『戦線が突破されている。
「…………」
『おっと、白紙になるって言っても、元々アンタが参加する前提だからその部分が組みなおしになるだけだ。間違っても自殺なんてすんなよ』
「わかってるよ。するかよそんなこと」
あの後ポイント9奪還作戦と───ロッテの『散華』は
人類初の領土奪還作戦。
それに伴う準備の為に戦線の動きが停滞したところを、
「第一結界が破壊されたわけでは、ないんだよな?」
『それは心配するな。そうなったらこんな呑気にブリーフィングも出来やしねぇよ』
人類の生存権を護る三重結界。
その第一層は、常に流動し強度の高い地点と低い地点が存在する。
欠点をあげるとすればそれは、
故に人類の正確な生存権はより強度の高い第二結界の内側ということになる。第一結界と第二結界の間は、常に
現在その第一第二結界間の状況は、一部分を
前線を下げられたり、少しでもこちらが痛手を受ければいつでも状況は向こうに傾き、この領域は放棄しなければならないかもしれない。
それを避けるためにも、近郊で最も
『《
「言われなくたってわかってるよ。───《
その宣言と共に、俺の意識が鉄の塊に接続され、中に流し込まれる。
魂という鋼を一度溶かし、別の型に流し込むかのような所業。終わった時、果たして本当にそれが同じ形に戻っているのか、同じ硬さに戻っているのか。
そんなことを考えている余裕は、視界に広がる黒泥の群れを見ればすぐになくなってしまった。
◆
彼はどこにでもいる普通の兵士だった。
生家は第二結界の内側にあるが、裕福という訳でもない農家。そうするのが当たり前だから軍人となり、東部戦線の前線部隊に入り。
そこでこの世の地獄を知った。
初めてその姿を見たのは、隣にいた仲の良い同期が頭から齧りつかれて、残った下半身が彼らの体液に犯されて痙攣しながら、ゆっくりと
100年前から人類を追い詰めている天敵。
散々親からも、学校でも聞いたその姿、その恐怖は理解しているつもりだった。
猟犬型は図体が大きく最高速度こそ速いが、決して身軽でなければ知能も高くない。
理解している。
理解していた。
わかっているのに、恐怖というものはいつだって理解の外に在るものだった。
「バカ、銃なんか握るな! 撤退だ! 間違いなく特異個体がいるんだってよ!
「で、でも……ほんとに、ほんとにあんなの止められるのか!?」
「俺だって知らねぇよ! でも命令でそう言われてんなら信じるしかねぇだろ!」
軍の上層部は決して自分達を見殺しにはしない。
そして同時に無駄死にもさせない。撤退命令ということは、今ここで戦っても勝ち目がないということだ。
だが、考えてしまう。
「だから、さっさと後方にしゃ」
隣に立っていた同期の男の体が、突然飛来した岩石によって吹き飛ばされ、凡そ人の形を保っていない肉の塊となりながら吹っ飛んでいった。
一瞬遅れて衝撃で吹き飛んだ彼は、すぐに顔を上げて敵の姿を目に移す。
猟犬型と同じ姿であるが、背部に砲台のような器官が付いている。あれも一般的な
そして、その後ろから続々と現れる猟犬型。
地を覆い尽くさんばかりの軍勢、その全てに彼は生物としての意志を感じられなかった。
何故人間を殺すのか、彼ら自身何も理解していないかのような。
どこまでも冷たく、無感動な殺意。生物が行うにしては残虐過ぎるのに、どこか無機質的な虐殺行為。
既存の生物のパーツを無理やりちぎり、繋ぎ合わせ、腐敗させた上で犬の形になるように捏ね回したかのような異形の群れが一歩ずつ、人類の領域に迫り来る。
彼は理解していなかった。
本当の恐怖は死ぬことなどではない。自らの尊厳が侵されることでは無い。
この無機質で無感動な殺戮の尖兵が、何も考えていないかのような虐殺を自分の故郷にいる家族たちにも行うかもしれないこと。
自分達が紡いできた日々が、歴史が、この腐肉の一部になる為だけになんの理解もなく食い散らかされること。
それだけは人間として許してならない。
たった1cmでも、こいつらが愛する人達の住む場所に近づくことを許してしまえば、いつか必ずその牙は彼らに届いてしまう。
そもそも、こんな目の前に迫っていてもう逃げられるわけが無いのだから。
『そこの方、すぐに下がってください!』
兵士が決死の覚悟の突撃を行おうとした、まさにその時。
上空から聞こえてくる、少女の声。そして一瞬遅れて降り注いだ機銃の掃射。
大口径のそれによる掃射は、
思わず上に目を向けた兵士の目に映ったのは、巨大なツバメのような鉄の塊。
人類が
拡張魔導装甲第八番機。
現機体識別コード《
『ここは
機械仕掛けの天使の、優しく透き通ったその声を。
彼はきっと死んでも忘れないだろうと思った。
◆
『よし、今ので撤退支援は完了した。直に砲撃が始まるから、当たるんじゃねぇぞ!』
