咲-Saki- もし咲が家族麻雀で覚醒してたら 作:サイレン
「慌てて帰っちゃいましたね」
部室から慌ただしく退散した少女、咲が閉めた扉を見つめて呟く和。麻雀をしているときの彼女は楽しそうに見えていたので、一体どうしたんだろうと思う。そこまで急ぎの用事でもあったのだろうか。
和がそう思うくらいに、咲の行動は不自然だった。
咲が僅かに動揺したタイミング的は、久が起きてきたのと同時。もしかしたら上級生との会話が苦手だったのかもしれないと、和なりに結論を付けたのだが、優希と京太郎の見解は違ったらしい。
「そりぁのどちゃん強すぎだからたじぇ」
「圧勝って感じだね」
二人はただ単に、負けて気を悪くしたからだろうと思っていたようだ。
確かに今日の対局、全部で三回行われていたが、全て和のトップだった。咲の成績も悪いわけではないが、和には劣っていた。
勝負事なのだから負ければ気分を損ねる気持ちは分かるが、たった三局でそこまで気にするだろうか。咲の様子を思い出してみても、どうにも納得出来ず首を傾げてしまう。
麻雀に絶対などない。
そう確信している和からすると、こんなのは偶然の産物に過ぎない。あと数回でもやれば、きっと咲が勝つことだって出来ただろうに、と。
しかし、久だけはそうじゃないと理解していた。
このまま何回対局しても、咲が一位になることはありえない。なぜなら彼女には、勝つ気そのものが皆無なのだから。
「……圧勝? なーに甘いこと言ってんのよ」
久の声に態度で疑問を示す三人。
当の久は相当ご機嫌なようだ。湧き上がる笑みが堪え切れないといった様子だろうか。こういう彼女は大抵、悪巧みを考えているときが多い。
「彼女のスコアを見て気づかないの?」
その指摘を受け、三人は咲のスコアを確認する。
三回連続プラマイゼロ。
成績自体はすごいものではない。事実咲はこの三局で、一度も一位にはなっていないのだから。
だがそれは、あくまで成績だけで観た話。本質をなにひとつ捉えられていない。
「宮永さんのスコアは三連続プラマイゼロ……まさかそれが故意だとでも言うんですか?」
「んなバカな……偶々っしょ」
普通ならそう考えるだろう。
麻雀はそこまで、自身の思い通りにコントロールできる代物ではない。
ランダムに積み上げられた山から、これまたランダムに牌を自摸って整理し、決められた役を作って和了る。手積みの時代ならまだしも、自動卓となった今ではイカサマなどほぼ出来ない。
「そうだじょ。麻雀は運の要素が大きいから、プロでもトップ率三割いけば強い方……。それをプラマイゼロなんて、普通に勝つより難しいじぇ」
麻雀は運に左右される競技。
相手の捨て牌から振り込まないようにする、などの技術も回数を経ればそれなりにできることだが、自摸だけはどうしても運次第なのだ。
ましてや狙った通りの点数が取れるなんて、それこそプロでも不可能。
「しかも三回連続なんて、不可能ってかい? ……でも」
普通なら不可能。
だがそれは、相手が普通だったらの話。
ではもし、相手が普通じゃなかったら……?
久は隠すことも無くその可能性を示唆する。
「圧倒的な力量差があったとしたら?」
雷鳴が轟いた。その雷は三人の驚愕の大きさを表しているようだった。
つまり久はこう言いたいのだろう。「貴方たちは、彼女に手加減されている」のだと。「本気を出すにも値しない程の、格差が存在している」のだと。
(ふざけないでください!)
