問題だらけで草ァ!! -Under the Flag-<2nd Season>   作:白鷺 葵

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【諸注意】
 1.この作品は『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版です。
 2.『ガンダム00』を原作に、アニメ版『地球へ...』、及び『スーパーロボット大戦』や『Gジェネレーション』シリーズ等の要素とクロスオーバーしています。
 3.主人公含め、オリキャラが多数登場します。
 4.キャラ改変や原作崩壊、原作死亡キャラの生存要素があります。
 5.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)
 6.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)
 7.刹那が先天性TSしており、グラハムとくっつきます(重要)
 8.基本はギャグとラブコメ色強めですが、時々シリアスになります。
 9.読了後に如何なる負の感情を抱かれても、書き手にはどうすることもできません。

 10.『◆◆◇』が「虚憶⇒現実」、『◇◇◆』が「現実⇒虚憶」、『◆◆◆』が「虚憶⇒虚憶」、『◇◇◇』が「現実⇒現実」、『◆』が「特殊な意味合いが含まれている」場面転換、及び視点切り替えになります。
 11.『*』は「短時間経過での場面転換・視点はそのまま」、『**』及び『***』が「長時間経過での場面転換・視点はそのまま」を意味しています。
 12.良くも悪くも飯テロ要素があります。注意してください。

 13.この小説は2023年の10月時点で明らかになっている情報をベースにして執筆しているため、後の公式作品で発表・開示された情報とは矛盾が発生する可能性があります。

上記が大丈夫の方は、本編をお楽しみください。



一方その頃:「キミと、この空の先を見たかった」

 

 走る。走る。走る走る。走る走る走る。

 

 ミスター・ブシドーが追いかけているのは、ZEXISおよびソレスタルビーイングに所属するガンダムのパイロットだ。アロウズでは『2個付き』と呼ばれるガンダムを駆る、ブシドーにとっての“運命の女性(ひと)”。

 あれから長い間“少女”と顔を合わせていなかった。今、目の前でブシドーから逃走する女性は、あの頃の“少女”の面影を残しつつ、麗しく美しい女性へと変貌を遂げていた。ガンダムのパイロットに相応しい佇まいである。

 “少女”とブシドーの追いかけっこを目の当たりにしたアッシュフォード学園の生徒たちが蜘蛛の子を散らすように道を開けた。現在、“額に手を当てれば、この祭り限定の恋人同士になれる”という祭りが行われている真っ最中だ。

 

 独立治安維持部隊のライセンサーだったとしても、一応は休暇というものが存在する。ほんの少しの間だけ、本当に珍しく、休みを取ることが赦された。

 普段は休暇となると蒼海の小間使いおよび奴隷のように扱われるのだが、完全にフリーになれたのは僥倖である。……まあ、注意するに越したことはないが。

 

 

「“少女”!」

 

 

 本来なら、“彼女”の名を呼ぶべきなのだろう。ブシドーだって“彼女”の名前を呼びたいと心の底から望んでいる。だが、今の自分ではそれができない。

 “彼女”の名前をブシドーは『思い出せない』のだ。一度、確かに“彼女”の口から名前を聞いたのに。“彼女”がどんな思いで己の名を告げたのかも、まだ覚えているのに。

 件の“少女”が足を止めようとしないのは、恐らく『ブシドーが“彼女”の名前を呼ばないから』だ。嘗ての愛称で呼び続けているから、なのだと思う。

 

 

「“少女”! キミは、私の想いをいなす気かっ」

 

 

 できるだけ()()()調()()を思い出しながら、“彼女”に呼びかける。多分、このくらいのトーンで合っていたはずだ。

 “彼女”は逃げながらもブシドーの方に振り返った。「まだ追いかけてくるのか」と言いたげな眼差しが突き刺さってくる。

 

 グラハム・エーカーですらなくなったブシドーであるが、当時のしつこさと面倒臭さは変わっていないと自負している。相変わらず、ブシドーは他人から嫌がられるようなタイプの人間であった。

 

 だから、“彼女”を追いかけるのを諦めない。相手がそれを拒んだとしても、否定されたとしても、ただひたすらに追いかけ続ける。

 赦されないのだと分かっていても尚、その姿を、最期まで見つめることができたなら――それはきっと、幸福なことなのだと思う。

 

 

「“少女”!」

 

「ええい、しつこいぞ!」

 

 

 “彼女”は心底嫌そうにブシドーを見返す。胸の底が抉られたような痛みが走ったが、足を止めるようなことはしない。絶対に、足を止めてはいけない。ブシドーは走る速度を上げた。

 距離が、縮む。勿論、“彼女”も加速した。勢いよく曲がり角へ飛び込む。ブシドーも、“彼女”が飛び込んだ曲がり角へと続いた。だが、次の瞬間、ブシドーは足を止めざるを得なくなった。

 曲がり角は十字路になっていた。どこに行ったのか、“彼女”の姿は伺えない。追いかけていた後ろ姿が、どこにもない。ブシドーの荒い呼吸だけが、この場所に延々と響き渡る。

 

 背中に走ったこの悪寒の正体を、何と言おう。世界が足元から崩れるような感覚を、何と言おう。

 ぐらりと自分の体が傾いた。ブシドーは壁に体を叩きつけるようにして崩れ落ちる。倒れて気を失わなかったことは奇跡であろう。

 

 息が、できない。強烈な息苦しさを感じて、ブシドーは胸元を抑えた。何度も何度も咳き込む。苦しい。前を見ることができない。視界がやけに暗かった。

 

 

(ああそうだ。私は、《理解し(わかっ)て》いたんだ)

 

 

 改めてそれを感じ取れば、ますます胸が痛くなった。

 

 “彼女”の姿を見つめ続けることも、その背中を追いかけることも、赦されない行為だと知っていた。自分はもう、望む場所へ『還れない』ことをわかっていた。

 ブシドーが深々と息を吐いたときだった。不意に、視界の真ん中に、誰かの靴が見えた。靴の主は幾何か躊躇うように立ち止まった後、こちらへ歩み寄ってくる。

 

 誰だろう。ブシドーはのろのろと顔を上げた。先程まで自分が追いかけていた“彼女”が目の前にいる。その事実に、ブシドーは一瞬惚けてしまった。

 相変わらず、静かな面持ちでこちらを見つめている。“彼女”はじっとブシドーを見下ろしていたが、ややあって、非常に困ったように視線を彷徨わせた。

 先程までブシドーを苛んでいた息苦しさも、痛みもすっかり消えていた。なんて現金なのだろう。内心苦笑しつつ、ブシドーは“彼女”の動向を見守る。

 

 

「……はあ」

 

 

 “彼女”は深々と息を吐いた。心底迷惑そうな顔である。

 ……それもそうか。あんなに派手に追いかけ回されれば、傍迷惑もいいところだろう。

 

 ブシドーが俯きかけたときだった。

 

 

「仮面の上からでも、有効なのか?」

 

「は?」

 

「……無理だろうな。仕方がない」

 

 

 “彼女”は変わったことを問いかけてきた。今のブシドーでは、何やら要領を得ない質問だ。意味が分からず首を傾げたとき、不意に視界が明るくなった。

 目を瞬かせれば、“彼女”の手にはブシドーの仮面がある。成程、視界を遮るものがなくなったから、世界が開けたような感覚に陥ったわけだ。

 そこまで考えて、ブシドーははたと気づく。仮面がないということは、『自分は今、素顔を晒している』ということだろうか。――合わせる顔など持っていない、無様な姿を。

 

 ブシドーが仮面を取り返そうと手を伸ばしたとき、何かが自分の額に触れた。視界の一部が、ほんの少しだけ狭くなる。――露わになったブシドーの額に、“彼女”の手が触れたのだ。

 『相手の額に触れれば、額に触れた者と触れられた者は、この祭り限定での恋人同士になれる』――この祭りのルールを思い出した途端、ブシドーは大きく目を見開いた。

 

 途端に“彼女”が目を逸らす。気のせいでなければ、頬がほんの少しだけ赤らんでいた。それが““彼女”が照れているときに見せるものだ”と、ブシドーは知っている。

 

 

(嗚呼)

 

 

