問題だらけで草ァ!! -Under the Flag-<2nd Season> 作:白鷺 葵
1.この作品は『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版です。
2.『ガンダム00』を原作に、アニメ版『地球へ...』、及び『スーパーロボット大戦』や『Gジェネレーション』シリーズ等の要素とクロスオーバーしています。
3.主人公含め、オリキャラが多数登場します。
4.キャラ改変や原作崩壊、原作死亡キャラの生存要素があります。
5.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)
6.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)
7.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)
8.基本はギャグとラブコメ色強めですが、時々シリアスになります。
9.読了後に如何なる負の感情を抱かれても、書き手にはどうすることもできません。
10.『◆◆◇』が「虚憶⇒現実」、『◇◇◆』が「現実⇒虚憶」、『◆◆◆』が「虚憶⇒虚憶」、『◇◇◇』が「現実⇒現実」、『◆』が「特殊な意味合いが含まれている」場面転換、及び視点切り替えになります。
11.『*』は「短時間経過での場面転換・視点はそのまま」、『**』及び『***』が「長時間経過での場面転換・視点はそのまま」を意味しています。
12.良くも悪くも飯テロ要素があります。注意してください。
13.この小説は2023年の10月時点で明らかになっている情報をベースにして執筆しているため、後の公式作品で発表・開示された情報とは矛盾が発生する可能性があります。
上記が大丈夫の方は、本編をお楽しみください。
『まるで、片思いの純情少年だな』
パトリック・コーラサワー――仕事中は旧姓を使っている。本名はパトリック・マネキン――が言っていた言葉が、脳裏によぎる。
思い返せば、グラハム・エーカーはずっと、“革新者”を追い続けていた。最初はずっと、一方的に“彼女”への愛を叫んでいた。
しかしながら、今の自分にはもう、その資格はない。……“彼女”の瞳を見つめる勇気も、“彼女”に下げる面もなかった。
それでも、“革新者”の力になりたかった。その想いに突き動かされるような形で、グラハムは時獄事変と今回の戦いに参戦している。
ふと、グラハムは足を止めた。ブリーフィングルームの中は活気に満ちていた。
Z-BULEの仲間たちが楽しそうに談笑している。その中には、“革新者”の姿があった。
「あ……」
振り絞ろうとしたなけなしの勇気は一瞬で拡散した。“革新者”の隣には、共に戦った盟友である少年――ヒイロ・ユイの姿があったためだ。
破界事変と再世戦争を経た“革新者”とヒイロは深い絆で結ばれている。2人の姿は、グラハムにとって、あまり見ていたくない光景だった。
伸ばしかけた手を下し、グラハムは逃げるようにして背を向けた。どこかへ行く当てもない。あるのは“ここにいてはいけない”という予感だけだった。
(……何をしているんだ、私は)
壁に背を預けて、グラハムは深々と息を吐いた。込み上げてくるものを押し殺そうと、左手で目を覆った。女々しいにも程があるだろう。
再世戦争が終わり、深い闇から這い出ることができた――否、“革新者”や親友たちに救われた後も、グラハムに纏わりつく影は消えない。
たとえそれが己の意志でなくとも、“彼女”と敵対する相手に魂を売った。奪われたものが魂だけなら、まだマシだったであろう。
本意でなくても『“革新者”を裏切った』という事実は、グラハムの中に傷を残している。胸を張って“革新者”と向き合えないのもその傷が起因していた。
“彼女”を裏切った己自身を、未だにグラハムは赦せずにいる。同時に、“彼女”も、愚かにならざるを得なかったグラハムを赦してくれるとは思えない。
更なる無様を晒しかける己を支えたのは、“革新者”を想い続けることだった。傀儡と成り果てた再世戦争でも、その想いがあったから前を向くことができたのだ。ここに『還って』くることができた。
もう向けることすら赦されぬ想いを抱えるように、グラハムは俯く。本来ならば、想い続けることすら罪深いことなのかもしれない。
何もかもが許されなくなったとしても、それだけは奪われたくなかった。やっと手にした答えを手放すつもりは毛頭ない。
――それさえあれば、きっと、グラハムは生きていける。
「グラハム・エーカー」
かつ、と、足音が響いた。感じた気配に顔を上げれば、“革新者”が佇んでいる。グラハムは大きく目を見開いた。舌が張り付いてしまったかのように動かなくなる。酸欠の金魚のように、はく、と、小さな息が漏れた。
足が動かない。ここにいるべきではないとわかっているのに、ここから離れたくないと望む自分がいた。心臓が早鐘を鳴らす。彷徨うように伸びた手は、“彼女”に届かない位置で動きを止めた。中途半端である。まるで、今のグラハム自身のようだ。
「グラハム」
“革新者”の声が静かに響く。グラハムは、顔を上げることができなかった。
「……グラハム」
“革新者”の声がかすかに震えた。グラハムは恐る恐る顔を上げる。
声の通り、“彼女”は静かな面持ちでこちらを見上げていた。
哀しげ/愛おしげな眼差しが、こちらに向けられている。
侮蔑の視線を向けられる覚悟は固めていたけれど、哀しげ/愛おしげな眼差しを向けられるとは思っていなかった。どうすればいいのかわからなくて、グラハムは狼狽する。
“革新者”は表情を緩ませた。本当に些細な変化だけれど、“彼女”をずっと見つめ続けたグラハムには“それが“彼女”の笑顔”だとわかっていた。笑いかけてくれたのだ。
「“革新者”……」
情けない声が零れた。どこまでも弱々しい声だった。
そんな
抱きしめて、想いの丈をぶちまけてしまうかもしれない。あの頃のように“彼女”を傷つけてしまうような気がして、グラハムは俯く。
「……その、私は――」
「クーゴ・ハガネから聞いた。あんたがZ-BULEに合流したのは、俺のためだと」
「!!」
グラハムは思わず目を剥いた。親友は余計なことを言いふらしてくれたらしい。後で嫌味の1つでもぶつけてやらねばなるまい。
いや、それよりも。『“彼女”の力になりたかった』という“おおよそ言葉にできないこと”を、聞かれたくなかった相手に聞かれてしまった。
ちっぽけで安っぽくてしょうもないけれど、グラハムにだってプライドがある。格好良くしていたいというのも、大人としての矜持であった。
聞かれてしまったとなればしょうがない。グラハムは観念したように苦笑した。その笑みには、自嘲の意味がこめられている。
対して、“革新者”は慈しむような眼差しをこちらに向けてきた。
胸が痛い。心臓が悲鳴を上げた。“彼女”が微笑む。
「ありがとう、グラハム。……あんたが来てくれて、よかった」
その
赦すとか赦さないとかの問題ではない。“革新者”は最初からグラハムを拒絶していなかった。その事実が、グラハムの胸にじわじわと沁みてくる。
自分が馬鹿馬鹿しい程遠回りしていることに気づいてしまい、ますます
「やっと笑ったな」
「そっちの方があんたらしい」――“彼女”は安心したように微笑んだ。
しかし、少し悲しそうに苦笑して目を伏せる。
「あんたが辛そうな顔をしていたのに、俺は何もできなかった。……すまない」
その言葉に、グラハムははっと息を飲む。
“彼女”を傷つけるだけの存在になってしまったと思い知るのが怖かった。“彼女”に拒絶されるのが怖かった。
耳をふさぎ、視線を逸らし、背を向けた。それが、“彼女”を傷つけることだったと言うのに。