和は感情の赴くままに、立ち上がり扉へと駆けて行く。
「の、のどちゃん!?」
優希の制止の声にも振り返ることはなく。あっという間に部室を出て行ってしまった。
「……のどか急に出て行ってどうしたんだ?」
相変わらず鈍感な京太郎には、今の和の行動が理解できなかったらしい。
一方で、久は久で別のことを考えていた。いやらしい笑みを浮かべて、物思いに耽っている。
「あの子うちの部に入ってくれないかなぁ?」
「咲が?」
「えぇ。そうすればまこも入れて五人。……うちの部、全国狙えるかもよ?」
当初は諦めていた。だが、こうして新たに舞い込んで来た大いなる可能性に、久は心踊らせるのであった。
****
旧校舎から出て、傘を差しながら歩いていた咲。
外はすっかり大荒れの空模様で、叩きつけるような雨が地上を襲っている。つい先ほどには雷鳴も轟いていたので、まだまだ止む気配はなさそうだ。
最初はどこかで雨宿りでもしようかと考えていた咲だったが、あまり遅くなっても父を心配させてしまう。少し濡れることは仕方ないかと諦め家に向かっていたのだが。
左方から、急に飛び出てきた和に抱き止められた。
(ッ⁉ ……な、何⁉)
思わぬ衝撃に傘が咲の手から吹き飛ぶ。
咲は驚きからの硬直で、和はここまで走ったためか息が荒れていてそれを整えるために、しばらく二人ともその体制から動けずにいた。
やがて息が整った和は、正面から咲を見つめる。
「……三連続プラマイゼロ、わざとですか?」
強い意志のこもった瞳は、咲にこう告げているようだ。
虚言は許さない。
正直に話してほしい。
ため息を吐きそうになるのをなんとか堪え、咲は和を見返す。言葉から大体のことが理解出来た。久が全部話したのであろう。
(やっぱりバレちゃってたか。それにしても、まさかこの雨の中、傘も差さずに追いかけてくるとは。さすがに予想外だったなぁ)
和の身体は雨に打たれびしょびしょで、セーラー服が透けて少し肌が見える状態だ。女子なら間違いなく羞恥心を覚える場面だが、それ以上に咲を追いかけるのに必死だったと分かる。
(さて、どうしよう……)
咲は和から離れ、吹き飛んだ傘を拾いに行きながら考える。
(これは何かしら話さないと解放はしてくれないだろうなぁ。適当に誤魔化すこともできなくはないと思うけど、それは得策じゃないし……)
おそらく、ここで話したことは麻雀部の面々に伝わるだろう。それはつまり、京太郎にも伝わるということだ。全く関係のない他人だったらその選択肢もあったかもしれないが、日頃から交流のある彼に嘘を伝えると、今後の高校生活が過ごしにくくなるだろうことは確定的に明らか。
(会ったばかりの他人に話すような内容じゃないけど、仕方ないか)
傘を拾い、決心を固める。
「少し場所を変えませんか? 原村さんも出来れば、屋根があるところの方がいいでしょ?」
和としてもその提案を断る理由は無かったので、二人は近くまで来ていた食堂に足を運ぶことにした。
****
「はい、原村さんタオル使って」
「ありがとうございます」
そのままの状態は衛生上まずかったのでタオルを渡す。あと男子の目線も危なかっただろう。今の和はすごい。
体を拭き終わり、落ち着いたためか和が一息付く。
「助かりました。これは後日洗って返しますね」
「えっ、いいよそんなの。気にしなくて大丈夫だよ?」
「いいえ、ダメです。他人のものを借りたら、それ相応の礼儀をもって返さないといけません」
「ならいいですけど……」
どこか堅苦しい感じだが、真面目なんだろうということで納得する。ここで口論しても、こういうタイプには何を言っても無駄だということは世界の真理でもある。端的に言って面倒くさい。
「何か頼みますか?」
「うーん、私はいいかな。あっ、でも水だけもらおうかな」
「分かりました。ではとって来るので少し待ってて下さい」
「じゃあ、私はその間に空いてる席を確保してくるね」
そう言うと和はそのままコップを取りに、咲はテーブルの方に移動する。
時間帯的にそこまで遅いわけではないが、学生は散見的にしかいない。席はほとんど選び放題だったので、なるべく人の少ない奥の方に座る。
その後、咲が座ってるテーブルに和が二人分の水を持って来た。
「はい、宮永さん」
「ありがとう、原村さん」
二人が席に着き、ようやく話しの舞台が整った。
