「───ぅ、あれ、ここは……?」
『ネム。ようやく目を覚ましたの? 全くねぼすけなんだから』
リリィの元に《
大規模攻撃の反動で意識を失っていたネムが目を覚ました。
「あの……」
『どうしたネムちゃん? さすがに長く寝すぎて申し訳なく……』
「すいません、
『───ネムちゃん。ちょっとチクッとするけど我慢してね』
「え、いやというかなんで私の名前を……あれ、なんで私そもそも拡張魔導装甲に乗って……っ!?」
ネムの言葉を聞かずに、オペレーターのナハトは拡張魔導装甲に無理やり情報を流し込む。
拡張魔導装甲と繋がっているネムには、いきなり脳に大量の情報を流し込まれたのと同等の衝撃が走り、一瞬痙攣した後に大きく深呼吸をし始める。
「……悪いわ、ね。みっともないところ見せた」
『いやいや。最低限で済んで良かったわよ』
「状況は把握したわ。今のところ、順調ってところね」
ナハトが送った情報は、端的に言ってしまえば大規模攻撃直前のネムの記憶のデータだ。
拡張魔導装甲と一体となることで電子化された記憶情報を予めバックアップとして残し、作戦中に拡張症候群による悪影響が見られた際の保険とする。
ネムの拡張症候群が『記憶の破壊』というピンポイントな症状かつ、消えるのが直近の記憶であることが大きいからこそできる手法。
『作戦に関すること以外で忘れちゃったことは無い?』
「あったら思い出せないわよ」
『それもそうだね。なら悪いけど、今は作戦だけに集中出来る?』
「元からそのつもり」
送り込んだ情報は、今回のポイント9奪還作戦に関するものと、ネムとナハトの基本的な関係、指揮系統に関する簡易な記憶のみ。
それだけでもネムの脳にかかる負荷は計り知れない。これ以上情報を増やせば、一撃で廃人になる危険性すらある。
その危険を理解しながら、あの大規模攻撃が必要であると判断してネムは行った。
だが、今の彼女がその時の彼女と同じなのか。それはナハトですら判別が付かない。
『ネム! ……とりあえず、もう大丈夫みたいだね』
「ロッテ、よね。うん。私の役割は、あんたを目標地点まで送り届けることだもの」
『まったく。ここまでアタシの誘導で飛んできたのによく言うよ。もうその目標地点は目と鼻の先だよ』
既にネムとロッテはポイント9のエリア内に入っていた。
あと数分で目標地点に到達する。そうなれば、そこで数分ロッテを守れば無事『散華』を達さられる。
『……と、さすがに簡単にはいかないか』
「ロッテ、後ろに下がって。あんたを送り届けるのが私の任務なんだから」
だが、その中に彼女達を無視せずに待ち構える姿が幾つか。
外見も魔力の反応も通常種とは異なる得意個体。それも
『
二人の意識を最も割いたのは、まるでボスであるかのように最奥に鎮座する巨大な
牛の首から上だけを切り取り、体に角や耳を生やしたかのような奇怪な形状。捻れた角や耳は翼のようにも見えなく無い。それでいて大きさは
「魔力の反応はそこまで大きくないけど……妙な反応ね」
『
「……ナハト、解析は?」
『今解析中。普通の
気味が悪い、というのは全ての
タールのような体液を纏い、得意個体なんて全身に目を生やしてばっかりだし、どいつもこいつもまるでこの世界全ての歴史を嘲笑うかのように生物や道具をパッチワークでもしたかのような外見をしている。
そんな
ネムはその直感を信じ、直接の接触を避けることを考える。
その思念を感じ取ったロッテもまた、他の特異個体を引き寄せて、最奥の巨大個体から引き離した上で処理。その後迂回して目標地点まで到達を提案。
二人のオペレーターもそれを承諾。
すぐさまネムが巨大個体の動きに細心の注意を払いつつ、ロッテは装甲を硬めて他の特異個体を引き付けつつ巨大個体からは距離を取る。
ここまでの動きに判断の遅れは一切無かった。
全員が冷静に、正確に状況を分析して最適な動きを行った。
『ネム、あの巨大個体の名前が決まった。とりあえず
「物騒な名前ね」
古い神話で迷宮の中で人を喰らい続けたとされる牛頭の化け物の名。
頭のない牛に名付けるには皮肉な名前だと思いながらも、ネムは目標にいつでも異能を撃ち込めるように構える。