 じわじわと、温かな感情が胸を満たす。赦されたのだと、ブシドーは実感した。この一瞬だけでも、恋人(そう)在れること――それがどれ程の幸いか、“彼女”は何も知らないのだろう。

 また視界が元に戻った。ブシドーの顔に仮面が戻ってきたらしい。“彼女”は苦笑したのち、ブシドーへ手を伸ばした。細かい傷が幾重にも刻まれていたけれど、綺麗な手だ。

 

 手を伸ばすことを躊躇う。“闇の底で汚し続けたこの手が、“彼女”の手に触れていいものだろうか”と。

 痺れを切らしたのか、“彼女”はため息をつく。やや強引に“彼女”はブシドーの手を取った。

 まるで大切なものを包み込むような手つきに、ブシドーは目を丸くする。“彼女”は、どこか悲しそうに目を伏せた。

 

 

「俺と恋人同士になるのは、嫌か」

 

「そんなことはない! 断じて!!」

 

 

 何やら酷い勘違いをされてしまったらしい。ブシドーは重ねて、“彼女”の勘違いを否定した。

 

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「考えていただけなんだ。……“私は、キミの恋人に相応しいのだろうか”と」

 

「何を言っているんだ、アンタは。自分から追いかけてきたくせに」

 

 

 それを聞いた途端、“少女”は深々とため息をついた。ため息ついでに悪態をつかれる。ブシドーは苦笑したのち、“彼女”へ向き直った。

 内心おっかなびっくり気味に、けれど平静を装いながら、“彼女”へ手を差し伸べる。いつか過ごした優しい日々と同じように。

 

 “彼女”は躊躇うことなく、ブシドーの手を取ってくれた。赤銅色の瞳は優しくこちらを見返す。

 ただそれだけなのに、どうしようもない程泣きたくなるのだ。それを堪え、ブシドーも微笑み返した。

 学園祭はまだ、始まったばかり。瞬きにも満たぬ程のひと時の夢が、幕を開けた。

 

 

 

◆◆◇

 

 

 

「おねえさま!」

 

留美(リューミン)!」

 

 

 刃金蒼海は楽しそうに、髪を一つに結った美しい女性――(ワン)留美(リューミン)と談笑している。

 ミスター・ブシドーはその光景を一瞥した後、ゆっくり視線を動かした。煌びやかな会場には、ドレスやタキシード等に身を包んだ男女らで溢れている。

 

 普段は何の気なしに人々を眺めるのだが、ブシドーの視線は1点に釘付けにされた。そこには、見覚えのある格好をした、見覚えのある女性がいたためだ。

 

 ビスチェ形態の上着にスカートを付けたイブニングドレス。蒼穹を思わせるような鮮やかな青が目を引く。スカートは前が短く後ろが長い形状になっており、脇にはトレーンと呼ばれる長い引き裾が付けられていた。そのため“スカートの長さ自体はショートドレスと同じであるが、引き裾の長さが床につくため、ロングドレスに分類される”らしい。

 上着として白いボレロ――ラメの煌めき具合のせいか、純白というよりもホワイトシルバーと呼んだ方がいいのかもしれない――を羽織り、髪飾りは鳥をモチーフにした金細工のヘアクリップを付けている。そうして――胸元には、天使が飛翔しようとする様子が刻まれたシェルカメオが輝いていた。“彼女”の誕生日にグラハムが贈った品物である。

 

 

「――!」

 

 

 “彼女”だ。名前すら思い出せなくなってしまった、グラハム・エーカー/ブシドーの“運命の女性(ひと)”。4年前、グラハムがその相手に贈ったものすべてを“彼女”は身に着けている。

 

 グラハムがブシドーになってから、戦場では何度も逢瀬を重ねていた。蒼海が自分を脅すとき、奴が持ってきたタブレット端末の画面越しから“彼女”の姿を見たことだってある。だが、視認できる程に近い距離から“彼女”を見たのは今回が初めてだった。

 同年代の女性と比較すれば細身でスレンダーではあるものの、“彼女”は美しく成長していた。モデル体型とはいかずとも背は大きく伸びたし、体のラインにもくびれや丸みを帯びた部分が増えたし、4年前よりも『女性らしい体つきになった』と言えるだろう。

 グラハムが“彼女”にドレスを贈ったのは4年前。当時彼女へ贈ったドレスのサイズでは、今の彼女が身に纏うには些か窮屈のはずだ。だが、今“少女”が身に纏っているドレス類のサイズは、グラハムが贈ったものよりサイズが大きいものとなっていた。

 

 

(この会場に来るに当たって、改めて揃え直したということか。嘗ての私が“キミ”へ贈ったものの全てを――)

 

 

 その事実に、胸が熱くなった。

 

 “彼女”が所属するソレスタルビーイングの方針的にも、あのドレス類を改めて揃え直す必要なんか無かったはずだ。“少女”の体系に合う別のドレスを持ってくる方が容易だったはずなのだ。

 それでも、嘗てのグラハムが贈った品物と同じものを揃えて身に纏うことを選んだのは“少女”なのだろう。そして、そんな“少女”の意志をソレスタルビーイングは尊重し、“彼女”の望みを叶えた。

 

 

『今のソレスタルビーイングは()()で動いている』

 

 

 いつかの作戦行動中に、指揮官であるアーバ・リントが零した言葉だ。軍人としてのグラハムとは根底的な部分で相容れないものの、彼の分析は“あながち間違ってはいなかった”らしい。

 今は()()でしかないブシドーも“()()を胸に抱いて這いずり回っている人間”だ。再臨したソレスタルビーイングの動きに対して、理解できる部分はある。

 ……ただ、今回、“彼女”たちの行動から漂う意図が“グラハム・エーカー/ミスター・ブシドーにとって、あまりにも都合が良すぎる”のが気になるところではあるが。

 

 

(――あ)

 

 

 “彼女”の元へ歩み寄ろうとして、ブシドーは足を止めた。談笑を終えた“彼女”の元へ、実業家風の青年が歩み寄ってきたためだ。薄緑の髪に紫水晶を思わせる瞳が特徴的な青年は、“少女”へ慈しむような眼差しを向けている。

 この4年間、自分と“彼女”は音信不通だった。4年前に一線を超えて結ばれた仲だとはいえ、今のブシドーと“彼女”の関係は『自然消滅した』と言っても過言ではない。“彼女”は魅力的な女性だ。新しいパートナーが出来る(そういう)こともあるだろう。

 しかし、ブシドーは目を逸らせなかった。望んだ場所へ『還る』ことが出来ずとも、ただ“彼女”を見つめていたかった。祈るような気持ちで“彼女”を見ていたとき、ブシドーは違和感を感じた。“彼女”へ親しみを持っているのは実業家の青年だけらしい。

 

 “彼女”は青年に話しかけられることに困っている様子だ。明らかに、迷惑そうな顔をしている。

 赤銅の瞳が、ブシドーを捉えた。目が、合う。――もう、動かずにはいられなかった。

 

 

「――やめたまえ。“彼女”、嫌がっているだろう」

 

 

 ブシドーは2人の間に割り込んだ。“彼女”を庇うように躍り出て、実業家風の青年と対峙する。“彼女”が目を丸くして、ブシドーの背中を見上げていた。

 射殺さんばかりの眼差しに対し、青年は苦笑を返した。笑い方まで優雅である。彼はブシドーの元へ歩み寄り、耳打ちした。

 

 

「人の恋路を邪魔するつもりはないよ。馬に蹴られて死ぬのは御免だ」

 

 

 思わずブシドーは青年を見上げた。彼はにこにこ笑って、再び小声で告げる。

 

 

「キミは、この子の恋人なんだろう? なら、すぐに助けに来なくちゃダメだよ」

 

「!」

 

「邪魔者は立ち去るから、ごゆっくり」

 

 

 それだけを言い残し、青年は踵を返す。彼は“彼女”へひらひら手を挙げて去って行った。

 変な沈黙がこの場を支配する。ややあって、“彼女”はぎこちなく会話を切り出した。

 

 

「あ、ありがとう……ございます」

 

「い、いや……うむ」

 

 

