【第二部開始】人型機動兵器ヒューマンフレーム・ゼロ 作:ガルカンテツ
「直ちに市民の安全を確保せよ! パニックを鎮め、指定の避難場所へ誘導を! ……それと、ワタシのHFの準備を急がせろ!」
停車したオープンカーの中から、シャルルⅢ世は平時と変わらぬ冷静さで側近たちへ指示を飛ばす。
彼は不安げな表情を浮かべる女帝の手を引き、エスコートしながら車を降りた。
「ワタシは上へ向かう。ミヤコ……いや、女帝陛下は後方支援の指揮を頼む。万が一、状況が絶望的になった場合は、迷わず脱出して皇国まで撤退してくれ」
「そんな……! あなたを置いていけません!」
「本当に『万が一』の話だよ。もちろん、ワタシは負けるつもりなんて毛頭ない」
「……分かりました。お気をつけて」
シャルルⅢ世は頷き、踵を返して走り出そうとしたが、背後から女帝に強く引き留められた。
「なんだい……」
問いかける言葉は、柔らかな感触によって遮られた。
数秒の沈黙の後、女帝はそっと顔を離す。
「戦勝祈願の、おまじないです」
わずかに頬を染めながらも、彼女は凛とした笑顔で言った。
「……ありがとう、ミヤコ。シントウ教の頂点に立つ君のおまじないなら、効果は絶大だろうね。だが……あいにく、もう少しだけ足りないかな」
「あっ……」
今度は王の側から、再び唇が重ねられた。
心配して駆けつけた女帝の側近、佐世保シズカは、その光景を目にした瞬間に無言で「回れ右」をした。同行していた百里モミジは二人を凝視し、「グギギ……」と今にも噛みつきそうな表情を浮かべていたが、シズカが力技で彼女の首をゴキッとあらぬ方向へと逸らす。
「あらあら。これは本格的にフランクス語を学ばなくてはいけませんね。……ケンヒト殿下が成人されるその時までに」
――
パリーヌ星軌道上に座する打撃空母『シャルル・ド・ゴール』の会議室は、鉛のように重苦しい空気に支配されていた。
『若きフランクス国王の身柄を引き渡し、再占領を受け入れよ。猶予は6時間だ』
帝国の要求は非情なまでにシンプルだった。すなわち、無条件での全面降伏である。
機動要塞は、パリーヌ星から384,400km――かつての地球と月の距離と同じ地点で、静かに停止している。
フランクス軍と皇軍は不眠不休で対応策を検討していたが、降伏を受け入れるという選択肢は最初から存在しなかった。遅かれ早かれ機動要塞との決着をつけなければならないことは、織り込み済みだったからだ。
最大の問題は、敵が予測より一ヶ月も早く現れたことだ。連邦領内での移動速度から算出された予定を帝国が覆したということは、彼らはわざと全力を出さずにこちらの油断を誘っていた可能性がある。
「帝国軍艦艇100隻以上、HFは確認できるだけで80機以上か……」
フランクス軍統合参謀本部長は、手元のホログラム資料を眺め、重い溜息をついた。
帝国国防軍の主力戦力すべてが、あの要塞の中に収容されていると見て間違いない。
対するフランクス・皇国連合軍の戦力は、艦艇22隻、HF79機。艦艇数では約5倍もの戦力差をつけられている。せめてHFの総数がほぼ互角であることだけが、唯一の希望であった。
残る戦力は依然としてローマリア国境での警戒任務に就いており、本来ならばパレード終了後に合流する予定だった。しかし現在は帝国のワルキューレ隊による組織的な攪乱を受け、足止めを食らっているという。
ワルキューレ隊の情報攪乱を隠れ蓑にし、これほどの巨体が国境守備網に一顧だにされず首都まで突破してきた。その性能は、もはや恐怖の対象でしかなかった。
「……機動要塞の構造解析は、どこまで進んだ?」
国王シャルルⅢ世が静かに発言した。会議室には、フランクス軍の首脳陣に加え、皇軍からは近衛師団、護衛隊群司令、旗艦艦長、そして飛行長らが列席している。
「はっ。中央に表示します」
参謀の一人がコンソールを操作し、立体映像を展開した。
機動要塞たる『月』が透過され、ワイヤーフレームでその内部構造が剥き出しになる。
「帝国軍の拠点となっているのは、北西部の『アリスタルコス・クレーター』です。ここから深部に向けて巨大な竪穴が掘削されており、中心部のコアへと直結しています」
月の中心に座するコア。これこそが要塞の全機能を司る動力源であり、心臓部だ。このコアを沈めることこそが、機動要塞攻略の唯一の道である。
「やはり、あのクレーターの基地を真正面から突破するしかないのか?」
「いえ……入手したS-Filesに、別のデータが存在していました」
参謀がさらに操作を加える。北西部の基地とは対角線上にある、南東部の荒野がクローズアップされた。
「この『アダムズ・クレーター』には敵の施設が存在せず、地表からコアへと至る斜めの連絡通路が隠蔽されていることが判明しました。通路は高さ100m、幅80mの規模を持ちます」
アダムズ・クレーターから中心部へ向かって伸びる、巨大な空洞のライン。
「HFが十分に通行できるサイズだな。帝国側はこの存在を?」
「おそらく、未発見かと思われます。S-Filesのデータは個別の断片となっており、共有されていません。連邦から入手した機動要塞の偵察映像でも、この座標は未整備のまま放置されているように見えます」
「なるほど。……万が一、待ち伏せされている可能性も考慮しておこう。それで、仮にコアまで到達できたとして、破壊は可能なのか? 直径13.75kmもの巨体を」
「これもS-Filesの解析で判明したのですが、コアの内部には独立した制御中枢が存在するようです。そこを叩くことができれば……」
「コアの内部に入れるというのか。その制御装置とやらは、一体どんな形状をしている?」
「……申し訳ありません。詳細な外観までは解析できておりません」
参謀は苦渋の表情で頭を下げた。帝国がどのように要塞を運用しているかという実態が分からない以上、それが限界であった。
「いや、責めはしない。短期間でここまで突き止めてくれたことに感謝する」
つまり、コアに到達した後の「現場の判断」がすべてを決めることになる。
「通路の規模を考えれば、HFによる隠密潜入が現実的か。……だが、敵艦隊を突破し、月面に取り付いた上でアダムズ・クレーターへ向かう……。その間の敵の陣容は?」
「それについては私から説明します」
別の参謀が立ち上がり、立体映像を切り替えた。
「月の表側……すなわち我々を向いている面には、HF隊を配置。裏側には主力の艦隊を配置しています」
立体映像の中で、無数のHFが前面に展開し、艦隊が後方に控える布陣が示される。開戦まで猶予があるため、これが最終的な配置ではないだろうが、着々と準備が進んでいた。
「おそらく、こちらの艦隊を不用意に接近させれば、要塞からの直接的な魔術攻撃を受けるでしょう。連邦軍の主力艦隊が瞬く間に全滅させられた、あの長射程攻撃です」
「……必然的に、HF対HFの消耗戦になるというわけか」
会議室に、再び重苦しい沈黙が降りた。
約80機の精鋭を相手に制空権を奪い、その上で月面への降下を成功させる。それは、不可能を強いるような至難の業であった。