グラハムは深々と息を吐いた。やはり自分は、人間としてまだまだ未熟者のようだ。
「“革新者”」
躊躇う己を叱咤して、グラハムは言葉を紡ぐ。
「どうした?」
「この場で言うには相応しくない言葉であるのは重々承知している。だが、あえて言わせてもらおう」
グラハムはまっすぐ、“彼女”の眼差しを見返した。いつか見た、優しい双瞼。愛おしい、
「今ここで、キミを抱きしめても構わないだろうか?」
「――――」
“革新者”は目を瞬かせた。ひくりと口元が引きつる。「コイツは何を言っているんだ」と言いたげな眼差しが突き刺さった。そんなことは重々承知である。でも、いや、……やはり。嫌な汗が吹き出し、こめかみを伝って落ちた。どくどくと心臓が騒ぎ始める。
幾何の間をおいた後、“彼女”は深々とため息をついた。「しょうがない」と言いたげに苦笑した後、“革新者”は静かに歩み寄る。グラハムとの距離はすぐに0になった。グラハムも一歩踏み出し、“彼女”を抱きしめる。
“革新者”の温もりを腕に抱いたのはいつぶりだろう。華奢な体を痛いほどに抱きしめながら、グラハムは“彼女”にすり寄る。“革新者”も躊躇うことなく身を任せてくれた。――それだけで、充分だった。
◆
遠くから物音が聞こえてくる。起き抜けのぼんやりした意識ではあるが、それが生活音――料理を作っているときに聞こえてくる音だということは気づいた。
包丁で何かを切る音、フライパンで何かを焼く音、材料や食器を洗う際の流水音がとても心地良い。このまま、とろとろとした眠気に身を任せてしまいたいと思う程度には。
程なくして、良い香りが鼻をくすぐる。食欲をそそる匂いだ。スパイス系の香りだろうか? その間に紛れるようにして、どことなく甘い香りがする。
まどろむ意識のまま手を伸ばす。衣擦れの音とシーツの滑るような感覚があるだけで、何度か空を切った。傍にあるはずだと思っていた質量や温もりがないことに気づいたとき、まどろんでいた意識が一気に覚醒する。案の定、隣はもぬけの空だった。
シーツに残った温度からして、隣にいたはずだった相手がベッドを出てから相当の時間が経過したのであろう。……成程。生活音を出していたのは、先にベッドから出ていた張本人らしい。グラハムはゆっくりと体を起こした。
久々の逢瀬ということで、グラハムは誕生日当日の夕方から長めの休暇届を出した。“革新者”側の事情はよく分からないが、昨日の会話を思い出す限り、こちらと似たようなものなのだろう。“彼女”が拠点としているセーフハウスの内装をしげしげと観察しながら、グラハムは身支度をした。
(……相変わらず、伽藍洞としているな。すぐに離れることを想定しているわけだから、荷物が少ない方が都合がいいのだろうが)
モデルルームと大差ない内装と、“革新者”が持ち込んだであろう僅かな私物。その中に見知ったもの――グラハムが“革新者”に贈ったプレゼントを見かけて、思わず口が緩む。
その他にも、“革新者”が誰かから受け取った品物がちらほらしている。セーフハウスに招待される機会が増えれば増える程、少しづつ、“彼女”の私物――贈り主たちが“彼女”を想う《聲》も増えてきた。
それらすべてに応えるかのように、“革新者”は私物を丁寧に扱っていた。時折、ふとした拍子に穏やかな微笑を浮かべる回数が増えてきたことも、グラハムにとっては嬉しいことだった。
「おはよう、“革新者”」
「ああ、おはよう」
ダイニングに足を踏み入れれば、静かに目を細める“革新者”と、美味しそうな料理が飛び込んでくる。どれも、グラハムには馴染みのない料理だ。
以前、“彼女”が『自分の故郷の料理』と言って送ってくれた手作り菓子は中東のものだった。ということは、テーブルに並んだ料理は故郷の料理なのだろう。
“革新者”に振舞われたとき以外のグラハムにとって、中東料理を食べる機会はそう多くはない。故に、食卓を彩る料理に対して物珍しさを感じるのは当然のことだった。
料理を眺めるグラハムに対して何を思ったのか、“彼女”は苦笑する。
「本当は、昨日の夕餉として振舞う予定だったんだ。1日遅れてしまったが……」
「そんなことはない。気持ちだけでも充分だというのに……今年は贅沢だな。――キミの故郷の料理かな?」
「ああ。……母さんが生きていた頃、一緒に作ったものだ」
もう戻れない過去をなぞるように、或いは悼むように、“革新者”は目を伏せる。そんな“彼女”を、グラハムは静かに見つめていた。
つかず離れずの位置に立って、彼女の心に寄り沿う。親がいないグラハムに何ができるかは分からなかったけれど、何かしてやりたかった。
暫しの沈黙の後、“革新者”に促されて席に着く。“彼女”は居心地悪そうに視線を彷徨わせた後、自分が作った料理の解説を始めた。
『祝い事などで必ず食される』というポピュラーな料理――肉を乗せた炊き込みご飯・カブサ。肉料理の付け合わせとして長い伝統があるパセリメインのサラダ・タブーレ、茹でたひよこ豆やにんにく、スパイス等を混ぜたものの上にきゅうりやビーツを乗せたストリートフード・バリラ。
「それから」と言って言葉を切った“革新者”は、冷蔵庫を開ける。彼女が持ってきたのは小さな陶器。ほのかに漂う甘い香りは、嘗て嗅いだことがあった。その料理の名前は、ウムアリ。中東の言葉で“アリのお母さん”と呼ばれる伝統的なデザートで、祝賀や祭りのときに振舞われるものだ。
パンとバターを使ったプリンのような焼き菓子には、沢山のナッツや乾燥フルーツが入っている。焼く前にすべての材料を牛乳に浸し、その上から砂糖をかけて焼き上げたもの。――“革新者”が初めてグラハムに振舞ってくれた、手作りの菓子だった。
「……次は、いつ作ってやれるか分からないから」
「“革新者”……」
“彼女”は申し訳なさそうに目を伏せた。『暫くの間、グラハムの誕生日を祝ってやれない』と告げたときと同じ顔をしていた。“彼女”にそんな顔をして欲しくないのに、自分には成す術がないと言うのがもどかしい。
グラハムは“革新者”に地球のことを頼まれた身。“彼女”にとって、グラハム・エーカーという人間は“後を頼めるくらいには信頼を置いている相手”なのだろう。不義理と不貞行為を働いて、愚行を繰り返して、前へ進もうとしていた“彼女”の足を引っ張って困らせたというのに、“革新者”は“後を託す相手”としてグラハムを選んでくれた。
去年の誕生日ではろくでもない隠し事をして、“彼女”に内緒で死ぬ覚悟を固めていたというのに、“革新者”は怒らなかった。いつかと同じように手を伸ばし、『生きてくれ』と言ってくれた。そうして今年の誕生日もグラハムの我が儘を叶えてくれて、一夜明けた後も素敵な贈り物を手渡してくれている。
(“彼女”を愛する男として、私に出来ることは――)
『想いを口に出すのは無粋になりがちだ』
『だが、時には口に出さねば相手の心に想いが響かぬ時もある』
――不意に、ノイズ塗れの
見知らぬ場所の、見知らぬ施設内部。新たな一歩として旅立つ者たちと、そんな旅人たちを見送る誰か。旅立つ者たちから『共に来て欲しい』と希われていたニュータイプの少年は、『箱を開けた責任を果たす』と言って地球に残った。ザビ家の末裔の傍に居ることを選んだのだ。
外宇宙への旅路へ志願した者の中には、戦時特例による司法取引で無罪放免となった者もいる。彼らは“革新者”と共に旅立つことを望んでいたようだ。彼らの想いを感じ取った“革新者”は敢えて何も語らないことにしたようだが、そんな“彼女”に苦言を呈した者がいた。今の言葉は、そのうちの片方が“彼女”に語ったことだった。