動きは緩慢で魔力の反応も強大であるが動きが凪いでいる。
すぐに何かをしてくる様子は無いが、何かしたらすぐにでも対処できるように──────。
「瞳が───」
『魔力の動きはない。でも念の為中止して───』
その瞳が、嗤う。
知性も理性も感じられないと言うのに、確かな悪意を宿らせて。
「ごめん、なさい」
『ネム? ちょっとネム、聞こえて』
「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! ごめんなさい……ごめんなさい!」
次の瞬間、ネムの駆る《
落ちる訳では無いが、上昇したり進む訳でもない。その場で停止すること以外の操作をネムが行っていない。
ネムが自分からその場に留まっている。
『ネム!? 何が起きたの! 状況は!?』
「ごめんなさいごめんなさい! 助けられなくてごめんなさい、弱くてごめんなさい、私だけが生きててごめんなさい!」
明らかな錯乱状態。
共有した意識からナハトに流れてくる感情は、罪悪感。
幻覚、あるいは精神干渉。
罪悪感を刺激され、まともな判断が行えなくなっている状態だ。だが不可思議なのはあくまでナハトにはその感覚が、
この世界には異能なんて呼ばれる不思議な現象があるが、それにはあくまでメカニズムが存在する。
ネムが
だがナハトには、ネムを通して伝わってくる彼女の罪悪感以上の変化が無い。
「各員通達! 《
『ネムさんも……!? 誰か、誰かロッテが!』
「っ、嘘……《
ネムの視界越しにナハトの目にははっきりと、《
《
目標地点まではまだ少し距離がある。そこまで連れて行けるか? 無理だ。華人形が先行している以上、援護は望めないし華人形が動けない状況で特異個体10体の処理は難しい。
「カドラエーナ! 《
『ダメです! 同調まで解除! 華人形の生死不明!』
脳裏に過ぎるのは作戦失敗の四文字。
現状の最強戦力であるネムと、作戦の最重要人物であるロッテが行動不能になり、敵の攻撃の正体すら掴めない。
「カドラエーナ、こっちの観測情報をリアルタイムで送るわ。負担脳がちょっと焼けるだろうけど、耐えてね!」
『了解! ぐっ……ぅ!? ……共有、完了しました!』
ネムの機体のセンサー越しに、二人のオペレーターは周囲の状況を確認する。
ネムは空中で停止、ロッテは墜落。ネムの方はともかく、ロッテはすぐにでも回収しなければ敵に華人形と拡張魔導装甲が奪われるという最悪の事態が発生しかねない。
そのはず、なのだが。
『
「特異個体も動きはなし。魔力反応も相変わらず凪いでいるわね」
二人は同調した意識の中で幾つかの可能性を思案する。
周囲の特異個体全てが同調して行う何らかの精神攻撃か?
それならば通常個体までロッテを避けて進軍を続けている理由にならない。
行動不能にしてきた正体不明の攻撃はエネルギーを大量に使うため動けない?
それも同じ理由で考えづらい。
『ならば可能性は───』
「反撃を警戒している。ロッテ達は通信不能で動けなくなっているけれど、
その仮説を実証するかのように、流れから外れた一体の
『ナハトさんこれって……』
「そうね」
状況は最悪。
作戦失敗は目の前まで迫り、失敗の中でも最悪の華人形の喪失及び敵による捕獲が過ぎっている。
それでもまだ、その最悪は人類を追い抜いてはいなかった。
◆
「近づいたら華人形が動けなくなる特異個体、か」
『仮称は
「精神干渉なら真っ先に死ぬのは同調しているオペレーターだからな」
『その通りだ。そして現在、目標の特殊能力の範囲外から核を貫ける可能性があるのは……』
「なるほど。
元々
リミッターを外し、その本来の性能を引き出せる
『言う必要も無いだろうが、お前の狙撃が失敗したら人類は負けだ。二体の、それも最強クラスの華人形と拡張魔導装甲を失い、撤退するしかない。そうなれば二度と攻勢の機会は訪れない』
「死んでもそうさせなければいい。それだけの話でしょ」
持ち場を離れ、
こうしている間にも
ネムの大規模攻撃が予想よりも有効だった為か、少しは余裕があるがそれでも長引けば長引くほどこちらの不利になる。
この作戦の最終目標であるポイント9の奪還の為には、現在の第一結界の出力範囲を変える必要がある。