 2人が顔を合わせるのは、本当に久しぶりである。まともな連絡だって取り合っていなかったのだ。

 しかも、“彼女”は潜入捜査のためにここにいて、ブシドーは会場の警備と蒼海の飾りとしてここにいる。

 以前のような――4年前のような調子で話すのは難しいだろう。特に、互いの現状を加味して考えると、だ。

 

 ぎこちないやり取りを幾らか続けた後、ブシドーは“彼女”へ手を差し出した。愛おしい相手と一緒に煌びやかな場所にいるせいか、言葉がすらりと出てくる。

 

 

「どうだろう? これも、何かの縁だ。私でよければ、1曲踊ってもらえないか?」

 

 

 “彼女”は目を丸くした。ブシドー/グラハムがダンスをするだなんて、“彼女”にとっては予想できない姿だったらしい。表情を曇らせ、考え込む。

 その姿を見て、ブシドーは自分が調子に乗っていたのだと思い知った。途端に、冷や水を浴びせられたかのように思考回路が冷静になる。

 

 刃金蒼海の傀儡として生かされているブシドーは、アロウズの闇にどっぷりと浸かっている。手も、身も、心も、すべてが汚れているような状態だ。到底“彼女”につりあうような人間だとは思えない。“彼女”を目の前にしたことで、ブシドーは相当舞い上がってしまったようだ。身の程知らずもいいところである。思わず苦笑した。

 

 

「……いや、キミが嫌なら、それでいいんだ。すまない、変なことを言った。忘れてくれ」

 

「いいえ。是非」

 

 

 ブシドーが手を下ろして戻す前に、“彼女”が自分の手を取った。まるで大切なものを包み込むような手つきに、今度がブシドーが目を丸くする。

 “彼女”の口元が緩む。赤銅色の瞳が細められた。相手を慈しむ/愛おしむような優しい眼差しが、惜しみなくブシドーに向けられている。

 優しい感情を受け止めて、ブシドーは今にも泣き出してしまいそうな微笑を浮かべた。胸の奥から“彼女”を慈しむ/愛おしむ感情が溢れだす。

 

 「そうと決まれば」と言う代わりに、ブシドーは“少女”をエスコートした。周囲が珍しいものを見たかのように、ブシドーたちのダンスを見つめている。

 この場の視線を釘付けにしているらしい。あちこちから感嘆の声が聞こえる。だが、ブシドーの視線は周囲など眼中にない。目の前の“少女”に釘付けであった。

 

 

(夢みたいだ)

 

 

 焦がれた相手が目の前にいる。他でもないブシドーの手を取ってくれている。――これ以上の喜びがあろうか。

 

 時間が過ぎるのは早い。あっという間に、申し出の1曲は終わってしまった。少々名残惜しいが、最初からそういう誘いだったのだ。致し方がない。

 名残惜しさを押し殺そうとしたブシドーだが、“少女”は無言のまま、ブシドーの服の袖を控えめに握り締めた。よく見れば、“彼女”の顔はほんのりと赤らんでいる。

 どうやら『離れがたい』と感じていたのはブシドーだけではないらしい。こんなにも穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろう。ブシドーがそんなことを考えたときだった。

 

 

<――私のお人形>

 

 

 ぞっとした。向けられたのは、悪意。

 弾かれたように、ブシドーは“彼女”を庇う。

 

 案の定、悪意の主は蒼海だった。どこまでも不敵に、傲慢に、彼女はブシドーへ笑い返す。揺るがぬ自信に満ちたその微笑は、どこか歪んでいるように思えた。

 ブシドーの怒りなど、奴は歯牙にもかけていない。ブシドーはぎりりと歯ぎしりをして俯く。誠に遺憾だが、今の自分はあの女の言いなりになるしかないのだ。

 “少女”へ視線を向き直せば、心配そうにブシドーを見上げている。余計な心配をかけてしまったらしい。取り繕おうとする前に、“彼女”はブシドーの手を取った。

 

 

「この場に、居たくないんでしょう?」

 

「っ」

 

「私も丁度、この場に()()()()()()()と思っていたところです」

 

 

 “彼女”はそう言って、ブシドーの背中越しに蒼海を睨みつける。蒼海はマグロ解体ショーで活躍した青年や息子たちと連れ立っている様子だった。この場を離れるとしたら、今がチャンスだろうか。

 

 

「……そうだな。キミに、少しばかり話があるんだ。大丈夫か?」

 

「構いません。私も、貴方とお話がしたかった」

 

 

 互いに見つめ合いながら、息を吐く。ブシドーと“彼女”は、同じことを考えていたらしい。

 ブシドーは女性の手を引いた。“彼女”をエスコートする形で、ホールから抜け出す。

 

 背中に悪意が突き刺さる。それを振り払うようにして、ブシドーは“彼女”と共に人気のない場所へと踏み出したのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 夜の風が静かに頬を撫でる。施設の中庭に面した通路は、自分たち以外誰もいない。遠くから音楽が響いてきた。

 少し前まで、刹那・F・セイエイとミスター・ブシドーがいたホールの方からである。刹那はどこか、冷ややかな気分でその音を聞いていた。

 離れた場所から煌びやかなものを眺めると、夢から覚めたような気分になる。刹那はひっそり、そんなことを考えた。

 

 

「この通路は、俗にいう“曰くつき”の場所でね」

 

「“曰くつき”?」

 

「詳しいことは分からないが、昔、ここで人が亡くなったそうだ。その後も、ここに興味本位で近づいた人間たちが大なり小なり怪我をする事件が多発してね。……だから、あまり人が寄りつかないのさ」

 

 

 ブシドーはそう言って、刹那へ手招きした。「おいで」と紡ぐ彼の声色はとても優しい。どこか、蕩けるような響きを宿しているようにも思う。

 本館と別館を繋ぐ通路の1つでありながら、この通路は長らく使われていないようだ。心なしか埃っぽいし、柱の隅に蜘蛛の巣が張っている。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 ブシドーは心配そうに問いかけてきた。刹那は大丈夫だという代わりに頷き返す。ブシドーはふっと目を細める。安心したような様子だった。

 

 差し伸べられた手をつかむ。刹那、背後から派手な光が炸裂した。刹那とブシドーが振り返ると、後から遅れて音が響いた。どうやら、花火が上がったらしい。

 赤や黄色、青や白の光がこの場を満たす。刹那とブシドーは、暫しその光を眺める。隣に立ったブシドーは、ほうと感嘆の息を吐いた。

 

 

「打ち上げ花火か。雅だな」

 

 

 仮面越しに見えた翠緑の瞳は、どこまでも穏やかで優しい。先程目の当たりにした鬼気迫るような表情など、嘘みたいだった。

 

 刹那はしばしブシドーの横顔を見つめていたが、決意を固めて、彼の服の袖を引いた。

 こちらが何かを問いかけようとしている様子に気づいたのだろう。ブシドーは微笑んだ。

 「何かな?」と問いかける声は、4年前から何も変わっていないように思う。閑話休題。

 

 

「グラハム・エーカー。何故あんたは、アロウズにいる?」

 

 

 疑似人格を解いて、素に戻る。そうして、刹那は単刀直入にブシドー――グラハム・エーカーへと問いかけた。

 

 

「あんたなら、アロウズのやり方がおかしいことくらいすぐに分かったはずだ。奴らのやり方を否定し、物申すことくらいやっていてもおかしくない。……なのに、どうして、あんたはアロウズに付き従っているんだ」

 

 

 彼は、刹那から詰問されると分かっていたのだろう。

 ほんの一瞬、目を伏せる。だが、すぐに顔を上げた。

 

 

「……どうして、か」

 

 

 憤る刹那に、ブシドーは自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

 

「道化でなければ、守れないものがある。そうなってでも、失いたくないものがある。取り戻したいものがある」

 

 

 翠緑の双瞼は、真っ直ぐに刹那を映し出した。

 

 

「……今の私が、確固たる確証を持って言えることは、ただ1つ」

 

 

 万感の思いが込められた眼差しに、思わず息を飲む。

 

 

「――“最期まで、キミを見つめていたい”。……それだけなんだ、“少女”」

 

 

