アイシールド21 Reset the game 作:アリスとウサギ
賊学戦を経て、僕たち泥門デビルバッツを取り巻く環境は一変した。
ヒル魔さんの策略が功を成したのか、校内でちらほらとアメフト部に入ってみようかな? という前向きな声が出始めたのだ。
こんなチャンスを逃す手はない。僕たち泥門デビルバッツは、少しばかり期間のズレた新入部員の勧誘面接を行うことを決定した。
▪︎
そして現在。僕、モン太、栗田さんの三人は、とある洋菓子店に足を運んでいた。
シュークリーム店『
何を隠そう、まもり姉ちゃんは大のシュークリーム好きで、その嗜好はマニアの領域に脚を踏み入れている。中でも、この雁屋のシュークリームは彼女イチオシの一品だった。
シュークリームの核ともいえるホイップクリームは北海道産の濃厚クリームを使用し、対となるカスタードには専属農家から仕入れた新鮮卵を惜しげもなく投入。見た目はくっきりとした焼き目が美味しさを際立たせ、芳ばしい香りからはほのかな甘みが食欲を誘うのだ。
いざ手に取ってみると、ふわふわした見た目に反して、中のクリームがずっしりと手のひらの感覚を楽しませる。口の中に入れると、とろとろしたクリームが舌の上で踊り、瞬時に旨みが蒸発するのだ。なのに後味はすっきりとしていて、大人から子どもまで満足のできる食べ応え。たったひとつの洋菓子が、遍く人々を幸せに導く。それが雁屋のシュークリームであった。
いやなことがあった時、是非ともこのシュークリームを一日の終わりに食べてみてほしい。
また、明日も頑張ろう。そんな気持ちになれるはずだ。
「ここってすごく人気だよね? 自分で買う時は、スーパーの値引きのやつしか買わないけど……」
「有名店のひとつだからなぁ。何個ぐらい買っていくんスか?」
僕と雑談をしていたモン太が質問を投げつける。
すると、同じ行列に並んでいた栗田さんがパチリと目を見開き、拳を突き上げ叫んだ。
「100個!!」
まさかの三桁。店員さんや他のお客さんも驚いていたが、誰よりも僕たちが驚いていた。そんなお金どこにあるのかと。
しかし、入手経路は不明だが、ヒル魔さんから軍資金は大量に預かっていたらしく、結局僕たち三人は箱詰めにされたシュークリームをきっちり100個、アメフト部室まで持って帰ることとなったのだ。
▪︎
帰還する。部室の外は、まさかの長蛇の列を描いていた。
予想外の人気っぷりに、栗田さんは涙を流して大喜びする。逆に僕とモン太は、そのあまりの数に少々萎縮を覚えながら部室の扉を開けた。
「三人とも、おかえりなさい」
「ただいまー」
「ただいま戻りました、まもりさん!」
お使いを終えた僕らを、まもり姉ちゃんが笑顔で労う。続けざま、さりげなく僕の持っていた袋を奪い、ごくりと喉を鳴らしていた。
まさか、食べるつもりじゃ? と、一瞬疑ってしまったが、まもり姉ちゃんは煩悩を振り払うように首をぶんぶんと振り回し、予め用意してあったお皿にシュークリームを乗せ始めた。外で待ってくれている入部希望者たちに配るためのものだ。
手洗いうがいをしてから、僕たちもまもり姉ちゃんの手伝いをする。なぜか食器とシュークリームの数が合わなかったが、きっとお店の人が数え間違えたのだろう。
「ケケケ、風紀委員がシュークリームをつまみ食い」
「う……」
部室の隅でパソコンを動かしていたヒル魔さんに、顔を赤くしたまもり姉ちゃんがからかわれていた。
やっぱり食べたんだ……
と──
準備を終え、ついに面接の時間がやってきた。
ヒル魔さん、栗田さん、モン太、僕、まもり姉ちゃんの順番で横一列に座り、訪問者を待ち構える。さながら面接官の気分だ。どうしよう、ちょっと緊張してきたかも。
落ち着く間もなく、扉が開かれる。
「し、失礼します!」
最初に入ってきたのは、僕のよく知る人物だった。礼儀正しく、びしっとした動作で用意されたパイプ椅子に座る。
「に、2年4組。
雪さん。未来でもお世話になった、泥門デビルバッツのメンバーのひとりだ。
これまでずっと勉強一筋だったせいか、体格はお世辞にも良い方とはいえず、下手をすれば僕以上の運動音痴の持ち主。でも、すごい努力家で、関東大会でついにレギュラーの座を獲得するまでに至った、尊敬すべき先輩のひとりである。
なのにその試合で、僕たちデビルバッツは……
「あ? 2年にロクな奴は残ってねーはずだが?」
「え? やっぱり厳しいでしょうか?」
「そ、そんなことないよ!」
意識を戻す。
ヒル魔さんの苦言に慌てる雪さんだったが、栗田さんのフォローもあって、表情にやる気を携えていた。
「えーと、それではアメフト部に入部しようと思った理由をお聞きしてもいいでしょうか?」