男性のソレは、苦言というよりはアドバイスに近い。それは嘗て自分が経験したことであり、“革新者”から教わったことでもあった。同時に、嘗ての“革新者”が『男性から教わったことだ』と零していたものでもある。それを聞いた“彼女”は仲間たちを見回した後、意を決したように口を開いた。
『みんなと共に行けることは心強い。……だが、それ以上に俺は嬉しく思っている』
“革新者”から“後を託された”ことを、グラハムは誇りに思っている。そこに嘘偽りもない。
それと同じくらい、グラハムは““彼女”と共に往きたかった”。それが我が儘でしかないことを理解している。
口に出すにはあまりにも無粋。こんなものを“革新者”の心に投げかけたところで、“彼女”の邪魔にしかならないだろう。そんなことは否が応でも《
「旅路は、キミたちだけで行かなければならないのか?」
「グラハム……?」
「――やはり、私のような
「そんなことは……!」
存外、意地の悪い――拗ねたような調子の声が出ていたらしい。“革新者”が珍しく声を荒げて否定にかかった。
それでも、“革新者”はグラハムを旅路の供に選ぶつもりはないようだ。赤銅色の瞳は、途方に暮れてしまったように揺れている。
「すまない」と短く謝罪し、グラハムは“革新者”に手を伸ばす。頭を撫でて、頬に触れて、“彼女”の顔を覗き込んだ。
「私は自他共に認める程我慢弱い。少しでも、キミには早く帰ってきて欲しいと思っている」
「……すまない」
「謝らないでくれ。これは私の我が儘だ。……まあ、私も
人間としての枠組みはとうに超えてしまった身。新人類の1種として『目覚めた』己は、普通の人間とは比べ物にならない程の長命と、緩やかな加齢を手に入れた。現在確認されている限り、最長記録は500年程度だ。それくらいの間なら、“革新者”の帰還を待ち続けることが出来る。もしかしたら、最長記録が更新される可能性もあるかもしれない。
“彼女”は言った。『旅路の最中に、“金属生命体”と融合する必要が出てくるかもしれない』と。“金属生命体”と融合した人間の寿命がどうなるかは分からないが、今のグラハムならば““彼女”が旅路を終えて帰還した後も、充分共に時間を歩むことはできる”だろう。――“3桁年内に、“彼女”が還ってきてくれたのならば”という前提がつくけれど。
「ああそうだ。我が儘ついでに、幾つかいいだろうか?」
「俺に出来る範囲なら」
グラハムの言葉に、“革新者”は即座に頷き返す。どこまでも真摯な眼差しと想いが伝わってきた。――そういうところが愛おしいと思う。
「――すべてを終えて帰還したキミを、一番
それを聞いた“革新者”が目を丸くする。彼女はグラハム・エーカーという男の気質を熟知していた。それ故に、意外に思ったのだろう。
先程も“彼女”に言ったが、グラハムは自他共に認める程には我慢弱い性格である。自分で言うのも何だが、独占力も人一倍あるし、割と執着しやすい方だ。
多分、そういう人間が望むのは“一番
「ああでも、帰還に関する連絡は、一番最初にして欲しいな」
「何故?」
「“キミ”を迎えるための準備があるからね。お好み焼きの材料を揃えたり、パウンドケーキを焼いたりとか」
お好み焼きとパウンドケーキ――2つの料理名を聞いた“革新者”は、グラハムが言わんとしていることの意味を理解したらしい。小さく息を飲んだ。
“彼女”がグラハムにウムアリを手渡してくれた日のオフ会で作った料理がお好み焼きで、ウムアリへの返礼としてグラハムが作った菓子がパウンドケーキである。
この時点で、“彼女”は既にグラハムが言わんとすることを理解している。だが、グラハムは敢えてそれを口に出した。
「どれだけ時間がかかっても構わない。戻ってきた後、私よりも先に会いたい誰かがいてもいいんだ。そちらを優先してくれていい。だから――」
““革新者”が地球に帰ってきたら会いたい相手”には見当がついているし、その相手に対して妬いてしまう気持ちがないわけではない。己の我慢弱さに関しては言わずもがな。……それでも、「構わない」と言いきれてしまうのは、偏に“彼女”への『愛』であった。
空を愛し、空に焦がれた少年時代。“革新者”とガンダムに出会い、“彼女”らに焦がれて駆け出した青年期は、未だ道の途中。戦乱が終わり、新たな始まりを迎えた世界共々、道は続くのだ。グラハムを取り巻く環境は大きく変わり、グラハムも変わっていく。
胸に抱き続けるこの『愛』のカタチも、それを出力した際に形作られるであろうモノも、絶えず変化し続けるのだろう。だけど、変わらないものがあるとするなら、それは――。
「旅が終わった後は――“キミ”と共に在ることを、許してほしいんだ」
“金属生命体”の故郷を救い、地球に帰還した後。“革新者”が再び外宇宙へと旅立つのか、地球に根を下ろすのかは分からない。現時点での展望を聞いたところで、旅の途中で心変わりすることもあるだろう。新たなステージに踏み出すのも、未来を夢見る若者たちの背中を見守るのも、“彼女”の自由だ。
今回の旅路に、グラハム・エーカーは不必要である。“革新者”はそれについて申し訳なさそうにしていたけれど、己の意見を曲げるつもりはないようだった。グラハムだって思うところはあるけれど、“彼女”から“後を託せる相手”として見出された身。そこに不満はない。
だが、グラハムにだって限界はある。元々が我慢弱い気質なのだ。自分の限界は熟知している。故に、出した
それを素直に告げれば、“革新者”は何とも言え無さそうな表情でグラハムを見つめる。赤銅色の瞳に滲むのは、呆れと慈愛。
グラハム的にはそれだけで充分なのだが、“革新者”は少し考え込むような動作を見せた。おや、と思ったのと、“彼女”が小声で呟いたのはほぼ同時。
己に言い聞かせる様な声色で紡がれたのは――つい先程《視た》
「“言葉にしなければ、相手の心に響かないこともある”、か……」
「“革新者”?」
意を決したように、“革新者”は小さく頷いた。
赤銅色の瞳は、どこまでも澄み渡っている。
「改めて言う。……今回の旅路に、あんたを連れていくことは出来ない」
“彼女”が紡ぐ言葉を、グラハムは真正面から受け止める。込められた想いに触れようと試みる。
「旅路は、長く過酷なものになるだろう。いつ戻れるかも分からない。だから、暫くは、あんたの誕生日を祝ってやれないんだ。すまない」
知っている。だってそれは、他ならぬ“革新者”がグラハムに語った話だ。それを“今、改めて話すこと”に意味があるのだろう。
“革新者”は一度そこで言葉を切った後、躊躇うように俯く。その様子は、いつかの“少女”の面影を連れてきた。
グラハムが“革新者”の正体を知った後の、1番最初の逢瀬――終わりと崩壊を覚悟して向き合った、最初の決戦を思い返す。
あのときの“少女”は、手を強く握りしめて泣いていた。『自分には何かを望む権利などない』と、己を罰しているかのように。
今の“革新者”は、その時と同じように手を握りしめている。唯一の違いは、“彼女”の瞳に滲む感情が悲嘆ではないことだろう。
――例えるならそれは、緊張、だろうか。
「だが――」
赤銅色の瞳は、真っすぐにグラハムを映し出す。
「今回の旅路が終わり、お前の元に帰ってきたら、そのときは――」
“彼女”は微笑み、手を差し伸べてきた。
「俺と一緒に……共に行こう。グラハム」
“革新者”の言葉が、“彼女”の想いが、グラハムの心に響き渡る。“心臓を矢で打ち抜かれる”とはこういうことか――なんて思ったのと、“革新者”がぎょっとしたように目を剥いたのはほぼ同時。
酷く狼狽した様子の“彼女”から「泣くほど嫌か……!?」と問われて漸く、グラハムは『自分が泣いている』ことに気づいた。グラハムは苦笑し、静かに流れ続ける涙を拭った。
「心配は無用だ。嬉し涙というヤツだよ。……少しばかり、情けないがね」