 刹那の脳裏に浮かんだのは、カタロンの乱入によって全滅しかけた戦いのことだ。カタロンと合流しようとした刹那が《視た》光景である。

 ブシドーは刹那を愛称で呼んでいた。戦場で何度も彼と対峙したが、ブシドーは1度も、刹那の名前を呼んでいない。

 4年前、刹那の名前を知ってからは喧しいくらいに名前を呼んでいたような男だったのに。違和感の正体を掴んだ気がして、刹那はまた単刀直入に踏み込んだ。

 

 

「……あんた、俺の名前、呼んでみろ」

 

 

 質問の意図を理解したのだろう。ブシドーはさっと顔を青くした。

 間髪入れず、刹那は畳みかける。

 

 

「俺の名前だ。俺があんたに教えた名前」

 

「…………わからないんだ」

 

 

 ブシドーは、哀しそうにそう言った。

 

 彼の様子や性分からして、刹那に嘘を言っているようには思えない。ブシドーは――グラハムは、刹那に対して誠実であろうとしていた男だからだ。

 「わからない」とはどういうことなのだろう。刹那はそう問いかける代わりに、眼差しで訴えた。ブシドーは苦しそうに目を伏せる。

 

 

「いや、私が『覚えていない』と言う方が正しいな」

 

「『覚えていない』?」

 

「ああ。訳有って、私は自分の記憶を信用できない状態にある」

 

 

 ブシドーは深々とため息をつき、天井を仰ぎ見た。翠緑の瞳は憂いで滲んでいる。

 

 

「今、こうしてキミと話した内容も、後で“あの女”に消されるか、“あの女”の都合のいいように改竄されるのだろうな。……しかも、私が『消された』、あるいは『改竄された』と自覚できるようにしているあたり、相当性質が悪いようだ」

 

 

 “あの女”とは、刃金蒼海のことなのだろう。ブシドーの言葉の意味を噛み砕いたとき、刹那の背中に悪寒が走った。

 

 記憶を勝手に改竄されるというのは『自分が自分であるという確証を失う』ということに他ならない。『自分が歩んできた道が一番信じられない』という状況は、刹那も体験した覚えがある。教義を植え付けられ、兵士に仕立て上げられていた頃のことだった。

 テロリストおよび少年兵としてクルジスの紛争に参加していた少女――嘗ての自分であるソラン・イブラヒムも、戦争末期には洗脳が解けかかっていた。都合のいいことを嘯く者たちを、心のどこかで軽蔑していた。

 あの戦場では『神のために死ぬことが正しい』とされた。ソランだって、最初はそのために戦っていた。けれど、洗脳が解ける頃には“『神のためだ』と嘯く奴らが、己の都合のいいようにソランたちを動かしているだけだ”と分かってしまった。

 

 リボンズ・アルマークに見出されてゲリラ兵を辞めた後、自分の歩んできた道筋を思い出して、歩みを留めたことは何度もある。“何故自分が生き残ったのか/生き残ってしまったのか”、“何故自分は『神のため』と嘯く奴らに対して何の疑問も持たず従っていた時期があったのか”、“何故自分は奴らのことを信じたのか”。

 一瞬の判断をしなければ命を落とすような戦場から解放されて、分かったことが沢山あった。積りに積もった後悔を忘れたことは一度もない。もう変えられない過去を思い返しては、膝を抱えて蹲った夜もあった。それでも、ソランは――刹那は、生きなければならなかった。生きて、生きて、そうして、今の自分がここにいる。

 

 

「その改竄は、私以外にも適応されるらしい。周囲に被害をまき散らすのは、私の本意ではないからな」

 

「……」

 

「……最も、私が気づいたときには、もう手遅れに等しかったが」

 

 

 ブシドーは深々とため息をつく。

 

 模範的な良識人であり、軍人――それが、グラハム・エーカーの本質だった。

 一部の言動が苛烈すぎて我儘のように見えても、きちんと筋を通す男だった。

 

 グラハムは比較的健全な人生を歩んでいたであろう。何事も自分で考え、自分で選択し、自分で責任を取って、自分の道を歩んできたという自負を持っていたはずだ。目が覚めたら、友人や部下たちと過ごした掛け替えのない時間や、その相手の存在自体を忘却していくという恐怖。『忘れてしまった』という事実だけが存在している。

 しかも、その被害にあったのは自分だけではないと知っている。グラハム/ブシドーは既に、彼にとっての大切な存在が蒼海の毒牙にかかった現場を目の当たりにしたのだろう。だから、これ以上の犠牲者を出さないためにも、大人しく従わざるを得なかったのだ。

 

 

「あんたは、ずっと戦っていたのか」

 

 

 グラハム/ブシドーの痛みを思うと、刹那もまた、胸が潰れるような痛みを感じた。

 その言葉を聞いたブシドーは、無言のままに目を伏せた。

 

 

「自分が自分ではなくなってしまうのではないかという恐怖と……たった1人で」

 

 

 グラハム/ブシドーは、誰かに助けを求めることをしなかった。否、できなかったのだ。『手を伸ばせば、刃金蒼海の悪意が他者に及ぶ』と分かっていたから。

 刹那がブシドーの現状を『正しく』理解したのを察したらしい。ブシドーは淡く微笑む。多分、彼本人は刹那を安心させたかったのだと思う。

 だが、彼の笑い方は、今にも消えてしまうのではと錯覚してしまいそうなくらい、儚く頼りないものだった。4年前のグラハムからでは想像できるものではない。

 

 唐突に、刹那は思い至る。刹那がブシドーと初めて対峙した際に《視えた》光景で、彼が何を口走っていたのかを。

 今なら鮮明に、ブシドーの口が何と動いたのかを把握できた。声にならなかったそれが、明確な音を持って、言葉になった。

 

 

『少女。……助け――』

 

 

 そこから先を、ブシドーは飲み込んだ。飲み込んで、首を振った。多分、その先に続くであろう言葉を、刹那は《識っている》。

 

 『助けてくれ』と、彼は言いたかった。でも、それを口に出すことを憚られるような状態だった。

 刹那は思わず歯噛みした。どうして自分は、肝心要なところで取りこぼしてしまうのか。

 4年前、目の前にいたのに救えなかった仲間――ロックオンの姿が浮かんでは消える。状況は、あのときとほぼ同じなのだ。

 

 今、ブシドー/グラハムは、刹那の目の前にいる。手を伸ばせば届く距離に、助けられる場所に、彼はいる。

 ならば、迷う暇はない。刹那は躊躇うことなく手を伸ばし、ブシドー/グラハムの手を両手で掴んだ。

 

 

「教えてくれ、グラハム。この4年間、あんたに何があったんだ?」

 

 

 その問いに、ブシドーは酷く驚いたように目を丸くした。

 何度か瞬きした後、彼は心底意外そうに呟く。

 

 

「キミは、そんなことを聞きたかったのか?」

 

 

 “他にも何か、訊くべき質問があるだろう? 聞き出さねばならぬ重要事項があるはずだろう?”――そう、彼の目は問いかけてきている。

 

 4年前のグラハムだったら、きっと、大喜びで自分の近況を報告しただろう。勿論、機密と暗黙の了解はしっかり守ったうえで、晴れた蒼穹を思わせるような笑みを浮かべ、語って聞かせてくれるに違いない。

 だが、今の彼は――ブシドーは、何か引き気味であるように感じた。強いて言うなら、ミスター・ブシドー/グラハム・エーカーという存在自体を蔑ろにしているように思う。嘗ての自信に満ち溢れた誇り高きフラッグファイターの姿は、そこになかった。

 

 

「――ああ。教えてくれ、グラハム」

 

 

 刹那は念を押すようにして、言った。真っ直ぐ、ブシドーの瞳を見つめる。ほんの一瞬、ブシドーが酷く驚いたように目を見張った。

 

 ややあって、ブシドーは深々とため息をついた。

 刹那の言葉を否定するように、力なく首を振る。

 

 

「グラハム・エーカーは既に死んだ。……ここにいるのは、ただの亡霊だ」

 

 

 ブシドーはそう言って俯いたのち、ゆっくりと仮面に手をかけた。慣れた手つきでそれを外す。仮面に隠されていた素顔が露わになった。

 顔の左半分を覆い尽くす、大きな傷跡。これは、4年前の戦い――刹那との一騎打ちで負った傷なのだろう。刹那は一目でそれに気づいた。

 それでも、彼の顔立ちは端正なままだった。表情の端々に暗い影を落としてはいたけれど、刹那へ向ける眼差しだけは変わらない。

 