空気を変えるためか、まもり姉ちゃんが無難な質問を口にする。
「その、小学校の時から塾通いで、部活とかしたことがなかったんです。でも3年になったらすぐ受験だし、このまま高校生活を終えるがイヤで……最後に、何かひとつでも思い出が欲しくて……」
「思い出だッ!? うちは勝つためにやってんだよ糞ハゲ!」
本当に容赦ないヒル魔さん。糞ハゲって……いや、確かに頭のアレがアレだけども……
「も、もちろん、やるからには勝つつもりでやります! 最初は役立たずかもしれないけど、やれることはなんでもやります!」
負けじと身を乗り出し、雪さんが一生懸命に自分の意思を述べる。そして、その言葉に嘘がないことを僕は知っていた。
やれることはなんでもやります。言うのは簡単で、誰もが一度は口にしたことのある言葉だと思う。だけど、それを実際にやり遂げられる人はいったいどれほどいるのだろうか。
「ほら、セナも何か訊かなきゃ」
「…………」
隣にいたまもり姉ちゃんにひじで突かれる。何か訊く? 何を?
僕は思考をまとめることができず、思ったことをそのまま口にしていた。
「……雪さんは、今まで運動してこなかった分、これから他の人の何倍も、何倍も努力しないといけなくなると思います」
「は、はい……」
「それでもすぐに脚が速くなるわけでもなければ、ボールをキャッチできるようになるわけでもない。試合に出られるようになるまで、すごく時間もかかると思います……」
「そ、それは……」
雪さんの顔に動揺が走る。
「ちょっと、セナ!?」
「いきなりキツすぎMAX……」
隣に座る二人から小声の抗議が入る。わかってる。すごく失礼なことを訊いてるかもしれない。
でも、それでも僕は訊かずにはいられなかった。
「そして、いざ試合に出られたとしても、その試合で勝つことができるかもわからない。それでも……後悔はありませんか?」
わかってる。こんなこと、ここにいる雪さんに訊いても意味はない。だって、あの敗北を知っているのは僕だけなのだから。
ヒル魔さんも、栗田さんも、モン太も、まもり姉ちゃんも知らない。僕以外、誰も知らない闘いの記憶。
だけど、口が勝手に動いていた。
「…………」
僅かな沈黙の後、雪さんが語る。
「……たしかに、あなたの言う通りだと思います。僕なんかが試合で活躍したいだなんて烏滸がましいのかもしれません。でも、僕よりも小さな身体で敵に立ち向かっていくノートルダム大のヒーロー、アイシールドさんを見ていたら、なんか、こう胸が熱くなって……あの人みたいに僕もなりたいって、そう思って……」
「…………」
違う。僕はヒーローなんかじゃない。
だって、雪さんが初めて出場した試合。神龍寺戦、最後の逆転チャンスで、僕は──何もできず負けてしまったのだから。
後悔はありませんか? なんて意味のない質問なんだろう。試合に負けて、後悔しないわけがないのに。
でも……
「わかりました。不躾な質問をしてしまい、すみません」
「い、いえ! 大丈夫です! むしろ、気が引き締まりました」
そう応える雪さんに、いや……泥門デビルバッツのみんなに、僕は心の中で誓う。
今度こそ、負けない、と。
「次の方、どうぞ」
一人目の面接が終わり、二人目が呼ばれる。
「きゃっ!?」
「なんだなんだ!」
扉をぶち破る勢いで入ってきたのは、またもや僕のよく知る人物であった。
「
小結くん。背は僕より小さいが、パワーはデビルバッツの中でも栗田さんに次いだ記録を保持。
その力は攻守の土台となるライン戦において、絶対に欠かしてはならない存在で、
ちなみに、しゃべる言語は基本パワフル語で、パワフルな漢同士にしかわかり合えない特殊言語を用いる。
「弟子?」
「もしかして、僕と同じライン志望?」
栗田さんがそう問いかけると、小結くんは首を縦にした。
「や、やったぁーー!! ついにライン仲間ができたぁ! 一緒に頑張ろうね!」
「ふ、フゴオオオオオオオ!!」
感極まった小結くんが、再度扉をぶち破る勢いで外へと飛び出していった。
これで二人目。
雪さんに、小結くん。ここまでの新入勧誘は大成功だった。
だが、ここからはまさに下り坂となる。
曰く。
「アイシールドさんのサイン欲しいなー」
とか。
「オレもテレビに映りたい」
とか。
「ヒル魔先輩のおこぼれにあずかりたいな〜。部費も手下もいっぱいいて、マジ尊敬するッス」
などなど。とてもじゃないが、入部を許可できるような人材ではなかった。
普段は温厚なまもり姉ちゃんでさえ眉をひそめ、モン太にいたっては頭に怒りマークを露わにしている。
最後の面接が終了し、ヒル魔さんがパタリとパソコンを閉じた。