「場所を変えた、ということは理由を話してもらえる、ということでいいんですよね?」
「うん。少し長くなるかもしれないけど大丈夫かな?」
「はい、構いません」
「そう、分かった」
(どうなっても知〜らないっ)
咲は一口水を含み、意を決したように話し始めた。
****
「……というわけなの」
「……そんなことがあったんですか……」
(……ただの悪ふざけかと思っていましたが、結構ヘビーな話でしたね……)
なぜプラマイゼロで打っていたのかという理由に、まさかこんな重い話が出てくるとは予想外であった。和は胸に微かに痛みを覚えるが、ここで引いてしまうのはアレだ。はっきり言って、気になって眠れない。
「……あの、それで、ご家族とは今、どうなっているのですか?」
「それが、最後の家族麻雀で私がブチ切れちゃって、それ以来気まずくなって。今はお母さんとお姉ちゃんが東京に、私とお父さんがこっちでっていう、所謂別居状態になっちゃって……」
和は即座に後悔した。
(……やってしまいました……。聞かなければよかったです……)
「……なんかデリカシーのないことを聞いて、本当に申し訳ありませんでした!」
「いや、大丈夫だよ。私が勝手に話しちゃっただけだから」
確かに悲しくもあったが、もう何年も昔の話し。今ではそこまで気にしてないのも事実であった。
「それから私は、極力麻雀に関わらないようにしてたんだ。今日はホントにイレギュラーな事態だったの」
「そうだったんですか……」
本当は無意識のうちに他人を威圧してしまう、という事情もあったのだが、和には話しが通じそうにないのでそれは省略する。
咲は改めて、和を真正面から見つめる。
「それで、今日のことだけど。私としても変に波風を立てたくなくて……。でも、気に障ったのなら謝ります。ごめんなさい」
素直に頭を下げる咲。
久しぶりの麻雀で気分が高揚していて、そこまで気が向いていなかった。今回のことは非を認めるしかなかった。真面目に麻雀に取り組んでいる相手には尚更だった。
「あ、あの! 頭を上げて下さい。確かに手加減されていたことには腹は立ちましたが、事情は分かりましたから。私こそ無遠慮に色々聞いてすいませんでした」
そう言って和まで謝りだす状況に、しばらく二人は頭を下げていたが、互いにおかしくなってクスッと笑いだした。
「アハハ……じゃあおあいこってことで」
「はい、そうしましょうか」
朗らかな空気に変わったところで、外の様子もさっきとは一変していた。長くなると思われた豪雨は、いつの間にか止んでいたらしい。
「雨も上がったことだし、私はこれで」
「あの宮永さん。一つだけお願いが」
「なに?」
「もう一回、もう一局、私と打ってくれませんか?」
咲の話しを聞いて尚それが言える和は、中々に図太いとこがあるようだ。
「えーと、私は……」
「そ、それに!」
何か言おうとした咲を遮って、和は先ほど咲から借りたタオルを取り出す。
「これも洗って返さないといけませんし!」
……もしかしたら、和はこのためにあんな頑なな態度をとったのだろうか。だとしたら相当の策士である。
(あーぁ。一本取られちゃった)
「……そうだね。それも返してもらわなきゃならないし、また機会があったらその時にね」
「はい!」
もう一度打てるチャンスを得た和は満足した様子だった。今からどう咲を負かそうかと、必死で頭を回転させている。
二人はコップを片付けた後、咲は家に、和は部室に戻るためそこで解散することに。
「では、宮永さん。また今度」
「うん、またね」
そう言って歩き出した咲だが、その背に和は声をかける。
「宮永さん! 次打つ時は負けませんし、プラマイゼロもさせませんから!」
こんな真摯に向かって来る相手は、今までいなかった。
麻雀から極力離れていた所為でもあるが、ここまで直接的に近づいてくる相手はいなかった。
(こんな気持ちは久しぶりだね)
咲もなんだか楽しみになってきていた。
「ふふっ、私のプラマイゼロはそんなに簡単には止められないよ?」
「それでも、止めてみせます!」
気合十分な和だが、咲としてもプラマイゼロで打つ、と決めたら絶対に成功させる自信がある。
「分かった。じゃあ今度打つ時にね。バイバイ原村さん」
「はい、さようなら宮永さん」
今度こそ別れる二人。しかし二人には、再会がすぐに来ることがなんとなく予想できていた。
それぞれの想いを胸に、二人は歩きだすのだった。