「ネムちゃーん。リリィちゃん目を覚ましたってよ〜」
「なんでそれ、私に言うわけ?」
「知りたいかな〜って思って」
猫なで声で話しかけてくる己のオペレーター、ナハト・ヴィナの声と顔全てに一切苛立ちを隠さずに、ネム・アーカイブはベッドの上から起き上がった。
「アイツ、さすがに今度こそ下ろされるでしょ」
「そうねぇ。今回は右腕の切断、臓器の一部機能変調、そして過度の疲労による脳へのダメージ。なんで死んでないのかしらね」
華人形は人間よりも丈夫である。
それは拡張魔導装甲に乗れる点からも明らかであるが、その中でもリリィのそれは常軌を逸している。
何せ、拡張症候群による肉体の変質とそれに伴う右腕と一部の臓器切除。
それを行ったあとで、負傷兵の治療を魔力の限界まで行い、その結果として体力と魔力の限界で倒れたというのだから。
「本人の体も治癒の対象、ということでしょうけどあの子の異能は治癒対象が複雑であればあるほど体力の消費が大きい。……理論上は数日まともに動ける状態じゃないのに、そんな状態で治癒を続けたらそりゃあ、ねぇ?」
「何が言いたいのよ。私、はっきりしないの嫌いなんだけど」
「お見舞い行ってあげなさいよ〜」
「いくわけないでしょ」
人間の少女向けの雑誌を開いて、ネムはどうにかしてリリィのことを考えないようにしようとした。
「……言いたいことがあるなら伝えた方がいいわよ。ロッテちゃんにもね。死んでからじゃ何もかも遅いんだから」
「うっさい。アンタは私のママにでもなったつもり?」
「なってあげられれば良かったんだけどねぇ」
雑誌の内容をどれだけ読んでも、まるで左耳から右耳へとすり抜けていくかのように頭に入ってこない。
どれだけ忘れようとしても、去り際のリリィの悲しそうな声が頭が消えてはくれない。
「あら、どこ行くのネムちゃん」
「トイレ」
「……長くなりそう?」
「多分」
人間は嫌いだ。
私達を道具みたいに使って生き延びようとしている。簡単に死ぬのに、人間が死ぬと華人形は誰であれ胸が苦しくなってしまう。
そして、人間はみんな華人形の苦しみは理解出来ない。
理解なんて出来ないくせに、わかったように寄り添ってくる。だから大嫌いだ。
嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。
みんなみんな嫌いだ。ネムは何もかもが嫌いだった。こんな世界も、自分も他人も何もかも大嫌い。生きてるだけで吐き気がする。こんな苦しみに満ちた星で生きるだけで頭が痛くなる。
『あの日、お前なんで『死んじゃえばいいのに』なんて言ったんだ?』
多分、あの時の私は余裕がなかったんだと思う。
怖くて仕方がなかった。
ずっと自分を守ってくれる、どんな困難も彼女が入れば大丈夫だと信じていた。そんなリリィが、友達を殺したことを。
殺した、なんて認識とネムの勝手な思い込みだ。
あの時の状況ではああするしか無かった。少し考えればわかることなのに、あの時のネムは何も分からなかった。
信じていた人が友達を殺した。
怒り、不安、恐怖、困惑。
その末にネムは、リリィがした苦渋の選択の価値を台無しにした挙句、瀕死の重傷を負ったネムを蘇生するために、リリィは強く願った。
傷を治す異能が欲しいと、願ってしまったんだ。
リリィが傷を治す異能に覚醒したと知って、ネムはすぐにそれが自分のせいであることがわかった。
でも、素直に謝れるほどあの時は余裕がなかったんだ。本当に訳分からなくて、リリィの姿を見るだけで自分も殺されるんじゃないかっていう妄想に囚われて、自分のせいでリリィが『治癒』だなんて言うあまりに役に立たない異能に覚醒してしまったんだって。
だから、もう消えたかった。
自分もリリィも、何もかも消えてしまえば楽になると思っていた。
だから───『死んじゃえばいいのに』なんて言う主語の欠けた発言をしてしまった。
「多分、そんなところよね。当時の私の気持ちって」
長い廊下を歩きながら、再確認するようにそう呟く。
それはネムの記憶。