 

「だが、キミが……こんな亡霊の話を聞きたいというなら、それに応えよう」

 

「グラハム……」

 

「これから言うことは、亡霊の戯言だ。……そんなもの、生者は気にも留めないだろうさ」

 

 

 ブシドーは――グラハムは、憂うようにして窓の外を見上げた。

 

 視線の先には、とある部屋の窓があった。おそらく、あそこが蒼海がいると思しき部屋なのだろう。刹那もまた、その窓辺に視線を向けた。

 幾何の間をおいて、グラハムは刹那に向き直る。少し困ったように笑った後で、グラハムは、静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 

*

 

 

 

 いつの間にか、花火は終わっていたらしい。グラハムが歩んだ4年間の話を聞いているうちに、相当の時間が経過していたようだった。

 

 おおよそ“言葉にできない程惨たらしい軌跡”を語り終えたグラハムの表情には、疲労の色が見て取れた。顔色も、青を通り越して蒼白に近い。

 当然だ。『自分が手籠めにされた』なんて話、好き好んで話せるような内容ではないだろう。フラッシュバックに苦しむのは当たり前だと言える。

 しかし、刹那が話を制しようとしても、グラハムは言葉を止めなかった。「止めないでくれ」と翠緑の瞳が強く訴えてきたのだ。

 

 彼の眼差しに気圧されるまま、刹那はグラハムの話を聞いていた。耳も、目も、心も逸らすことなく、最後まで。

 話し終えたグラハムは大きく息を吐いた。ほんの少しだけ、彼の体が傾く。それを支えようとして手を伸ばしたが、やんわりと押し返された。

 

 

「……キミは優しいな、少女。あの頃と何も変わっていない」

 

 

 嬉しそうに――だけれど、酷く悲しそうに、グラハムは微笑む。

 

 

「私はもう、とうの昔に、()()()()()()資格を失ったというのに」

 

「そんなことはない。だって、あんたは――」

 

「“キミという存在がありながら、他の女からの要求に応じ、不貞と不義理を働いた男”だ。“世界に歪みを生み出す存在に与する者”でもある。どんな理由があれど、それは純然たる事実だ。……どのような沙汰も、糾弾も、甘んじて受けよう」

 

 

 深緑の瞳に浮かぶのは諦めだ。手を強く握りしめて、それでも刹那のことを真っすぐ見つめている。良くも悪くも“誠実であろうとする”気質故に、彼は自分自身を追い込んでいるのであろう。自覚しているか否かは分からないけれど。

 グラハムは“自分は刹那に罰せられる”と信じて疑わない。どのような罰を下されようと、罵詈雑言をぶつけられようと、自分たちの関係を清算されようと、黙って受け入れてしまうのだろう。そんな彼の姿を、黙って見ていることは出来なかった。

 

 胸の痛みに押されるような形で、刹那は構わず手を伸ばす。

 

 

『ふふ』

 

『……幸せだと、思ったんだ。キミに、こんなにも想ってもらえているとは』

 

 

 脳裏に浮かんだのは、4年前の一幕。刹那の正体を察して連絡してきたグラハムに対して、己の正体と待ち受ける運命に関する本音を吐露したときの出来事だ。

 刹那の吐露から真実を悟ったであろうグラハムが取った行動は、糾弾でもなければ捕縛や鹵獲でもない。簡単に振り払えてしまえる程の力しかない、柔らかな抱擁。

 あの日の刹那も“今のグラハム”同様、どんな沙汰や罵詈雑言――或いは暴力だって甘んじて受け入れようと覚悟していた。そんな刹那に対して、彼は言ったのだ。

 

 

『私は後悔していないよ。キミと出逢ったことにも、キミを好きになったことも、キミと戦うであろう運命も、すべてを受け入れる』

 

『誰が何を言おうとも、キミは確かに私の“運命の相手”だよ。……過去も、今も、そしてきっと――未来(これから)も』

 

 

 あの日の抱擁に、あの日の彼の言葉に――そうして、あの日の彼の想いに、刹那は確かに救われた。それから積み重ねた日々もまた、今の刹那を生かし、突き動かす“かけがえのない記憶(モノ)”となっている。“いつか同じくらい――いや、それ以上の幸福(モノ)をグラハムに返したい”と思いながら、今日までずっと生きてきたのだ。

 

 誰かに愛された記憶は、既に遥か彼方。愛してくれた両親を自ら手にかけたその瞬間に、ソラン/刹那はその資格をとうに失くしている。それからもまた、多くの人々を手にかけた。僚友たちを見殺しにした。大人たちの玩具にされて苦しんでいた少女たちの悲嘆にさえ気づかなかった。

 血に塗れたこの手が幸せになれるはずがないことも、誰かを幸せにしてやれるはずがないことも既に悟っていた。そんな刹那とソランに希望を見せてくれたのがグラハムだ。彼が惜しみなく手渡してくれる真っすぐな愛を受け止められるようになったことも、『同じ――いや、それ以上の幸福(モノ)を返したい』と願うようになったのも、彼との出会いが無ければ有り得ない変化だったろう。

 己の行動が“グラハム・エーカーが刹那とソランに手渡してくれた幸福(モノ)”に満たないことも、届かないことも、敵わないことも承知の上だ。それでも、受け取った(モノ)を返したいと願った。彼を愛する人間として、彼に愛された人間として、当たり前のことだ。……それを示し/教えてくれたのが、他ならぬグラハムなのだから。

 

 あの日のグラハムをなぞるようにして、刹那はグラハムの背中に手を回す。彼の体がぎくりと跳ねたような気がした。

 それに拒絶の意味が含まれていなかったことを確認した刹那は、真っすぐにグラハムを見返す。

 

 

「――いいんだ」

 

 

 グラハムが刃金蒼海の傀儡になることを選んだのも、刃金蒼海と肉体関係を結ぶことを選んだのも、アロウズに所属しているのも、彼自らの意志で決めたことではない。

 彼はただ守ろうとしただけだ。世界の歪み――その権化たる刃金蒼海の恐ろしさと悍ましさを《理解さ(わから)せられた》が故に。

 

 部下や親友を守るためには、その道しか残されていなかった。

 

 

「――いいんだ」

 

 

 “逃げ道を全て潰され、追い立てられる形で選ばされた道”は、到底『選択した』とは言い難い。

 その道を選ぶように強要され、今もその道を歩かされているグラハムだって、まともな精神状態ではないことなど明らかだ。

 頭を好き放題に弄られ、記憶を奪われ、それでも彼は抗っている。必死になって、世界の歪みと戦っている。

 

 自身の破滅を早めるだけだと理解していて、それでも戦うことを選んだ彼を。

 己のできる限りのことをしようと抗い、刹那たちを助けてくれた彼を。

 

 “『世界の歪みの1つ』だと断じて、一方的に破壊する”なんて、出来るはずがない。――していいはずがないのだ。

 

 

「――いいんだ、グラハム」

 

 

 どんな言葉をかければいいのか、刹那には分からない。何と言えば伝わるのか、刹那には分からない。他の誰かであったなら、彼の心を救い上げてやれる言葉の1つや2つ、かけてやれたのだろうか。

 与えられた幸福に応える術も、返す術も見つからない――そんな己が不甲斐ない。刹那が“彼を幸せにしたい”と願わなければ、こんなことにならなかったのだろうか。

 

 

<俺が“あんたを幸せにしてやりたい”等と願ったせいでこうなってしまったんだろうか。俺があんたの愛に応えてしまったから、あんたは今、ずっと苦しみ続ける羽目になっているんだろうか>

 

 

 刹那がそんなことを考えたとき、グラハムは鋭く息を飲む。大きく見開かれた深緑の瞳が、ほんの一瞬、苦しそうに揺れた。彼は小さくかぶりを振る。――視界の端に、青い光が舞った気がした。

 

 

「グラハム……?」

 

「……なあ、少女。ひとつ、いいだろうか?」

 

「今、俺が出来ることであるなら」

 

 