差し伸べられた手に応えるように、グラハムも手を伸ばした。“革新者”の手を取って、そっと握り返す。
互いの顔を見て微笑み合って、額を合わせてまた笑う。<嬉しい>や<愛している>という互いの《聲》がよく聞こえてきて、それが嬉しい。心が結ばれているのだと――分かり合えているのだと実感する。それを齎してくれたのは、他ならぬ“革新者”だった。
暫しじゃれ合った後――我に返って照れ臭くなったのか、“革新者”が顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。「料理が冷めてしまう」という“彼女”の言葉に同意し――それでもかなり名残惜しかったのだけれど――グラハムは“革新者”を離し、朝食に向き合う。
自分たちがじゃれ合っていた時間は思いのほか長かったらしく、料理から漂う湯気が見えない。それでも料理の熱は薄らと残っており、食べられないわけではなかった。いざというときは、電子レンジという文明の利器もある。
雑談に興じながら、グラハムは料理に手を伸ばす。
別れまでの足音など感じさせないくらい、穏やかで幸せな時間が流れていた。
◆◆◇
都合がいい
体を這いずり回るような悪夢はまだ終わっていない。いや、そもそも、終わりが見えなかった。その事実を、現実を拒むように、男は瞳を閉じた。
「現実逃避なんて、いいご身分ね」
私の
せめてもの抵抗にと悲鳴を押し殺す。頭を振って、与えられる地獄を振り払おうとした。くぐもった呻き声が漏れる。何かが頬を伝って流れ落ちた。――どうやら、自分は泣いているらしい。涙を流す資格など、男には存在していないのに。
流してしまった涙の意味を、知っている。瞼の裏に浮かんだのは、男が心から愛した
――「裏切り者」。
――「汚らわしい」。
(――――っ)
男には、反論する術などなかった。謝る術もなかった。その罵倒を甘んじて受ける。
大切なものを守りたかった。そのためなら、魂すら売っても惜しくなかった。魂では足りなくて、それを補うために傀儡になった。
だが、女にしてみれば、男を傀儡にするだけでは足りなかったらしい。女は男を侍らせた。男に不貞を強要した。
奪われたのは、それだけではない。大切な記憶が奪われていく。
仲間たちと積み重ねた日々、愛する少女と過ごした時間――そして、彼女が教えてくれた名前。
以前は少女が教えてくれた名前の意味は思い出せたのだが、今はもう、
『止めてくれ。俺は、あんたにそうされる資格はない』
自身に罰を科すように、目を閉じた少女の姿を覚えている。ただひたすら己の咎を責め続ける少女の姿は、あまりにも痛々しかった。悲鳴を上げる心を抑え込めて、ただ静かに泣いていた少女の姿を、男は覚えていた。
『やはり俺には、赦されるはずがなかったんだ。ありきたりの幸せなんて』
彼女は自分の思いの丈をぶつけることよりも、男を傷つけないことを優先していた。
ボロボロになりながらも尚、手放したくないと願い続けて、ひっそりと抱ええこんでいた想いを知っている。
己を破滅に導くと知っても尚、失いたくないと祈り続けていた想いを知っている。
『結局この手は、何かを壊すことしかできない。……あんたを幸せにすることなんて、できるはずがなかった』
信じる
それは、少女に対して惜しみなく好意を手渡す男の心だった。愛していると、好きだと、真正面からぶつかってきた男の心だった。
『幸せになる資格がない』と悩みながらも、それでも、『自分に惜しみなく愛を手渡す相手を幸せにしたい』と願った少女の心を――男はまだ、覚えてる。
『夜明けまで、まだ時間はある』
『言ったはずだ。……『夜明けまで、まだ時間はある』』
すべてが終わる前に、最後に過ごした夜があった。自分らしくない弱音を吐いた。愚かなことだとわかっていて、祈らずにはいられなかった。
馬鹿な男の戯言だった。でも、少女は目を逸らすことなく頷いた。この先に待ち受ける運命が悲しみに満ちていることを知っていて、手を取ることを選んでくれた。
『……俺にとっても、あんたは……運命だった』
『でも、不思議だ。……あんたが言うと、希望が見える』
『俺のような人間でも、あんたの言う“明日”を手にすることができるのではないか、と』
男の言葉が少女に希望を与えたという事実は、どうしようもなく心が震えた。
今から殺し合いが始まるというのに、場違いな高揚感に満ち溢れていたことを覚えている。
本当の意味で、やっと対等になれたような気がしたのだ。やっと好敵手になれたような気がした。
『この世界に、神などいない』
『……この世界には、あんたがいた』
『だから、何も恐れていないし、悲しんでもいない。……大丈夫だ。俺は、あんたの心を信じている』
神なんていないと言った少女が、涙をこぼして嘆きを叫んでいた姿を知っている。そんな少女が、微笑みながら言った言葉を覚えていた。男を信じていると言ってくれた。
その言葉が、その行動が、その微笑が、男にどれ程の幸福と希望を与えたのか――少女は知らない。
『生きることをやめてしまったら、明日を掴むことなんてできないだろう』
『……だから、俺は生きる。お前も、生きろ。――生きてくれ、グラハム・エーカー』
彼女のおかげで、男は明日を信じることができた。……今、だって、そうだ。
男はずっと、少女の居るであろう場所を見上げている。彼女の行く末を見つめている。
自分の望む明日は来ない。彼女と共に生きる明日は来ない。そんなことはわかっていた。
男が信じている明日は――信じることが赦された明日は――信じたいと願う明日は、ただひとつ。自分が愛した女性が生きる明日だ。彼女が掴む未来だ。
(私は、キミに多くのものを貰った。……本当に、幸せだったよ)
せめて、願わくば、それを少女に伝えられる日が来ればいいのだが。
現状では、男のささやかな願いも、叶いそうになかった。
「……反応がないわ。面白くない」
不意に、女の声がした。男の思考回路を遮るかのように、女はわざとらしく男の視界に入ってきた。医者が患者の意識を確認するかのように、ひらひらと手を振る。
この声に反応しないとロクなことにならない。しかし、不快な怠惰感に浸かってしまった身体は、もはやまともな反応を返すことは困難であった。
女はべたべたと身体を触る。その手が、男の傷に触れた。刹那、男はほぼ反射的に女の手を振り払う。残された力をすべて注ぎ込むような勢いで、女を睨みつけた。
女に触れられるのは苦痛だった。特に、男の顔と身体に残る傷に触れられることが一番辛い。
男と少女が悩みながら出した答えを、そこに至るまでの過程を、共に過ごしてきた軌跡を汚されている。
「あら、意識あったのね」
「……傷に、触るな……!」
「嫌よ嫌よも好きのうち、でしょう」
「自惚れるのも、いい加減にしろ……! お断りだ……っ」
「貴方は彼女を裏切っているのに?」
「――!!」
男の反応を見た女は、楽しそうに笑った。悪魔を彷彿とさせるような、妖艶な笑み。あるいは、獲物を捕食する蜘蛛だ。
「こんな貴方を見た彼女は、貴方をどんな目で見るかしらね?」――ああ、まただ。脳裏に、男を蔑むような眼差しを向ける少女の姿が浮かんでは消える。当たり前のことなのに、ひどく心が痛む。
溢れそうになった悲鳴を押し殺そうとしたが、無理だった。上ずった呻き声と一緒に、また涙が頬を伝う。女がくつくつ嗤う声が聞こえた。ああ、なんて無様なのだろう。今の自分の状態は、籠の鳥という言葉そのものだ。
自分が生き恥をさらすのはいい。それくらいなら、いくら晒しても平気だ。耐えてみせる。
この傷を、少女の想いを、自分たちが選んだ答えを、否定されて踏みにじられるのは我慢ならない。
しかし、ここで反抗すれば、人質に取られたものすべてに害が及ぶ。この女は、平然とやりかねない。