「……こりゃ、入部テストが必要だな」
▪︎
その日の気温は、五月晴れという季語から大きく離別した、うだるような熱気のこもる炎天下に見舞われていた。
泥門高校から地下鉄を経由して、赤羽橋駅を降り、徒歩五分。目的地へとたどり着く。
333mの高さを誇る自立式鉄塔──東京タワー。
本日、東京のシンボルタワーは、我らが泥門デビルバッツの貸し切り場となっていた。
説明するまでもなく、ヒル魔さんの仕業である。どんな手を使ったのだろう? 恐ろしくて真相を解明しようとは思わないが……
「東京タワーとか、マジかよ」
「カッ! ヒル魔の野郎、オレたちをトラック代わりに使いやがって」
周囲には既に百名近い泥門生に加え、機材などを運ぶため駆けつけてくださった葉柱さんを含む賊学生の顔ぶれで溢れ返っていた。
今日、この東京タワーを利用して行われるのは、泥門デビルバッツアメフト部の入部テストである。
拡声器を持ったヒル魔さんが前に出た。
「聞きやがれ糞ガキども!! ルールは単純。ゴールは特別展望台! 糞デブがかき氷を食おうと待ってるから、そこまで氷を袋に詰め込んで届けやがれ! 量はいくら運ぼうが自由! 途中で溶けた場合は補充に戻っても構わねえ! ゴールに着いた時、一欠片でも氷が残っていればクリア! 晴れてデビルバッツの一員だッ!!」
葉柱さんたちがわざわざ運んでくださった、大きな箱いっぱいに敷き詰められた氷の欠片を手に取ってみる。日差しと手の体温だけで溶け始めていた。
「ははは、やっぱりこの暑さだとすぐ溶けるね……」
「セナも登るのね、アレに……」
まもり姉ちゃんが、呆れた表情で東京タワーを見上げる。
そう。今回のテストは、デモンストレーションも兼ねて、僕とモン太まで参加する形となっていた。無論、僕はアイシールドの姿である。
袋に氷を詰め込んだところで、モン太がやってきた。
「セナ、このテストはお前とオレの一騎打ちになるな」
「え? 参加者は僕たち以外にもたくさんいるけど?」
僕がそう応えると、モン太はチッチッチと人差し指を揺らす。
「バカやろー、正部員であるオレらが他の連中に負けるわけがねえ。だから実質お前とオレとの勝負だ!」
「なるほど……?」
モン太は相当やる気のようだ。そういえば、
だけど、どうしよう。僕は過去で同じテストを受けているから、ほとんどカンニングをしているようなものだ。公正な勝負にならない。
しかし、僕が断る間もなく時はやってきた。ヒル魔さんがバズーカを構える。
「早速始めんぞォ! よーい」
ドン!!! 発砲音と同時に、みんなが一斉に飛び出した。僕より数歩上の位置からは「負けた方が、相手に一週間弁当奢りー!」と叫びながら、モン太が逸早く駆け上っていくのが見える。
仕方ない。勝負なら僕も手を抜くわけにはいかない。最近はランニングコースに階段も組み込んでいるため、このテストもそこまで苦ではないはずだ。
先頭からワンテンポ遅れて、僕も飛び出すのであった。
▪︎
特別展望台。勝負の決着は、僕の勝利という結果に終わった。
道中、
ただ、やっぱりズルい気がするので、賞品の弁当は少食だからと断った。
すると……
「セナがあんま食えねぇのはわかった。だが、勝負は勝負だ。漢として一度交わした約束を反故にはできねえ。だから、弁当の代わりに一週間、お前の分のバナナを持ってきてやる」
と言われ。まあ、バナナぐらいなら貰ってもそこまで罪悪感はないかな? と思った僕は、そこで話を落ち着けることにした。
それから数分後。ちょうどアイシールドの姿から普段の制服に着替え終えたところで、ドタドタとした騒々しい足音が下の階から迫ってきた。
「フゴォオオオオオオオ!!」
「は」
「はぁ」
「はぁぁぁ」
ゴールまでたどり着いたのは小結くん、そして息を切らした十文字くん、黒木くん、戸叶くんの四人だった。
なぜか小結くんと十文字くんたちは、ここまで登り切った自分たちのことを讃えるような真似はせず、互いにメンチを切り合っている。昔からこの四人は事あるごとに張り合っていたので、今回の入部テストもしのぎを削り合いながら登ってきたのだろう。
「豚まんJr.、ハァハァ3兄弟。合格!」
ヒル魔さんから合格を言い渡される。
「やったね、小結くん!」
「フゴッ!」
栗田さんに褒められ、嬉しそうな小結くん。
だが、残りの三人は違ったようだ。
「ま、待て」
「なぜか合格しちまったが」
「オレたちはアメフトなんて汗臭えスポーツ」
「「「やるつもりはねえ!!」」」
断固として、拒否反応を示す三人組。
ここまで嫌がるのなら、なぜ自分たちからテストに参加したのだろうか?