 祈るような眼差しを向けられた刹那は、躊躇うことなく頷く。

 グラハムは暫し躊躇うように視線を彷徨わせた後、酷く震えた声で希う。

 

 

「……抱きしめ返しても、いいだろうか」

 

「――ああ」

 

 

 刹那はまた、二つ返事で頷いた。

 

 恐る恐ると言った調子でグラハムの腕が動く。何かを確かめるかのようにぎこちない動きだったけれど、刹那が彼の背中に回していた手に力を込めた途端、その腕は縋るようにして刹那を閉じ込める。

 肩口に顔が押し付けられる状態のため、刹那からグラハムの表情を伺い知ることは出来ない。微かに零れた息遣いは、溢れそうになる感情を押し殺そうとしているように思った。

 

 

「キミは、温かいなぁ」

<――また、身に余る程の幸福を貰ってしまった>

 

 

 ――それでも殺しきれなかった想いが、ぽろりと零れ落ちる。

 

 グラハム・エーカーの《聲》が《聴こえる》。<自分は今、どうしようもない程に幸せなのだ>と訴えて憚らない。<刹那を愛している>と訴えて憚らない。

 ただ、彼の《聲》は何処までも悲痛な色を湛えている。そのくせ、悲痛な色に込められた意味や、その裏側に隠した意図には《触れさせて》はくれなかった。

 “彼は何かを隠している”――刹那は直感的にそう思った。“それを見逃してしまったら、きっと後悔するだろう”とも。だから思わず、刹那は問いかける。

 

 

「あんた、まだ俺に何か隠してることはないか?」

 

「…………」

 

「グラハム」

 

「…………」

 

 

 グラハムは何も答えない。ただ、腕に込める力を強めただけだ。微かに身じろぎするようにして刹那にすり寄る。4年前のスキンシップからは想像ができないくらい、ささやかで控えめな動作だった。

 何度問いかけても、グラハムは何も言わなかった。それが彼の意地なのか、誠意なのか、善意なのか――はたまた、それらすべてをひっくるめた結果として出力されたものだったのかは分からない。

 

 

「そろそろ、戻った方がいい。……あの女は――刃金蒼海は、キミを目の敵にしているから」

 

 

 程なくして、グラハムは抱擁を解いた。言い募ろうとする刹那を制し、蒼海がいると思しき部屋へと視線を向けた。

 しかし、それも一瞬のこと。彼はすぐに刹那へと向き直り、促すようにして肩を押した。やんわりとしているが、明確な拒絶である。

 彼の言葉を聞いた刹那は違和感を覚えた。蒼海が刹那を目の敵にしている? あの女が目の敵にしている相手は、双子の弟であるクーゴではなかったのか。

 

 

「あの女が言っていた。キミは『人類初の革新者(イノベイター)と“なるはずだった”人間なのだ』と」

 

革新者(イノベイター)?」

 

「あの女曰く、『既存の人類より高次の段階へと移行した、正真正銘の“新人類”』だそうだ。他者の気持ちを読み取ったり、常人の倍以上の能力を有していたり、多くの自律型兵器を遠隔操作したり……新人類の名に恥じぬ能力を有している」

 

 

 刹那の疑問を察したようで、グラハムは沈痛な面持ちでこちらを見る。

 

 

「奴らは、ソレスタルビーイングを――特に、キミを潰そうとしていた。そのために、センチュリオと呼ばれる機体を実戦投入したんだ」

 

 

 センチュリオという単語が何を意味しているのか、刹那は理解した。何度も対峙した、モノアイの天使たち。

 敵味方の識別なく、自身の周囲にいる機体や戦艦をまとめて消し飛ばす兵装を有するMSおよびMDを指しているのだろう。

 奴らとの戦いで、刹那は何度かグラハムに助けられてきた。彼がいなければ、今、刹那はここにいなかったのかもしれない。閑話休題。

 

 

「俺が、『革新者(イノベイター)に“なるはずだった”』とは、どういうことだ?」

 

「……私には、詳しいことは分からない。だが、奴らは『キミが革新者(イノベイター)になること』を危惧していた」

 

「『俺が革新者(イノベイター)になる』? どうやって?」

 

「残念ながら、私では皆目見当もつかんよ。もしかしたら、私が『覚えていない』だけなのかもしれんが」

 

 

 「自分の記憶に信頼が置けないからね」とグラハムは苦笑した。「申し訳ない」と彼は言うが、刹那は被害にあった人間を責めるような神経を持っていない。「あんたは悪くない」と念を押せば、グラハムは少し安心したように微笑む。

 

 

「……ただ、こんなことを言っていた。『革新者(イノベイター)となったキミが、計画で最大の脅威となる相手だ』と。……そして、キミが『革新者(イノベイター)に一番近い人間であり、いずれ新人類として目覚めを迎える人間でもある』とも」

 

 

 彼の言葉に、刹那は思わず息を飲んだ。“己の存在が、刃金蒼海やその一派に対しての切り札となる”なんて予想していなかったためだ。

 グラハムはちらりと部屋の窓を見上げる。その横顔が、より一層険しくなった。何かまずいものを察したように、彼は刹那へ向き直る。

 外していた仮面を手早く身に着け、グラハムは――ブシドーは刹那の肩を押す。にべもなく――けれど眼差しだけは優しいまま、刹那を促した。

 

 

「お喋りが過ぎたようだ。急げ」

 

「だが、あんたをこのままにするわけにはいかない。アロウズに残り続ければ、あんたが刃金蒼海に『壊されて』しまう……!」

 

 

 刹那は躊躇うことなくブシドーの手を取る。

 

 

「俺と共に行こう」

 

「――……それはできない」

 

 

 ブシドーは大きく目を見開いたものの、すぐに悲しそうに笑って首を振った。

 

 

「『訳有って、私は自分の記憶を信用できない状態にある』と言ったな」

 

「『刃金蒼海によって記憶が改竄されている』という話だろう? そんなことをしている相手の傍に居ることがどれ程危険で苦痛を伴うのか、あんたは十二分に理解できているはずだ!」

 

「こうも言ったはずだ。『その改竄は私以外にも適応される。周囲に被害をまき散らすのは本意ではない』と」

 

 

 『周囲に被害をまき散らす』――その言葉に、嫌な予感を覚える。ブシドーの手は目の前にあるし、刹那が手を伸ばせば届く距離だ。

 だと言うのに、ブシドーが刹那の掌から零れ落ちてしまうような気がするのは何故だろう。“何もかもが手遅れである”という予感を抱いてしまったのは。

 

 

「リーサ・クジョウという女性を知っているか?」

 

「え」

 

「我が友――ビリー・カタギリが懸想していた女性だ。ソレスタルビーイングが活動を本格化させる少し前まで、クジョウ女史は彼の元で世話になっていたと聞く」

 

 

 突然出てきた名前に、刹那は目を丸くした。

 

 リーサ・クジョウはスメラギ・李・ノリエガの本名だ。彼女は4年前の最終決戦後、同じ師を仰いでいたという共通点から、ビリー・カタギリの元に転がり込んでいる。刹那はリーサ――スメラギをソレスタルビーイングに連れ戻すため、ビリーが住む家付近まで出向いたことがあった。

 だが、刹那はビリーの住む部屋に辿り着くことは無かった。着の身着のまま、這う這うの体で走って来たスメラギとぶつかったことで再会。そのまま彼女を回収するような形でソレスタルビーイングに戻っている。スメラギはそのときのことを『友人の様子がおかしくなったので逃げ出した』と言っていた。

 それが一体何を意味しているのだろう。背中の悪寒がますます強くなっていくのを感じつつ、刹那はブシドーに問いかけた。彼の瞳に映る刹那は酷く狼狽しているのに、刹那を真正面から見つめる深緑の瞳には迷いや躊躇い等一切ない。何かの覚悟を固めているかのように凪いでいた。

 

 

「彼も、私と同じような状況なんだ。刃金蒼海の毒牙にかかり、傀儡にされている。『記憶の改竄』は、あくまでも“傀儡にされた際に発生する副産物、及び副次効果”でしかない。――あの女はそれを【思考プログラム】と呼んでいた」

 

「思考プログラム……? 傀儡……まさか――洗脳か!?」

 

