の戦場だった。政治、軍事、企業関連に加え、皇室関係からも来客が殺到する。当然、一人娘であるユイも、逃れられぬ義務として挨拶回りへの強制参加を強いられていた。
普段はポニーテールに結っている長い金髪を、今日は艶やかに下ろしている。ふくらはぎにまで届くその黄金の奔流。藍色の着物に身を包み、凛と背筋を伸ばして笑顔で客人を迎えていたユイだったが、その忍耐も限界に達しつつあった。
「はー、しんど……」
名門・横田家の長女としての責務は理解している。だが、半日以上も営業スマイルを張り付かせ続けるのは、精神的な消耗が激しい。ようやく勝ち取った休憩時間、ユイは客間を離れるなり大きく息を吐き出した。
「そういえば、レイの姿を見てない……」
レイは離れで寝泊まりをしているはずだった。初日の食事こそ大部屋に顔を出していたが、それ以降は離れで済ませているらしい。親族ばかりが集まる席での居心地の悪さは想像に難くないが、一目くらいは顔を合わせたいのが本音だった。
ユイは気分転換を兼ね、冬の冷気が漂う離れの方へと足を向けた。
「レイー? いるー?」
離れの戸を軽く叩くが、返ってくる反応はない。留守のようだ。
どこへ行ったのかと思案に耽っていると、風に乗って「カーン、カーン」と、乾いた木刀の打ち合う音が聞こえてきた。音の主は、屋敷の隅にある道場の方からだ。
小走りで向かい、角を曲がったところでユイの視界に人影が飛び込んでくる。
「あ、レ……」
道場前の広場。そこに、赤毛の少年――レイの姿があった。しかし、声を掛けようとしたユイの言葉は、その場の空気に圧されて喉の奥に引っ込んだ。
レイは一人ではなかった。一人の老人と、峻烈な剣術の型稽古を繰り広げている最中だったのだ。レイが鋭く型を繰り出し、対する老人はそれを淀みなく受け流し、即座に反撃へと転じる。
土の上であっても、二人の動作は極めて機敏であり、かつ岩のように安定していた。道着に裸足という出立ちだが、激しい打ち合いの中でも上半身は微動だにしない。鋭い足さばきと共に、凄まじい速度で木刀が交錯する。ユイが声を掛けられなかったのは、その神聖ですらある空気を乱すことを、本能が拒んだからだった。
使用されている木刀は、真剣と同等の重量を再現するために芯に鉄芯が仕込まれた特製品だ。一撃でも過てば、打撲では済まない。極限まで高まった二人の集中力が、周囲の温度を数度上げているかのようだった。
型通りとはいえ、必殺の打ち筋を見せるレイと、それを赤子の手をひねるかのように受ける老人。見ているだけで、老人の技量が次元を異にしていることが分かる。それもそのはず、その老人こそがレイとユイの武術の師であり、ユイの祖父――横田ムゲンその人であった。
横田ムゲンが門主を務める剣術流派は、テン・シント流。
皇国において「三大剣術」の一角に数えられる名門中の名門だ。剣術、棒術、薙刀術、さらには霊符術をも包含する総合武術である。その歴史は古く、皇軍の中にもこの流派を修める者は数多い。
一通りの打ち合いが終焉を迎え、二人は木刀を置いて地面に座すと、互いに深い礼を交わした。
レイは全身から湯気を立ち昇らせて肩で息をしていたが、師範は汗一つかかぬ涼しい顔をしている。底の知れない老人だ。齢八十を超えているはずだが、その背筋は鋼のように伸び、立ち姿には一分の隙も存在しない。
「二人とも、お疲れさまー」
ユイは一度屋敷へ戻り、用意しておいたタオルを手に駆け寄った。
「あ、ありがとうユイ」
「お嬢、来ておったか。痛み入る」
汗を拭い終えると、レイは再び師範に向き直り、深々と頭を下げた。
「師範、ご指導ありがとうございました!」
「うむ。任地でも鍛錬を怠っておらなんだようだな」