ネムは当時のことを何一つ忘れずに覚えていた。覚えていたけれど、それを
実感がないのだ。
まるで面白くもない他人の自伝を本で読んだかのような、その記憶に纏わる感情が欠落してしまっている。
自分とリリィの間にある確執の理由は、推測すれば分かる。
けれどそれは当時のネムが抱いた感情と地続きではない。あくまでその記憶を参照にした、感情の模倣。
大袈裟な言い方をすれば、今のネムは拡張症候群によって生まれた別の人格。
リリィ達と共にあの『花園』で過ごした記憶を持つネムは、既にこの世界のどこにもいないのだ。
それでも『ネム』はリリィのことが大切だ。
大切であり、やっぱり嫌いだ。自分なんかの為に未来を捨てたバカ。そんな彼女の気持ちを考えてやることも出来なかった愚かな昔の自分。
何もかも謝って、終わりにしてしまいたい。
けれど、そこまでの感情をネムはもう込めることが出来なくなってしまっていた。
「なんて言えば、いいんだろうな」
いつの間にか、リリィの病室へ向かう足は止まっていた。
なんでこんなに大好きだったのかも、なんでこんなに大嫌いなのかも、ネムはもう、自分の感情としてそれを理解できなくなってしまっていた。
体は進みたい方向と逆を向いている。
だって今更何を言えばいい? あの日のことを謝ったとして、自分にとって他人事のようにしか思えないそれに、私はどれだけの感情を込められる?
何より、お前がそんな半端な異能で無理して戦線に立ってまで守ろうとした妹分は、とっくの昔に死んだも同然だったと。
そんなこと伝えて、誰が得をする?
得をするとしたら、それはネムだけなのだ。傷つけて、奪って、台無しにして。その上でこんな痛ましい心だけ残して、記憶の価値すら思い出せなくなった女だけが救われるなんて、そんなのだけは間違っている。
私達の関係は、もう終わってしまっているのだから。
◆
「ひでぇ顔だな。そういう顔をしたいのは俺の方なんだけど」
「……夢を見たんだ。お前の娘を、殺した時の夢」
「なんだ? 殴って欲しいのか?」
「そうだな……。殴って欲しいんだよ
「じゃあ殴ってやんね。俺、アンタのこと嫌いだから」
一人格納庫で黄昏ていると、いつの間にか隣にレガンが立っていた。
「悪い。命令を無視した」
「まぁそうだな。さすがにそろそろ庇いきれねぇぞ。このままじゃお前、拡張魔導装甲から下ろされるな」
元々
それを
そうまでしてでも、戦場の最前線に立ちたかった。
力がなくても、自分なり方法で何かを守りたかった───なんて、高尚な理由ではない。
前にネムに言われた通り、逃げる勇気がなかったんだ。
今更実力が足りないなんて理由で戦場から下がることが出来ない。
「誰かの為に戦うことは、失敗したんだ。だって
「だから自分を犠牲にして戦うってか? バカバカしい。ほんと、アンタは馬鹿でクズで救いようがない」
「……だよな」
「はぁ。反論しろっての、お姫様。まぁ戦って死にたい気持ちはわかるけど、このままじゃ足でまといにしかならないって話なんだ」
特異個体は強大な存在だが、華人形にとっては倒せて当たり前の存在。特に
今まで騙し騙しやって来たが、今回の失態でロッテの『散華』作戦から外される可能性すらある。
「守りたいとか言ってるのにさ。結局ネムに助けられて、ロッテはもうすぐ散華。
「アンタらしくないな。現実を見ないで無理するのが十八番だろ」
……さすがにそろそろ、我慢の限界が来る。
いや、我慢してるのは向こうなのはわかっている。レガンは今この瞬間も
それでもさぁ……それでもだよ。
「
言った、言ってしまった。
呼吸が荒くなって、右腕の傷が開き包帯の下に嫌な痛みが走る。
自分の不甲斐なさが根本的な原因なことはわかっている。
だからこそどうしようもないんだ。全ての理由が、
今回の特異個体との戦闘で、それから目を逸らすことすら許されなくなってしまって、自分で思う以上に精神がまいってしまっている。
「ごめん……ごめんなさい。