「当たらずとも遠からずと言ったところだな。話術で操作するタイプではなく、直接脳に干渉し、弄ぶようなものだろうか。“特定条件が揃うと、指定された行動を取るよう彫り込まれる”と聞いたが……」

 

 

 冷静な調子を崩さず、ブシドーは淡々と説明する。一歩遅れて全てを理解した刹那は、思わず息を飲んだ。

 サーシェスがソランに行った洗脳よりも悍ましい、人間の尊厳を滅茶苦茶にする外法――その権化であった。

 

 

「カタギリがクジョウ女史を殺害しようとしたのも、思考プログラムの一環だろう。『“クジョウ女史がカタギリに気を許し、アルコールに溺れて身動きが取れなくなった”ところを殺害する』ように『調整』されたのだろうな。だが、カタギリ自身の抵抗によってクジョウ女史は逃亡に成功し、彼女を殺害をしようとした一連の出来事に関するカタギリの記憶は改竄された。彼はクジョウ女史が出て行った本当の理由を知らないでいる」

 

 

 ブシドーは言った。『自分とビリー・カタギリは同じなのだ』と。

 ブシドーは言った。『ビリー・カタギリには思考プログラムが施されている』と。

 ブシドーは言った。『思考プログラムは“特定条件が揃うと、指定された行動を取るよう彫り込まれる”』と。

 

 ブシドーはこうも言った。『ビリー・カタギリに施された思考プログラムは、“リーサ・クジョウの殺害”であった』と。

 ブシドーはこうも言った。『ビリー・カタギリがリーサ・クジョウの殺害行動に移る際の条件が“ビリー・カタギリに気を許し、アルコールに溺れて身動きが取れなくなった”瞬間である』と。

 

 それが意味していることは、即ち――

 

 

「今こうしてキミと会話が出来ることは、私にとっては僥倖だよ。奇跡みたいなものだ。だが、私が“何を引き金にしてソレスタルビーイングを――キミを害する存在に成り果ててしまうのか”は分からない」

 

「そんな……」

 

「今の私は明らかな“見える地雷”……。避けるべき危険分子であり、キミたちが破壊すべき歪みの権化――その1つなのだよ」

 

 

 「『君子、危うきに近寄らず』と言うだろう?」――ブシドーは刹那に諭すような口調で言い聞かせる。そう言い切った彼の声と手が微かに震えていたのは、きっと気のせいではない。ブシドー自身は手と声の震えに気づいていないか、或いは、気づいていてその感情を押し殺そうとしているようだった。その様子が痛々しくて、刹那は思わず表情を歪める。

 ソレスタルビーイングやガンダムマイスターの刹那・F・セイエイにしてみれば、今こうして立っているミスター・ブシドーは『世界の歪み』によって生み出された存在なのであろう。刃金蒼海たちに与する敵の1人であり、自分たちが破壊しなければならない歪みの1つ。彼を見逃すことや手を差し伸べることは、一歩間違えば世界そのものを危険に晒しかねない行為に直結する。

 

 一番の最適解は『今ここで彼を殺すこと』だろう。次鋒で『無力化』。『彼を刃金蒼海の元から連れ出す』という選択肢は、先程ブシドーが開示した情報――思考プログラム――によって潰えている。

 見る限り、ブシドーが刹那に対して敵対行動を取る様子はない。あくまでも、()()()()。何をきっかけにして、どのような行為を取るかは本人ですら『分からない』のだ。

 思考プログラムによる行動を全て完遂したとしても、その記憶がどのような形に改竄されているのか、ましてや思考プログラムを施された張本人が無事でいられるかも『分からない』という。

 

 

「『ソレスタルビーイングは、争いの火種になり得るものを認めない』のだろう? ならば、何を成すべきか、何が最適解なのか、キミは理解しているはずだ」

 

 

 深緑の瞳は凪いでいる。自分の運命を悟って、理解と覚悟を持って、何もかもを受け入れてしまったみたいに。

 

 何処までも優しい口調で、諭すような調子で、言外に告げるのだ。『今ここで、グラハム・エーカー/ミスター・ブシドーを殺せ』と。

 『それが一番幸せな結末なんだ』と言いたげな様子で微笑む姿が、余計に痛々しい。刹那は小さくかぶりを振った。

 

 

「……だめだ」

 

「少女」

 

「そんな……そんな、悲しいことを言うな!」

 

 

 こんな形で終わってたまるか。こんな形で()()()()()()()たまるものか。

 確かに、過去は変えられない。起きてしまったことをなかったことにはできない。

 だけれど、でも、これは――あんまりじゃないか。こんな結末、納得できるはずがないじゃないか。

 

 

「あんたはまだ、生きている……! 生きているんだ。そうだろう!?」

 

「……ありがとう、少女。私にとっての“運命の相手”がキミで良かった」

 

 

 拙く訴える刹那を見つめていたブシドーは目を細める。

 刹那の手の甲に掠めるような口づけを落として、彼は囁いた。

 

 

「ならばこそ、だ。キミの運命を……未来を、ここで絶やすわけにはいかない。急いでくれ。頼む」

 

 

 「嫌な予感がするんだ」と言って、ブシドーは部屋の窓を見上げた。刃金蒼海の居ると思しき部屋ではなく、今度は違う部屋に視線を向けている。彼の視線の先に何があるのだろう。刹那がブシドーにつられるようにして、部屋の窓を見上げたときだった。少し軋んだ床の音と一緒に、足音が響く。

 振り返った先に、タキシードを身に纏った男性が立っていた。長い髪をポニーテールに束ね、眼鏡をかけている。ホールで見かけた人物だった。確か、名前は――ビリー・カタギリ。アロウズの技術者で、ホーマー・カタギリの甥。スメラギの古い友人で、グラハムの親友。

 

 そして――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()1()()

 

 

「カタギリ……? 何故、キミがここに?」

 

 

 ブシドーが酷く驚いた表情で彼を見返した。パーティのメインが叔父のホーマーであるとはいえ、血縁者であるビリーも挨拶回りで忙しそうにしていた姿を見ていたのだろう。そんな人物が会場を抜け出して、こんな寂れた区画にやって来る用事など思い浮かぶはずもない。

 だが、それは“ビリー・カタギリが普通だったら”という前提条件で成り立つものだ。今回の場合――“ビリー・カタギリには刃金蒼海による思考プログラムが施されている”という前提条件では、話が大きく変わって来る。不穏なことに、ビリーは黙ったままだ。ブシドーの問いかけに答える様子はない。

 異様な空気が流れ始める。何かを察したブシドーが刹那を庇うようにして前に出た。刹那も前へ出ようとしたが、強い力で引き戻される。抗議しようとして、その先の言葉を飲み込んだ。阿修羅を連想させるかのようなブシドーの横顔に圧倒されたためだ。

 

 

「…………あは」

 

 

 ぞっとした。目の前にいるのは確かに人間なのに、機械を思わせるような声が響いたためだ。

 

 声の主はビリーである。ホールで人と談笑していたときは、朗らかに笑っていたはずの男のものだった。到底同一人物だとは思えない。

 ブシドーは警戒を解かぬまま、ビリーに呼びかける。次の瞬間、不気味な高笑いが響き渡った。ビリーは狂ったように笑い続ける。

 

 

「あはは、あは、あははははははははははははっ!」

 

 

 間髪入れず、ビリーは懐から何かを取り出した。光を反射し、黒光りする獲物。アロウズの軍人が持っている護身用のハンドガンだ。その照準は寸分の狂いもなく刹那を捉えていた。引き金が引かれ、炸裂音が響く。

 それよりも先に、刹那は強い力で引っ張り込まれた。銃弾は刹那を穿つことなく床に当たる。見上げれば、険しい顔をしたブシドーの横顔が近くにあった。どうやら、刹那はブシドーに庇われたらしい。

 ブシドーはビリーに呼びかけるが、ビリーはただ笑い狂っている。今度は、銃口がブシドーへ向けられた。間髪入れず、ブシドーは刹那を突き飛ばし、自らも銃弾を回避する。翠緑の瞳には、怒りと困惑と悲嘆が同居していた。

 

 

「カタギリ、やめろ!」

 