レイが通常の軍事訓練の後、居残りで型稽古に励んでいることをユイは知っている。時折二人で行う試合では、剣術であればレイが勝ち越すが、ユイの得意とする薙刀術では彼女が圧倒するのが常であった。
「次、アタシと一本やらない? レイ」
「……その格好で?」
「あら?」
挨拶回りのための藍色の着物のままだったことを、今更ながらに思い出した。ユイはその場でくるりと回り、着物の袖をふわりとひらめかせてレイに見せる。
「どうかな、似合ってる?」
「うん。すごく似合っているよ。綺麗だ」
レイは、いつだって一切の照れを挟まず、真っ直ぐな言葉を投げかけてくる。むしろ言われたユイの方が、顔を赤らめてしまいそうになる。
「そ、そっか。あ、そうだ、渡したいものがあったの!」
照れ隠しに、今思い出したという風を装ってパンと手を打つユイ。タオルと一緒に携えていた紙包みをレイに差し出した。
レイはユイに促されるまま、慎重な手つきで包みを解く。
「……マフラー?」
「うん。訓練や実戦で、エクスマスのお祝いもできなかったでしょ? そのプレゼント」
エクスマスというエクス教の祭事は、今や皇国でも一般的な行事として定着していた。
皇国にはシントウ教という国教があるものの、信教の自由は保障されている。お祭り好きな国民性も手伝い、祝う理由があれば何でも取り入れるのが皇国流だ。ちなみにエクス教は、地球自由連邦の国教でもある。
「あ、ありが……くしゅん!」
レイがお礼を言おうとした瞬間、可愛いくしゃみが一つ。汗が引き、冬の冷気が体温を奪い始めたのだろう。
「ほら、風邪引いちゃうわよ。早速使ってみたら?」
「……うん、そうする」
贈られたばかりのマフラーを首に巻く。
色は、鮮やかな赤。レイの燃えるような髪色を意識した選定だった。手編みではないが、肌触りの良い上質なカシミア製だ。
「暖かい。……そういえば、僕からも渡したいものがあるんだ」
レイはそう言い残すと、離れへと脱兎のごとく駆け戻り、すぐに一箱の小箱を手に戻ってきた。
「これ。……いつもの」
「いつもの、ね」
ユイが小箱の蓋を跳ね上げると、そこには細身の青いリボンのロールが収められていた。
ユイがいつも髪を結わえている、あのリボンだ。毎年、レイからユイへの贈り物はこれと決まっていた。決して高価な宝石などではないが、ユイにとっては、どんな金銀財宝よりも価値のある贈り物。
「ねえ、今結わえてくれる?」
ユイはそう言って長い金髪を手でまとめ、ポニーテールの形を作って背を向ける。レイはリボンを一定の長さに切り取ると、少しだけぎこちない手つきでユイの髪を縛った。
鏡を見ずとも分かる。レイが、そしてユイが見慣れた、いつもの形。
「どう?」
「うん。いつものユイだ」
「えへへ、ありがと」
静まり返った道場前で、しばし見つめ合い、微笑みを交わす二人。
「おほん。お嬢、そろそろ時間ではないのか?」
完全に存在を失念されていたムゲンが、わざとらしい咳払いを投げると、ユイは「びくり」と肩を揺らした。
「あ、いけない! もう戻らなきゃ。お父さんから、おじい様も連れてこいって言われてるの!」
「ぬう、老骨に挨拶回りは酷よのう」
「レイ、明日はお母さんのところへ行くからね。また後で!」
ユイはそう言い残すと、嫌がるムゲンの腕を強引に引いて屋敷の方へと去っていった。
レイは、遠ざかる二人の背中に小さく手を振る。
ユイの母親は、既にこの世にいない。明日は、一族にとって大切な墓参りの日だった。
手を振るユイを見送った後、レイは首に巻かれた赤いマフラーを強く握りしめた。
母親のカズミ。HFの最重要機密に関わり、そして『事故』で死んだ女性。
明日の墓参りは、単なる追悼ではない。レイにとっては、ある決意を再確認するための儀式だった。