いくら男が我慢弱い性格であったとしても、優先順位くらいは心得ている。でなければ、軍人なんて務まらないのだ。
(――すまない)
もはや意味のない謝罪を、心の中で繰り返す。相変わらず、記憶の中の少女は冷たい眼差しで男を見下ろしていた。目の前の女は愉悦に満ちた笑みを浮かべている。
夢の中は、あまりにも幸せすぎて悪夢のようだった。現実は、ただひたすらに陰惨だった。望まぬ高ぶりが近づいてくる。逃れようと首を振ったが、無駄な行為だった。
悲鳴を飲み込む。ぷつん、と、何かが切れたような感覚に見舞われた。
荒い呼吸が響いた。女の気配が離れる。
終わったのだ、と、男の頭は漠然と理解した。
そうしてやっと、意識が落ちる。
夢は、見なかった。
◇◇◆
「総司令。フラッグ、もしくはフラッグの系譜を継ぐ機体はまだか?」
「ごめんなさい。フラッグ系の機体は出てきていないんですよ。開発もできないみたいで……」
「……そうか」
イデアの言葉に、グラハムはがっくりと項垂れた。クーゴはグラハムの我が儘に呆れつつも総司令官側の事情を慮ったようで、肩を竦めて天を仰ぐ。
ジェネレーションシステムに異常が発生してからずっと、グラハムはイデアと同じやり取りを繰り返している。本来であれば“有り得ない事象”――突如出現した
限られた機体数および種類をやりくりし、敵のリーダーを最優先で潰して機体を捕獲する作業と力を磨いて、どうにか戦力も整ってきた。しかし、自分たちの愛機は一向に開発できる見込みはない。現在攻略中の場所が「フラッグ関連の機体が出てくるステージではない」から当然であるが。
先日、戦場に現れたのは“独立治安維持部隊”に属する機体。グラハムたちの世界の機体ではあったものの、フラッグ関連にはかすりもしない。アヘッドと言えば、戦場に何の脈絡もなしに現れた“武士道”も搭乗していたか。フラッグよりも、そちらの開発ができてしまいそうだ。
いや、フラッグ系の機体が開発/捕獲できたとしても、搭乗できるかどうかは別問題だ。現在、自分はゴッドガンダムに搭乗し、切り込み隊長として大暴れしていた。機体とパイロットの相性が良かったためである。何発ゴッドフィンガーを撃ったか、全然思い出せない程に。
というか、そもそも、このクルーの中で“自分の愛機に搭乗できている人間”は殆どいない。例としては、百式に搭乗する羽目になった初代“狙い撃つ成層圏”や
しかも、複座敷に改造され、前者は懇意にしているオペレーターと、後者は“祝福の聖歌(思考)”と一緒に搭乗している。両者とも、色んな意味で居心地が悪そうだった。閑話休題。
(最初の頃に比べれば、機体も戦力も揃ってきた。だが、機体の設計開発費や部隊の資金管理に関しては、今でも火の車のままだ)
「“革新者”が体調不良だから、代わりにサブシート付のアヘッド・スマルトロン……もとい、ルイスと沙慈に頑張ってもらうとして……うー……」
苦笑するイデアと、彼女を気遣うクーゴの様子を横目にしつつ、グラハムは踵を返した。向かう先は、ジェネレーションシステム内での日用品を支援してくれる端末である。
男の仕事柄上、体調不良や怪我をした部下を見舞うことは少なくない。“こういうときに喜ばれそうな差し入れ”に関する一般知識は把握している。
――唯一不安があるとするなら、“相手の好みに関する知識があまりにも少ない”という点だろうか。
(……無難に、果物にしておこうか。夏祭りの屋台を見て回ったとき、フルーツ飴や串に刺さったパイナップルを食べていたし)
暫し思案に暮れた後、フルーツの詰め合わせを購入した。日用品を所定の位置に収めた後、差し入れを片手に“革新者”の部屋へと向かう。
位置的に、“彼女”の部屋へ向かうには厨房を通る必要があるのだが――厨房に近づく度、女性たちの悲鳴が聞こえるのは何故だろうか。
女性たちの悲鳴が途切れたと思えば、クーゴの素っ頓狂な叫び声が響く。それは、不味いごはんを目の当たりにしたときに出す彼の声と一致していた。
何事かと覗き見れば、惨状と化した厨房の光景が飛び込んできた。キッチンのあちこちに調理器具が散乱し、それらの多くが変形して使い物にならなくなっていた。中でも、“真っ二つに折れた包丁の一部が、木製のまな板に突き刺さっている”図は壮観である。
他の調理器具も黒煙を噴き上げており、何処からどう見てもお陀仏以外の何物でもなかった。ジョシュアはまだ部隊と合流していないことを考えると、疑わしいのは目の前でさめざめと泣いているピーリス、又は彼女の“もう1つの人格”だろうか。
グラハムが困惑していたとき、丁度厨房の惨状に唖然としていたクーゴがこちらに気づいたらしい。グラハムが持っているフルーツに目を丸くした。
「お前、そのフルーツ、どうしたんだ?」
「日用品を買い出しに行ったときに、丁度安売りしていてな。“革新者”が具合悪そうにしていたから、キミに協力してもらおうと思って買い込んだのだが……」
黒い煙を吐き出す調理器具を見ていると、彼らが正常に動いてくれるとは到底思えなかった。むしろ、メカニックたちの手による修理が必要なレベルであろう。
船や機体の修理はお茶の子さいさいだが、日用品についてはどうだろうか。MSと同じノリで大改造を施されたら――嫌な予感しかしない。システムに相談してみるのが安牌だろう。
クーゴがどのような調理プランを立てていたかは分からない。だが、使用不可能な調理器具や電化製品を見ていると、作れる料理はかなり制限されるだろう。それ以前に、まずは色々と散乱する厨房を片付けなければならない。
クーゴは凹んでいた女性2人と右往左往するセルゲイや沙慈に声をかけ、協力を要請した。前者は汚名返上――或いは名誉挽回とばかりに意気込み、後者は彼女たちのやる気を尊重しつつも非常に心配していた。男も片づけを手伝う。
「何を作るのかね?」
どこか戦々恐々とした笑みを浮かべて、セルゲイが問いかけてきた。
彼の気持ちは分からなくはない。下手に凝ったものを作ろうとすれば、キッチンが2次災厄によって崩壊することは目に見えている。
これ以上キッチンが崩壊してしまえば、暫く外食に頼らざるを得なくなる。機体の生産やパーツの補充等で資金はカツカツなのだ。
「マチェドニア」
「マチェドニア?」
「イタリア版フルーツポンチ。フルーツ切って、それにレモン汁と砂糖を混ぜて、冷蔵庫で寝かすだけの簡単スイーツ。お好みで白ワインやスパークリングワインなんかを入れてもいい」
女性陣の問いに対し、クーゴは簡単に答えた。流し台を使えるほどに片付けて、無事な包丁とまな板をどうにか引っ張り出す。どちらとも万全な状態だとはいえないが、真っ二つに折れたり、包丁の刃が曲がっていたり、包丁の刃がまな板に突き刺さっていたり、まな板が真っ二つになっているよりはマシだろう。
大量のフルーツを一口大にカットする――料理について疎いピーリス、或いは“もう1つの人格”でも何とかなりそうだと思ったらしい。かろうじて無事だった包丁とまな板を回収し、意気揚々とフルーツを切っていく。沙慈とセルゲイはハラハラした表情で、乙女2人の調理を見守っていた。「そこまで心配せずとも」と思いかけ――先程の参事が鎌首をもたげる。
先程の二の舞を踏む危険性が無きにしも非ずである。いくら火を使わない調理法だとはいえ、ひしゃげた包丁や裂けるように割れたまな板の姿が頭から離れない。グラハムもフルーツカットに勤しみながら、危なっかしい手つきで果物を切ろうとするピーリス、或いは“もう1つの人格”を見守る。無事に料理が終わってくれればいいのだが――果たして。
**
憂いだらけの料理作りだったが、どうにかうまくいったようだ。小奇麗に盛り付けられたマチェドニアを見て、グラハムは満足げに頷いた。そのままお膳に乗せて、厨房を後にする。