「───いや。嬉しいぜリリィ。お前がそんなに苦しんでいるなら、俺もここまで頑張ったかいがあるってもんだ」
本当に心の底から嬉しそうに、レガンはそう口にした。
「だが勘違いするな。俺がアンタを許してないのは、アンタが自分を許してないからだ」
「それじゃあ、一生許されることは無いな」
「だろうな。だから一緒に地獄に落ちてやるつもりだ。どれだけ悲鳴をあげようとも、戦うってんなら俺は最後までお前を使い潰してやる」
そう言いながらレガンは紙の束を
「これは……?」
「まぁ読んでみろって」
「……読めない」
「あ?」
前の戦闘……と言うよりは、拡張症候群のせいで右腕を切断せざるを得なかったこと。
実はその右腕はまだ治癒していないのだ。切ってすぐは無理やり縫い合わせて止血して、持てる魔力は全部負傷兵の治癒に使ったし。今日まで残ってた体力は内臓の治癒に使っていたしで、三角巾と包帯の下はまだ肘の少し先以降が生えてきていない。
「あ〜……くそっ、しょうがねぇな」
「その、なんかごめん」
「うるせぇ。黙って読んでろ」
なのでレガンは絵本を読み聞かせるかのような体勢で、俺にその資料の内容を見せてくれた。
内容は一言で纏めてしまえば、拡張魔導装甲の新武装のものだ。
魔力理論を元にした今までにない出力の長距離砲。完成すれば今まで技術的に不可能だった、
それ以外にも爆撃、近接戦闘、制圧射撃。
どれも実用化すれば、俺クラスの魔力でも特異個体相手に有利に戦闘を進められるほど画期的な武装だ。
「これがあれば、お前でも最前線で戦える。それどころか、拡張魔導装甲に乗せる華人形の数は軽く見積って倍増するだろう。……まぁ簡単に作れるわけじゃないからそこまでは増えないだろうが」
「なんでこんなのがあるならさっさと出さなかったんだよ」
「理由は単純明快。使ったら死ぬからだ」
なんてことの無いことのように、淡々と説明が続く。
「魔力を効率的に使おうとすると、どうしても神経回路の深層接続が必要になる。現在の技術ではリミッターをつけて禁止している領域に、お前達の意識を送り込んで操作しなければこの武装は使えない。そもそも、まだテスト段階だしな」
それはつまり、使えば拡張症候群が一気に進むということだ。
「だが、お前の拡張症候群は実質的な肉体へのダメージ。致命的な部位が変わらない限りは、何度でも置換された部位を切除、自分の異能で治すを繰り返せる」
「……建前はいい。
「実験台になれ。この研究が進めば、人類の戦力は倍増どころじゃない。何より、今お前が仲間達の戦場に立つためには、これを使うしかないんだからな」
神様がこの世界にいるのならば、まずは今までの行いを悔い改めさせてぶち殺してやりたいところだ。
だが、今日ばかりは感謝したい。
こんな
これでまだ戦える。
まだ
「……何笑ってやがんだよ、気持ち悪い」
「ありがとう。ありがとな、レガン」
「本当に。アンタって、救われねぇよな」
『拡張症候群』
リリィの場合
機械との境界喪失。長時間の搭乗で徐々に肉体が鉱物に変質する。最初期は肌の一部や髪や爪などだけで済んでいたが、現在は内臓や神経にまで変質が及ぶようになり、部位によっては搭乗中の即死の危険性が考えられている。
ロッテの場合
破滅願望。自他問わず物質を破壊したり、現象を終わらせたりしたいという激しい欲求。小動物の殺害や物質の焼却、自身の肉体の物理的損傷などでしか快楽を感じられなくなる。症状初期はギャンブルによる破滅的行動という形で誤魔化していたが、現在は抑えきれない段階まで進行している。
ネムの場合
詳細不明。記憶喪失の類と思われているが、失われるのは記憶そのものではなく、記憶の『価値』。記憶を客観的な視点でしか認識できなくなり、大切な思い出が無数の情報の一つに成り下がる。自分という形があるのに、その形がどうやって形作られているかを認識出来なくなる。これに伴いネムは過去に関することに触れられると激しい恐怖と苦痛を覚えるようになっている。
これらの拡張症候群の症状は、各華人形のオペレーターも軽度であるが発症している。