素朴な疑問を頭に浮かべていると……
「ほほーう」
満面の笑みでヒル魔さんが立ち上がった。ポケットから
パラパラとページをめくり、怪しげな箇所で手を止めた。宴の始まりだ。
「
「ああ!? なんでオレの
戸叶くん……いや、たまにそんな購入の仕方をする同級生がいるのは、僕も耳にしたことがあるけど……
「
「やめろォォ!! 不良がいいことってなんか恥ずいだろーが! オレのモットーにもかかわるぅ!!」
黒木くん……まあこの三人、不良であることを除けば、わりといいところがあるのは知っていたけど……
「チッ、次だ……お! コイツはいいな」
「や、やめろテメー!!」
何かを察した十文字くんが、必死の形相でヒル魔さんに掴みかかろうとする。
だが、当然のごとく栗田さんに阻まれ、さらには後ろの二人からも羽交い締めにされて、動きを止められていた。
「一人だけ逃げようたって、そうはいかねぇ」
「オレたち一連托生だろ、カズちゃん」
「バカ! テメーら放しやがれ!」
なんとか抜け出そうとするが、数の暴力で取り押さえられる。
そんな三人を歯牙にもかけず、ヒル魔さんの暴露大会は佳境に差しかかった。
「
語り部が優雅な口調に変わる。
「身を清め、
「おい! やめ……むぐっ!」
今もなお暴れようとしていた十文字くんは、黒木くんと戸叶くんに発言を封じられた。
「いつもは高校生でありながらタバコを嗜み、年中バイクを乗り回している彼だが、その日は違う。人混みに揉まれながらも電車に乗るその立ち姿からは、普段の不良然とした面影は完全に消え失せ、ひとりの紳士と化していた。年老いた老人に席を譲り、窓の景色を観賞する」
ページがめくられる。みんなの興味は次第に話の内容へと引き寄せられていった。
「都内の某駅から約十分。とある喫茶店にたどり着く。扉を開けた彼を出迎えたのは、給仕服に身を包んだうら若き女性たちからの『おかえなさいませ、ご主人様』という心洗われる挨拶だった」
「「ぶっひゃっひゃっひゃっ!!」」
床をばしばしと叩く、黒木くんと戸叶くん。
僕とモン太もオーバーなリアクションこそ取らなかったが、話の続きは気になっていた。
後ろから鋭い視線を感じるが、気づいていないフリをする。
「注文するメニューは決まっている。“ひよこさんオムライス”。ケチャップでメイドが文字とイラストを描いてくれる至高の一品だ。出来立てのオムライスをスプーンで掬い、口へ運ぶ。丁寧に、米の一粒も残さず食べ終えた彼は席を立ち、会計を済ませて店を出た」
意外だ。メイド喫茶といえば、正直、ちょっといかがわしいイメージがあったのだが、十文字くんは本当に食事をするだけで終わったようだ。
「メイド喫茶。そこは男たちに一時の憩いを与える楽園。であるならば、自分たちはそこで働くメイドたちに、恥じない
ぱたりと物語は締め括られた。
「「「…………」」」
沈黙が場を支配する。
どうしよう。一瞬、さすが十文字くん! とか思ったが、予想以上にアレだったらしい。黒木くんや戸叶くんでさえ、なんだか気まずそうな表情をしている。
やっぱり人の秘密なんて簡単に暴こうとするものじゃない。僕はまた一歩、大人の階段を登った気がした。
「さーて」
悪魔が拡声器を装備する。
「
「「「やめてくれ! わかった! アメフト部に入る! だからそれだけはやめてくれ!!」」」
十文字くんたちがついに陥落した。ヒル魔さんの「ケケケケ、ライン組ゲ〜ット!」という支配者の笑みがこだまする。
前回もどうやってこの三人を仲間に引き入れたのか気にはなっていたが、まさか僕の知らないところでこんな事が起こっていたとは……