“革新者”が“人との接触をあまり好まないタイプ”だということは熟知している。初めて会った頃は、こちらのスキンシップに対して強い拒絶反応を示していたから。今では振り払われることはなくなり、控えめながらもあちら側から触れてくれるようになった。けれど、未だに抵抗があるようだ。人の心に触れるのは躊躇わないのに。
心身が弱っているときは、“誰にも邪魔されない静かな場所で、ゆっくり休ませてやる”のが最適解なのだと思う。けれど、“革新者”を愛してやまない男としては、どうしても“彼女”を1人にして放置することはできそうになかった。『何か力になりたい』と考えるのが、人間の――男の性というものだった。
(ウィングガンダムゼロ、か……)
翼の名を冠したガンダム――それが、“革新者”が愛機であるエクシア/“ふたつの0”/“対話のための力”の代わりに搭乗しているMSである。機体に搭載されているゼロシステムのおかげで、“彼女”の能力は大幅に強化されていた。部隊内でも最高戦力の一角として数えられている。
しかし、ゼロシステムは良いこと尽くめではない。必勝の手を見せる未来演算システムとはいえ、それはパイロットに対して多大な負荷をかける。必勝の手だけではなく、自身の敗北や、パイロットが見たくないものを見せることもあるそうだ。機体を駆れば駆る程、徐々に――確実に、ダメージを蓄積させていく。
パイロットの精神状態によっては、錯乱して暴走する危険性も孕んでいる。“革新者”の強さはよく知っているけれど、“彼女”とて人の子だ。時には心身共に深いダメージを負い、弱ってしまうこともあろう。此度の体調不良も、ゼロシステムの影響によって疲弊したことが理由なのだと思う。
“革新者”の部屋の前まで来た男は、静かに息を吐いた。自分の奥底から顔を出そうとする邪念をすべてねじ伏せ、扉をノックする。
「私だ。部屋に入っても構わないかね?」
「……ああ。少し待ってくれ。今、開ける」
返事が帰ってくるまで、若干の間があった。気のせいでなければ、声にも覇気がない。普段から抑揚のない喋り方だけれども、儚げな響きは一切していなかった筈なのに。
“やはり、ゼロシステムのダメージは大きいようだ”――グラハムがそんなことを考えたとき、扉が開く。自分を迎えるように立っていたのは、この部屋の主――“革新者”だった。
普段は強い意志を宿している赤銅色の瞳は、どことなく虚ろだ。“革新者”の体に沢山の重しがついているように《視えた》のは、きっと気のせいではないのだろう。
動作の鈍い“彼女”を見たのは初めてだった。
立っているのさえ辛そうな――それでも立とうとする“彼女”を制し、ベッドに座らせる。
「果物を持ってきたのだが、食べられるか?」
グラハムの問いに、“革新者”はのろのろと顔を上げた。“彼女”はじっとマチェドニアを凝視していたが、ややあって、か細い声で呟いた。
「……貰おう」
受け取るのさえ億劫らしく、動作は緩慢である。これは、グラハムが食べさせたほうが早そうだ。
「私が食べさせようか。ほら」
「――――……」
スプーンにフルーツをすくって、“革新者”の前に差し出す。あまりのことに“革新者”は面食らったようで、顔を赤らめた。恥ずかしいのだろう。そんなところが可愛らしい。
無言の攻防戦を暫く続けた後、敗北したのは“彼女”のほうだ。観念したように息を吐いて、差し出されたフルーツを咀嚼した。味が気に入ったのか、ふっと表情が緩む。
“彼女”につられるような形で、グラハムも頬を緩ませた。たまには悪くない。何かを愛おしく思うというのは、こういうことなのだろう。ひっそりと噛みしめる。
途中で些細なすったもんだがあった――「やはり自分で食べるから」と言う“革新者”に、食べさせようとするグラハムの攻防――が、最終的に、“革新者”はグラハムに食べさせてもらう形で完食した。そのためか、“彼女”の機嫌は少々斜めである。
さて、どうしたものか。グラハムがそんなことを考えていたとき、不意に、服の裾を引かれた。何事かと“革新者”のほうを向けば、“彼女”は俯いたまま。その眼差しは、あらぬ方向に向けられていた。赤銅色の目は焦点があっていない。
“革新者”は今、何を《視て》いるのだろうか。得体の知れぬ寒気に、グラハムは体を震わせた。
「終わらない」
“革新者”はぽつりと呟いた。
「争いが、終わらない」
赤銅色の瞳に浮かんだのは、絶望。
「世界は、何も、変わろうとしない……!」
どろりと濁った瞳を目の当たりにした途端、グラハムは反射的に“革新者”を抱きすくめていた。
あまりにも遠い場所を見つめ、そこへ向かってゆく“彼女”の大きな『愛』を、自分は知っている。世界全体に向けられた想いの大きさと深さを見ていると、自分たちが矮小なものに見えて情けなくなるほどだった。
だから、だろう。今の“革新者”は、目を離すと、誰の手にも届かない場所に消えてしまいそうな気がしたのだ。……もっとも、自分如きのようなちっぽけな男が、“彼女”を繋ぎ止めていられるとは到底思えないのだが。
「“革新者”」
「何故だ。何故、どうして――」
「“革新者”!」
腕に力を込める。“彼女”の名前を呼びかける。何度か呼びかけると、“彼女”は酷く驚いた様子でこちらを見上げた。赤銅色の瞳が瞬きを繰り返す。グラハムの鬼気迫る表情から何かを察したようで、“革新者”は申し訳なさそうに目を伏せた。
“ゼロシステムは“革新者”に何を見せたのか”――グラハムには知る由もないことで、けれどそれ故に、何もわかってやれない自分が歯がゆく感じる。自分にできることは、ただ、システムによって壊されそうになる“革新者”の心を現実に引き留めることのみ。
あの機体をどうこうするためには、何としてでも自分たちの愛機――もしくは、その系譜に関わる機体を入手することが先決だろう。しかし、先に進むためには戦力を揃えなくてはならない。そのためには戦う必要がある。戦うためにはあの機体に搭乗する必要があり……なんて堂々巡りだ。
グラハムがぐるぐる思考回路を働かせていたとき、胸元にある“革新者”の頭がかすかに動いた。甘えるように、控えめだけれど、すり寄ってくる。
本当に珍しい事態だ。グラハムは“革新者”にばれぬよう微笑むと、愛おしさに任せて“彼女”の頭を撫でてやる。“革新者”はこちらの胸に顔をうずめてしまった。
顔が見れないのは残念だな――なんて、グラハムは場違いなことを考えた。
*
「……すまなかった」
どうにか立ち直った“革新者”は、居心地悪そうにそう言った。
「いいや、気にしていないよ」
グラハムは快活な笑顔で“革新者”の言葉に応える。実際気にしていないし、むしろ、“革新者”が自分に甘えるような仕草を見せてくれたことが嬉しい。
“革新者”は強い女性だった。決して折れぬ意志を持ち、戦争根絶という目的のために突き進む。迷うことのない横顔が、脳裏に浮かんでは消えていく。
こんなことなど滅多にないだろう。「弱ったキミもいいなあ」等と不埒なことを考える己を(脳内で)ぶん殴った後、グラハムは取り繕うように咳払いした。
また、控えめな力で服の袖が引かれる。
何事かと“革新者”を見れば、“彼女”はぽそぽそと呟いた。
「誰かに物を食べさせてもらったり、甘えたりしたのは、久しぶりだった」
“革新者”の言葉に、男は目を見開いた。同時に脳裏を駆けるのは、いつかの出来事。
“彼女”は嘗て少年兵として戦っていた過去があった。その際、“ろくでもない大人”に洗脳され、自らの手で両親を殺すように命じられ、彼女は忠実にそれを実行してしまっている。
“ろくでもない大人”曰く、『彼女を洗脳し、兵士として使い潰そうとしたときの年齢は齢一桁だった』と聞く。両親からも愛され、甘えたい盛りだったろう少女には、あまりにも――。