「当てないように砲撃させろ!」
歩兵の撤退を確認すると同時に、背後の砲台達が火を噴き始めた。
大雑把な砲撃よりは近距離での掃射が幾らか効果的なのだが、有効射程にある機銃群のエリアは今更人が近づける状況ではない。
『装甲車と砲台の位置と砲撃予測を順次脳に叩き込む。止まるなよ』
「了解」
『お前の役目は足止めだ。《
拡張魔導装甲と一体化している間、
正確には生物では無い妖精ならではの利点。通信で送り込まれた情報はすぐさま脳で処理され、それを参考に自分の動きを他人事のように機械群へと命令していく。
「確認できるのは猟犬型と砲撃型。これくらいなら
背後から迫る砲撃の雨を、軽く機体を揺らして避け、大地が炎に包まれると同時に
元々魔力の流れでものを見る、ということに長ける妖精種の感覚を機械で増強、拡張することによって一体化中は文字通り全方位に目が付いたかのような感覚。
そして、魔力探知によって
『火器の制御を一部こっちに回せ』
「
『それは無理だが、今は手が欲しい』
元から断る理由もないし、そう言ってくるレガンに一部重火器の使用権限を渡す。
華人形の専属オペレーターは、華人形と常時更新可能な特殊な通信機器を使用しているが、これはいわば『感覚の共有』である為、あまり使い過ぎるのは良くない。
だがレガンの言う通り、今は手が少しでも欲しい。
「無駄弾はやめろよな」
『アンタと比べたら、この世界中全員無駄弾撃ちだろうよ』
減らず口と共に、自分の体が勝手に動かされるような感覚。そして機銃の一門が起動し眼下の
銃は前世でも握っていたが、今世では銃を握ると言うよりは、銃そのものになるような感覚。
それからいつものように、引き金を
何度も繰り返してきて、何度も訓練してきて、何度も想定してきた動き。
だから、
単発式大口径対
『……相変わらず、射撃の精度だけは文句無しに一番だな』
「射撃が上手いくらいで何になるってんだか。ほら、無駄弾撃ちは手を止めないで射撃に集中しろ」
『射撃中は妙にふてぶてしくなるよなアンタ……』
猟犬型は対空攻撃を持たない。だから殲滅するのは華人形にとって難しくない。
砲撃型も、背中の大砲型の器官から放たれる投擲攻撃はダメージにこそなり得るが、弾道予測と拡張魔導装甲の機動力にとってはほぼ当たらない。
だから、
この状態を永遠に保てるならの話であるが。
「っ、ぁ……っぐぅ、ぅ……戦闘開始から、どれくらい経った?」
『5時間と少しだな。よくやったよ』
想定よりも
今回の戦闘の目的が、下げられた前線の奪還と
故に、その間
頭の中に刻まれた情報によれば、人類側も奇襲からの立て直しに成功し装甲車や歩兵が戦線に戻りつつあった。
華人形の全力でのフル稼働の制限時間は、約4時間。
それ以上になれば拡張症候群の悪化と意識拡張による精神疲労が深刻化する。
『そろそろ前線は安定化してきた。《
「……それもそうだ。了解」
ロッテが居ない故に前線維持なんて仕事に引き出されてしまったが、本来の
魔力の方は幸いにもまだ余裕があるし、これなら数分寝れば立って歩ける程度には回復できる。
帰投するべく戦場とは逆方向に進行方向を定めた時。
連続戦闘で疲弊し切った意識の隙間を縫うように、鋭い視線が
『ッ、回避───』
「え?」
直後、
「いづぅ!? っ、ぁ、アァ!?」
だが、鉄の中に染み込んだ
痛みが意識を支配し、既に疲労により限界を迎えていた脳はあっさりと処理能力の限界を迎え、電源を落とすかのように意識が途切れた。
『オペレーター』
華人形と戦闘中意識をシンクロさせ、援護を行う役職。
極めて高度な情報処理能力と思考能力が求められる為、適正を持つものは少ない。
華人形とのシンクロは華人形が追う全ての感覚を軽度で共有するということであり、華人形を通してのものでもその精神への負担は計り知れない。最大でも3年程度で拡張症候群により退役するか、精神崩壊により死亡する。
レガンはリリィと組んで4年目である。
『《
リリィが搭乗している拡張魔導装甲の名前であり、彼女の識別コード。
拡張魔導装甲の形状はツバメのようだと表現される。最低限の射撃装備以外は機動力と収容に機能を割いており、戦場で負傷兵を回収、治療することが可能。反面、火力と防御力に関しては他の拡張魔導装甲と比べれば劣る。
そもそも異能が火力に貢献しない時点で、攻撃兵器としての価値は皆無に等しいが、リリィは卓越した射撃能力によってそれを補っている。
リリィ程の射撃能力がなければ、彼女の異能ではそもそも拡張魔導装甲を与えられることもなかった。
『射撃』
前世からリリィは射撃が大の得意で、よっぽどの悪環境でない限り射程距離内で的を外すことは無い。
拡張魔導装甲で感覚器官を強化すれば、一回の射撃で基本的に
射撃の腕はリリィ>>>レガン>ネム>>>ロッテ。