少しだけ、十文字くんたちを見る目が変わってしまいそうだ。
と──
そうこうしている内に、日が沈み始めた。夜景が東京の街を照らし出す。
「もう、誰もいなくなっちゃったわよ」
「……引き上げ時だな」
まもり姉ちゃんの声に、ヒル魔さんがそう応えた。
周囲を見渡す。僕、モン太、まもり姉ちゃん、ヒル魔さん、栗田さん、小結くん、十文字くん、黒木くん、戸叶くん……ひとり、足りない。
「あ、あの! もう少しだけ待ってみませんか? まだ、誰か来るかもしれませんし」
「…………」
なんとか時間を稼ごうとする。そんな僕の真意を問いただそうと、ヒル魔さんがこちらを見た瞬間だった。
「ハァ、ハァ……」
バシャッ! と、袋に入った水を豪快にぶち撒けながら、雪さんが扉の外から倒れ込んできた。
「うお! ホントにひとり来たぞ!?」
「大変っ!」
モン太とまもり姉ちゃんが急いで駆け寄る。
よかった。間に合ったみたいだ。僕は安堵の息を漏らし、雑巾を片手にワンテンポ遅れて駆け寄った。
しかし……
「なんだこりゃ? 全部溶けてんじゃねーか」
「え?」
後ろを振り返る。ヒル魔さんの言う通り、袋の中身は全部溶け、液体へと変わっていた。
あれ? それじゃ雪さんは……
「…………」
意識を失って倒れている。再チャレンジできる体力はどう見ても残っているようには見えない。
なら、雪さんはどうなるのか?
もしかしてこのまま不合格に……
暗い不安が胸を覆い始めた、その時だった。
ぽちゃんっ。小さな音が後ろから聞こえた。
「お! 一個残ってんぞ!」
「ええ〜! ホント!」
ヒル魔さんの指摘に、栗田さんが喜びながら容器を確認する。
そこには確かに一個、一欠片の氷が水の上を漂っていた。先ほど確認した時はなかったはずなのに。
「もしかしてヒル魔さんが?」
顔を盗み見るが、その表情から真相を読み取ることはできなかった。
だけど……
「糞ハゲ、合格!」
これで
その日から僕たち泥門デビルバッツは、ライン組の十文字くん、黒木くん、戸叶くん、小結くん。控え選手の雪さんを加えて、合計10人のチームとして動き始めるのであった。
アメフトクリニック。
Q.ライン組について、もう少し詳しく教えて。
A.なら、今回はオフェンスラインについて話してやるぜ。
前回も大ざっぱに説明したが、一口にラインと言ってもその役割は違うんだ。
センター(C)は栗田が担うポジションで、アメフトのプレーはこのセンターがボールをスナップした瞬間から始まるんだぜ。ボールの渡し方は、基本股下からクォーターバックにスナップするのが主流だな。
次はガード(G)。黒木と小結が担うポジションで、位置的にはセンターの両隣。普段は目の前の敵をブロックするのが役割だが、セナがボールを持って走る時とかは一度下がって、外側の敵もブロックしたりもするぜ。だから、パワーだけでなく小回りも重要になるんだ。
最後はタックル(T)。十文字と戸叶が担うポジションだな。ラインの外側に位置する二人は、目の前の敵だけでなく、外側から侵入してくる相手に対し、プレッシャーを与えるのも仕事になるぜ。パスプレーの時は、クォーターバックの死角を守るのも、基本彼らの役目だ。
これは余談になるが、オフェンスフォーメーションによっては、十文字がフルバック(FB)のポジションも担い、セナと一緒に走って敵をブロックしていることもあるぜ。ちなみに、普段は石丸がそれらの仕事をこなしているんだ。アイツは本当に陸上部なのか?
ざっくり説明したが、どうだ? イメージはできたか! Yaーhaー!