(甘え方が分からないのも、覚えていても甘えられないのも、そのせいか)
強い後悔と自罰意識――華奢な背中で背負うには重すぎる。被害者としての側面を主張しても許されるはずなのに、“彼女”は最後まで加害者として業を背負い、戦い抜いた。
己の犯した罪と、或いは武力介入によって変革していく世界の行方と、ただ真っすぐに向き合おうと戦った結果を、グラハムはよく《識っていた》。彼女が成した偉業も《識っている》。
グラハムは目を細めて“革新者”を見つめた。視線を逸らした赤銅の瞳は、「嫌ではなかった」と雄弁に語っている。嗚呼、やはり“彼女”は可愛らしい。グラハムは“彼女”を抱く腕に力を込めたのだった。
◆◆◇
煌びやかなパーティの中、ミスター・ブシドーは、女の脇に侍るように控えていた。
嘗てフラッグファイターと呼ばれていた頃から、こういう場所はあまり好きではない。仕事でなら何度か顔を出したが、自ら積極的にこんな場所へ赴こうとはしない方だった。
ブシドーの真横にいるのは、黒地に黄金の蝶が描かれた着物を身に纏う東洋人女性――アロウズの最大出資者および支援者、
蒼海は各方面の財界人に挨拶して回っている。朗らかに応対しているように見えるが、ブシドーには、彼女の笑顔は上っ面だけを取り繕った作り物のように思えてならない。
「おねえさま!」
不意に、向う側から声が聞こえた。女性の声だ。
蒼海は顔を上げ、声の主へ向き直る。
「
貼り付けられたような笑みが、本当の笑みに変わった。心の底から、女性の来訪を喜んでいる様子だ。
女性は
彼女らは年相応――いいや、どこか歪な子どもっぽさを強調するような笑みを浮かべ、会話に花を咲かせる。抑圧され続けた子どもがようやく年相応に振る舞うことを赦されたかのような印象が頭から離れなかった。
蒼海と
少し離れた場所では、蒼海の息子たちである
厚陽は未成年のくせにこっそりワインを煽っていた。星輝は野菜料理には見向きもせずに、肉料理ばかり皿にとっている。海月はデザートに夢中だった。
今なら、気を抜いても問題ないだろう。
ブシドーはそっとため息をつき、蒼海から離れた。そのタイミングを待っていたかのように、壮年の男性と会話をしていた青年がブシドーに近づいてきた。
ビリー・カタギリ。ユニオンが誇るエイフマン教授の後継者して、嘗てのグラハム・エーカー/現在のミスター・ブシドーの親友である。
「元気そうだね」
「そちらも息災そうで何よりだ、カタギリ」
久々に顔を合わせた親友は、ゼロシステムの解析をしていたときよりも元気そうだった。今のところは、蒼海の毒牙に害されていないようで、内心でほっと息を吐く。
「ゼロシステムの解析と欠陥を補完する作業はひと段落した」とホーマー・カタギリ司令から伺っていたが、本人の顔を見て、それを実感できた。
光をなくした瞳、狂ったように笑い続ける親友の姿を思い出す。あんな顔、していない方がいい。ブシドーは心底安心した。友人が魔道に堕ちたなんて、洒落にならない。
「もう少ししたら、フラッグの後継機の開発に取り掛かれそうなんだ。楽しみにしていてよ!」
「ああ。テストパイロットは任せてもらおう」
屈託なく微笑むビリーを見ていると、あの頃に『還る』ことが赦されたような心地になる。実際は何も赦されていないのに、だ。
ブシドーは、自分の口元が緩むのを止められなかった。
自分が憧れ、手にしようとしたものを、思い出せそうな気がした。
「そういえば、僕の家に空き巣が入ったんだよ」
「なんと。それは災難だったな。被害はどうだ?」
しばし雑談に興じていたとき、ビリーはそう言って話題を変えた。ブシドーは目を瞬かせ、彼の災難を憂いた。
ビリーはちょっと困ったように苦笑する。「それが奇妙なことなんだけど」と付け加え、話題を展開する。
「何も盗まれてなかったんだ。部屋はこれでもかってくらい、派手に荒らされていたんだけどね」
「そうか……」
「ただ、その日を境に、クジョウが出て行ってしまって……」
「失恋しちゃった」――ビリーは悲しそうに微笑んだ。“高嶺の花に袖にされてしまった”という事実は、彼にとってとても辛いことのようだ。
ブシドーは何も言わず、彼の肩を叩く。失恋したのはお互いに同じだからだ。但し、ブシドーの場合は特殊な理由のため、口に出せるものではないが。
元気を出せ、なんて言うのは無責任な気がする。何かいい言葉はないか――ブシドーが静かに思案していたときだった。
寒気がした。すぐ傍にいる、気を許せる親友からだ。
蒼海と話しているときに感じる悪寒とは似て非なるものだった。
まるで、親友の身に何かが起きていると警告するかのようだった。
「ひどいんだよ。クジョウは、ひどいんだ」
「カ、カタギリ……?」
「クジョウは僕を騙していた。クジョウは僕を裏切ったんだ。ひどい女なんだ、クジョウは」
虚ろな目をして、ビリーはその言葉を繰り返した。先程まで特に変わった様子はなかったはずなのに、急にスイッチが入ってしまったかのようにビリーは話し始める。合成音声のような、無機質で平坦な声色だった。ブシドーの声など聞く耳持たず、繰り返し続けた。
「ああ、恨めしい。憎いんだ。憎くてたまらない。僕はクジョウが憎いんだ。憎い。恨めしい。許せない……! 僕は、僕は、クジョウを――……?」
唐突に、ビリーは言葉を止めた。彼の瞳は驚愕に見開かれる。己の発言内容に疑問を抱いているかのようだ。いや、自分の言動に違和感を感じているらしい。
大きく見開かれたビリーの瞳がブシドーに向けられた。驚愕は、恐怖へと変わっていた。得体の知れない、説明すらできない事象に対する恐れを抱いている。
違う、と、ビリーは零した。
僕はクジョウを憎んでいない、と、ビリーは首を振った。
恐ろしいものを目にしたかのように、彼は頭を抱えて体を震わせる。
違う、違うと、ビリーは何度も繰り返す。頭を抱えて、必死になって首を振る。――それを何度か繰り返した後、ビリーはひと際大きく目を見開いた。気づいてはいけないことに気づいてしまったかのようだった。あ、と、乾いた声が零れる。
「カタギリ!?」
「う、あ、……や、いや、だ。嫌だ! 逃げろクジョウ! 今すぐここから逃げるんだ! でないと僕が、僕はっ、――ぁ、うわああああっ!!」
頭を抱えて悲鳴を上げたビリーが、崩れ落ちるように膝をついた。参加者が突然崩れ落ちたのを目の当たりにしたギャラリーの人間たちが、ビリーとブシドーへと視線を向ける。離れて談笑していた蒼海たちもその騒ぎに気づいたようで、いの一番に駆け寄ってきた。
恐怖に震えるビリーの元へ駆け寄った蒼海は、彼を落ち着かせるために声をかける。「大丈夫」と言い聞かせるかのように蒼海は繰り返した。どこかを彷徨うように虚空を見ていたビリーの瞳に、徐々に焦点が戻って来る。彼の叔父であるホーマーも、心配そうに様子を見守っていた。
幾何の時が過ぎて、ようやくビリーは平静を取り戻したらしい。しかし、先程とは違って、ひどくやつれてしまったように見えた。疲労が色濃く残っているように思う。ビリーは、「今日はもう、帰りなさい」というホーマーの勧めに従うことにしたようだった。
「迷惑かけてすみません」
「いいえ。ゆっくり休んでくださいね」
ビリーを介抱し終えた蒼海は優雅に微笑む。その口元が厭らしく歪んだのを、ブシドーは見逃さなかった。
彼女の笑みを見て、直感する。蒼海は、ビリーに“何か”をやったのだ。既に彼は、蒼海の毒牙に穿たれている。しかも本人は無自覚だ。
ブシドーは目を剥いて蒼海を睨む。女はこちらの視線に気づいたようだが、ブシドーの怒りは蒼海の余裕を崩すには至らない。蒼海はますます笑みを深くした。
(卑怯な……!!)