その為には一度、第一結界を消失させる必要があるのだ。
その瞬間までに、どれだけ各戦線の戦力を温存できるかの勝負。
つまり我らの状況は現在大ピンチ。
ここで
加えて、ネムのバイタルは現在異常な値を出し続け、いつ死に関わるような変調が現れてもおかしくは無いと言う。
あれこれ考えている余裕はない。
まずは長距離狙撃で能力範囲外から
『念の為視認から補足までは俺が行う。だが……』
「魔力を使う
幾ら感覚を同調しても、華人形の視力と感覚器官をフルに活かさないとこの距離からの狙撃はできない。
そもそも、一度死ぬほどの負傷を受けて再生するというサイクルを挟む手前、発射の直前に一瞬だけ同調を切らなければならないので、それで照準がブレる可能性も考えれば
『異常を感じたらすぐにでも全感覚器をシャットアウトだ。わかってるな?』
「わかってる。でも時間が無い。
『……了承する。悪いが、死んでも
レガンもさすがにこの状況では優先順位をつけるしかない。
現状優先すべきはロッテとネムの安全。それを助けられるなら華人形一機の犠牲は許容範囲内。
だから、この一撃はたとえ
『───照準固定完了。感覚器官を復活するまで五秒前。三、二、一……』
視界が開けた瞬間、全ての思考を置き去りにして目標を捉え、引き金を引く。ただそれだけを考えていた。それ以外の思考なんて、自分が何者かですら忘れてしまうくらいの気持ちでいた。
だが視界が開けた瞬間、
『た、たすすたすすたすすすすたす、たすけけけけすけ、すけけけて?』
その瞬間に脳内には何人もの人間の声をかき混ぜたかのような奇怪な音声が迸り、同時に体の動きが止まる。
『───おい、リリィ! どうした! 何があった!』
全身から力が抜ける。
今の
主砲に貯めていたエネルギーも霧散し、飛行を維持できずそのまま地面へと落ちていく。
『リリィ、リリィ! くそ、応答しろ!』
しかし幸運にも、
必死に震える唇を動かして、掠れた声で何とか一言、絞り出す。
「ごめん、なさい……」
『同じ症状か……クソッ! 機械の観測越しだった! 光信号や音声の可能性も考慮してたはずだ!』
違う。
言葉にしたいのはそんな言葉では無いのに、喉がこれ以外の言葉を形に出来なくなってしまっている。
華人形に存在を認識された瞬間、カウンターのように取り込んだ人間の悲鳴や苦痛情報を何倍にも増幅して放射する。
人間にとってはそれは戦場における大量の死。
だが、共感能力の高い華人形にとってはそれは致命の猛毒だ。
百はくだらない人間の、何千倍、何万倍にも増幅された不安や恐怖をそのまま叩き込まれる。
華人形は
特定の生物だけにしか害のない周波数の音波や匂いなどの、精神干渉版とでも言うべきだろう。
精神や肉体が頑強な華人形であるが、唯一他者の死や苦しみといった感情にのみは過剰に反応してしまう。その弱点を突いた、華人形の天敵。
自分が元々は人間であるという自覚があり、華人形としての自覚が薄い
これが純正の華人形ならば、恐らく何一つ考えることも出来なくなる。
ただひたすらに助けられなかった人々への謝罪を口にし続け、その原因となった
「レ、ガン……」
『リリィ! 何があった! お前の体に何が起きている!』
この情報だけでも伝えないといけないのに。
どうにかして必死に言葉を振り絞ろうとしても、出てくるのは───。
「ごめん、なさい……助けられなくて、ごめんなさい……弱くて、ごめんなさい……
体はただ、浴びせられる苦痛や恐怖の感覚に謝罪を続けることしか出来ない。それこそが一番の弱さだとわかっていても、そう思ってしまえばまたそれを謝ることだけに全能力が割かれる。
それでも。
伝えられないということは、伝えられた。
だからあとは賭けるしかない。
『伝えられないんだな?』
レガンのその言葉に、返答することは出来なかった。
体を小さく丸めようとして、涙を流しながら震えることしか
『わかった。リリィ、この戦い勝つぞ。───死んでもな』
死ぬ気で戦っても、死ぬつもりで戦ってはいけない。
彼はいつもそう口にしていた。けれど、この時の彼はこの戦場の誰よりも。
自分がここで死ぬことを理解して、それでも前に進むことを選んだんだ。