「ダメだよグラハム。ソレスタルビーイングは、刹那・F・セイエイは、殺さなくちゃあ!」

 

 

 再びビリーが銃を構える。虚ろな鳶色の瞳がぎらつく。再び引き金に手がかかった直後、ブシドーが飛び出した。彼はビリーの銃を奪うように手をかける。

 銃の奪い合いが始まった。2人は派手に取っ組み合いを繰り広げる。ホーマーの話ではビリーは技術者だと聞いたが、彼はブシドーと互角の力を有しているように見えた。

 

 刹那がブシドーの元へ駆け出そうとした瞬間、一際派手な破裂音が響いた。ビリーと揉みあっていたブシドーの動きが止まる。ややあって、彼の体がぐらりと傾いた。そのまま、崩れ落ちるように膝をつく。

 

 

「グラハム!」

 

「ぐぅ……!」

 

 

 刹那は慌ててブシドーの元へと駆け寄った。深緑の軍服に、じわりと黒いシミができている。そのシミはどんどん広がっていった。

 ブシドーは浅い呼吸を繰り返しながらも、自分を撃った男を見上げた。ビリーは、酷く驚いたように目を見開いている。

 

 

「――グラハム?」

 

 

 何度か目を瞬かせて、ビリーは親友の真名を呼んだ。そうして、自分が握りしめている銃と、ブシドーの傷を見つめる。幾何かの間をおいて、彼は自分が何をやったのかを『正しく』理解したらしい。一気に顔面蒼白になった。

 

 

「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!?!?!!?」

 

 

 ビリーは絶叫し、拳銃を投げ捨てた。立っていられなくなったのか、そのまま床に腰をついた。頭を抱えてうずくまった彼は、ブシドーの呼びかけにも答えない。

 ブシドーは手で傷を抑えるが、傷口からはじわじわと血が滲んでいる。刹那は迷うことなくチャペルトレーンを引きちぎり、ブシドーの傷に応急処置を施す。

 

 

「……そんな、盛大に引きちぎって……大丈夫なのか? レンタルか、買い直したのかは分からないが、揃え直すのは、かなりの労力があったのではないのかね……?」

 

「煩い。あんたを失うよりは、ずっといい」

 

「……やれやれ。この短時間で、キミは何度、私を惚れ直させれば気が済むんだ……」

 

 

 ブシドーは苦笑しながら軽口を叩くが、刹那の意志を汲んでくれたらしい。それ以上は何も言わず、刹那の応急処置を受け入れていた。程なくして、止血処理は終わる。あくまでも応急処置なので、医療機関の治療が必要だろう。それまで、安静にしてもらわなくては。

 相変わらずビリーは頭を抱えて怯えている。彼に話を聞けるような状態ではなかった。あまり動かしてはいけない怪我人のこともある。どうしようかと考えあぐねていたときだった。遠くの方から炸裂音が響き始める。間髪入れず、悲鳴も聞こえてきた。

 

 

(何が起きている!?)

 

 

 刹那は通路から廊下へ身を乗り出した。向う側に、見覚えのある機械が蠢いているのが伺えた。

 

 あれは、コロニー・プラウドでも目にしたオートマトンである。外見の違いを上げるとしたら、色が濃いカーキ色から毒々しい紫色に変わっていることくらいか。

 パーティ会場にオートマトンを投入するなんて、黒幕どもは一体何を考えているのだろう。刹那が舌打したとき、オートマトンがくるりと向きを変えた。

 照準は刹那に向けられている。刹那は舌打ちした後、蹲って動かないビリーを無理矢理通路の向こうへ引っ張り込んだ。オートマトンが近づいてくる音が響く。

 

 隠し持っていた拳銃を引き抜き、刹那は迎撃態勢を取った。一応、オートマトンを撃退する装備も持ってきていたが、まさかそれを使うことになるとは思わなかった。

 遠くから響く悲鳴や銃撃音からして、オートマトンはあの1機だけではないのだろう。コロニー・プラウドのときよりも多く投入されていると踏んでよさそうだ。

 

 オートマトンが近づいてくる。タイミングを見計らい、刹那は通路に躍り出る。迷うことなく引き金を引いた。オートマトンの真正面に銃弾がめり込むが、機械は足を止めない。

 

 牽制用の銃弾がすべてオートマトンの装甲にめり込む。だが、奴は動きを止めなかった。刹那が小型の爆弾に手をかけるより先に、オートマトンの銃口が刹那を捉える。ちかり、と、カメラアイが不気味に輝いた。

 

 

(しまっ――)

 

 

 己の死を明確に感じ取った、その刹那。自分の背後から炸裂音が響いた。視界の端を横切ったのは、爆ぜるような青い光。

 何かがオートマトンを貫通する。穴の大きさは、銃弾と同じくらいだろう。白煙を上げ、オートマトンが動きを止めた。

 振り返れば、拳銃を構えたブシドーがいた。白煙が立ち上る銃口からして、膝をついた体制のまま撃ったのだろう。

 

 彼のこめかみには嫌な汗がびっしょりと伝っている。どこからどう見ても、動けるような状態じゃない。何とかしようと駆け寄ろうとしたら、彼は強い眼差しでこちらを睨んだ。

 

 

「武器を、しまってくれ。――誰か、来る」

 

 

 鬼気迫る様子に気圧され、刹那は武器を隠し場所へとしまう。ブシドーの警告通り、誰かの足音が聞こえてきた。足音の主は、ホーマー・カタギリ。ビリーの叔父であり、アロウズの司令官だ。ブシドーは、ふっと刹那に笑いかけた。

 翠緑の瞳が告げている。「自分は大丈夫だから、キミもはやく避難しろ」と。それが嘘であることはすぐに分かった。でも、今は――その嘘に従う以外に道はない。刹那はぐっと歯噛みした後、ブシドーの方を見て小さく頷き返した。

 

 ホーマーは現状を目の当たりにして驚いていたが、すぐに対応してくれた。ブシドーとビリーを介抱することを申し出て、ホーマーは刹那にも逃げるようにと促す。刹那は頷いた。

 2人を介抱するホーマーの背中を見つめる。正確には、ホーマーに介抱されているブシドーを、だ。ブシドーはそれに気づいたようで、ちらりとこちらを見返してきた。――どこまでも優しい眼差しが向けられる。

 

 

「――ッ!」

 

 

 後ろ髪をひかれるような思いで、刹那はこの場から駆けだした。阿鼻叫喚と化したパーティ会場から、仲間たちと共に脱出するために。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『今は、共に行こう。グラハム・エーカー』

 

 

 美しい花が咲き誇る戦場で、“最愛の人”から告げられた言葉があった。

 

 旅立つ“彼女”が自分に託した想いと正反対のソレは、何処までも浅ましい己の願望。

 旅立つ“彼女”の背中を見送った果てに、ついぞ告げることができなかった未練(ほんね)のひとつ。

 どこかの虚憶(きょおく)で《視た》、グラハム・エーカーの本当の望みだった。

 

 

『俺と共に行こう』

 

 

 つい先程、背中を見送った“少女”から告げられた言葉があった。

 

 脱出するために立ち去った“少女”がくれたのは、何処までも浅ましい己の願望。

 何処にも『還れない』と《理解さ(わから)せられた》自分が、墓場まで持っていくと決めた未練(ほんね)のひとつ。

 

 そのすべてを、“彼女”は全部叶えてくれた。どこかの自分の未練ごと、今ここにいるグラハム/ブシドーの願望を叶えてくれた。

 悍ましい連中の傀儡となり、“少女”に不貞と不義理を働いたろくでなしが手にするには、身に余る程の僥倖である。

 ……だから、もう、充分。これ以上、何を望むことがあろうか。傷の痛みを食いしばりつつ、ブシドーは目を伏せる。

 

 

(――ああ、でも)

 

 

 “彼女”の背中を見送った自分()()が、ついぞ言えなかった願いが零れた。

 

 

(――本当は、キミと共に、いきたかったな)

 

 

 この空の先を。

 ひいては、未来を。




【参考及び参照】

【推奨BGM】
『P.h.a.n.t.o.m j.o.k.e』(U.N.I.S.O.N S.Q.U.A.R.E G.A.R.D.E.N)





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