何もできない自分が、こんなにも腹立たしい。
ブシドーは拳を強く握りしめる。拳の震えが止まらなかった。
◇◇◇
「所属不明のMSが目撃されている」という噂がある。スターダスト・トラベラーやカタロンの活動と並んで、アロウズでは有名な部類のものだった。詳しい内容はわからないが、「機影がガンダムに似ている」だの、「フラッグと似ていた」だの、玉石混合な情報と憶測が飛び交っている。
端末で情報を確認してみたが、画像や映像データは殆どない。遭遇した相手が、記録媒体部分を優先的に潰しにかかるためだ。嘗てのソレスタルビーイングの戦いとよく似ているし、神出鬼没のスターダスト・トラベラーも似たようなことをしていた。
現在、ブシドーは機動エレベーター周辺にあるステーションにいた。ライセンサーに与えられた特別任務――所属不明のMSについて調査するためである。
他の部隊はカタロンを文字通り鎮圧するために駆り出されている。ライセンサー権限で参加者名簿を確認したのだが、嘗ての
文字通りの虐殺任務だ。良心的な軍人である4人には心苦しいものとなるだろう。蒼海曰く、「アロウズのやり方に反発してもおかしくない」らしく、彼女の息子たち――あの3人も、ブシドーと同じライセンサーである――を監視役として同行させている。
彼らが何かアクションを起こせば、蒼海は息子たちを使って4人を処分するつもりでいた。あるいは、ブシドーが蒼海に反逆を企てれば、即座に4人は彼女の息子たちによって殺されるだろう。厄介なことこの上なかった。
(表向きはワンマンアーミーとしての任務だが、実際は、あの女の私兵でしかない。……私も、随分と深い闇の中へ堕ちたものだ)
もう戻れない場所を想う。もう『還れない』場所を想う。――もう、名前を思い出せない“大切な
所属不明のMSという単語に、漠然とした予感を抱いた。針の穴を貫き通す程度の希望を、馬鹿馬鹿しいと誰もが一蹴するレベルの可能性を、ブシドーは確かに見出していた。
『純正の太陽炉の証――緑の光を見た』と語る者がいた。『顔の半分がないMSを見た』と語る者がいた。……これは、直感だ。運命の相手を見出したときに感じたものだった。
(なあ、キミなのか? ……少女)
名前を呼べなくなってしまった愛しい
安堵する。まだ、ブシドーは彼女の面影を覚えていた。その事実だけで充分救われている。また、前を向いて歩いて行ける。胸の奥がじんわりと温かくなった。
ブシドーが前を向いたとき、見覚えのある制服を着た作業員たちを見つけた。以前、ユニオンに出入りしていたアニエスたちが着ていたものと同じ服だ。
悪の組織の技術者集団だ。彼らの姿を見かけたブシドーは、思わず端末を起動させて情報を確認していた。どうやら、彼らはこの機動エレベーター整備に派遣された面々らしい。そういえば、『機動エレベーターに悪の組織が独自開発した技術が使われる』という話があったような気がする。
ブシドーが端末を確認しながら歩いていたら、不意に衝撃を感じた。「うわ」とくぐもった青年の声がした。ブシドーの不注意のせいで、誰かとぶつかってしまったようだ。「すまない」とブシドーはその相手に謝罪した。相手も「大丈夫です」と返し――
「あれ?」
ブシドーの顔を見るなり、何か引っかかったような顔つきで、こちらを凝視してきた。
「どうかしたのかね?」
「……あのう、僕たち、どこかでお会いしませんでしたか?」
茶髪の青年は、眉間に皺を寄せながら問いかけてきた。ブシドーの姿を見て、誰かの面影を手繰り寄せようとしているかの様子だった。難しそうな顔をした青年の様子に、ブシドーも顎に手を当てて考えてみる。
青年の顔をまじまじと観察しなおせば、似たような面影を持った人物と顔を合わせたような気がしなくもない。では、どこで、ブシドーは彼と顔を合わせたのだろうか。そのとき、自分たちはどんな状態だったのだろうか。
とても大切なことがあった。少女の嘆きと万感の想いを抱きしめ返した後に、ブシドー――嘗てのグラハム・エーカーは、何をしたのだろう。ざわめく声が聞こえる。たくさんの屋台が並んでいて、出店が賑わっていた。
しかし、それ以降は、靄がかかったように思い出せない。
ブシドーは申し訳なさをにじませながら、首を振った。
「いいや」
それを聞いた青年は、苦笑しながら頭を下げた。
「いいえ。こちらこそ、いきなりすみません。グラハムさん――……あ、いや、刹那の……友達の恋人さんに、そっくりだったから」
「……え」
青年の言葉に、ブシドーは思わず目を剥いた。彼の言った名前が、すとんと胸に落ちてくる。
刹那。刹那・F・セイエイ。『永遠よりも長い時間の中で切り取られた、一瞬よりも短い時間』。
それが、少女の名前だった。途方もない覚悟を決めた彼女が、万感の思いを込めて教えてくれた名前だった。
思い出せた。ブシドーの心が歓喜に震える。だが、次に湧き上がったのは、それを打ち消すような恐怖だった。“いずれ奪われる”という、忘却への恐怖。
蒼海は、何度だって、ブシドーから奪おうとするだろう。ブシドーを手駒にするために。容易に想像がついてしまい、愕然とした。
「沙慈ー! 何してるの、置いてくよ!!」
「あ、待ってよルイスー!」
立ち尽くすブシドーを横目に、遠くにいる金髪の女性に名前を呼ばれた青年が駆け出した。こちらに頭を下げて去っていく姿を、心ここにあらずのまま見送る。
「刹那」
震える声で、その名を紡いだ。当たり前のことだが、応える相手はいない。
「刹那」
もう一度、彼女の名を呼ぶ。
刹那、窓の外に広がる
空軍エースの視力は伊達じゃない。ブシドーは思わずその光を凝視した。キラキラ輝く緑の光。ソレスタルビーイングのガンダムに搭載されている太陽炉――GN粒子由来のものだ。
目を凝らしてみると、白と青を基調にした機影がちらつく。光も機影も、あっという間に闇の底へと消えてしまった。ブシドーの心臓が早鐘を鳴らす。期待と不安がせり上がってきた。
窓の外には闇が広がるばかりである。先程目にした光景が嘘のように、静かな
「……キミは、そこにいるのか……?」
ブシドーには、そんな気がしてならなかった。